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2000年07月 アーカイブ

2000年07月01日

消えゆく街 二十人町〜〜第二回〜〜








消えゆく街 二十人町

第二回













二十人町の区画整理計画は誰が計画しているのだろうか?と思い仙台市役所に話しを聞きに行く。


http://www.im-sendai.jp/tokusyu/2000/2000.7/k.m1.jpeg
 は二十人町がもつ、町の雑然とした感じが好きだ。ただ雑然としているから好きだというわけではない。あの細い道、小さな商店街。その在り様には固有の歴史が背景となっている。他国からの入り口に、直進できないように鈎の字に曲げられた細い通りを作り、そしてそこに軍功のあった足軽を住まわせ侵入者を見張らせた。その貧しい足軽は平時は内職で生計をたてるようになり、今の商店街の基礎となっている。そういった歴史があの町を形づくってきた。形の内に歴史が宿っている。ある町をその町たらしめている遺伝子。仙台を仙台たらしめている要素、交換可能な役割によってではない特色、それが部分的にではあれ変化しようとしている。そのことの是非はいずれにしても、私たちはもっとその変化をみつめ、得るものと失うものとの比較をしっかりとする必要がある。それを怠れば、気付いた時には思いもしなかったところまで流されているかもしれない。
 


 十人町の周辺の区画整理は仙台市が行っていると聞いていたので、市役所にいき話を聞いてみることにした。市役所の窓口で案内されたのは「仙台駅東第二開発」と書かれた部屋だった。そこで対応してくれたのは30代前半の若い職員で、私の「この事業の目的を聞かせてください。」という質問には若干当惑した様子だった。しかし、上司の助言を受けつつ親切に答えてくれた。


 まず最初に示されたのは、仙台市が作成した事業に関する冊子に書かれている回答だった。以下にしめす。







(2)事業の目的

 本事業は都市基盤整理(仙台駅東第一地区、新寺小路地区等)の進む、「仙台東地区」の一部を構成している地区条件をふまえ、期待される一体的な都市機能を具備するために、道路公園等の公共施設の整備改善と市街地環境の更新を行い、健全かつ機能的な市街地形成及び土地の利用増進を図ることを目的とする。





http://www.im-sendai.jp/tokusyu/2000/2000.7/k.m4.jpeg
 かしながら、この表現からは具体的なイメージが湧いてこない。確かに駅の間近にある区域としては、ごちゃごちゃしすぎで中心部らしくない感じはあるが、そういうのもありといえばあってもいいような気はする。そんな感想を伝えると職員が「この地区にはほとんど公用地がないんですよ、、」と地図を見せてくれた。なるほどそこには公園が一つあるばかりで他はほとんど宅地が密集している。これは防災上問題があるという。さらに道路自体も狭く細い、なかには道に接していない建物もあったりと、火災などのときに消防車がはいれないような場所も多いらしい。そのためにも区画整理によってその点を改善する必要があるというのである。この説明を受けて、はじめてなるほどと私は納得できた。確かに、市民の安全を担う市としての立場から言えば必要な計画であるといえる。


 そのほかにも仙台市としては「4環状12放射」という形態の道路交通の計画をたてており、その一環としても第二地区の区画整理による道路の拡張は必要であるとの説明もあった。



k.m6.jpeg
 の「4環状12放射」とは仙台中心部を囲む4つの環状線と中心部へと集まる12の道を配置しようという構想であるが、私は仙台に何年か住んでいますが初めて耳にしたものであった。仙台市もしっかり考えているんだなあという思いも反面、知らないうちに街は変わって行こうとしていることに若干の違和感を感じもした。いずれにしても、市としてもこの区画整理もすべきことをしているといったところである。私の二十人町への変わってほしくはないという想いの正当性を補強するような材料はそこにはなかった。ではいったいこの二十人町はどのようにかわっていくのだろうか、その質問をぶつけてみた。








