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2000年11月 アーカイブ

2000年11月13日

共学化ってなんですか?

 宮城県立の男子高、女子高が全部無くなるらしいと言う話しを聞いた。私は高校時代は男子高だったので、本当なら何だか少し寂しい気がする。テレビのニュースでもだいぶ取り上げられていて、そう言えば反対している人もいたようだ。

 さぁてこれから高校はどうなっていくんだろうか。ところでこういうことは誰がどのようにして決めている物なんだろうか?なんだか小学校の頃の懐かしい社会科見学の様なわくわくした気分でまずは県庁に話しを聞きに行く事にした。  

 県庁の受付の女性にで案内されたのは5階にある「高校改革推進室」だった。そこで仕事をしている男性に「共学化について話しを聞かせてほしい」というと、すこしとまどったような顔をされたが、すぐに親切に対応してくれた。対応してくれた改革推進班主査の渡辺尚人さんはこう切り出した。

 「日本が戦争に負けて、GHQが示した方向、男女平等にしなさいという流れの中で、それまでは男女共学の学校は無かったのですが全ての公立の小中学校は共学になりました。けれど、高校の場合はその対象にならず徹底されなかったので、宮城県、群馬県、福島県などには、男女別学校が残りました。ただ世の中の流れとしては、男女平等という流れがあります。そのような経過として、今回県立の高校をすべて共学にしようと言うことになりました。新設高校は、全て共学になっていますし。工業高校などでもいままでは学科によって、女子が入れないところがありました。それも平成11年にはすべて男女別がなくなりました。」

最初から難しい言葉がでてびっくりしたが、要は戦後ずっと男女共学を進めてきたということらしい。

当記者
(以下当)
「この案の責任者と言うのは誰になりますか。」
渡辺氏
(以下渡)
「責任者というのは、おかしいですよね。一人で決めているわけではないので。」

(当) 「はぁ。では担当部署とか立案はどこになるんですか。」
(渡) 「この県立高校将来構想案は宮城県教育委員会で作っています。原案は高校改革推進室で作っています。」

(当) 「ええと不勉強ですいませんが、宮城県教育委員会というものは、どのような組織ですか?」
(渡) 「教育委員会というのは県庁の教育を担当する部門を総称して呼ぶことが多いです。」

(当)
「ところでどのような背景でこのような共学化という話しが出てきたのですか?」
(渡) 「まず最初に子供が減ってきているということがあります。 を見ていただくと分かるように郡部では現在平均4クラスが平成20年には平均2クラスになってしまいます。 高校ですと教科によって先生が違うわけでして、2クラスでは費用の面でとてもやっていけないので、再編、統合していくことになりました。 その時男女別学校があると、男子、女子とふたつ学校を作らなくてはならないので、共学を進めていくことになりました。」

郡部ではあと10年しないうちに子供の数が半分になってしまうのだから学校の数を減らすのは県の財政難を考えればまあ当然のことかもしれない。


















(当) 「仙台のほうはどうなっていくんですか?」
(渡) 「仙台地区は現在平均8クラスが平成20年には5〜6クラスになる予想です。」

(当) 「ということは仙台の方は再編や統合は無いのですか?」
(渡) 「ええ、学校を統合することはないんじゃないかと思います。」

(当) 「じゃあ、そのままでいいんじゃないですか? 別に全部共学にすることもないんじゃないですか?」
(渡) 「はい、そのような意見も聞いています。私どもといたしましても、
別学と共学がどちらが優れているとは言えません。どのような基準で比べるかということもありますし。。。」

(当) 「ではなおさら一律共学にしないで別学も残したほうがいいのでは?」
(渡) 「ですから教育委員会としましては、高校の選択肢を増やすということと、
性差によって入学制限を設けるのは好ましくないこと、男女が共に学び理解し成長しあう場を日常的に設けることが、
自然で教育環境として望ましいとの理由から、男女共学が望ましいと判断しました。」

つまり仙台地区は学校は減らないけど、男女平等、男女共同参画社会の推進という観念から、県立の仙台にある高校を全て共学にするということらしい。










(渡)「今回の県立高校将来構想案では、男女共学の事ばかり取り上げられていますが、
生徒の多様な個性や特性に対応した魅力ある高校作りの推進が一つの大きな方向なんです。」

(当)「具体的にはどうするんですか?」
(渡)「自分の興味関心に応じて科目を選択できる総合学科の設置、専門学科の設置、
中高一貫教育の推進です。ですから男女共学化は大きい事ではないんです。」

(当)「分かりました。ではこの案はどのような過程をへて成立、決定するのでしょうか?」
(渡)「まず高校改革推進室で原案を作ります。こんどそれをたたき台にして、教育委員会で議論して決めていきます。」

(当)「最終的には県議会での可決などが必要なんですか?」
(渡)「いえ、この県立高校将来構想案は、法律や条例ではありませんので、
とくに県議会での多数決などは必要ありません。何度か質疑応答がありまして、それを参考に案を修正します。」

