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2000年09月 アーカイブ

2000年09月05日

消えゆく町 二十人町〜〜第四回〜〜








消えゆく町

第四回












僕が二十人町に引かれた理由

  中学校だったか、高校に入ってからだったかは忘れてしまったが生物の仕組みについて習った記憶がある。
単細胞生物がいて多細胞生物がいる。始めは単細胞生物がいてのちに多細胞生物が現れる。私たちは人間で多細胞生物なんだよ、
それぞれ一つ一つで活動していた細胞がやがて、集まって役割分担したほうが都合が良いことい気付いて多細胞生物になっていったんだよと、
親切な友達が教えてくれたことを覚えている。友達に「単細胞」とよばれてからかわれていたやつがいた。
そいつと僕はよく喧嘩をしていたがどちらかというと他の友達よりもそいつの方が好きだった。
いずれにしても単細胞なやつもそうじゃないやつもそれぞれにきちんとひとりの人間だった。そして自分の抜け落ちた髪の毛を見て、
やっぱりこれは僕の一部でしかないよな、と思っていた。


 二十人町を歩いて、僕はこの町にひかれた。仙台駅の西口の繁華街の駅を挟んでその反対側にぽつんと残る寂しい空間。
僕がはじめて通ったときにはすでに空き地が目立ち、空き家となった木造の民家は色あせた区画整理反対のポスターとともに朽ちてしまっていた。
季節はちょうど初夏をむかえようとしていて、腐った畳から、崩れた瓦屋根から空へとむかって繁る青葉がまぶしい太陽の光に輝いていた。
線路の向こうにそびえるアエルのビルが初夏の霞に包まれてぼんやりと光っていて、そのとき僕はやがてここに裁つであろうビルを、
古いものを突き破ってそびえる若葉とたぶらせてイメージしていた。ここはいずれ変わっていかなければならない、その時にすでに僕はそう思っていた。


 以前仙台市議会の選挙の時、ある候補者の講演会にいったことがある。やたらと若さを強調していたこと意外にも一つだけ記憶に残っていることがある。
彼は熱心に道路整備の必要性を説いていた。なんでも仙台の渋滞はひどい経済的損失を生んでいるということだった。渋滞に巻き込まれる人数と、
それによって無駄にする時間、それに平均的な時給をかけると年に何億円もの損失になるという。道路整備に投資するお金はそれに比べるとはるかに安いものであると彼は言っていた。
その時僕はちょうどアルバイトが見つからずに暇を持て余していた時期だったので結局彼に投票しようという気にはなれなかった。
しかし物事に対してそういった見方ができる人間がいることに若干の驚きを感じた。社会にはこういう視点が必要なのだろう。
人間は常により効率的、機能的なものを求める。複雑なシステムを作り上げ、改良してはより多くのものを人は手にしてきた。
それを進歩と呼ぶのかもしれない。進歩への衝動が、彼の視点からは感じられた。


 二十人町はやはり変わらなければならない。仙台という街を構成する、より有意義な一部分へと。街の中心部へのアクセスを高め、
防災の観点からも問題点を解消するために、区画整理は必要だ。そのことによって何かが失われるとしても、失うものと得るものもどちらが多いのか、
僕には分からない。ただ分かっているのは、僕の中にある失うものを惜しむ気持ちは効率や機能などとかといった合理的な理由からではなくただの感傷と言っていいようなものだろうということである。
そうであれば合理を取るしかないであろう。


 僕が二十人町にひかれたのはそこから感じる不器用さのせいであるような気がする。誰かの不器用さというわけではなく、そこの場所が持つ不器用さである。
街の中心部にありながら時代遅れな町並、そしてそれを逆手にとることもせずに唯さびれ、ひっそりと何かを待っている。
生命力や進歩といういわば正当な必然によっておびやかされているその姿がいとおしかった。