「一応、道をつくって公園等をつくった他は宅地となる予定です。」


「仙台サンプラザの通りのようになるという話も聞くんですが?」

「そうなる可能性もあります。」


「区画整理後どういった町になるのかということは決まってないんですか?」

「私有地としてお返しするわけですし、それをどうしろとはいえませんからね。」


「どうなるかという予測などは?」

「そういったことは予測できませんからね。」


「そういったことの予測をたてるような部署はないんですか、外部のシンクタンクとかに依頼するなどは?」

「ないとおもいますよ。」


「4環状12放射というのも、まとまった仙台市としての都市の運営戦略の一環だと思うのですが、
その戦略というのはどういったものなんですか?」

「どうでしょうね。とにかくこの地域は消防車が入れないとろころなどが多くて防災上の観点から・・・以下略」





k.m5.jpeg
 うやらこの区画整理事業は、防災上の観点と交通面での観点とのみから行われているようである。その後の街づくりに関しては、そこまでは市の仕事ではないということかもしれない。もし街づくりからの観点である目的があったとすれば昭和60年に決定された事業計画でおこなっている以上、大幅に事業の進度がおくれてしまった現在には変更の必要性はおおきくなっていただろう。しかし交通と防災の問題は過去と現在においてあまり変化はしていない。そうである以上現在も行われようとしているこの事業は計画当初と同じぐらいの必要性を維持しているといえるだろう。市はすべきことを、すべき範囲で行おうとしているという姿が印象として感じられた。


 質問が終わった私は対応してくれた職員と一緒に「どうかわるんでしょうね」と首を傾けながらお茶を飲み干した。







この記事の一覧


第三回
二十人町はどのようにできあがってきたのだろうか。今回は二十人町の歴史を取り上げていこうと思う。


第二回  *このページです。

二十人町の区画整理計画は誰が計画しているのだろうか?と思い仙台市役所に話しを聞きに行く。


第一回

大型電器店や仙石線地下化などで、なにかと話題に上がる駅裏 対照的に再開発が進まず、古い街なみを残す二十人町を取り上げる。


伊達ロック プレイベント4

伊達ロック プレイベント4







 回までに紹介した仙台のイベント「伊達ロック」、6月25日に行われたプレイベントに行ってきました。今回は勾当台公園をつかい、かなりオープンな雰囲気の中開催されていました。










 公園の下の部分はフリーマーケットのブースが並び、かなりの人が集まっていて、これまでのプレイベントと比べても大幅な動員数の伸びがあったようです。やはり勾当台公園の地形をいかしたステージとフリーマーケットとの一体感が効を奏したといったところでしょうか。また地下鉄の駅、バス停からの人の流れを取り込みやすい位置だったということも大きかったようです。




 また、以前に比べ観客の中に占める中高年層の割合が高かったことも一つの変化の兆しといえるでしょう。



 7月におこなわれるメインイベントを成功させるべく、忙しそうに走り回るスタッフ陣、若い人が中心といってもその中の高校生から20台後半以上の人もみえ、日常ではあまり一緒に活動する機会がない人同士が協力しあって一つの目標に向かって動いている姿はある種の力強さを感じさせます。



 同じ仙台に住んでいながら、世代、学校など、それぞれのセクションに別れてタコ壺の様にちりぢりになっているこの状況のなかではこういったイベントがもたらす連帯感は、伊達ロックひとつのイベントの枠の中とはいえ重要な意味を持っているといえるでしょう。







 県や市など、自治体内部での市民の連帯感はとくに若い人の間でほとんど意識されず、その連帯感の存在もないといっても過言ではありません。その連帯感がないところで市民の意思決定などというものはおこりえません。もしこういったイベントを行うことを通じてそれぞれのタコ壺からはい出してきた個人が、一回り大きな範囲での連帯感といったものをもてるようになるのであれば、「伊達ロック」を始め他の様々なイベントを盛んにしてゆくことは成熟した文化みならず、成熟した社会を作っていく一つの手段であると感じました。






