ストリートミュージシャン考

2000年05月01日

ストリートミュージシャン考

[投稿者:仙台インターネットマガジン編集部]

少し酔って夜の街を歩くと、人通りがまばらになったアーケードに響く歌声に立ち止まってしまうことがよくある。


どこからか一人二人とギターを持って路上にすわり、歌い出す人達がいる。そのまばらな人通りに向かって、通りすがりに集まった観客に、あるいは目を閉じて、それぞれにそれぞれの歌い方で歌っている。そしてその声は酒と夜の力で少しばかり感傷的になった心をたやすくとらえてゆく。うまい歌からもへたくそな歌からも歌い手の背負っている世界がそこはかとなく伝わってきて、普段歌など熱心には聞かない部類の私ですら煙草に火をつけ立ち止まりその世界に共感したり、ひたってみる。「ストリートミュージシャン」と彼等は呼ばれ、そして私は彼等が好きだ。


しかし私が歌声に足を止める一方で、それによって眠りを妨げられている人達がいる。「深夜の演奏は迷惑です」という掲示があるように、アーケードには住人がいて暮らしている。再三の掲示にもかかわらず深夜の演奏はなくならない。夜の11時を過ぎると警官が見回りにやってきてギターをかき鳴らす若者たちを退かせているが、しかしそれでもしばらくたつとまた戻ってきてしまう。深夜一時を過ぎても、ひどいときには朝方まで歌っている場合もあるようだ。


去年の12月頃、路上でアクセサリーを売っている女性と話をしたことがある。夜のアーケードでケースを地面に広げその後ろにぽつんと座っている彼女はもう2年以上もそうやって自分で作ったアクセサリーを売り続けているらしく、通りの事情には詳しかった。

彼女の話によれば、かつてはストリートミュージシャンや彼女のような露店の人にたいして商店街も寛容だったらしいしかし外国人の露店が増え、そのうちのいくつかが詐欺や脅迫まがいのやり方で売るようになってからは商店街としてもだまってはいられなくなったようだ。悪質なものだけを排除しようとしても、それだけを排除することは難しい。そのため結局全面的に禁止する方針になったという。もちろんアーケードの通りそのものは公道であるため直接商店会が禁止とすることはできないが、実際には行政が商店会に配慮して使用許可を出さないためすべてが無許可で違法ということになってしまう。そしてストリートミュージシャンは安眠妨害と道路の無許可使用の両方をしていることになる。

私はストリートミュージシャンが好きでその肩を持ちたい気持ちだが、どうしても分が悪いという感じは否めない。さらに実際に行われている手段も商店会が行っているのは先に書いた掲示ぐらいであるし、警察の取締も夜11時を過ぎないと行われないようだ。程度としても妥当なものであろう。もしストリートミュージシャンと商店街住民との共存が可能だとすればやはりストリートミュージシャン側が歩み寄ることによってでしかないと感じられる。その歩み寄りは有り得るのだろうか。


Blue Hartsが好きだという学生二人組は毎週金曜日の夜に街で歌うという。藤崎アネックス前で歌っているところへ声をかけた。自分たちでバンドを組んでいるがあまり人前で演奏する機会がないらしく、それでここで歌うのだという。何時ぐらいまで歌ってるのかと聞くと「12時前ぐらいには帰るよ」とのこと。他にも十代から二十代前半ぐらいの何人かに声をかけたが大体同じ様な答えで、その中にはギターを初めて2ヵ月で「ここで練習するんだよ。」という高校生から、「ボイストレーニング代わりに」という学生らしき人もいた。

8時ぐらいから歌っていた男は長淵剛が好きだといって何曲も歌ってくれた。彼は社会人だというが、、それでもほとんど毎日そこでうたっているらしい。「ここで歌っているときだけが生きてるってかんじるんだよ。」と語り、彼は朝まで歌ってそのまま仕事に行くこともあるという。付近の住民が迷惑していることについてどう思うか尋ねると「仙台はおかしいよ。何で商店街に人が住んでるんだよ。」と憤慨していた。その彼に「話を聞くならこの人だよ」とある人を紹介された。

