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2000年06月 アーカイブ

2000年06月01日

伊達ロック

伊達ロック

 通りすがりにすれちがった、たった一粒の種。たいていは見落として、気付いたとしても気にも止めずに通りすぎてやがては忘れてしまう。けれどそんな種がある日小さな芽をだしている。そのときその小さな芽は、静まりかえった水面に落ちる一滴のしずくのように私たちの心にかすかなさざ波をたてる。その小さな芽はまだか細い茎の、透き通るような双葉で、明日も今日と同じように空に向かっているかもわからない。自分の中に起こったさざ波が消えてしまうことを恐れるかのように、私たちはその小さな芽が倒れてしまわないことを願う。
 ここに、小さな芽がある。仙台伊達ロックという芽だ。一人の学生からこぼれた一言を種とする小さな芽が、今芽吹いた。












 今年七月に「Crescent Moon Rock Festival in SENDAI」というイベント、通称「伊達ロック」が予定されている。仙台市民広場を中心的な会場として、仙台のアマチュアの音楽、アート、パフォーマンス、フリーマーケット等、さまざまなジャンルからの参加によって構成されているイベントで、その企画運営に関しては有志の若者たちによる、いわば手作りのイベントである。

 仙台ではこれまでもさまざまなイベントが企画され行われてきた。けれどもこの「仙台伊達ロックフェスティバル」はある点において、これまでのイベントとは違った性質をもっている。

 そもそもこのイベントは目黒君という一人の学生の一言から始まった。

 彼自身ロックバンドで活動していて、アマチュアのバンドが演奏できる場所の少なさに、機会の少なさに不満を感じていたという。そんなとき同じ音楽仲間と飲みながら、「だったら、ジャズフェスティバルみたいなロックのイベントをつくったらいいじゃないか。」とつぶやいた彼に周りの友達が賛同したのが、伊達ロックの始まりになったらしい。しかしたとえ伊達ロックのイベントが成功したとしても一日だけのことに過ぎない、それが終わってしまえばまた演奏の場所も機会もないという状況は変わるわけではない。彼等が目指しているのは音楽が、アートが日常にあふれることだ。それは表現者としての立場からの願いでもあり、生活者としての立場からの願いでもある。だからこそメインイベントのためだけではなく、街の温度をあげてゆくためにプレイベントを実施し続けているのであろう。

 伊達ロックが目指すのはきっかけづくりだ、と伊達ロックの発起人であり実行委員長である目黒君は言う。彼は仙台でライブできる場所が少ない理由としてお客が集まらないということがあると見ているが、そのことと伊達ロックのねらいは深くむすびついている。




〜インタビュー〜

(ginger)
「あまりお客さんがバンドに来てくれないということについて、仙台ではあまりそういうものに行く傾向がないからだとおもう?それともイベントが少ないからその習慣がないせい?そこらへんの理由についてはどう思う?」

(目黒)
「もちろん行く傾向がないのもあるとおもう。でも何でこんな百万人も仙台に住んでるのに行く傾向がないかっていうと、そういうアーティストが面白いって知らないんじゃないかって。地元で活躍しているアーティストでもすげえいい音楽やっている人とか、その会場行けばすごい感動味わって帰ってくるっていうことできるのにそれを知らない人が多いなって。理由としてやっぱり、名古屋とか福岡とかは自分たちの地元のバンド盛り上げようっていう機運が在るのに、仙台だったらライブのチケットみてカッコ仙台(sendai)って書いてあるよりカッコ東京(tokyo)って書いてあったほうがなぜかうまく見えるっていう、そう言ったところがおかしいいんだろう、っていうか、逆にいいイベントうてばお客さん集まるんじゃないかっていう。」

(ginger)
「ただこういう見方もあるんだよ。仙台でお客さんが集まらないのはいいバンドがないからだっていうね。」

目黒)
「いや、いいバンドないと思うよ。」

(ginger)
「で、そこそこいいバンドがあってもそういうバンドも冷遇されているかというとそうではなくて、そこそこによければそこそこに集まってそのバンドのイベント自体はそこそこに盛り上がってるから、それでいいじゃないかって。だから、無理にそういった機運を盛り上げようっていうのは、要するに実力以上のものを求めてるんじゃないかって。そういう見方もあると思うんだけど。」