 そういった点からも私は中高年の人たちにも、伊達ロックというイベントを若者の「遊び」といった見方からみて傍観せずに、それぞれ自分なりのスタンスで熱く見守ってもらえるように願います。


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分かりやすい現代美術1




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No.1








 代美術において、表現とは何を意味するものなのか?いきなり重いテーマから始めたいと思います。
構成は、大きく分けて以下のようにしたいと思います。順番や内容の濃い薄いは、書き手の気分次第
という事で容赦願います。








1. 現代美術の役割とは


2. 現代美術の歴史と今後の表現


3. 現代美術以外の表現形態における現代性

 代美術の役割とは?私はこう考えています。
哲学が、人間の保守的な側面に対してあるべき姿をあらわにしていく作業だとしたら、現代美術は、
革新的な部分に対して、その可能性を広げていくことが役割だと考えています。
もう少し具体的に言うと、すでに存在する歴史や宗教、風俗・生活習慣といった側面から、人間像を
明確にしていく作業が、哲学の役割だと思います。
それに対し、固定的なものと考えがちな、風俗・生活習慣・価値観等の常識に対し疑問を投げかける
ことにより、自分と社会および自分の中の自分像と自分を構成する肉体と精神との関係を見つめ直す
ための材料を提供するのが現代美術の役割だと思います。

 代美術表現とは、それを観て感動するためだけのものではありません。作品鑑賞という行為の終了
は、鑑賞の終わりではなく、むしろその表現に触れることにより、感動(というよりは感じること)
を通して、自分はこんなふうにも感じられるんだ、なんとなく常識だと思っていたことについてこん
な見方もあるんだということを提示することにより、自己探求への入り口に立つことを意味します。
そこから先は鑑賞する人、一人一人が感じ、考えていかなければなりません。

 かに、常識の中で生きるだけであれば、現代美術は必要ありません。でも、本当に常識の枠の中だ
けで自分の体や心が充足していけるのでしょうか。もちろん、常識に従っているのことを頑迷だの
古いだのという気は毛頭有りません。ここで、問題なのは、頭では常識を信じその枠の中に居るべき
だと考えるのに、体や心がついてこないという不幸にみまわれた人達です。どうでしょう、いわゆる
学問や宗教・思考はそれに対して答えを与えてくれるでしょうか?思考は、つまるところ、道理や真
理の理解にとどまると思います。それに対し、現代美術が提供するのは、判断でも理解でもありませ
ん。自分の五感で感じた事を素直に受け入れられるだけの、自分だけの超常識を自分に納得させるた
めのきっかけです。

 度も言いますが、現代美術は、完結した物語ではなく、鑑賞者一人一人を、全く別の世界へいざなう入り口を提供するものなのです。



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カラヤン




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No.3





 デオを見た。白黒映像の中のカラヤンは49歳で、その数年前に自身が音楽監督
に就任したばかりのベルリンフィルを引き連れて、昭和32年ついに初来日を果たし
た。曲はベートーベンの五番の最終楽章。緩やかな部分から急速な部分になだれ込む
「例の」箇所。カラヤンは渾身の力を込めてタクトを振り下ろす。両腕を一番高いと
ころから、これ以上下げられないところまで下げる。激しい動き、顔の表情も刻々と
変わってゆく。楽団員も情熱のこもった指揮に答え、フルパワーで楽器を鳴らす。音
程が少しずれたり、タイミングが合っていなかったりもする。しかし、これほどの力
強さを持った五番の最終楽章を聴いたことがなかった。こんな感動的な指揮をするカ
ラヤンの姿を、かつて一度も見たことはなかった。

 う、カラヤンはこんな指揮者ではないのである。様々なメディアにおいて、カラ
ヤンの演奏についてはもう言い尽くされた感がある。冷静、動きが少ない、完璧主義
、美しすぎる、等々。また、政治力を行使し、音楽界を牛耳るようになってからは、
「帝王」と呼ばれるに到った。60歳を過ぎてからのカラヤンの演奏は、心に残らな
いものが多いし、欠点が全く無いということ、あるいはどの音も美しいということが
前面に出て、演奏全体に感動しないということが多々あった。

