« 2000年07月 | メイン | 2000年09月 »

2000年08月 アーカイブ

2000年08月03日

消えゆく街 二十人町〜〜第三回〜〜








消えゆく街 二十人町

第三回













前回は再開発計画について取り上げた。今回は二十人町の歴史について取り上げる。

 町にはそれぞれの歴史がある。人の関心をひくような特殊なもの、
どこにでもあるようなありふれたもの。どんな歴史であるにせよそれは、二十人町写真
土地という空っぽのいれものに血のようにながれその場所を「町」にする。

 二十人町は以前に書いたように独特の地形をしている。鈎の字にまげら
れた細い道は他国からの城下への進入を困難にするために作られていて、
また普段からもその通りには功績のあった足軽を住まわせ侵入者の監視を行わせていた。
功績があった足軽とはいえ、足軽は足軽であるため貧しかったようでみな内職をして
生計を立てていたといわれている。そのためにその通りにはだんだんその内職製品をうる店が
増えてゆきそのことが商店街の基礎となっていったようである。時代が下って第二次大戦前には
今の榴ヶ岡公園のあたりに陸軍の基地があり、馬具や金物などをうる店が多かったようである。二十人町写真2


 区画整理で引っ越す人が増え今ではそれも苦しい状態のようである。特有の歴史のために
細く独特の街なみをもつ二十人町、しかし今はその独特さ故に区画整理の対象となっている。
これもまた一続きの歴史であるのかも知れない。この後の二十人町はどんな町になっていくのだろうか。







もっと記事を読む

第三回  *このページです。

二十人町はどのようにできあがってきたのだろうか。今回は二十人町の歴史を取り上げていこうと思う。

第二回

二十人町の区画整理計画は誰が計画しているのだろうか?と思い仙台市役所に話しを聞きに行く。


第一回
  
大型電器店や仙石線地下化などで、なにかと話題に上がる駅裏 対照的に再開発が進まず、古い街なみを残す二十人町を取り上げる。


仙台ムービー・アクト・プロジェクト

仙台ムービー・アクト・プロジェクト




 以前から感じていたことだが、仙台には映画館が少ない。映画雑誌などで知って楽しみにしていた作品が仙台にはこなくて、
残念な思いをしたことは数知れない。どの映画も仙台で上映しろというようなわがままを言うつもりは毛頭ないが
しかしもうちょっといろんな映画がみれてもいいんじゃないかと思う。人口の割に数少ない映画館の数。
ひどい場合は、その数少ない映画館の何軒かが同じ映画を上演していたりする。そんな状況がいかにも仙台っぽくて、寂しく感じていた。

 しかし去年あたりからだったろうか、仙台フォーラムという映画館ができてその状況が少し変わり始めた
。たぶんみんなもすでに知っていると思うが、いままでの仙台ではみられなかったであろう映画がそこでは上映されている。
ちょっとばかりマイナーな、聞いたことのない監督や役者が出ているそれらの映画は、みる側の感じ方、楽しみ方に新しい刺激を与えてくれるような気がする。
映画を見るということは作品を通じて、作り手と出会うということをしている。そして多くの人と接するなかでいろいろな考え、
いろいろな感じ方に触れて人が成長するように、多くの作品に触れることで人はどこか成長するのかもしれない。


 いつも同じ少数の人としか会わずそのなかで馴染みの考え方や感じ方を作り上げ、その共同体の感覚を意識的に、
もしくは無意識的に絶対視してしまう。違った考え方と触れたとき、時としてその感覚をぶち壊されてしまうことがあるかもしれない。
しかし、そのことによって違った考え方をふまえた新しい感覚を作りなおすことができる。その「ぶち壊し」を絶えずして行けば、
少しは「しなやかな感性」に近づけるのだと思う。もちろん映画だけがこういった性質をもっているわけではない。
他の表現行為によって生み出されたものも全て同じ様な力をもっているだろう。多くの表現作品に触れることができるようになることが望ましい。


 仙台で、すこしでも多くの人にいい映画をみてもらおうとがんばっている人達がいる。
仙台ムービー・アクト・プロジェクトという活動が旭丘の青年文化センターを中心に行われている。
インディーズ映画の自主上映会などを頻繁に行っているようである。この活動を今後紹介していこうと思います。

現代美術の歴史と今後の表現




近江俊彦プロフィールに飛びます。

(上の写真をクリックするとプロフィールに飛びます。)

No.2








 
現代美術の歴史と今後の表現

( 一 )

