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2000年05月 アーカイブ

2000年05月01日

ゆく道の途中で


  まず始めに何から話をしようかと迷っていしまいますね。 とりあえず僕がギターをはじめた頃から書きます。今こそクラシックギターを演奏していますが、4年前はエレキギターを始めたばかりで、基礎を習おうと仙台のアカデミー学院という音楽学院のギター科の佐藤佳樹先生にギターを習いはじめました。ジャンル的にはジャズフュージョンだったのですが、一回目のレッスンで自分が耳にした音楽はジャズでもなくロックでもない、クラシックでした。それまで自分はクラシック音楽というものはとくに親しんでいたほうではありませんで、唯一覚えているのは子供のころ父が蓄音機でかけてくれた、サラサーテの”チゴイネルワイゼン”くらいでした。小学2年生のときにピアノも一年間くらい習っていましたが、、、、あまり面白くなかったのでやめてしまいました。でも少なからず現在に通じているものはあると思います。   

  とにかく、そのとき自分の耳に流れてきたクラシックギターの音楽はあまりにも衝撃的でした。エレキギターでは、バンドのなかのいちパートであり、和音的な伴奏とか単旋律のソロを受け持ちますが別にそれが悪いとかそういうことではなく、いや、それどころかそのような編成も魅力でありますが、、、) それに対してクラシックギターは一人で、さもオーケストラ(いや、まさにそのもの)やピアノのように、伴奏と旋律を奏でれるわけで、なによりその音色の美しさに、もう自分はその瞬間クラシックギターの虜になっていました。 もちろん次の週からレッスンはエレキではなくクラシックギターになりまた。 当然、クラシックギターはバリバリの初心者でした。 もちろん弦を押さえる指は同じですが、弦を弾く右手はエレキのときはピックですがクラシックギターは指で弾きます。まず爪を伸ばすことからはじめました。あとはとりあえずクラシックギター音楽をもっと知りたかったので、だれでもいいからギタリストのCDを、、、ということでそのときあるCDショップで偶然に手にしたCDはペぺロメロというスペインの世界的な演奏家だったのです。佳樹先生と出会ったのも運命的でしたがロメロのCDを偶然選んだのも運命的だったとおもっています。皆さんにも是非聴いていただきたいとおもいます。 個人的に、音楽的に素晴らしいギタリストは他にもたくさんいると思いますが、ギターの音色をあそこまで引き出せるギタリストは他にはいない!!とおもっています。(独断と偏見ですが。。)まず彼の演奏を聴いていると音色のイメージとしては、弦が鳴っているのではなくギターの材質(木)そのものが鳴っているのです。彼の演奏を聴いた瞬間、「よし、彼のようなギタリストになってやる!」と思いました。(とても恐れ多いです!何も知らないって恐ろしいことですね!!)

  というわけで、二回目のレッスンに持っていった曲はそのCDに入っていたヴィラロボスの前奏曲第1番でした(笑)皆さんはこの話を聞いてまず驚き、次に笑われることと思います。 まさにその通りです!でも当時としては、一本のギターでこんな演奏ができるのか?二人で弾いているんじゃないか? とCDを聴きながら感動していたものですから、弾ける弾けないかかわらず、一刻も早く音を出したかった、その一心でした。 自分はエレキを独学で始めた人ですから頭の中には『努力すれば弾きこなせない曲はない!』というポリシーみたいなものが出来上がっているんです。もちろんそのポリシーはクラシックギターにも受け継がれてしまったわけで(笑)、、、当然今もあります。人間みな同じ身体の構造を持っています。例えばそのロメロが指が6本あるのなら彼を目指すのはとっくにあきらめていますが、、努力の可能性は無限大である!とおもっています。たとえ4才から始めようが16才から始めようがのびるのびないは個々の努力次第です。自分は行けるところまでいってみようと思っています。

   話は戻りますが、当然、佳樹先生と「いやーそれはまだ早いんじゃない!!」てことになるわけです。なにせはじめはクラシックギターでひけるポピュラー音楽を教わりはじめたばかりだったからです。 さきほど佳樹先生と出会ったのも運命的、、と、書きましたが、普通の先生なら「とりあえずエチュードから!」と、なるところが佳樹先生は「まあ弾いてみろ」とおっしゃったのです。いまでも思うのですがあの時先生のこの一言が なければ今頃自分はクラシックギターをやっていなかったと思います。自分はその言葉に甘え、ソルの「魔笛」の主題による変奏曲 やバッハのシャコンヌ などクラシ ックギター名曲を弾きまくりました。 今思うと(いやー恥ずかしい!よく弾いてたなあ)という感じです。まさに恐いもの知らず! いやーまだまだ青かったですねー(笑)まだまだ書きたいことがあり、収拾がつかなくなってしまうので!(もうそんな感じですが)とりあえずこの辺で、今回は僕がギターを始めたころの話しでした。次回は自分がクラシックギタリストを目指そうと思った頃のお話しをさせていただこうと思います。