 

 楽界に残したカラヤンの功績には、筆舌に尽くしがたいものがある。多くのコン
サートを通して、また特に録音という技術を最大限に駆使して、多くの音楽ファンを
確実に増やし、彼らを魅了した。しかし、演奏のスタイルという点において、現在の
及第点的演奏、その音楽の本質という意味での感情非移入型の演奏の「基礎」を築い
てしまったという側面があるのは否めないし、こういった流れに危機感を表明する多
くの音楽家が存在するのもまた事実である。

 ラヤンの晩年の演奏スタイル、あるいは、現代の多くの演奏に見られるこうした
傾向を、「進歩」ないしは「洗練」と本当に呼んでも良いのかどうか、そのカラヤン
自身とベルリンフィルの最初期の演奏から感じた、そんなビデオだった。








カラヤン関連のホームページ


カラヤンセンターホームページ

英語、ドイツ語だけなので分かりづらいのですが、カラヤンの子供の頃から晩年までの写真を見ることができます。


ヘルベルトフォンカラヤンの魅力


楽曲の解説、MIDIデーター、年表とカラヤンに関することいろいろあります。


カラヤンの熱狂的ファン月我丈次さんのホームページ
カラヤンの全録音に対して演奏評を行おうと云うページです。


演奏するとき


千葉真康プロフィールに飛びます。




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No.3





 前回の連載で次は自分が日頃ギターについて思っていることを書きます、
と申し上げましたが、いざ机に向かうと、いろいろありすぎて困ってしまいます。
とくに最近まで自分が深刻に考えていた(というか悩んでいた)のは、自分は
とても上がり症で演奏する際に手まで震えてしまうことです。
まわりの友人や先生に相談すると(ちなみに濱田二郎先生にも)相談して
しまいました。友人たちには皆「慣れだよ、慣れ」といわれ、先生方も
「自分たちも若い頃は手をガタガタ震わせながら弾いていたんだ」
問題はいかに緊張しないかでなく、緊張した状態でいかに安定した演奏が
できるか、ということなんじゃないか?と言われて一時的には納得するのですが、
本番が終わると「こんなに手が震えては演奏どころじゃない」といつも
おもったものです。

 ころが、最近、緊張で手が震えなくなってきたのです。
それどころか、舞台の上で演奏するのが楽しみになりつつあります。
このホールはどういう響きなのか、自分の研究したタッチはこのホールで
どういう音にきこえるのだろうかなど、、、、


 はり、「慣れ」でした、あと様々な演奏会や、コンクールなどで
入賞したことで、自分の中である一種の「自信」がついたのかなと思っています。
でもやはり原点は、自分のタッチ、音色をひたすらどん欲なまでに研究する
ことです。自分は前回お話ししたぺぺロメロを目指しているので、彼と同じ
音色で演奏する事が最大の目標です。ですからただ速く弾く、たくさんの曲を
どんどん譜読みしてレパートリーを広げる、etc...。 これは自分にとってあまり重要なことではありません。
まあ後者の方は必要だと思いますが、よくCDでもめちゃくちゃ速いギタリストがいますが、
はっきり言わせていただくと自分でもあの音色ならあれくらい速く弾く自信はあります。あのタッチなら、だれでも指をはやく回すことは可能なはずです。でも自分のなかでは、そういうことは
最高に無意味なことだと思っています。

 はりギターからもうこれ以上のいい
音はでない、、と思うまで(人そぞれ好みが違うのでわかりませんが)
研究を続けたいと思っています、速く弾くのはそれからで充分だとおもっています。
なんだか偉そうなことを長々と書いてしまいましたが、今回はこの辺で失礼します。
次回も、自分が求めている音色ということで書かせていただきます。

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