あの掃除機はなんだったのか?

2000年05月01日

あの掃除機はなんだったのか?

[投稿者:仙台インターネットマガジン編集部]

昨年 の9月の休日、気持ちがいい秋空の下、毎年恒例のジャズフェスティバルが行われている。ぽかぽかと暖かい午後3時に私はベーシストの友人の演奏を聞きに行く。それからいつもどうりの友人の演奏が終わり、少し太陽が傾き始めたころ、私は友人とお喋りをしていた。ふいに友人がおかしなことを言い始めた 。
「さっき、木に掃除機がくっついていたのを見た。」と。私は友人が何を言いたいのか訳が分からず、何で木に掃除機が付いているのか?ときいた。けれど友人は分からないと言う。よく話を聞くと定禅寺通りの真ん中にあるケヤキ並木の中の1本に、掃除機がくくりつけてあると言うことだった。
?????と私の頭の中は、はてなマークで一杯になったが、ともかく私と友人は、その木に付いているという掃除機を見に行くことにした。定禅寺通りと晩翠通りがぶつかった所のケヤキ並木の一番端の木にその掃除機はくっついていた。


その様子を言葉で伝えるのは難しいことだが、木には腹巻きのようにサランラップが巻いてあり、そこに掃除機が逆さになって、ホースをたらして、木にくっついている。赤のスプレー缶でその掃除機を押さえつけるように二つの輪が描かれている。
どう言ったらいいのだろうか? とにかく”異様な”雰囲気が漂っている。周りの普通の風景とのミスマッチ、アンバランスが、妙に気になる。ただそこにどう考えてもはおかしな空間が存在しているのだ。 なぜここに掃除機があるのかと?この掃除機がなかったら、多分すっきりするだろうと思った。

そんなことを考えているうちに、私の回転が遅い頭がゆるゆると動き始めた。"はて、なにやら聞いたことがあるぞと。" しばらくそう考えて、私はやっと思い出した。私の父が参加していた 仙台・セビリア文化交流協会 のアルバムを以前見ていたとき、スペインの宮殿のような美しい建物の中、大理石の柱に掃除機がくっついているというオブジェ?を見たことがあったのだ。その作品にどんな意味があるのか、その時さっぱり私にはからなかったけれど、ひどく印象に残っていた。”そういえば大場さんと言う名前の人だったなあ。”というのが昨年の9月のジャズフェスティバルだった。   今回私たちが、このホームページを発行するに当たって、まず紹介したいと思いついたのは、この作品で、その作者である大場順一さんであります。  世間は狭いのか、偶然と言うものなのか、仙台・セビリア文化交流協会をとおして、私の父と大場さんは知り合いで、私たちは今回ご多忙な大場さんにインタビューをすることが出来できました。

ginger(以下G): 去年のジャズフェスティバルの時、定禅寺通りのけやきに掃除機にが縛りつけてあって、なんだろこれって、ずっと気になってたんですよ。あの掃除機はいったい何だったんですか。

大場: 掃除機っていうか、形でね。掃除機のホース、その形がちょっと好きッだったんですよね。その形の方から、今ここにもひとつあるんですが(そばにある掃除機のホースを使ったオブジェを指して)、この蛇腹の感じのホースとかビニールホースとか、そういったチューブみたいな感じの素材を前から作品に使っていたんですよね。まあ掃除機は素材としてあったンで....、別に掃除機でなくてもよかってんですけど、つかいやすかったんで。あの掃除機は拾ってきたやつなんですよ。粗大ごみ置場から夜集めて回って、三十台ぐらい集めて、それを自分なりに使いやすいように修理して、そうやってつかったんですけど。別に掃除機でなくてもよかったんですけど、とりあえずコンパクトにまとめて自分の作りたいものを作り上げるのに掃除機が手っ取り早いかなあとおもって、掃除機をやったんですよね。

G: 作品は並木に掃除機が縛りつけてあったと思うんですが、あれは木も含めて一つの作品ということだったのですか?

大場: そうですね。木というか、その周り全部を含めて自分の作品だと思ってます。だから極端なことを言えば、その場に来ている人達も全部、空間全部。その空間が自分のものだというわけではないですけど。そのための掃除機だったという気がするんですよ。

G: 予想していた、期待していた反応というものはありましたか?そういったものを持っていたとすればそれとのギャップというものはありましたか?