2000.5.1 千葉真康

ゆく道の途中で


  まず始めに何から話をしようかと迷っていしまいますね。 とりあえず僕がギターをはじめた頃から書きます。今こそクラシックギターを演奏していますが、4年前はエレキギターを始めたばかりで、基礎を習おうと仙台のアカデミー学院という音楽学院のギター科の佐藤佳樹先生にギターを習いはじめました。ジャンル的にはジャズフュージョンだったのですが、一回目のレッスンで自分が耳にした音楽はジャズでもなくロックでもない、クラシックでした。それまで自分はクラシック音楽というものはとくに親しんでいたほうではありませんで、唯一覚えているのは子供のころ父が蓄音機でかけてくれた、サラサーテの”チゴイネルワイゼン”くらいでした。小学2年生のときにピアノも一年間くらい習っていましたが、、、、あまり面白くなかったのでやめてしまいました。でも少なからず現在に通じているものはあると思います。   

  とにかく、そのとき自分の耳に流れてきたクラシックギターの音楽はあまりにも衝撃的でした。エレキギターでは、バンドのなかのいちパートであり、和音的な伴奏とか単旋律のソロを受け持ちますが別にそれが悪いとかそういうことではなく、いや、それどころかそのような編成も魅力でありますが、、、) それに対してクラシックギターは一人で、さもオーケストラ(いや、まさにそのもの)やピアノのように、伴奏と旋律を奏でれるわけで、なによりその音色の美しさに、もう自分はその瞬間クラシックギターの虜になっていました。 もちろん次の週からレッスンはエレキではなくクラシックギターになりまた。 当然、クラシックギターはバリバリの初心者でした。 もちろん弦を押さえる指は同じですが、弦を弾く右手はエレキのときはピックですがクラシックギターは指で弾きます。まず爪を伸ばすことからはじめました。あとはとりあえずクラシックギター音楽をもっと知りたかったので、だれでもいいからギタリストのCDを、、、ということでそのときあるCDショップで偶然に手にしたCDはペぺロメロというスペインの世界的な演奏家だったのです。佳樹先生と出会ったのも運命的でしたがロメロのCDを偶然選んだのも運命的だったとおもっています。皆さんにも是非聴いていただきたいとおもいます。 個人的に、音楽的に素晴らしいギタリストは他にもたくさんいると思いますが、ギターの音色をあそこまで引き出せるギタリストは他にはいない!!とおもっています。(独断と偏見ですが。。)まず彼の演奏を聴いていると音色のイメージとしては、弦が鳴っているのではなくギターの材質(木)そのものが鳴っているのです。彼の演奏を聴いた瞬間、「よし、彼のようなギタリストになってやる!」と思いました。(とても恐れ多いです!何も知らないって恐ろしいことですね!!)

  というわけで、二回目のレッスンに持っていった曲はそのCDに入っていたヴィラロボスの前奏曲第1番でした(笑)皆さんはこの話を聞いてまず驚き、次に笑われることと思います。 まさにその通りです!でも当時としては、一本のギターでこんな演奏ができるのか?二人で弾いているんじゃないか? とCDを聴きながら感動していたものですから、弾ける弾けないかかわらず、一刻も早く音を出したかった、その一心でした。 自分はエレキを独学で始めた人ですから頭の中には『努力すれば弾きこなせない曲はない!』というポリシーみたいなものが出来上がっているんです。もちろんそのポリシーはクラシックギターにも受け継がれてしまったわけで(笑)、、、当然今もあります。人間みな同じ身体の構造を持っています。例えばそのロメロが指が6本あるのなら彼を目指すのはとっくにあきらめていますが、、努力の可能性は無限大である!とおもっています。たとえ4才から始めようが16才から始めようがのびるのびないは個々の努力次第です。自分は行けるところまでいってみようと思っています。

   話は戻りますが、当然、佳樹先生と「いやーそれはまだ早いんじゃない!!」てことになるわけです。なにせはじめはクラシックギターでひけるポピュラー音楽を教わりはじめたばかりだったからです。 さきほど佳樹先生と出会ったのも運命的、、と、書きましたが、普通の先生なら「とりあえずエチュードから!」と、なるところが佳樹先生は「まあ弾いてみろ」とおっしゃったのです。いまでも思うのですがあの時先生のこの一言が なければ今頃自分はクラシックギターをやっていなかったと思います。自分はその言葉に甘え、ソルの「魔笛」の主題による変奏曲 やバッハのシャコンヌ などクラシ ックギター名曲を弾きまくりました。 今思うと(いやー恥ずかしい!よく弾いてたなあ)という感じです。まさに恐いもの知らず! いやーまだまだ青かったですねー(笑)まだまだ書きたいことがあり、収拾がつかなくなってしまうので!(もうそんな感じですが)とりあえずこの辺で、今回は僕がギターを始めたころの話しでした。次回は自分がクラシックギタリストを目指そうと思った頃のお話しをさせていただこうと思います。

2000.5.1 千葉真康

ゆく道の途中で


  まず始めに何から話をしようかと迷っていしまいますね。 とりあえず僕がギターをはじめた頃から書きます。今こそクラシックギターを演奏していますが、4年前はエレキギターを始めたばかりで、基礎を習おうと仙台のアカデミー学院という音楽学院のギター科の佐藤佳樹先生にギターを習いはじめました。ジャンル的にはジャズフュージョンだったのですが、一回目のレッスンで自分が耳にした音楽はジャズでもなくロックでもない、クラシックでした。それまで自分はクラシック音楽というものはとくに親しんでいたほうではありませんで、唯一覚えているのは子供のころ父が蓄音機でかけてくれた、サラサーテの”チゴイネルワイゼン”くらいでした。小学2年生のときにピアノも一年間くらい習っていましたが、、、、あまり面白くなかったのでやめてしまいました。でも少なからず現在に通じているものはあると思います。   