 現代美術とわざわざ"現代"という言葉をつけなくても、美術の歴史そのものがタブーに対する挑戦の歴史であったわ
けです。その対象は宗教・政治・風俗が対象とされてきました。どのあたりから、"現代"の冠詞が付くようになった
かというと、これは諸説あるでしょうが私の解釈では、マルセル・デュシャン(MARCEL DUCHAMP)による"概念芸術"が、すべての引き金
になっているように思います。

 "概念芸術"の説明の前に、デュシャンの時代についてお話しましょう。世紀末が過ぎ、美術の世界は一気に立体派・
野獣派などの造形的な力強さを競う時代でした。その中のトップスターはなんといってもパブロ・ピカソでしょう。
そして彼は死ぬまでその座を譲ることはありませんでした。そうです、造形性を表現に求めるのであれば、彼以降の
作家は常に2番手でいなければならなかったのです。このような巨人を前にしてデュシャンは考えました、「ピカソ
と同じ事をしていたら一生浮かばれない。」と。そこで、彼は猛烈に考えたのです。造形によらない、造形を超える
大きさと広がりを持つものはいったいなんだろうと。そこで導き出されたのが、作品を鑑賞する者の概念に、直接的
に強く訴えかければ良いのではないかと。
その思考から生まれたのが、概念芸術と呼ばれる表現形式です。

 これ以前の美術は、美術表現は、表現形式として「こう言った意味を既存の絵とか立体の表現の奥に忍ばせておくか
ら読み取ってください。」と言う態度の作品であったのが、「これをイメージしてみろ。」といった直接的に(別に
既存の表現のみならず、設計図のような具体的な絵や、文字・文章と言った具体的な手段も含む)表現し、鑑賞者の
イメージ(概念)を膨らませ、「イメージを膨らませ感動できるヤツは上級鑑賞者であり、イメージを膨らませられ
ないやつは感性不足だ。」と定義したのが"概念芸術"という表現手段なのです。
これは、2重3重の罠がしかけてあって、良くわからないとか、意味不明だということは無能を意味するような強迫
観念があるんですよね。それで分かったような気になって分かったような事を言う必要が生じるというタイプの芸術
様式です。

 そう、ここまで来ると、現代の訳の分かったような分からないような芸術という有り様も、
現代という時代性も、このような"概念芸術"のスタイルに大きく影響を受けている事に気がつかれる事と思います。
その結果として、芸術を解説する人の存在が重要となり、芸術は解説されなければ理解できない高尚なものとイメー
ジされるようになって、人々からどんどん距離をおいて考えられるものになってしまいました。



( 二 )

 人は、社会の中で生活している限りにおいては、相対的な存在であると言えるかもしれません。身体的特徴から、能
力的な特徴まで、全て誰かと誰かの中間に位置づける事ができます。しかし、果たして本当に相対的なものなのでし
ょうか?

 人は(どんな動物でも同様でしょうが)、自分の五感から得た情報しか知り得ることはできません。また、その五感
は一人一人異なっていますから、自分という個人を形成する情報群は唯一無二のものであると言えるでしょう。しか
し、人は何故か自分の中に擬似の社会を創造し、自ら作った制限に束縛されて生きていく生き物でもあります。
具体的に言うと、生活水準(何と比較して水準なのか?)を向上するために、良い学校(日々生き生きと学べる?)
に入り、良い企業(日々生き生きと暮らせる?)に入って、理想的な異性(異性同志理解し合える?)と結婚し、理
想的な子供(?????)を育て。


先月記述した、

「頭では常識を信じその枠の中に居るべきだと考える」状態です。


 人は、正直なもので、心労がたたるとすぐ胃腸に潰瘍となって現れます。いわゆる、「体や心がついてこないという
不幸にみまわれた」状態ですね。

 すでに、唯一無二の肉体と情報を身につけた、一人一人が、また、決して自分の概念以上の事は想像できない一人一
人が、自分の眼にはこのように写る。自分の耳にはこのように聞こえる。また、より細かいひとつひとつのことつい
て自分自身の感じを明確にしていったらどうでしょう。絶対の存在である自分が浮かび上がってきませんか?そして
この絶対の存在である自分の感性や、肉体により情報を吸収し、かつ情報を発散していくのだと思いませんか?
美術とは、結局のところ、他人の意見によって頭で理解し感動するものではありません。しかしながら、現代という
時代において、美術館や学校といった機関(または、学芸員や教師)を除いて美術に触れる機会がない以上、そこに
展示してある作品を、分かったような振りをして観るしかなくなっているのが現実だと思います。