 進歩というものは前向きな力である。しかし僕の見るかぎり進歩は常に機能化や効率化をともなっている。あるものとあるものが何らかの目的のために効果的に関連づけられ、
より複雑なシステムを作り上げてゆく。しかしその陰では絶えず人をふくめ、物事の「ただある」ということの価値が薄められているような気がする。
物事は常に何らかの役割によってみられ、そこの観点から計られる。ある存在の「ただある」ということがもっているかけがえのなさは複雑なシステムの中では感じることが難しくなるのだろう。
二十人町は仙台というシステムの中にくさびのように打ち込まれ、僕に「ただある」存在感を感じさせてくれた。その町がもつ不器用さが「ただある」存在感を引き立たせていたのだろう。
こういった「不器用さ」を感じることは意外にじゅうようなことなのではないだろうか、僕は今そんな気がしている。


 全ての人が社会の中で何らかの役割を期待され、実際それを背負っている。社会が複雑であり、
そして大きいものであれば自分の周辺のごく少数の人間を除いてはある役割を担っている一構成要素としか見れなくなることは避けられない。
そうすることはひるがえって他人からも同じように見られることを意識的にせよ無意識的にせよ連想させる。
そういったなかで人と人とが互いを一存在として尊重してゆくためには「ただある」という事を感じることが、
それともむしろその人に与えられている役割からと実際のその人との間の距離の様なものを、
それを是か非かとするのではなくただ受け止め感じるということが必要なのではないだろうか。


 社会の中での役割というものを否定するのでもなく、かといってそれによってのみ人をはかるのでもない。ただそこからはなれて、存在そのものを感じること、
そういった心の動きがもっと頻繁に起こることが望ましいと僕は思う。


 誰かが「愛することにりゆうはいらない」と言った。僕はより多くの人、また人以外の色々なことをも愛せるようになりたい。
二十人町に僕がひかれたもの、結局はそういうことだったのかもしれない。








この記事の一覧


第四回    *このページです。

僕が二十人町にひかれた理由


第三回

二十人町はどのようにできあがってきたのだろうか。今回は二十人町の歴史を取り上げていこと思う。


第二回

二十人町の区画整理計画は誰が計画しているのだろうか?と思い仙台市役所に話しを聞きに行く。


第一回

大型電器店や仙石線地下化などで、なにかと話題に上がる駅裏 対照的に再開発が進まず、古い街なみを残す二十人町を取り上げる。


伊達ロック〜総集編

伊達ロック 総集編






伊達ロックメインイベントが7月30日に勾当台公園で行われた。メインステージの進行がおして、
終了が二時間も遅れて夜の9時になってしまったこと以外は大きな問題もなく、おおむね盛況だったといえるだろう。
それにしても夏の夜の野外イベントほど気持ちがいいものはない。



 このイベントは去年の冬に一人の学生の「仙台で大きな音楽イベントがやりたい。」という一言によって始まった。 そして今年の3月からプレイベントを月1回という驚くほどハイペースで4回ほど行い、そしてついにメインイベントをむかえた。 勾当台公園と市民広場をいっぱいに使い、フリーマーケット、BMX、お笑い、三味線、ウォールアート、演劇、ファッションショー、 そしてロック、三つのステージで繰り広げられたショーやライブは30以上、会場に訪れた人はゆうに1万人をこした。
 そう伊達ロック実行委員長の目黒君が言うように、伊達ロックは仙台に住む若者にとっての文化祭になったのだ。 私はこの伊達ロックに足を突っ込んで、実際にイベントを手伝いながら、このイベントの結末と行く末ばかりを考えていた。 お金をもらえず、むしろ自分たちが払ながら仕事としか言いようのない作業をしなければ成り立つことがない、 親からお金をもらっている人でなければできないじゃないか、そんなイベントが成り立つのだろうかとまで考えた事もあった。 伊達ロック事務局の人々の真剣な取り組みを見て、これはプロとして活動すべきではないか?そんなことも思った。 しかしここにきて、自分のその考えは大きく変わろうとしている。
 イベントが終わったあとの、あの充実感は、あの満足感は何だろうか。打ち上げで飲む、あのビールの味は、幾らお金を払っても買えないものがある。 自分が高校生だった頃、私は学校の文化祭を結構一生懸命手伝ったりしてた。たいしたイベントではなかったけれど、祭の終ったあとに非常にみちたりた気分になった事を思い出した。あれと一緒だ。ああそうか。伊達ロックはお祭だったのだ。