  とにかく、そのとき自分の耳に流れてきたクラシックギターの音楽はあまりにも衝撃的でした。エレキギターでは、バンドのなかのいちパートであり、和音的な伴奏とか単旋律のソロを受け持ちますが別にそれが悪いとかそういうことではなく、いや、それどころかそのような編成も魅力でありますが、、、) それに対してクラシックギターは一人で、さもオーケストラ(いや、まさにそのもの)やピアノのように、伴奏と旋律を奏でれるわけで、なによりその音色の美しさに、もう自分はその瞬間クラシックギターの虜になっていました。 もちろん次の週からレッスンはエレキではなくクラシックギターになりまた。 当然、クラシックギターはバリバリの初心者でした。 もちろん弦を押さえる指は同じですが、弦を弾く右手はエレキのときはピックですがクラシックギターは指で弾きます。まず爪を伸ばすことからはじめました。あとはとりあえずクラシックギター音楽をもっと知りたかったので、だれでもいいからギタリストのCDを、、、ということでそのときあるCDショップで偶然に手にしたCDはペぺロメロというスペインの世界的な演奏家だったのです。佳樹先生と出会ったのも運命的でしたがロメロのCDを偶然選んだのも運命的だったとおもっています。皆さんにも是非聴いていただきたいとおもいます。 個人的に、音楽的に素晴らしいギタリストは他にもたくさんいると思いますが、ギターの音色をあそこまで引き出せるギタリストは他にはいない!!とおもっています。(独断と偏見ですが。。)まず彼の演奏を聴いていると音色のイメージとしては、弦が鳴っているのではなくギターの材質(木)そのものが鳴っているのです。彼の演奏を聴いた瞬間、「よし、彼のようなギタリストになってやる!」と思いました。(とても恐れ多いです!何も知らないって恐ろしいことですね!!)

  というわけで、二回目のレッスンに持っていった曲はそのCDに入っていたヴィラロボスの前奏曲第1番でした(笑)皆さんはこの話を聞いてまず驚き、次に笑われることと思います。 まさにその通りです!でも当時としては、一本のギターでこんな演奏ができるのか?二人で弾いているんじゃないか? とCDを聴きながら感動していたものですから、弾ける弾けないかかわらず、一刻も早く音を出したかった、その一心でした。 自分はエレキを独学で始めた人ですから頭の中には『努力すれば弾きこなせない曲はない!』というポリシーみたいなものが出来上がっているんです。もちろんそのポリシーはクラシックギターにも受け継がれてしまったわけで(笑)、、、当然今もあります。人間みな同じ身体の構造を持っています。例えばそのロメロが指が6本あるのなら彼を目指すのはとっくにあきらめていますが、、努力の可能性は無限大である!とおもっています。たとえ4才から始めようが16才から始めようがのびるのびないは個々の努力次第です。自分は行けるところまでいってみようと思っています。

   話は戻りますが、当然、佳樹先生と「いやーそれはまだ早いんじゃない!!」てことになるわけです。なにせはじめはクラシックギターでひけるポピュラー音楽を教わりはじめたばかりだったからです。 さきほど佳樹先生と出会ったのも運命的、、と、書きましたが、普通の先生なら「とりあえずエチュードから!」と、なるところが佳樹先生は「まあ弾いてみろ」とおっしゃったのです。いまでも思うのですがあの時先生のこの一言が なければ今頃自分はクラシックギターをやっていなかったと思います。自分はその言葉に甘え、ソルの「魔笛」の主題による変奏曲 やバッハのシャコンヌ などクラシ ックギター名曲を弾きまくりました。 今思うと(いやー恥ずかしい!よく弾いてたなあ)という感じです。まさに恐いもの知らず! いやーまだまだ青かったですねー(笑)まだまだ書きたいことがあり、収拾がつかなくなってしまうので!(もうそんな感じですが)とりあえずこの辺で、今回は僕がギターを始めたころの話しでした。次回は自分がクラシックギタリストを目指そうと思った頃のお話しをさせていただこうと思います。

2000.5.1 千葉真康

ストリートミュージシャン考

少し酔って夜の街を歩くと、人通りがまばらになったアーケードに響く歌声に立ち止まってしまうことがよくある。


どこからか一人二人とギターを持って路上にすわり、歌い出す人達がいる。そのまばらな人通りに向かって、通りすがりに集まった観客に、あるいは目を閉じて、それぞれにそれぞれの歌い方で歌っている。そしてその声は酒と夜の力で少しばかり感傷的になった心をたやすくとらえてゆく。うまい歌からもへたくそな歌からも歌い手の背負っている世界がそこはかとなく伝わってきて、普段歌など熱心には聞かない部類の私ですら煙草に火をつけ立ち止まりその世界に共感したり、ひたってみる。「ストリートミュージシャン」と彼等は呼ばれ、そして私は彼等が好きだ。


しかし私が歌声に足を止める一方で、それによって眠りを妨げられている人達がいる。「深夜の演奏は迷惑です」という掲示があるように、アーケードには住人がいて暮らしている。再三の掲示にもかかわらず深夜の演奏はなくならない。夜の11時を過ぎると警官が見回りにやってきてギターをかき鳴らす若者たちを退かせているが、しかしそれでもしばらくたつとまた戻ってきてしまう。深夜一時を過ぎても、ひどいときには朝方まで歌っている場合もあるようだ。