 何時からか、現代美術がBIGビジネスになり、作品を評価したり、金持ちに売りつける才能の有る人と表現者であ
る作家との間で、逆転現象がおきてしまっているのもまた、事実でしょう。作家は自信を失い、商売人としての学芸
員は、商売への興味を失い、まだ、かろうじてアートに金を出す企業や役所に取り入って、素人受けする作家の、く
だらない作品を露出するだけの時代でもあるのです。


( 三 )

 さて、そうです。今後の展開です。
どんな表現のジャンルも同じでしょうが、表現には、それなりのルールというものが有ります。美術で言えば、美術
家や、画廊で展示するものである。そしてそれを見る人は静かに(分かったような顔をして)観ていかなければなら
ない、といったルールですね。

 作家はどう観ているかというと、展示場に入ったとたんに、面白いものが有るかどうか、全体を見渡し、つまらなけ
ればそそくさと会場を後にし、面白い作品が有れば、観たいだけ観てくる、また、作家がいれば話をしてくる。とい
った態度です。

 しかし、もう少し推し進めて、そこに美術作品が展示してあることを意識せずに五感で吸収してもらえるのが一番良
いと思っています。そうすれば、余計な解説者の存在は必要なくなりますからね。
もっというと、作品個別の良し悪しを問うための展示ではなく、鑑賞者自らの意思を開放するような作品を、あちら
こらに露出させる。そういった作品が身の回りにあふれた状況を想像するのがアートの当面のテーマだと考えていま
す。









 encounter with duchamp
http://www.MarcelDuchamp.org/
マルセル・デュシャンのページ
とても凝っていて素晴らしい。(英語)


 The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even

http://www.marcelduchamp.net/index.htm
同上

 ART MINIMAL & CONCEPTUAL ONLY

http://members.aol.com/mindwebart3/page12.htm

たくさんのアーティストを紹介している。
MARCEL DUCHAMPを選ぶと作品が見れる。

鼠ヶ関 クロダイ...... 趣味






吉田修プロフィールに飛びます。



(上の写真をクリックするとプロフィールに飛びます。)

No.4





 

鼠ヶ関 クロダイ...... 趣味


   
 昨年のゴールデンウィークに山形県の
鼠ヶ関
(クリックすると地図がでます。36k)という港を訪れた。山形道が出来たお
陰で、鶴岡まではあっという間だった。鶴岡で休息を取り、日本海に出て海に沿って
、南下し鼠ヶ関を目指した。自分のバイクで日本海までやって来たのはこれが始めて
だったが、走りの疲れも忘れて、いつも見慣れている太平洋とはどことなく違う美し
さの海を眺めながら更に走り続けた。右手の岩場に目をやると、人が立っている。ど
うも釣りのようだ。バイクを止めてじっくり見ると、その服装や道具からどうもクロ
ダイ釣りらしいことがわかった。仙台ではあまりクロダイは釣れないが、こちらでは
たくさんいるのだろうか?また走り始めると、次の岩場にまた数人いる。やはりクロ
ダイ釣りだ。更に南下するにつれて、一つの岩に一人が乗っているほど人数が増えて
きた。鶴岡と鼠ヶ関の中間地点にさしかかるころには、路側帯に駐車している車が増
えはじめ、岩場に乗っている人も大変な数になってきた。バイクのエンジンを切って
、のどを潤しながら釣りの姿にじっくり見入った。みな真剣である。一人ひとりが離
れている。だが、よく見ると一人も釣れている様子が無い。どういうことだろう?こ
れだけ釣れていないのに、こんなに人がいる。しかもみな真剣そのもの。いわば異様
な雰囲気である。


 「鼠ヶ関の手前に温海といういい温泉がある」とガソリンスタンドの主人の、聞き
なれないが心温まるような山形弁の説明を聞いて、宿を取ろうと温海を目指した。甘
かった。連休だったのだ。どこも空室が無く、あきらめて鼠ヶ関の小さな旅館に泊ま
ることにした。

 鼠ヶ関の漁港に出てみると、「イカ祭り」で大にぎわいである。大型
バスで大挙してやってきた近県の人々でいっぱいだ。出店をのぞき、冷やかしながら
外海に出てみた。ここもクロダイ釣りの人でいっぱいである。この旅の目的は単純で
、ある釣り雑誌にここが大変よく釣れると書いてあったので、いつも釣っている魚の
大型を釣ってやろうとやってきたのだった。いわゆる底物釣りというやつである。ア
イナメ、ソイ、カレイなどを探りながら釣る。実は、竿を出せなかったのである。一
人も底物釣りをしている人がいないのだ。磯中に漂う激しい緊張感を崩しそうな気が
して、どうしても竿を出せなかった。あきらめて高い岩に登って上から海中を眺めて
みた。いた。クロダイだ。有に60センチはある。二匹悠々と泳いでいる。こんな大き
さの魚は見たことが無い。異常な緊張の理由が多少解った気がした。これを掛けるの
は大変なことだ。魚は老魚ほど動きが少なくなり、警戒心も強くなる。海水が澄んで
いるため、ここでも一人も釣っていない。しかし、帰っていく人の様子を見ていると
、みなにこにこしている。卑屈になっている様子が少しも無い。釣りを大切なもの、
真剣に行いべきものとしてとらえているように見える。彼らの釣る姿に一種の気高さ
を感じたのだった。