(当)「ええと、つまりどういうことですか?」
(渡)「つまりですね、県立高校将来構想案というのは、
教育委員会の決定事項なんですよ。細かいことをなんでも議会で決めていたらきりがないでしょう。議会がパンクしちゃいますよ。」

 最終的に議会じゃなくて、教育委員会が決めるのかと少々ショックを受けていると、渡辺さんがさりげなく、
 「でも教育委員会の独断と偏見で決めているんじゃないですよ。県議会では何度も質疑応答をしますし。学校関係者、職員、生徒、PTA、同窓会、地域の意見なども取り入れながら、決めていきます。少ない人数でやっていますので、全員に話しを聞くことは出来ませんが。」 といって話しを締めくくった。

 今日はいろいろ話しを聞かせていただいてありがとうございますといって県庁を出ると、雨がザアザア降っていた。冷たい冬の雨だ。
 帰り道を歩きながら考えた。教育委員会の方々が優秀であるか、そうでないかは別にして、責任の所在がはっきりとせず、県民に選ばれたわけでもなく、 いろいろな意見を参考にすると言っても、最終的な決定権がある、このような組織が私たちの教育を決めていいのだろうか。
 私には子供もいないし、まだ結婚もしていない若造だけど教育はとても大切なことだと思う。私たちは自分たちの教育、自分の子供の教育を決めることが出来ない。
 教育委員会の人々は決して悪い人ではないだろう。対応ぶりも偉ぶったところはなかった。けれど教育委員会は、宮城県の教育に関する「お上」なのだ。 日本は民主主義なんて格好いいことを言っても、それは建前で、「日本は役人、官僚が仕切る、お上の国である」ということはこの事例に関しては正しい。 そんなことを考えていたら、雨に濡れたか気分もすっかりしけってしまった。

佐藤研一朗






こちらは県庁のHP内の宮城県教育委員会HP宮城県の教育方針が分かります。

これは高校改革推進室のHP県立高校将来構想案が見れます。


こちらは高校一律共学化に反対しているHP

宮城県の高校の共学化を考える会二高OBの方が運営されているHPです。

宮城教育フォーラム一高OBの方が運営されているHPです。

七変化


 大分前に、日本人がヨーロッパの音楽を演奏する際のその質について、ある有名なバイオリニストが批評文を書いたものを読んだ。その中にこんな一節があった。
「ヨーロッパの歴史ある伝統音楽を、あなたがた日本人は『演歌』という皿に盛りつけてしまう!」
 日本人演奏家全体がそうであると言っている訳でもないだろうし、またみんながみんな演歌っぽい演奏すると言っている訳でもないだろう。すなはち、この人の言いたかったことは、どうも「様式感」ということだったようだ。


 音楽にはそれぞれに様式、あるいは時代背景といった、その音楽独特の「らしさ」を醸し出すために必要と思われる概念がある。名演奏家と呼ばれる人々は、それぞれの音楽をそ「らしく」弾き分けることが出来るし、若い演奏家たちもそういった演奏を目標として日々精進している。ところが多くの日本人演奏家は、様式感をあまり重んじることなく、全て一色で演奏する傾向があるというのだ。この一色をこの人は「演歌」と感じたのだろう。しかし、どうだろう、こういった「一色」で成功している人も少なくないのではないだろうか?また、こういったことは、何も音楽に限ったことではないのでなないだろうか?


 例えば俳優、役者の世界はどうだろうか?連作「ダイハード」におけるあるいは「アルマゲドン」「フィフスエレメント」におけるブルース=ウィリスは、汗と油でぎっとりしたお父さんの顔が大写しになり、大変な局面やものすごい危険の連続だけれど、何とか必死で頑張ってついに何とかしてしまう的な役回りが多いし、古くは「スターウォーズ」「インディージョーンズ」におけるあるいは「逃亡者」「今そこにある危機」更には「エアフォースワン」「6デイズ7ナイツ」における、ハリソン=フォードの役回りはどうだろうか?一見回避不可能と思われる重大な危機を、非常に切れ味の鋭い頭脳と、並外れた忍耐力とでついに乗り切ってしまう、そんなかっこいいヒーローである。ある意味で、彼らは「一色」で、すなはち自分の最も売れる部分や魅力を最全面に打ち出して、次々に映画をヒットさせているのではないだろうか?