 伊達ロックにスタッフとして集まった若者は100人を超えた。それにしてもたいしたものだと思う。
ではどうして、こんなに人が集まったのだろうか。それを探ろうと私は伊達ロックフェスティバルが終わってから何人かの伊達ロックスタッフに話を聞いてみた。
彼等(彼女ら)に「伊達ロックに携わって何が一番良かったですか?」と聞くと "新しい人間関係ができたと、仲間ができたこと" とほとんどの人が答えた。
ここにその答えがあるように思える。

 今世の中で取り沙汰されている若者の現実というものは実際どのようなものだろうか? 
若者の間にあるあのけだるい空気は何だろうか?今の若者にあるのは無連帯だろう。
たいていの若者は薄っぺらい友人関係、人間関係しか持ちえない。普通ならば学校や会社、
地域社会、家族などで、強固な人間関係を作るべきだけれど、学校、会社、地域社会、家族はすでにその求心力を失っていて強固な人間関係を作ることができない。
けれどその団体を飛び出すことを極端に怖がるのである。そんな居場所の見つけられない従来の団体の中で若者は自分のわずかな存在感を失わないように生きているようにみえる。
だれだって一人になるのは怖い。若者に限らず私たち日本人は今までとは違った形の新しい集団、
ある程度同じ価値観を持っていて意思の疎通ができ安心できる仲間を心の中で欲しているのだ。

 伊達ロックに集まってきた人々は伊達ロックというお祭りを通して素晴しい人間関係と自分がいるべき集団、コミュニティーを作り上げた。

 本来お祭りとはどのようにできあがってきたのだろうか?天災や政治事情などである集落や地域が荒廃し、どうしようもなくなった時に、
たぶんお払いとか魔除け、神頼みなどの宗教的儀式として始まったのだろう。そしてそれはたいていの場合ある程度効果があっただろう。
なぜならば儀式を行うためには人手と手間が必要で、たくさんの人を動かすためには組織が必要で、それを統括するためにはリーダーが必要で、
いざこざが起きないようにするにはしっかいとした人間関係が必要である。それはその祭をする地域の団結や絆を強めただろう。昔の人はそれを経験で分かっていたのだろう。

 学校、会社、地域社会、家族といった在来のコミュニティーががたがたと音をたてて崩れていく今の日本の中で、
伊達ロックに携わった若者は仙台にすむ若者にとってのいるべき場、一つの居場所を造り上げた。それはすごいことだ。
ただそれは特に珍しい事でもないだろう。昔あった青年団のようなものだ。今までの日本が少しおかしかっただけなのだ。

 今後伊達ロックという名のお祭りそして団体は、少し歳をとった若者の力を借りながら、もっと若い次の世代の若者へと受け継がれて続いていくだろう。
仙台の若者の祭として、仙台の若者の一つの居場所として

伊達ロックに携われたことをうれしく思いながら。

佐藤研一朗



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第二回

伊達ロックプレイベント4にいった感想


第一回

伊達ロック実行委員長の目黒君にインタビュー


しょせん誰にも聞いてもらえないじゃない!




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No.3








 
現代美術の歴史と今後の表現

(4)


 今月も、先月からの続きとして、今後のアート表現のありようを探る日々についてまとめてみます。


 たまたま、縁があり国分町のスナックで、店を閉める前のパフォーマンスとして、個展をやってみな
いかと言う話があって、自由に展示させてもらうという条件で個展を行いました。
店内を、黒い布で覆い、カウンターとテーブルと、カラオケ用のテレビの画面だけが見えるのみの
状態にして、店内の雰囲気を消し去ったうえで、私の作品を展示したのでした。あげくに音楽まで
自作し流しっぱなしにしていたので、どのような場合でも作品を観賞せざるを得ない状況を作ったし、
内容的にも全力を出しきった作品だったので、個人的には大満足でした。
展示が終わり、しばらくして飲みに行ってカウンターに陣取り、客たちの反応を見ていたのですが、
(客層は30〜50代のサラリーマン風の方々です。)入ってくるなり空いているテーブルにすわり、カ
ラオケの本を開いたまま下を向きっぱなしで、一切周囲を見ようとしない、聞こうとしない状態で、注
文する時以外は一緒に入ってきたメンバー同志で会社の話をし、何事も無かったように出ていくの
でした。