大場: 反応は直接聞くことはできなかったですし、特に知ろうとはしなかったですね。それにあまり反応はなかったとおもいます。気になることは気になりましたけどね。

G: 作品のタイトルは「許されない虐殺  東ティモール」というものでしたよね。そういったタイトルにしては、掃除機という素材はギャップがありすぎるという見方もありますが、

大場: 勘違いされると困るんだけど、タイトルというのは大きくはかかなかったんですよ。そのタイトルは本当に個人的なもので、東ティモールで起きていたことに関して個人的に憤りを感じていたということがあって、直接向こうにいって何もすることができないけれど、感じることを一つの題材として表現しようということで、作品と具体的には対応してはいないんですよ。自分の気持ちが「許されない」と感じていると言うことを表現しているわけではなく、自分としての納得なんですよ。だからほとんどの人はわからなかったと思うんですよ。ただこの作品のなかにはラジオが入っているんですよ。その音というのは「ワーワー」という雑音でたまに声が入っていたりするんですけど、それがここからきこえてくるんですよ。何か戦争らしい、虐殺らしいところといったらそこぐらいですかね(掃除機の吸い込み口をさしながら)。耳を澄まさないと聞こえてこないし、当然あのときは聞こえなかったと思うんですよ。ほとんどの人はわかんなかったと思いますよ。

G: そういった状況。つまり耳を澄まさないと聞こえない、そのうえああいった雑踏のなかでは聞こえてこない、という状況は意図したものだったのですか?

大場: あまり問題とはしてなかったですね。当然聞こえないだろうなとは思ってましたけど。自分の思い込みだけというか、「やった」という満足という、その辺だけでしたね。美術の作品というのは当然人に見てもらうということはあるんですけど、自分がどういった態度で、想いで造ったかという目に見えない部分がすごい大切だとおもうんですよ。僕のラジオの声が東ティモールの声という風に思って造ったんですけど、そういったところは届かなかったのかもしれませんね。

G: 芸術作品には時々説明過剰なものがあって、一方では説明が足りないというか分からないというものもありますが、どちらでも駄目だと思うんですが、その辺りの折り合いについてはどう考えますか。

大場: 説明っぽくなってしまったら本当にまずいと思うんですよ。そうなってしまうなら初めから創らないで説明すればいいんで。説明しないようにできるだけみんなに分かってもらうということは必要だとは思うんですが、僕はすごく説明がへたなのでどこまで言っていいのかがよく分からないので、できるだけ言わないようにはしてるんですけど。どうなのかなあ、あまり説明はしたくないんですけどね。説明とそのもので一体となっているようなものだったら、積極的に説明して分かってもらうように努力しなければいけないんですが、僕の場合は説明するとかえってこんがらがってしまうような気がするんですよ。それは僕の説明がへたくそなのでもあり、作品自体が必要としていないということでもあります。

G: この作品をみて確かにわけがわからなかったんですが、タイトルをみていたわけでもないので。でもインパクトというか引っかかるものはありましたね、なんなんだったんだろあれはというか。そういった意味では成功していたのじゃないかと....

大場: たとえば、人を驚かせるという点ではそうかもしれませんけど、掃除機が木にあるからおかしかったんで、違和感があったんでしょうね。でも本当はあまり掃除機とは分かってほしくはなかったんですよ。掃除機っていうよりも、まあ掃除機だと思ってもほかの何かを感じてほしかったんですよ。掃除機があそこにあったというのではなくて、そのなかから掃除機をこえた何かを感じてほしいというのがねらいだったんですけどね。

G: 僕は最初セミかなとおもったんですよ、それもかなりロジックな発想ですけど、木にとまってるからセミかなって。でも掃除機をあまり感じてほしくないというの割には....、ああいった作品というのは僕らなんかまず「これは作者は何を意図してつくったんだろう」とみてしまいがちですが、結構掃除機がそのままという感じが強かったですけど、そうするとどうしても掃除機をつかったという点に主眼があるように見てしまうのですが、

大場: う〜ん

G: それではこの作品の一番のポイントというところは、

大場: やっぱりいつも考えるのは....、そのもの自体の部分的なところはあまり気にしないということですね。どういった場所でそれをするか、周りの状況とか、どんな視線で見てもらうか、どうな風にやっら周りに変化をおこすかということですね。あのときはすごい緑だったじゃないですか、今に比べると時期的に。そのなかでしろのホースが映えたり、僕はラップを使うんですよ、そのラップが掃除機を包んだときに違う表情をするんですよね、掃除機が、苦しいようなというか。そういったところが作品の表情としての今の僕のやりかたなんですね。こうラップをつかってギュウってつつんでしまうやりかた。

G: スペインで作品の発表もされたことがあると伺ってますが、そのときはいかがでしたか。

大場: スペインにいたとき同じ様なことをセビリアで、そのときはもうちょっと規模大きかったんだけどね。反応がすごかったですね。良いと、悪いと両極端でしたね。サインしてくれとか、なかには、紙に書いてあったんですけど、「おまえみたいなのはどこそこへ帰れ!」とか「この仕事はやりつくされたからやめろ」とか「おまえは天才だ」とか。スペインの人達は向こうからどんどん意見を言ってきてこっちが戸惑うぐらいでした。スペインは仙台に比べたら現代美術とか触れる機会がすくないとおもうんですけど、それでもこういった面白いことやってることに対して自分たちが感じていることを素直に言ってくれるというところがありましたね。

G: 作品の話を少しはなれてご自信のことについて伺いたいのですが、普段はどんなことをされてるんですか?