去年の12月頃、路上でアクセサリーを売っている女性と話をしたことがある。夜のアーケードでケースを地面に広げその後ろにぽつんと座っている彼女はもう2年以上もそうやって自分で作ったアクセサリーを売り続けているらしく、通りの事情には詳しかった。

彼女の話によれば、かつてはストリートミュージシャンや彼女のような露店の人にたいして商店街も寛容だったらしいしかし外国人の露店が増え、そのうちのいくつかが詐欺や脅迫まがいのやり方で売るようになってからは商店街としてもだまってはいられなくなったようだ。悪質なものだけを排除しようとしても、それだけを排除することは難しい。そのため結局全面的に禁止する方針になったという。もちろんアーケードの通りそのものは公道であるため直接商店会が禁止とすることはできないが、実際には行政が商店会に配慮して使用許可を出さないためすべてが無許可で違法ということになってしまう。そしてストリートミュージシャンは安眠妨害と道路の無許可使用の両方をしていることになる。

私はストリートミュージシャンが好きでその肩を持ちたい気持ちだが、どうしても分が悪いという感じは否めない。さらに実際に行われている手段も商店会が行っているのは先に書いた掲示ぐらいであるし、警察の取締も夜11時を過ぎないと行われないようだ。程度としても妥当なものであろう。もしストリートミュージシャンと商店街住民との共存が可能だとすればやはりストリートミュージシャン側が歩み寄ることによってでしかないと感じられる。その歩み寄りは有り得るのだろうか。


Blue Hartsが好きだという学生二人組は毎週金曜日の夜に街で歌うという。藤崎アネックス前で歌っているところへ声をかけた。自分たちでバンドを組んでいるがあまり人前で演奏する機会がないらしく、それでここで歌うのだという。何時ぐらいまで歌ってるのかと聞くと「12時前ぐらいには帰るよ」とのこと。他にも十代から二十代前半ぐらいの何人かに声をかけたが大体同じ様な答えで、その中にはギターを初めて2ヵ月で「ここで練習するんだよ。」という高校生から、「ボイストレーニング代わりに」という学生らしき人もいた。

8時ぐらいから歌っていた男は長淵剛が好きだといって何曲も歌ってくれた。彼は社会人だというが、、それでもほとんど毎日そこでうたっているらしい。「ここで歌っているときだけが生きてるってかんじるんだよ。」と語り、彼は朝まで歌ってそのまま仕事に行くこともあるという。付近の住民が迷惑していることについてどう思うか尋ねると「仙台はおかしいよ。何で商店街に人が住んでるんだよ。」と憤慨していた。その彼に「話を聞くならこの人だよ」とある人を紹介された。

言われたその人は10時過ぎにあらわれた。彼もまた長淵を歌っていたが他のストリートミュージシャンに比べて格段にうまく、すぐに人が集まってきた。集まってきたのは客だけでなく同じストリートミュージシャンが自分のギターをしまい彼を囲んだ。彼が数曲歌い終わるとかわるがわる挨拶をして、近況を報告しあう。どうやらストリートミュージシャンの間にも自然とグループのようなものができているらしい。彼の歌を聞いていると20代後半過ぎぐらいのギターを持った人達ぽつりぽつりと彼に声をかけて通りすぎていった。彼等もこれから歌い始めるようだ。歌を聞くとどうやら遅くにやってくる人ほどうまかった。もう深夜といっていい時間だった。

彼に話しかけると曲の合間合間に言葉少なく答えてくれた。「もしステージや店の舞台で歌ってくれといわれたら歌うこともあるだろう。でもやっぱり俺はここにもどってくる。俺はここで歌うことが好きなんだ。ここで歌うかわりに他所で、というのだったらそれは嫌だ。」「商店街の連中は頭が固い、話し合っても無駄だ。」「俺は人に聞かせるというよりもそれ以上にここで歌うことが好きなんだ。」彼はそういって歌い続けた。

彼等からは歩み寄りの姿勢はあまり感じられなかった。付近住民へかけている迷惑についても意識しているようでもない。なにより商店会から苦情がでていようが警察が取締をしてるといっても実際には歌い続けること自体には困難が生じているわけでもない。もとより誰に支持してもらうつもりのない彼等にとって現にそこで歌えている以上なんの問題もないのであろう。

こういった問題について商店会の側はどう考えているのか、一番町四丁目商店街振興組合の事務所へ行き話を聞いてみた。私が質問の趣旨を話すなりに担当者がうんざりした顔をして「全面禁止です。妥協の余地なしです。」と強い口調で切り出すとおおよそ次のように語った。「我々は非常に迷惑してます。どこで演奏するならいいいとか、何時までだったらいいとかそんなことは一切いいません。結局そういった様に決めたとしても、守らない人は必ずでてくる。もし守らない人がいたからといってそれを見回ってやめさせる労力を払うつもりもない。なぜ我々がそんな負担を背奄筲ネければならないのか。だから全部禁止です。現に今歌っている人はいるが、それも手が回らないから放置しているだけです。認めているわけではありません。我々にはもっとほかにいろんな仕事があるんですよ。」

ストリートミュージシャンと商店街との間には歩み寄りの道はないようにおもわれる。ただあるのは現実に迷惑している側が厳しく排除できないといういわば隙間のような状態である。その隙間があるうちはストリートミュージシャンはアーケードで歌い続けるだろう。たとえ、それが誰かの迷惑の上になりたっているものだとしてもだ。 