(目黒)
「盛り上げても、実力以上のことしたってしょうがないじゃんって? あ〜 まあ結局それも正しいのかも知れないけど、でもやっぱり仙台にいたいなってっ気持ちがあるから、駄目元でいいからやって見るくらい価値があるかなっていうのが一つあるし、いいバンドないってさっきいったけどちょっとはいるんだよね、だけどいつの間にか解散してたりとか、いつの間にか東京いってたりとか、そこなんだよね。ほんとに時間がないから解散したとかあるかも知れないけど、仙台にほんとにバックアップできるレーベルとかあったりしたら東京行く必要ないと思うし、実際東北大軽音の先輩でfla foaっていうバンドなんかはずっと仙台で活動してるからね、まだ東京行く必要ないって、メジャーデビューしたけど。だから仙台に盛り上げる機運とかレーベルとかあったら変わるはずだし、確かにバンド少ないけどちょっとは変わると思うから、だったらやってもいいんじゃないかって。」


  イベントが実現したらそれでおわりではない、そのきっかけによって生まれたものをいかに維持し育てるのか、それもまた問題である。いかにしてアートに日常性をもたせるか、伊達ロック後に何をなすべきか、「それが一番の問題なんだよね。」と彼は苦笑いしていた。

 また、伊達ロックは「ロック」とその名に冠してはいるもののノンジャンルのイベントとなっている。



(目黒)
 「イベントやっていくうちに全然しらないお客さんが、いいバンドじゃん次も見せてよ、というのと同じように、例えば自分で作品作るのが好きで、全然上がりがないのに店を持っている人がいるんだよね、そういうふうにアートしている人をスゲーなあって。俺が音楽やってるのと一緒で、そういうアートやっている人も同じだろうなってだったら一緒にやっていきたいなって。」



 伊達ロックフェスティバルに携わる人達は単に自分の表現の場を求めているだけではない、仙台という街のこの先を作り出そうと模索しているのである。今、ジャンルを越えた仙台の若者の熱いエネルギ−が結び付こうとしている。この動きは今まであったイベントとは違い、同じ若者である私たちの胸を熱くする。

 有志で募ったスタッフも今では80人を越え、3回目を数えるプレイベントも徐々に観客動員数を増やしている。それは伊達ロックが目指しているものに多くの人が共感していることを示している。メインイベントの成功はまだ未知数ではあるけれど、その小さな芽は以外に土のなかにしっかりと根を広げているような、そんな気がする。




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第二回

伊達ロックプレイベント4にいった感想


第一回

伊達ロック実行委員長の目黒君にインタビュー  *このページです。








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消えゆく町 二十人町 NO1








消えゆく街 二十人町

第一回









  大型電器店や仙石線地下化などで、なにかと話題に上がる駅裏
対照的に再開発が進まず、古い街なみを残す二十人町を、5回にわたって取り上げる。

  仙台といえば杜の都。青葉通りや広瀬、定禅寺の緑の大通りがその風情をかもしだす。広くきちんと整備された道、清潔な街並は「政令指定都市」という、澄んだ語感とも無理なくマッチする。一番町に広がるアーケードも小洒落た店が軒を並べ、多くの人が好んでその道を通る。








二十人町写真

ミウシナッテシマッタ




  その一方で古びた、いや、さびれたというほうがふさわしいかもしれない、そんな通りもある。仙台駅裏から東へのびる二十人町という地区には車がやっとすれちがえる程の細い道に木造の商店や家が立ち並び、猫が行き交う。店先では顔見知りが立ち止まり、世間話に興じている。そこには人の顔があり、生活がみえる。何の用事もないのに、ついふらりと歩きたくなってしまうのは、どこか懐かしさを感じるからかもしれない。私が生まれたころにはもうそんな風景はほとんど見られなくなっていたはずなのに、私はなぜかそんなふうに感じてしまう。







二十人町から名掛丁を臨む

ジブンノオモイデノカワリニ、




  今年春、私は二十人町を徘徊することが多かった。ふと通りかかったある日、きれいに晴れ上がった空の光がその細い道に強い陰を落としていた。くすんでぼんやりと光るアエルビルをその陰のなかから見上げて以来、私はこの通りに引き込まれてしまった。区画整理の計画によって目立つ空き地や廃屋にも、春はやってきていて、有刺鉄線の間から、崩れた屋根の壁のすき間、破れた畳、古く朽ちた町の残骸から青々とした葉を広げていた。








二十人町の写真3


ヒトノオモイデニスガリ、



  たったまま枯れて行く木のように、二十人町の通りは余命を過ごしている。やがては区画整理によって、広いきれいな道ができ、四角い建物が並ぶのだろう。雑然とした隈雑さがなくなって、整った街へと向かって行く、どこにでもある店、マンション、似たような作りの家、ベッドに合わせて足と頭を切り落とされた自然。仕方がないことかもしれない。









