伊達ロック代表の門間さんへのインタビュー第2回
伊達ロック代表の門間さんへのインタビュー第2回
[投稿者:仙台インターネットマガジン編集部]
6/10に行なわれた伊達ロックフェスティル、ステージ2に行ってきました。この週の始めに梅雨入り宣言され、当日晴れるだろうかと心配だったが、その日になってみると、雲はかかっているが寒くもなく、どちらかといえば暖かかった。
私が昼過ぎに勾当台公園にのぞきに行ったときは、なかなかの客の入りだった。本部に行くと、去年の伊達ロックスタッフの懐かしい面々があった。そんな仲間達と久しぶりだねーと、世間話をしてから、私はHPで使う写真を撮りに、会場中を歩き回った。
それにしても今年も相変わらずの盛況ぶりだった。フレーマーケット、ロックバンドのステージ、出店というこのお祭りの構図は、去年とさほど変わったようすはない。日曜日に勾当台公園に現れた、このゆったりとした時間が流れる場所が僕は好きだ。ここでビールでも飲みながらゆっくりと休日を楽しみたい、伊達ロックはそう思える場所である。
伊達ロックは若者たちが自主的に集まって活動している団体である。これが一番大切な所だろう。伊達ロックは自治体から補助金をもらっていないし、企業からもほとんど援助を受けていない。伊達ロックの運営費は、一回のイベントで30万という、信じられないくらいの低予算でやりくりしている。そしてそのお金は、フリーマーケットやバンド、屋台などの参加費、そしてスタッフ自らイベントが、かき氷やジュースなどの食品を売って得たお金、スタッフTシャツを売った売り上げ(もちろん買うのは、みんなスタッフだけど)などである。
大事なことは彼らはだれに頼まれたわけでもなく、命令されたわけでもなく、自腹をしてでも伊達ロックをやっているのである。彼らは自然に伊達ロックの名の下に集まってきた。
伊達ロックは給料を稼いでいないので会社ではない。学校のサークルとも違う。 通っている学校も違う。会社も違う。みな千差万別。仙台出身者のわかもの、全国津々浦々から仙台にやって来た若者。そういう人々が伊達ロックに集まり、楽しくやっている。
本当に大袈裟に聞こえるかもしてないけれど、これはすごいこと、たいしたことだと思う。 世の中に、閉塞感しか持つことしかできない、今の多くの若者の中で、伊達ロックに関われた人々は幸せであろう。
引き続き、伊達ロック代表 門間さんへのインタビューをお送りいたします。
2001.6.20 佐藤研一朗
***90分をこえるロングインタビューになりましたので、数回に分けてお送りします。***
研一朗(以下研)
去年伊達ロックは7月の後半にファイナルイベントが終わりましたよね。
そこでれまでリーダーをやっていた目黒君の後任は、誰になるのかという話しになりましたよね。
だけどなかなか見つからなくって、ごたごたと大変でしたよね。その辺のいきさつを自分がリーダになるところまで、少し話しをきかせていただきたいなあと。
門馬(以下門)
いやー。ものすごく突然って感じの話しですよ。私は去年の7月の頭に伊達ロックに入ったんですね。プレ4ていうイベントが終わった後ですね。
ファイナルイベントでは、リポーターっていう仕事をさしてもらったんですね。そしてイベントが終わって、打ち上げの飲み会があったんですよ。その打ち上げの前に反省会がありまして、アンケートがくばられて、その時にパッと小さな企画を思いついたんです。
そのアンケートを目黒さんに出したときに、「私、実はちょっとこんな企画をやりたかったかな。」と、ぽろっと言ったんですよ。それが目黒さんと初めての話しだったんです。
そしたら目黒さんが「へー、面白いね。ちょっと話さない。」っていわれて、パッと隣のイスを引かれて、そこで二人で、伊達ロックについて、だぁあと10分くらい話したんです。
それで、「じゃあこれから打ち上げで話そうよ。」ってなって、打ち上げで話しをしたんですよ。
その時目黒さんは、半年伊達ロックをやってきて、ファイナルイベントが終わってすぐの、打ち上げの飲み会ですよ。私からみて、一番伊達ロックの事を考えたくない時期ですよ。それなのに目黒さんが、伊達ロックの事を一番考えていて、その先伊達ロックをどうしていくか、人をうまく配置していって、組織をもっと効率をよくして、細分化していかないと、一部のひとに負担がかかりすぎて、学校にいけなくなった人がたくさんいたから、そういうことじゃいけない。今度はもっとスマートに行かなくちゃいけないと、その時にすでに言っていたんですね。それをこれから作っていって、それを次の人に渡したい。という話をしていて、私はそう言うのが、すごく面白いなって思って、どうなっていくか見届けたいなっておもって、それから事務局のミーティングに参加するようになったんです。