仙台という街はその大きさの割に文化的には貧しい街だという声をよく聞く。その言葉はすくなくとも音楽に関しては当てはまる様な気がする。身近にあるのは完全に商売としての音楽と完全に個人的な趣味の領域のものがほとんどでその間を埋めるようなものがすくない。気軽に聞けてそれでいて聞き応えもある、そういった生の音楽が存在している領域というものが少ないような気がする。アマチュアの音楽活動をしている聞き応えのある人達というのももちろんいるが、しかし彼等が実際に演奏する場は少ない。そのほとんどが自分でお金を出して演奏させてもらっているというのが実情ではないだろうか。ストリートという場所はそういった人達がもっと簡単に聞き手に向き合える場所であるといえる。そのストリートミュージシャンさえいなくなってしまうことはあまりに寂しいというしかない。商店会とストリートミュージシャンとのあいだに健全な関係は期待できないとしても、ストリートミュージシャンの生きのこれる隙間があるとすれば私はその隙間がなくなってしまわないことを願う。良いことでは必ずしもないそういった隙間、それすらない街なんて住みにくくてしようがない。そう考えることは身勝手に過ぎるだろうか。


2000.5.1
松村和昭  

仙台のフリーペーパー

忙しい日々の合間をぬって迫ってくる退屈に押しつぶされそうなあなた、フリーペーパーがおすすめです。何気なく歩く街の所々に置かれているたいていは小さな紙切れ、しかしそんな小さな紙切れの中にはひょっとしたらあなたを退屈から救い出してくれるエネルギーが詰まっているかもしれません。


自分が見聞きし感じたことを、それはほんの小さなことかもしれないけれど、伝え共有したいと感じている個人がささやかな手段で表現しているメディア、それがフリーペーパーす。つまりそれは退屈で乾いているようにあなたが感じている同じ空間のなかで宝物を見つけて、それを伝えようとしている人たちの声なのです。

あなたがその声のどれかに共感し共有出来るものを見つけることが出来れば、退屈に見える日常はあなたにとって宝の山となるでしょう。今回はそんなフリーペーパーについて少々。


何気なくみかけるものでもいざ探そうとすると以外に見つからないというのは世の常で、フリーペーパーも意識的に集めてみようとするとなかなか見当たらないので苦労しました。探していたときがフリーペーパーの発行時期とずれていて、すれ違っていたということがその理由だったようです。

実際4月になってから街を歩くと結構な数のフリーペーパーを見つけることが出来ました。フリーペーパーの多くは個人で発行しているものが多いようなので、あまり頻繁には出すことが出来ないのでしょう。発行数もそう多くはないとすれば、発行してすぐにほとんどがさばけてしまって、手に入らない期間が随分とながくなるもの無理もないことかもしれません。

さてそのなかでも発行周期も短く部数もだんとつに多いのが
「MT 」です。愛情に裏付けされた仙台に対する鋭い批判が最大の特色といえるでしょう。記事の内容も質が高いうえにデザイン的にも素人の粋を越えていて、紙も立派なものをつかっているので「一体誰が作っているのだ!!」と思っていたら、実は広告代理店がつくっていたようです。個人だと勝手に思い込んでいたので若干がっかりでしたが、それでもやはりこの「MT」は意義の大きいものであると断言します。

四つ折りのこの「MT」の裏側一面に毎回インタビューや対談形式の特集が組まれていて、これが何より面白い。一見の価値はあります。最新号の8号のインタューは「THE NIGHT OF MASKED KICHEN 6...」と題して「デザイン界のイケメンにフクメンで語ってもらいましょう」という企画。少しだけその中身を紹介させてもらいます。

<引用開始>

”E)なんかねー、仙台は『考えたこと』とかにお金を払う人が少ないな、ていうのが...実際こう、チラシとか分かりやすいもののほうが値段とれたりして、考えたりするとこにお金払う人すくないなーって思うんですよ。”


〜中略〜

”H)それをなぜ説得できない、ていうのもあるし、もしかしたら仙台はそういうものを必要としていないのかもね。

MT1)してないんじゃないすかね。

E)なんかそういう仙台体質みたいなの昔聞いて、支店支社ばっかりで地元のメーカーってないから。新潟とかだと亀田製菓とか、そういう地場産品がないから仙台はけっこう誰も決定権持ってない、て。”


<引用終了>


刺激的です。


「MT」では他にも毎回、現在定禅寺通り沿いに建設中のメディアテークの紹介をしたりもしています。このMT、案外どこにでもあるので是非読んでみて下さい。


今回MT以外にも仙台のフリーペーパーをいくつか紹介しています。下の画像をクリックしてみて下さい。

http://www.im-sendai.jp/tokusyu/2000/freepaper/f_paper.html

松村和昭
2000.5.1

あの掃除機はなんだったのか?