二十人町の写真4


ヨリソウ。



  けれども私は寂しさを禁じ得ない。なぜ街から隈雑さがなくなってゆくのか。これからしばらく二十人町を素材として、その疑問の自分なりの答えを探してみたいと思う。






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第三回
二十人町はどのようにできあがってきたのだろうか。今回は二十人町の歴史を取り上げていこうと思う。

第二回

二十人町の区画整理計画は誰が計画しているのだろうか?と思い仙台市役所に話しを聞きに行く。


第一回
  *このページです。
大型電器店や仙石線地下化などで、なにかと話題に上がる駅裏 対照的に再開発が進まず、古い街なみを残す二十人町を取り上げる。


スペイン回想




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No.2








自分のことが一番良く解らないものだ。


自分がいかに幸せかも、


自分がいかに不幸かも、


ここからは良く解らない。

  





数年前に、長年憧れていたスペインのアルハンブラ宮殿へ、、一人旅をした後に「現代ギター」誌に掲載したその回想録を、今回は掲載したいと思う。

 

  スペインの地図
 後から
聞いた話だが、昨年の夏、スペインは記録的な暑さだったらしい。マドリッ
の古いホテルに着くと、床が大理石で出来ており、少しはひんやりするがクーラー
はない。テレビをつければ、セビリヤで熱射病のため、お年寄りが何人も亡くなった
という。部屋の温度計は、夜になっても36℃を指している。やむなく床の上にタオ
ルを敷いて眠る。先が思い遣られる。
 

 タルゴでマドリッドを離れ、グラナダへ向かう。マドリッドでは、レコンキスタ以
前の古いスペインにあまり出会うことが出来ず、グラナダに期待がかかった。外の風
景は、砂漠が続く。荒涼としている。オリーブも育たない土地。本当にこの先に、憧
れのアルハンブラがあるのだろうか....。リナレスバエサに入る頃から、汽車は山岳
鉄道の様相を呈してくる。何度も目につく谷間には、昔は川であったという痕跡しか
残っていない。途中、珍しく夕立が降り、乾いた台地はしばし潤ったかに見えたが、
その後、まるでビデオの早送りか何かを見ているように、水が次々に消えてゆく。外
は、何事もなかったように、風と砂埃の丘が続く。夜のグラナダは少しひんやりとし
ている。そうか、ここは、いわば高であったのだ。再会を喜び、抱擁しあう人々の
間をぬけて、ホテルに入る。よかった、クーラーがある。
 

  アーチ状の門の写真
 朝、ヌエバ広場まで歩く。途中、タイルモザイクで飾られたアーチ状の門を持った
家々や、教会が幾つも目に入る。夢中でシャッターを切る。もちろん、今では接収さ
れ、全体としてはカソリックへと改装されてはいるが、やはり、本物は美しい。イザ
ベル女帝の眠る聖堂の脇を通り、広場に出ると人集りがしている。アルハンブラへの
バスの切符を買っているのだ。上まで歩くことに決め、ゴメレス坂を登りはじめる。
角が取れ、丸くなって黒く光る石畳。ヌエバ広場までの商店街とは全く違った雰囲気
が漂う。道も狭く、車の行き違いもままならない。一体、何人の人間がこの坂を登っ
たのだろうか.....。ゴメレス坂の写真







革製品の土産物を売る店、安物のギターショップ、寄せ木モザ
イクの小物を作る工房。中で仕事をしている人々も、下の人達とはどこか違っている
ように見える。最初の門にさしかかると、何処からともなく、肥った、浅黒い女性た
ちが出てきて、杉の葉のような物を売り付けようとする。警官に制止されているが、
全然へこたれない。

  最初の門の写真




  



 門をくぐると、突然、目の前に森が広がる。また、水の音も聞こ
えてくる。シェラネバダからの水を引いて、森のあちこちに流れ出るようにしてある
のだろうか....。ベンチに座って、水を飲んでいると、ふとあたりが涼しくなってい
るのに気がつく。下の商店街の喧騒が嘘のようだ。木陰に涼を求める様々な人種の人
々の顔を眺めながら、入場券を買う長い列に並ぶ。太陽は真上にあり、汗は滝のよう
に流れるが、
建物の中は涼しい。宮殿の内部に入った後は、出口でふと我にかえるま
で、何処をどう通ってきたのか、ほとんど思い出すことが出来ない。ただ、人の波に
押されるようにして、目も眩むような装飾の施されたいくつもの部屋を次々に通りぬ
けてきた。ヘネラリフェー=アルハンブラの離宮


 冷静になって、その彫刻の手の込みよう、計算し尽くされた部屋の配置、
また光と影の巧妙な使いように目を向け、落ち着いてそれらをカメラに収めることが
出来たのは、三度目に足を運んだ時だった。ここが、破壊されずに、永く保存されて
きたのもうなずける気がする。「戦いのための要塞」としての質素な外観とはうらはらの、内部の豪華さは、見る者の思考を一瞬凍らせるだけの緊張と陶酔の気を放って
いた。グラナダを再び取り戻した人々は、いったいどんな目でこれを見ただろうか?