大場: 普段は食べるために不動産関係、といっても温泉のほうの管理とかをしています。そちらのほうで食べて、その合間に自分の作業をやっているという感じです。

G: 昨年のジャズフェスティバルにああいった形で参加されたわけですが、そのいきさつはどういったものですか。

大場: 友達にジャズフェスの関係者がいて、「こんど美術の部門でもなにかやらないか」という話があったらしくて、前々から定禅寺の木でなにか自分の作品がつくれたらいいなとおもっていたんですよ。それで良い機会だなあとおもってやってみたんですよ。あのときはいろんな人が集まっているので、見てもらいたいなあとおもって。街のなかで何かやるっていうのが好きなんですよ。

G: では今年のジャズフェスには、

大場: まだ考えてませんよ。

G: 他にはどういった活動をされてきているんですか。

大場: 大きくいって個展とグループ展のふたつですかね。そういったことをやるようになってどれぐらいたつのかなあ。二十ぐらいからだとおもうんですよ。だから個展は24〜5回ぐらいかな、グループ展は32〜3回ぐらいやってると思うよ。

G: じゃあ個展は年一回位のペースでやってるんですね。

大場: そういうことじゃなくて、やるときやって、やらないときは全然やらないんだよ(笑)。年に最高5回やったことあるし、取りつかれたようにやってしまうことがありますね。去年なんかはなにもやらなかったんですよ、だから今年は何かやりたいなって。

G: 作品はどういったところで作るんですか。

大場: アイデアは大体この部屋で。車で街を走ってる時とか、あるっている時とか、そしてこの部屋でまとめるとかですね。大きいものだと実家の岩出山でつくったりもしますね、これからは鳴子のほうでということになるかもしれませんけど。

G: 最後になりますが。普段ご自分で芸術活動をしていて、この仙台の状況といったものに関してどう思われますか。

大場: そうですね。以前宮城県美術館で個展やったことがあるんですが、展示の仕方とか僕みたいなインスタレーションの作家にはやりにくいことろなんですね。というのは、あそこではできた作品をもってゆくというか、そこで作ることができないんですよ。僕の場合はどうしても会場で作らないといけないわけですから。これからそういったインスタレーションの作家って増えてゆくと思うんですよ、ですから美術館の対応ももっと柔軟であってほしいなとおもうわけですよ。美術館の人と事前に話し合って、いまはそういったことをやれるようにはなってきてるとおもうんですが。こんど定禅寺通りにまたなにかできるみたいですけど、箱をきれいにするとか、維持するとかということではなくもっといろんな人がきて、いろんなことができるようなですね、管理ばかりではなくていろんな人が利用しやすい空間を作ることが重要だと思いますね。箱の権威ばかり考えていてはいいものはできないんじゃないですかね。そういうことと、やっぱりふたり人がいたらやりたいことがちがってくるとおもうんですよ、作品を発表しようとするとそういうひととあわなくなってくる、そのへんのことをお互いに言い合って行くということが大事ですね、そこで意見の違いを認めあってそれでできなかったらやめるというように、そうやってこういうようにしたらいいとか、ここを直したらいいとかそういうことが大きな力になってくんじゃないかなあ。それをなあなあで、やってくださいといったことをその通りやるということではなく、自分たちの主体性をもって発表してゆくということをしてゆけばもっと面白い街になってゆくとおうんですよ。それは批判をおそれないということだし、これからもいろんなとこでやらせてもらおうとおもってます、だめでもともとなんだし、企画書とかきちんとだして。たぶんみんななにがしたいかわからないわけですから、なんだろ変だなあとおもうとおもうんですよ、だからそうことをきちっと説明してゆくことがこれから美術、音楽もそうですし、なにか発表していこうと考える人には必要になってくるとおもいます。それに対して社会は注文をつけたり、あたたかくみまもったりとか、包容力というのは社会は必要なのかもしれない。見ないで初めからだめっていうのではなくてね。そうだねやっぱり作家というのは自分が何をやりたいのかというのをきちんと説明してゆかなければだめなのかもしれないね。僕はそういったのは苦手なんですけどね。

G: ちなみに今後の活動予定は。

大場: 予定はまだないですけど、今年は小さなドローイングをかいてみたいですね。あとしっかりとした個展を 、いままでみたいにがむしゃらにではなく、小さくてもしっかりとしたものを。

G: ありがとうございました。

編集部
2000.5.1


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投稿者 仙台インターネットマガジン編集部 : 2000年05月01日 07:02
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