昨年 の9月の休日、気持ちがいい秋空の下、毎年恒例のジャズフェスティバルが行われている。ぽかぽかと暖かい午後3時に私はベーシストの友人の演奏を聞きに行く。それからいつもどうりの友人の演奏が終わり、少し太陽が傾き始めたころ、私は友人とお喋りをしていた。ふいに友人がおかしなことを言い始めた 。
「さっき、木に掃除機がくっついていたのを見た。」と。私は友人が何を言いたいのか訳が分からず、何で木に掃除機が付いているのか?ときいた。けれど友人は分からないと言う。よく話を聞くと定禅寺通りの真ん中にあるケヤキ並木の中の1本に、掃除機がくくりつけてあると言うことだった。
?????と私の頭の中は、はてなマークで一杯になったが、ともかく私と友人は、その木に付いているという掃除機を見に行くことにした。定禅寺通りと晩翠通りがぶつかった所のケヤキ並木の一番端の木にその掃除機はくっついていた。


その様子を言葉で伝えるのは難しいことだが、木には腹巻きのようにサランラップが巻いてあり、そこに掃除機が逆さになって、ホースをたらして、木にくっついている。赤のスプレー缶でその掃除機を押さえつけるように二つの輪が描かれている。
どう言ったらいいのだろうか? とにかく”異様な”雰囲気が漂っている。周りの普通の風景とのミスマッチ、アンバランスが、妙に気になる。ただそこにどう考えてもはおかしな空間が存在しているのだ。 なぜここに掃除機があるのかと?この掃除機がなかったら、多分すっきりするだろうと思った。

そんなことを考えているうちに、私の回転が遅い頭がゆるゆると動き始めた。"はて、なにやら聞いたことがあるぞと。" しばらくそう考えて、私はやっと思い出した。私の父が参加していた 仙台・セビリア文化交流協会 のアルバムを以前見ていたとき、スペインの宮殿のような美しい建物の中、大理石の柱に掃除機がくっついているというオブジェ?を見たことがあったのだ。その作品にどんな意味があるのか、その時さっぱり私にはからなかったけれど、ひどく印象に残っていた。”そういえば大場さんと言う名前の人だったなあ。”というのが昨年の9月のジャズフェスティバルだった。   今回私たちが、このホームページを発行するに当たって、まず紹介したいと思いついたのは、この作品で、その作者である大場順一さんであります。  世間は狭いのか、偶然と言うものなのか、仙台・セビリア文化交流協会をとおして、私の父と大場さんは知り合いで、私たちは今回ご多忙な大場さんにインタビューをすることが出来できました。

ginger(以下G): 去年のジャズフェスティバルの時、定禅寺通りのけやきに掃除機にが縛りつけてあって、なんだろこれって、ずっと気になってたんですよ。あの掃除機はいったい何だったんですか。

大場: 掃除機っていうか、形でね。掃除機のホース、その形がちょっと好きッだったんですよね。その形の方から、今ここにもひとつあるんですが(そばにある掃除機のホースを使ったオブジェを指して)、この蛇腹の感じのホースとかビニールホースとか、そういったチューブみたいな感じの素材を前から作品に使っていたんですよね。まあ掃除機は素材としてあったンで....、別に掃除機でなくてもよかってんですけど、つかいやすかったんで。あの掃除機は拾ってきたやつなんですよ。粗大ごみ置場から夜集めて回って、三十台ぐらい集めて、それを自分なりに使いやすいように修理して、そうやってつかったんですけど。別に掃除機でなくてもよかったんですけど、とりあえずコンパクトにまとめて自分の作りたいものを作り上げるのに掃除機が手っ取り早いかなあとおもって、掃除機をやったんですよね。

G: 作品は並木に掃除機が縛りつけてあったと思うんですが、あれは木も含めて一つの作品ということだったのですか?

大場: そうですね。木というか、その周り全部を含めて自分の作品だと思ってます。だから極端なことを言えば、その場に来ている人達も全部、空間全部。その空間が自分のものだというわけではないですけど。そのための掃除機だったという気がするんですよ。

G: 予想していた、期待していた反応というものはありましたか?そういったものを持っていたとすればそれとのギャップというものはありましたか?

大場: 反応は直接聞くことはできなかったですし、特に知ろうとはしなかったですね。それにあまり反応はなかったとおもいます。気になることは気になりましたけどね。

G: 作品のタイトルは「許されない虐殺  東ティモール」というものでしたよね。そういったタイトルにしては、掃除機という素材はギャップがありすぎるという見方もありますが、

大場: 勘違いされると困るんだけど、タイトルというのは大きくはかかなかったんですよ。そのタイトルは本当に個人的なもので、東ティモールで起きていたことに関して個人的に憤りを感じていたということがあって、直接向こうにいって何もすることができないけれど、感じることを一つの題材として表現しようということで、作品と具体的には対応してはいないんですよ。自分の気持ちが「許されない」と感じていると言うことを表現しているわけではなく、自分としての納得なんですよ。だからほとんどの人はわからなかったと思うんですよ。ただこの作品のなかにはラジオが入っているんですよ。その音というのは「ワーワー」という雑音でたまに声が入っていたりするんですけど、それがここからきこえてくるんですよ。何か戦争らしい、虐殺らしいところといったらそこぐらいですかね(掃除機の吸い込み口をさしながら)。耳を澄まさないと聞こえてこないし、当然あのときは聞こえなかったと思うんですよ。ほとんどの人はわかんなかったと思いますよ。

G: そういった状況。つまり耳を澄まさないと聞こえない、そのうえああいった雑踏のなかでは聞こえてこない、という状況は意図したものだったのですか?