それにしても、この中にいると言い様のない寂しさを感じるのは何故だろう....。滅
びることが約束されながらも、これを建て、ここを去っていった王の悲しみだろうか
....。

  宮殿の写真
  夕方の低くなった太陽の光を受けて、アルハンブラの城壁はその名のとおり真
っ赤に輝いていた。それは、紛れもなくこの場所の、この乾いた赤い土を使って建て
た証しだった。その赤い土は、完成までの百数十年の間に、戦によって流された多く
の人々の血の色にも見えた。
 


 乾いた台地と、灼熱の光と影に、何故か後ろ髪を引かれる思いで機上の人となった
。この数週間接した事々を反芻するように、手持ちの資料を眺めるが、新たに疑問
は湧くばかりだ。そんな釈然としない想いのまま、肌にまとわりつくような湿気と、
車からのむせかるような熱風の吹く、

いつもの見慣れたこの街に降り立ってしまった


 



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第一回
杜の中で想ったこと

ずいぶんと前に短期でドイツに留学した時のこと


ゆく道の途中で NO2

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No.2














いつ何が自分の人生を変えるきっかけになるか誰にも解らない。

それは小さなコンサートだったりもする。



  自分が日芸を受験しようと思ったのは、原先生が仙台にリサイタルで
来られたときに佐藤佳樹先生に紹介していただいたのがきっかけです。
しかし、そのときその瞬間までギターは趣味程度で、、と思っていたので その道に進もうとは考えていませんでした。
その反面、原先生の演奏を聴いてとても感動し、(いままでプロギタリストの生演奏を聴いたことがなかったので)本気でクラシックギターをやってみたいともおもいましたが、プロギタリストを目指すという選択肢は自分の中でありませんでした。演奏後、楽屋にサインを頂きに伺ったときに原先生に

「日芸を受験してみないか」
と言われ、そのときから過酷な(?)日芸の受験
勉強が始まりました。



 もともと高校で理系専攻のコースにいた自分にとって
文系の日芸、しかも音楽学科を受けるとなると全く反対の勉強をすることに
なります。さらに音楽学科ともなると、受験科目にギター実技試験はもちろん
ピアノ、聴音、音楽理論などです。特に聴音、音楽理論などは学校の音楽の授業レベルでしか習ったことがありません。なにより何が過酷かというと、日芸の入試まで四ヶ月くらいしかなかったのです。本来なら「これはちょっと、、」と思うところですが、もう自分がギターをやっていくことには迷いはありませんでした。

 ちなみに佳樹先生には「まあ一回浪人だな」と言われ、自分もそう思いました。しかし不思議と自分の心に焦りというか焦燥感というものはなく(あとは日芸を受けるだけだ)とういうある意味安心感がありました。
いまでも思うのですが自分が熱中できる目標があるのは本当に幸せな事だと
おもいました。さて、いろいろな先生方と両親の協力もありなんとかその年の
受験に合格することができました。

千葉写真

 なんだか長々書いてしまいましたが、まだまだ未熟な自分の伝記(?)を
最後まで読んでくれる方はいない!と思いながらキーボードをたたいてます
この行までよんでいただいた方はホントにありがとうごさいます。次回は
もっとスマートにまとめます。m(__)m
次回は、いよいよ自分がギターについて思うこと、考えていることを書きたいと思います。





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74E049@media.art.nihon-u.ac.jp


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第三回

日頃ギターについて思っていること


第二回  *このページです。

いつ何が自分の人生を変えるきっかけになるか誰にも解らない。それは小さなコンサートだったりもする。 


第一回

僕がギターをはじめた頃




2000年06月20日

衆議院選挙宮城一区候補者に聞く

衆議院選挙宮城一区の候補者に聞く

25日に迫った選挙ですが、はて誰に入れたものかと、悩んでいませんか?
仙台インターネットマガジンが独自に 宮城一区の候補者に質問状を送りその回答を頂きました。 青葉区と太白区の皆さま、よく読んでぜひ選挙の参考にしてください。

見やすさのために、回答の抜粋要約を下に載せています。
ニュアンスの違いや、意味の取り違え等の可能性もありますのでぜひ全文の方もごらんください。
全文の方はリンクでつながっておりますのでそちらからよろしくお願いします。