 これには、ちょっと愕然とし自分なりに結論付けてみました。いつもの店内(日常)とはあまりにも違
いすぎるはずなのに、非日常に対して反応する力(一般的には免疫力といいますか)があまりにも
低下しているのです。一体全体この人達は、ナイフをつきつけられても無反応なのだろうか?とさえ
思わせられたのでした。


 しかし、このように感性を硬く閉ざしたまま生きていく事は、ある意味で楽であるともいえるかもしれ
ませんが、やはり、一人一人が自分の感性で、感じ、語りあうところにしか文化は育たないし、文化
とは、社会全体が自由を獲得し、自分自身に自由をもたらす潤滑剤みたいなものですから、それ
が、質量とも潤沢に存在しないとあるべきものがあるべきところに行き渡らなくなるし、それが、余計
な閉塞間を生むことになると思います。


 文化とは、 文化住宅とか文化遺産のような使われかたをしますが、そのような世間離れしたもので
はなく、一人一人のプライドを形成する土台(基礎)であると思います。プライドとは、絶対個としての
自分自身を意識できるということです。自分の五感で感じたものを絶対の基準として意識できるとい
うことです。(簡単に言うと、たとえば絵描きみたいな超変人扱いされる人格でも、世の中に絶対に
必要な活動であるし、そのための自分の人生でもあるということを信じて生きていけるといった事)
そして、文化とはその個人の存在(意識)を最大限認める器の容量を指し示しています。理解すると
いうことと直接結びつかないかもしれませんが、理解できないまでもそういうふうな考え方も存在す
るし、それもまたありようのひとつに違いないと信じることができる器量であり、なおかつ、そういった
理解できない存在について、人生の幅が広がったと認識できる度量を個人にもたらしむることを文
化と呼ぶと思います。


 表現はすべからく、容量(度量)の広がりと深さを推し進めるために存在しなければならないと思い
ます。その意味で、現代美術の役割は昔も今も何ら変わることはありません。しかし、社会状況は
大いに変わってきています。


 簡単に言えば、『個人が何を言っても、しょせん誰にも聞いてもらえないじゃない!』てな感じの蔓延
です。いきおい、長いものにはまかれろ的な御都合主義で行った方が楽だし傷つかないし、何をそ
んなに頑張る必要があるの?頑張ったからといってなにが手に入るの?てな感じに皆さんの意識
が傾いているように感じます。
そして、いわゆる平和ぼけですか。状況に対して自らの積極的なアプローチをしなくてもすでにある
規範に従っていれば間違いはないし、その状況は誰かがキープしてくれているから安心していられ
る。といった感覚ですか。


 アートは、この状況に対し答えを出さなければなりません。


 具体的な作品については、今のところなにも言えません。しかし現状で言える事は、表現は、膨張
し拡散し、人間の呼吸レベルまで自然に深く浸透して行かなければならないという事です。そして、
個人のプライドと、存在の確かさを確立する方向に社会に働きかけていかねければならないという
事です。