大場: あまり問題とはしてなかったですね。当然聞こえないだろうなとは思ってましたけど。自分の思い込みだけというか、「やった」という満足という、その辺だけでしたね。美術の作品というのは当然人に見てもらうということはあるんですけど、自分がどういった態度で、想いで造ったかという目に見えない部分がすごい大切だとおもうんですよ。僕のラジオの声が東ティモールの声という風に思って造ったんですけど、そういったところは届かなかったのかもしれませんね。

G: 芸術作品には時々説明過剰なものがあって、一方では説明が足りないというか分からないというものもありますが、どちらでも駄目だと思うんですが、その辺りの折り合いについてはどう考えますか。

大場: 説明っぽくなってしまったら本当にまずいと思うんですよ。そうなってしまうなら初めから創らないで説明すればいいんで。説明しないようにできるだけみんなに分かってもらうということは必要だとは思うんですが、僕はすごく説明がへたなのでどこまで言っていいのかがよく分からないので、できるだけ言わないようにはしてるんですけど。どうなのかなあ、あまり説明はしたくないんですけどね。説明とそのもので一体となっているようなものだったら、積極的に説明して分かってもらうように努力しなければいけないんですが、僕の場合は説明するとかえってこんがらがってしまうような気がするんですよ。それは僕の説明がへたくそなのでもあり、作品自体が必要としていないということでもあります。

G: この作品をみて確かにわけがわからなかったんですが、タイトルをみていたわけでもないので。でもインパクトというか引っかかるものはありましたね、なんなんだったんだろあれはというか。そういった意味では成功していたのじゃないかと....

大場: たとえば、人を驚かせるという点ではそうかもしれませんけど、掃除機が木にあるからおかしかったんで、違和感があったんでしょうね。でも本当はあまり掃除機とは分かってほしくはなかったんですよ。掃除機っていうよりも、まあ掃除機だと思ってもほかの何かを感じてほしかったんですよ。掃除機があそこにあったというのではなくて、そのなかから掃除機をこえた何かを感じてほしいというのがねらいだったんですけどね。

G: 僕は最初セミかなとおもったんですよ、それもかなりロジックな発想ですけど、木にとまってるからセミかなって。でも掃除機をあまり感じてほしくないというの割には....、ああいった作品というのは僕らなんかまず「これは作者は何を意図してつくったんだろう」とみてしまいがちですが、結構掃除機がそのままという感じが強かったですけど、そうするとどうしても掃除機をつかったという点に主眼があるように見てしまうのですが、

大場: う〜ん

G: それではこの作品の一番のポイントというところは、

大場: やっぱりいつも考えるのは....、そのもの自体の部分的なところはあまり気にしないということですね。どういった場所でそれをするか、周りの状況とか、どんな視線で見てもらうか、どうな風にやっら周りに変化をおこすかということですね。あのときはすごい緑だったじゃないですか、今に比べると時期的に。そのなかでしろのホースが映えたり、僕はラップを使うんですよ、そのラップが掃除機を包んだときに違う表情をするんですよね、掃除機が、苦しいようなというか。そういったところが作品の表情としての今の僕のやりかたなんですね。こうラップをつかってギュウってつつんでしまうやりかた。

G: スペインで作品の発表もされたことがあると伺ってますが、そのときはいかがでしたか。

大場: スペインにいたとき同じ様なことをセビリアで、そのときはもうちょっと規模大きかったんだけどね。反応がすごかったですね。良いと、悪いと両極端でしたね。サインしてくれとか、なかには、紙に書いてあったんですけど、「おまえみたいなのはどこそこへ帰れ!」とか「この仕事はやりつくされたからやめろ」とか「おまえは天才だ」とか。スペインの人達は向こうからどんどん意見を言ってきてこっちが戸惑うぐらいでした。スペインは仙台に比べたら現代美術とか触れる機会がすくないとおもうんですけど、それでもこういった面白いことやってることに対して自分たちが感じていることを素直に言ってくれるというところがありましたね。

G: 作品の話を少しはなれてご自信のことについて伺いたいのですが、普段はどんなことをされてるんですか?

大場: 普段は食べるために不動産関係、といっても温泉のほうの管理とかをしています。そちらのほうで食べて、その合間に自分の作業をやっているという感じです。

G: 昨年のジャズフェスティバルにああいった形で参加されたわけですが、そのいきさつはどういったものですか。

大場: 友達にジャズフェスの関係者がいて、「こんど美術の部門でもなにかやらないか」という話があったらしくて、前々から定禅寺の木でなにか自分の作品がつくれたらいいなとおもっていたんですよ。それで良い機会だなあとおもってやってみたんですよ。あのときはいろんな人が集まっているので、見てもらいたいなあとおもって。街のなかで何かやるっていうのが好きなんですよ。

G: では今年のジャズフェスには、

大場: まだ考えてませんよ。

G: 他にはどういった活動をされてきているんですか。

大場: 大きくいって個展とグループ展のふたつですかね。そういったことをやるようになってどれぐらいたつのかなあ。二十ぐらいからだとおもうんですよ。だから個展は24〜5回ぐらいかな、グループ展は32〜3回ぐらいやってると思うよ。

G: じゃあ個展は年一回位のペースでやってるんですね。

大場: そういうことじゃなくて、やるときやって、やらないときは全然やらないんだよ(笑)。年に最高5回やったことあるし、取りつかれたようにやってしまうことがありますね。去年なんかはなにもやらなかったんですよ、だから今年は何かやりたいなって。

G: 作品はどういったところで作るんですか。

大場: アイデアは大体この部屋で。車で街を走ってる時とか、あるっている時とか、そしてこの部屋でまとめるとかですね。大きいものだと実家の岩出山でつくったりもしますね、これからは鳴子のほうでということになるかもしれませんけど。