愛知和男




遠藤いく子



沖田捷夫




今野東

質問


1.民主主義とはどのようなものであると考えるか。

2.憲法の改正条項についてどのような意見を持っているか。

3.現在の経済の低迷の原因はどこにあると考えるか。

4.国の借金の処理について

5.義務教育の趣旨は

6.現在の大学教育の現状をどのように思うか。

7.現在の日米関係の現状をどのように認識していますか、今後はどのようにあるべきだと思いますか。

8.国家の定義とは


回答は下に







  各候補者のプロフィールは上の写真からどうぞ











回答抜粋






1.民主主義とはどのようなものであると考えるか。



   愛知和男






 役割の分担を強調し、国家を船にたとえている。

「民主主義とはその『船長』や『航海士』を選ぶということにおいて、普通の乗組員にも相応の責任を求める政治制度なのである。」

   遠藤いく子






 構成員の意思決定への参加を保障すること目指す思想・運動。絶えず発展していくもの。

   今野東






「広く市民が主体となって政治を行う社会」

   沖田捷夫





「国家の主権が国民にあり、政治形態の上でも国民が尊重されること。」
日本では未成熟であるという。










2.憲法の改正条項についてどのような意見を持っているか。




   愛知和男






現行憲法第九十六条は、あまりにも厳格で実質的には、「憲法改正発議禁止条項」として機能してしまっている。

   遠藤いく子





改正規定事態には問題なし。現段階では「むしろ今求められているのは、この憲法の平和的条項が、国の政治や国民生活全体に貫かれていない現実を、憲法に沿って改善していくことだとおもいます。」


   今野東





「改正に比較的高いハードルを設けた96条の改正条項を評価します。」


   沖田捷夫





「護憲の立場をしっかりと貫いていく決意です。」









3.現在の経済の低迷の原因はどこにあると考えるか。



   愛知和男






「産業構造の転換が進んでいないということにある。」

   遠藤いく子






 政府の失政が国民が所得の低下と将来の不安を招き、GDPの六割を占める個人消費が冷え込んでいること。

   今野東






政府による従来型の公共事業が大きな負担となっていること。

   沖田捷夫






 政府の失政が国民が所得の低下と将来の不安を招き、GDPの六割を占める個人消費が冷え込んでいること。



4.国の借金の処理について

   愛知和男






「従来の積極財政路線は、子孫の代に付けを回す施索であるから、」景気回復後に「早晩、転換されなければならない。」大事なことは「国の役割」の範囲を見極めること。


   遠藤いく子






1.税金の無駄遣いをなくす。
2.不公平税制の是正などで歳入を確保する。

   今野東






 景気対策の質的転換など

   沖田捷夫






 「一大政治課題です。」








5.義務教育の趣旨は



   愛知和男






「社会生活上の「規範」や「徳目」を身に付けさせることにあるわけである。」

   遠藤いく子






憲法が26条に定める権利としての教育をすべての子どもに保障する義務を負う制度

   今野東






市民の持つ教育を受ける権利の制度的保障

   沖田捷夫






「憲法26条の「国民の教育を受ける権利、受けさせる義務」に基づき、教育の機会均等を保障する趣旨とその制度だと考えます。」








6.現在の大学教育の現状をどのように思うか。





   愛知和男






何のために大学教育はあるのか、ということに関する合意を再構築する必要がある。


   遠藤いく子






大学の独立法人化に反対、他

   今野東






「真に学びたい人が学びたいときに学べる大学教育と、世界的な水準で勝負できる先端の学術研究を実現できるよう、大学制度を改革すべきです。」


   沖田捷夫






学力低下、細分化への危惧








7.現在の日米関係の現状をどのように認識していますか、今後はどのようにあるべきだと思いますか。


   愛知和男






日米同盟関係は「安定の礎石」である。
米国の同盟国として振る舞えるようになる必要がある。

   遠藤いく子






アメリカに従属、追随しすぎ。
対等平等な友好条約を結ぶべき

   今野東






良好である
しかしアメリカのみへの過度な依存は改めるべき


   沖田捷夫






アメリカへの過度な依存が日本の外交の主体性を奪っている
日米とは非軍事面の関係を強化すべき








8.国家の定義とは



   愛知和男






ある役割の対象となる人々の集団であり、その役割を具体的に手がける人々の集団

   遠藤いく子






一定の地域にいおいて、一つの階級が他の階級を支配・統治し、それを一定の強制力をもって維持するための機構

   今野東






基本的には「ある法体系を共有する人々が住む地域的なまとまり」



   沖田捷夫






一定の領土と国民が存在し、統治機構を有する形態


About 2000年06月

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