 宿に戻って夕食の準備をしてくれる女将の話を聴いた。この女将は、地元の人間で
はなくよそから嫁に来たのだが、やはり釣りはするそうだ。磯場で感じた戸惑いを女
将に打ち明けると、彼女も過去に同じ思いをしたのだそうだ。この一帯では、底物釣
りは邪道なのだということだ。アイナメなどを釣っている彼女を姑がよく怒ったそう
だ。さらに話しを聴くと、どうやら答えが見えてきた。鶴岡藩だ。この辺は昔鶴岡藩
の城下で、鶴岡藩主が藩士達にクロダイ釣りを奨励したのだそうだ。クロダイ釣りを
する際の緊張感や集中力が、武士道に多いに通じるということらしい。それ以来ここ
はクロダイ釣りのメッカとなったのだそうだ。どうりでアイナメを釣っている人間が
一人もいない訳だ。

 所詮釣りは遊びと考えていた自分に恥ずかしさを感じた。釣りに対してどうも卑屈
なイメージを持っていた自分を反省した。例えば女性一人で、完全武装してクロダイ
を釣りに来るんてことは、仙台近辺ではまずあり得ない。こちらには何人もいる。釣
りというもののとらえ方が違う。もっと重要なものと考えている。

 あまねく趣味というものはこのようなものでありたいものだ。現実の仕事にも、ま
た生き方にも結びつくものとなりうるようだ。



不一

この世に汚い音を残してはならない

千葉真康プロフィールに飛びます。




(上の写真をクリックするとプロフィールに飛びます。)

No.4






「この世に汚い音を残してはならない」





 こちらは連日36度を超える暑さでクーラーが手放せない状態です。またおかげさまで昨年に引き続き第78回日大芸術学部定期演奏会に出演することになりました。謹んでご報告いたします。

 最近、音色について新たな進展がありました。それは、さらに一段とロメロの音に近づいたからです。(少なくとも自分ではそう思っている・・・)

 さらに、念願のロメロ奏法をある方から、伝授して頂ける期会があり、現在様々なテクニック及び音楽に対するとらえ方を勉強させて頂いております。
では、その方は誰かといいますと、それは秘密です!!
唯一申し上げる事ができるとすれば、ロサンゼルスギターカルテットと共に、
修行をした(いや、彼らよりもロメロの影響をより強く受け、現在もなお、そのロメロ奏法の使い手として、有名な方)としか言いようがありません。
この情報は自分にとってはかなり極秘であり、その方の名前などは一切公表する事は出来ません。まず、彼の口から先に出た言葉は(この言葉は、ぺぺ・ロメロ(pepe romero)の父、
故セレドニオ・ロメロ(Celedonio Romero) が日頃口にしていた言葉だそうだが)
「この世に汚い音を残してはならない」等々
自分は、その言葉を聞き大変感動し、涙が出そうでした。
とても、一言では語りきれないので今回はこのへんで・・・・・



 さて、肝心の、私のギターの音色はどうなったかと言いますと、みるみるロメロの音色に・・・あまりの音の良さに練習している間にニヤッと笑ってしまう事すらあります。しかし、その美しい音色を出すのはとても難しく、少しでも気を抜くと初心者が初めてギターを弾いた時の様なカスカスした音になってしまい、(ギターから美しい音色を絞り出す)という表現がまさにピッタリというような奏法です。と、同時に今までの自分の奏法の悪い癖が次々と発覚!
同時進行で修正することになりました。
と言うわけで長々と書いてしまいましたが、今回はこのへん。
次回は、もっと進展した近況をお伝え出来ると思います。


ぺぺ・ロメロのオフィシャルサイト http://www.peperomero.com/
ストリーミングで曲も聴ける。 ビデオも見れる。

About 2000年08月

2000年08月にブログ「仙台インターネットマガジン 仙台の地元情報から、アート、音楽、文学、スポーツ、エッセイ、旅、政治まで」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2000年07月です。

次のアーカイブは2000年09月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。