 このテーマ、非常に難しいです。

ギター流行






吉田修プロフィールに飛びます。



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No.5






 最近、ギターがまた流行っている。「また」というのは、以前も流行っていたから
である。小生が高校の頃の、空前の第1次ギターブームだった。土曜日ともなると、
教室の後ろの方にズラリとギターケースが並び、お昼で授業が終われば、我先にとバ
ス停まで走り、ギターを担いでいそいそと勾当台公園へと集合し、ギターを弾いて歌
を歌ったものだ。歌う歌はフォークであり、シンガーソングライター全盛の時代であ
る。フォークのシンガー達はみな、フォークギターを使っていた。今はこれをアコー
スティックギター、または単にアコギと呼ぶ。正確に言うと、この表現は正しくない
。アコギ=フォークギターではない。アコースティックギターのグループにはには、
もう一つの対極をなすクラシックギターがある。小生はこのクラシックギターの演奏
者であるが、高校生当時は我々は極めて少数派であり、クラシックギターの演奏者が
メディアに乗るということはほとんど無いに等しかった。こんなギターブームを言わ
ば傍観していた人間の一人だった。これらフォークギターとクラシックギターを、今
の人々はアコギという括りを使い、はっきり区別しない傾向にある。実は今日ほどク
ラシックギターがメディアに乗り、若い演奏家達がクラシックギターをアピールして
いる時代はないのである。これはギター全体にとっては、喜ばしいことであるが、反
面問題もある。すなはち見る側や聴く側が、違いに気づいていないことが多いのだ。
ストリートミュージシャン達が使っているギターと、テレビなどで紹介される若いソ
ロギタリストが使っているギターが同じものだと思われているのである。これは多い
にメディアの取り上げ方にも原因があるように思う。取り上げられる曲が、大きく違
いを感じないような物ばかりである。弾き手自身も軽い感覚で軽快に演奏することが
多い。

 クラシックギターは、ヨーロッパに端を発する古典音楽という、それは深く広
いレパートリーを持っている。伝統あるこの古典音楽にこそ、クラシックギターの神
髄があるのである。古典音楽は華麗な指さばき、早弾きなどテクニックにその中心
があるのではなく、長い期間鍛練し、練習を重ねて尚変化して行き、何度も繰り返し
て再現するに足るような内容を持ったものである。こういった音楽が、そういうもの
として取り上げられる事は現在は少なく、残念なことである。ギターが流行ることは
多いに結構だが、読者の皆さん、どうかクラシックギターもお忘れなく!古典音楽も
お忘れなく!
不一 

清里スペイン音楽祭


千葉真康プロフィールに飛びます。




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No.5






 8月25日から三日間、毎年清里で行われる(清里スペイン音楽祭)に参加してきました。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、説明させて頂きますと、この音楽祭の主催者は
濱田二郎先生です。そして先生の人望の厚さと豊富な人脈を駆使し、内外から素晴らしい
アーティストを招き三日間音楽漬けの日々を過ごす、というわけです。自分も大学に入学
してから毎年参加していますが、、、もちろん主催者の濱田先生ということはギターが中
心でフラメンコなど本場スペインのアーティストを呼び三日間歌い、そして踊り狂う訳で
す。その音楽祭は今年で16回を迎えますが、自分が参加した四年間だけでも素晴らしい
アーティストとたくさん知り合いになりました。加藤政幸さん、マリア・エステル・グス
マン、クエンカ兄弟、掛布雅弥さん、また、ギタリストのみならずバンドネオンの帝鳳さ
んやサックスの須川展也さん、ピアニストの門 光子さんなどなど、 じつは門 光子さんの8月29日に東京オペラシティーリサイタルホールでのコンサート
を聴いたのですが、とても素晴らしかったです。プログラムは現代曲中心のプログラムで
すが、そもそも自分はピアノ曲を腰を据えて聴いたことがない、いや、確か聴いたことは
あるにはあるが、中盤で夢の中へ、、、、ということがほとんどでした。
しかし彼女の演奏を聴いて、自分は鳥肌が立った、彼女の演奏から、いや、ピアノから出
てくる音から一瞬も目を、耳を離してはいけない。自分にとってこのまま終わってほしく
ない時間でした。演奏後、彼女に挨拶に行くと、「今度二人で何かセッションしよう」
と言う話になり、自分は感動と興奮がさめやらぬうちに帰路につきました。
他にも清里でギタリスト掛布雅弥さんとの出会いなど、話し始めればきりがなくなってし
まうので今月はこの辺で、、、

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