 もちろん彼らといわば対極をなすような変幻自在の俳優もいると思う。ゲイリー=オールドマンの「不滅の恋人」におけるベートーベンは、本当にこういう人物だったのではないかと思わせるほど真に迫っていたし、「ドラキュラ」における新解釈は同じ人物が演技をしているとは思えない程説得力のあるものだった。はたまた「レオン」や「フィフスエレメント」におけるあの正気と狂気すれすれの悪役は、見る人に初めての体験をさせてくれた。しかし彼さえも、こういう七変化とも言える「演じ分け」こそが彼らしさなのだ、と言えるようにも思う。


 音楽の世界では、グレン=グールドというピアニストがまず思い浮かぶ。生涯独身を通した彼は変わり者で知られていたが、晩年、録音に熱中するとともに、積極的にテレビに出演し、その中で演奏論を雄弁に語り、また著書の中で様式感の重要性について書き残している。しかしながら、彼の魅力というのは、その様式感を越えたところにあると思う。どの作曲家の作品を聴いても、すぐさまグールドだとわかるからである。とりわけ、バッハ演奏においては他のどの演奏家とも違うエネルギーに満ちていて、聴くものをぐいぐいと引っ張ってゆく。だが、そこにあるものは様式その物ではなく、様式というものを極めて詳細に熟知しているグレン=グールドという個性の姿であると思う。


 古典音楽がすべて演歌となってはいけないし、様式を学ぶことは確かに重要であると思うが、様式こそが重要なのであるという論にも異議を唱えたいと思う今日この頃である。

やっぱり芸大じゃないと?

お久しぶりです。
演奏会ラッシュも一段落してホット一息つく暇もなく11月4日に行う日大芸術学部音楽学科ギターコース定期演奏会の準備に追われています。 ということでPRをひとつ

今回、演奏会のタイトルを(日大芸術学部音楽学科ギターコース定期演奏会)と決定しチラシを500枚制作したところで、日芸側からクレームがつき(理由はうちの大学がギターコースのために定期演奏会を主催してやっている 様に周りの人々が勘違いするから!)だそうです。音楽学科の職員曰く、もっと早く相談してくれればもっといい方向にもっていってあげれたのにと、、、


 じゃあチラシを刷る前に相談していれば何かしてくれたのか?後援にでもなってすこしお金でも出してくれるのか?自分は喉までこの一言が出かかりましたがここは我慢我慢。


 自分たちは純粋に 日芸音楽学科にギターコースあり! ともっと周りの方々に知っていただきたいという一心でつけたタイトルなのに。殆どの大学は芸術学部の音楽学科まではあってもギターコースまではないと思います。自分たちはその趣旨を必死で上層部に訴えたのですが結局無理でした。いや無駄と言ったほうが、、。結局、日大芸術学部もただの組織化され、何をするにもはんこもらってこないと右にも左にも動かない柔軟性のないとこです。芸術学部なのに。自分たちは何も日芸の名を語って悪いことをしようなどと考えているのではなく、芸術的活動の一環として演奏活動をしようとしてつけたタイトルを却下されたわけです。

結局新しいタイトルは

 21世紀へのギターコンサート

出演者  千葉真康 吉田雄大 遠藤洋介 竹形貴之 井上仁一郎 福重裕美

プログラム コユンババ/ドメニコーニ  サンバースト/ヨーク
      グァヒーラス/ロメロ  魔笛の主題による変奏曲/ソル
      アラビア風奇想曲/タレガ   大聖堂/バリオス
      エチュードNo11,12/ヴィラ=ロボス
      ファンタジア/ミラン   以下三重奏
      タンゴ/アルベニス  粉屋の踊り/ファリャ、、、etc
日時:2000年11月4日(土)
場所:同仁キリスト教会  ・地下鉄有楽町線(護国寺)駅より5分
TEL 03殖械坑苅蛙1879
開演:午後6時30分(開演午後6時)
入場料:500円

チケット問い合わせ
03ー3948ー8420(千葉)

後援:メディアカーム
         クロサワ楽器


 ということで今回もまたPRになってしまいましたが、お近くにお越しの方は是非お立ち寄りください。結局、前々から実感していることですが、よくうちの大学(日芸)は他の音大とはレベルどうたらこうたら、、、という話を聞きますが自分はそんなことは関係ないと思います。少なくとも自分は日本の大学で数少ないギターコースに在籍できていることに誇りをもっていますが、他のコースの一部の方々は「やっぱり芸大じゃないと・・・」などといっております。全く馬鹿げた話です。結局個人個人の努力次第だと思います。じゃあその人たちが芸大などにはいったらそんなに上手くなれるのでしょうか?芸大生はみんなそんなに上手いのでしょうか?いや、芸術とはそんな低いレベルのお話なのでしょうか?


 自分は芸術(まだまだそんなことを語る資格はないが)とは自己満足だとおもいます。少なくとも自分のギターに関しては、音色、音楽性などにおいて自分が納得できればもうそれで満足で、その演奏を聴いてくれた人が何かを感じてくれれば何よりだと思っています。(少なくとも自分の演奏に満足することなど生きているうちにするかしないかくらいですが) なんだかまたいろいろと書いてしまいましたが、このまま書き続けると大変な事になるので今回はこれくらいで失礼します  

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