言われたその人は10時過ぎにあらわれた。彼もまた長淵を歌っていたが他のストリートミュージシャンに比べて格段にうまく、すぐに人が集まってきた。集まってきたのは客だけでなく同じストリートミュージシャンが自分のギターをしまい彼を囲んだ。彼が数曲歌い終わるとかわるがわる挨拶をして、近況を報告しあう。どうやらストリートミュージシャンの間にも自然とグループのようなものができているらしい。彼の歌を聞いていると20代後半過ぎぐらいのギターを持った人達ぽつりぽつりと彼に声をかけて通りすぎていった。彼等もこれから歌い始めるようだ。歌を聞くとどうやら遅くにやってくる人ほどうまかった。もう深夜といっていい時間だった。

彼に話しかけると曲の合間合間に言葉少なく答えてくれた。「もしステージや店の舞台で歌ってくれといわれたら歌うこともあるだろう。でもやっぱり俺はここにもどってくる。俺はここで歌うことが好きなんだ。ここで歌うかわりに他所で、というのだったらそれは嫌だ。」「商店街の連中は頭が固い、話し合っても無駄だ。」「俺は人に聞かせるというよりもそれ以上にここで歌うことが好きなんだ。」彼はそういって歌い続けた。

彼等からは歩み寄りの姿勢はあまり感じられなかった。付近住民へかけている迷惑についても意識しているようでもない。なにより商店会から苦情がでていようが警察が取締をしてるといっても実際には歌い続けること自体には困難が生じているわけでもない。もとより誰に支持してもらうつもりのない彼等にとって現にそこで歌えている以上なんの問題もないのであろう。

こういった問題について商店会の側はどう考えているのか、一番町四丁目商店街振興組合の事務所へ行き話を聞いてみた。私が質問の趣旨を話すなりに担当者がうんざりした顔をして「全面禁止です。妥協の余地なしです。」と強い口調で切り出すとおおよそ次のように語った。「我々は非常に迷惑してます。どこで演奏するならいいいとか、何時までだったらいいとかそんなことは一切いいません。結局そういった様に決めたとしても、守らない人は必ずでてくる。もし守らない人がいたからといってそれを見回ってやめさせる労力を払うつもりもない。なぜ我々がそんな負担を背奄筲ネければならないのか。だから全部禁止です。現に今歌っている人はいるが、それも手が回らないから放置しているだけです。認めているわけではありません。我々にはもっとほかにいろんな仕事があるんですよ。」

ストリートミュージシャンと商店街との間には歩み寄りの道はないようにおもわれる。ただあるのは現実に迷惑している側が厳しく排除できないといういわば隙間のような状態である。その隙間があるうちはストリートミュージシャンはアーケードで歌い続けるだろう。たとえ、それが誰かの迷惑の上になりたっているものだとしてもだ。 

仙台という街はその大きさの割に文化的には貧しい街だという声をよく聞く。その言葉はすくなくとも音楽に関しては当てはまる様な気がする。身近にあるのは完全に商売としての音楽と完全に個人的な趣味の領域のものがほとんどでその間を埋めるようなものがすくない。気軽に聞けてそれでいて聞き応えもある、そういった生の音楽が存在している領域というものが少ないような気がする。アマチュアの音楽活動をしている聞き応えのある人達というのももちろんいるが、しかし彼等が実際に演奏する場は少ない。そのほとんどが自分でお金を出して演奏させてもらっているというのが実情ではないだろうか。ストリートという場所はそういった人達がもっと簡単に聞き手に向き合える場所であるといえる。そのストリートミュージシャンさえいなくなってしまうことはあまりに寂しいというしかない。商店会とストリートミュージシャンとのあいだに健全な関係は期待できないとしても、ストリートミュージシャンの生きのこれる隙間があるとすれば私はその隙間がなくなってしまわないことを願う。良いことでは必ずしもないそういった隙間、それすらない街なんて住みにくくてしようがない。そう考えることは身勝手に過ぎるだろうか。


2000.5.1
松村和昭  


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投稿者 仙台インターネットマガジン編集部 : 2000年05月01日 06:32
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