G: 最後になりますが。普段ご自分で芸術活動をしていて、この仙台の状況といったものに関してどう思われますか。

大場: そうですね。以前宮城県美術館で個展やったことがあるんですが、展示の仕方とか僕みたいなインスタレーションの作家にはやりにくいことろなんですね。というのは、あそこではできた作品をもってゆくというか、そこで作ることができないんですよ。僕の場合はどうしても会場で作らないといけないわけですから。これからそういったインスタレーションの作家って増えてゆくと思うんですよ、ですから美術館の対応ももっと柔軟であってほしいなとおもうわけですよ。美術館の人と事前に話し合って、いまはそういったことをやれるようにはなってきてるとおもうんですが。こんど定禅寺通りにまたなにかできるみたいですけど、箱をきれいにするとか、維持するとかということではなくもっといろんな人がきて、いろんなことができるようなですね、管理ばかりではなくていろんな人が利用しやすい空間を作ることが重要だと思いますね。箱の権威ばかり考えていてはいいものはできないんじゃないですかね。そういうことと、やっぱりふたり人がいたらやりたいことがちがってくるとおもうんですよ、作品を発表しようとするとそういうひととあわなくなってくる、そのへんのことをお互いに言い合って行くということが大事ですね、そこで意見の違いを認めあってそれでできなかったらやめるというように、そうやってこういうようにしたらいいとか、ここを直したらいいとかそういうことが大きな力になってくんじゃないかなあ。それをなあなあで、やってくださいといったことをその通りやるということではなく、自分たちの主体性をもって発表してゆくということをしてゆけばもっと面白い街になってゆくとおうんですよ。それは批判をおそれないということだし、これからもいろんなとこでやらせてもらおうとおもってます、だめでもともとなんだし、企画書とかきちんとだして。たぶんみんななにがしたいかわからないわけですから、なんだろ変だなあとおもうとおもうんですよ、だからそうことをきちっと説明してゆくことがこれから美術、音楽もそうですし、なにか発表していこうと考える人には必要になってくるとおもいます。それに対して社会は注文をつけたり、あたたかくみまもったりとか、包容力というのは社会は必要なのかもしれない。見ないで初めからだめっていうのではなくてね。そうだねやっぱり作家というのは自分が何をやりたいのかというのをきちんと説明してゆかなければだめなのかもしれないね。僕はそういったのは苦手なんですけどね。

G: ちなみに今後の活動予定は。

大場: 予定はまだないですけど、今年は小さなドローイングをかいてみたいですね。あとしっかりとした個展を 、いままでみたいにがむしゃらにではなく、小さくてもしっかりとしたものを。

G: ありがとうございました。

編集部
2000.5.1

杜の中で想ったこと

ずいぶんと前に短期でドイツに留学した時のこと、ケルンから東に入ったメットマ ンという小さな町で、国際ギターフェスティバルに参加した。日本では考えられない ようなギター界の重鎮達が一同に会して、講習会、楽器の展示、そして毎夜のコンサ ートと、ギター三昧の一週間を楽しんだ。ドイツでは、それぞれの町々に音楽学校が あり、ギター科を持っている学校も多い。メットマンも例外ではなく、ギターの講習 を受けた人々は地元の学生がほとんどだった。一流の演奏家のレッスンを前にどんな ことが起こるのかと、自分の番が来るまで、興味深々で客席に居たが、出てくる学生 はどの人もテクニックが明らかに発展途上であり、この先生にこの曲を習うのか?と 思えるほど初歩的なものばかりだった。

ところがである、驚いたことに当の先生はご 機嫌の様子で、皆も笑顔でレッスンが進んでゆく。始めは実に不思議だった。しかし よく聴いていると、どの学生も少ないテクニックで、実に音楽的に自分の「歌」を歌 っているのだ。今まで何の変哲もないなどど思っていたエチュードも、こんなに美し い曲だったのかと改めて驚かされた。自分は、幸か不幸かその先生が翌晩に弾く予定 の曲を持っていってしまい、約二時間に及ぶレッスンの間中怒られっぱなしであった 。怒鳴られる内容はというと、どれもテクニックに関することではなく、全てが曲の 中身に関することだった。自分が何も解ってはいなかったことが、はっきりと解った 瞬間だった。それから数年が経ち、うまく東京のコンクールで優勝することが出来た が、あの衝撃は今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。

メットマンは、仙台の近郊で言うと秋保周辺に近い雰囲気を持った町で、レッスン の合間に外に出ると、深い杜が広がっていたり、石畳に続く古い教会でだれかがバイ オリンを弾いていたりと、ヨーロッパに行くことでとにかく必死になっていた自分に とっては、周りの心和むような環境にも学生達も、沢山教えられた想いがした。テ クニック偏重、演奏の平均化、世界標準的演奏等々が叫ばれる昨今、今回の最初の文 章を書くに当たって、自分への再確認の意味も込めて振り返ってみた。

この迷走する時代の中で、ついに我々も「心の時代」に入った。幸い、まだ仙台周辺に は、松島を始めとして、美しい自然環境が残されている。じぶんの目の前にあるのに見ていなかったこれらの物々の中にこそ、きっと「答え」はあると信じる。

吉田修氏へのメールは
osamu@sh.comminet.or.jp

2000.5

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