その頃は毎週ミーティングをやっていて、伊達ロック的って何だとか、話し合いを毎回していて、どんどん人が来なくなっていった時期ですが、私はかならず毎週でていて、その間に目黒さん始め、去年のスタッフともなかよくなっていって、いろんな話しをしていって、それでどんどん、どんどん伊達ロックフェスティバルというより、伊達ロックの人間が好きになっていって、それで仙台にもこんなに熱い事を思っている人たちが、いたんだって分かって、そんな人たちがやろうとしたお祭りなんだって、カッコよく思えて、ここにいたいなって思いました。
今考えると結構八月くらいで、いつのまにかみんなの中で、三、四人いた実行委員長の候補の中の一人に、なっていたんです。その頃はみんなまだ、冗談半分だったんでしょうけど。(笑)
ある人には去年の11月くらいに、君以外にいないんじゃないかなって言われたんです。ただそこでは踏ん切りがつかなかったんです。私は去年は入ったばっかりだったので、イベントのことを何にも知らないから、私よりもっといい、適任者がいるだろうって思っていました。誰か出てくるだろう、その人に付いていこうっと思っていたんですが、結局誰も出てこなかったんです。
私が編集長で伊達ロックでフリーペーパーを作っていたときも、伊達ロックという、ある程度の大きくなってしまった名前に、苦しめられていたところもあって、がんじがらめって感じで、悩んでいて、伊達ロックを離れようかな思っていたときもあったんです。それで伊達ロックを2、3週間、伊達ロックから離れていた時もあったんです。
そんなとこに伊達ロックで最後に忘年会をします。12月の末になって、ただの飲み会ですけど、それに行ったんですよ。そしたら、ものすごーく暗くって、あんなに暗い飲み会は生まれて初めてでしたね。みんなも俺は来年は(伊達ロックじゃなくって)違うことをやりたい。もう俺は来年やるつもりは無いとか、そんな感じで話していたんです。
これいっていいか分からないけど、目黒さんが伊達ロックを解散しますって言ったんです。それでそれから二次会に行ったんです。目黒さんや、何人かは抜けて。そこでも、具体的に誰かが動いたわけじゃないけど、最後の最後に、もう三時くらいだったかなあ、去年の主要スタッフ三、四人と私で話しをしていたら、
「今度ファインボーイズっていう全国紙の雑誌に、伊達ロックが乗るんだよ。」ってはなしになって、
「伊達ロックはすごいよね。たった一年でこんなに大きくなったんだよ。すごいよ。ほんとにすごいよ。」
「こんな伊達ロックを無くして、ほんとに良いのか。」って、話しになったんです。
そこで、その中の一人が、「もんちゃん、やんなよ。」って言いまして、みんなもそうだ、そうだって言ってくれて、僕たちがバックアップするからやってよって言われたんです。その時は「うん」とは言わなかったんですが、そのまま、準備に入っていって、新しいスタッフの募集をしたり、水面下で動き出して、今年の頭くらいに、 ホームページの掲示板に、私が実行委員長になりましたって書き込みをしていう感じですね。
(研)
最後は、やっぱり門間さんしかいなかったんでしょうねぇ。
(門)
いなかったんですかねぇ。(笑)
(研)
去年のほとんどの主要スタッフは、最初の頃からやって来て、伊達ロックがあれだけ大きくなって、それをやり終えて、燃え尽きてしまっちゃったって所が、あったんでしょうかね。
(門)
ほんとに、あると思います。
(研)
私もファイナルイベントが終わってから、何度かミーティングに参加させてもらいましたが、いつも暗かったですね。
(門)
いつも暗かったですね。(笑)
(研)
ものすごい勢いで大きくなっていって、今度はそれを支えるのが大変になったって感じでしょうか。
(門)
そうですね。私がよく、去年のスタッフに言われたのは、一番お祭りが大きくなってきて、すごいときに入ってきて、どんどん衰退しいくところをみていたので、すごい時に入ったかなって気がしますね。
(研)
つらかったですか。
(門)
つらくは、つらくは無かったですよ(笑)。楽しかったですね。私は伊達ロックに遅く入ったのに、「伊達ロックの中で、門間さんと一番仲がいい」って言われたりする関係を持っていたり。メールのやり取りも、いまだにもっていたりと、私としては楽しかったですね。
(研)
今年の伊達ロックは、いつごろから、実際イベントの準備を始めたんですか。
(門)
今年の一月の末ぐらいですね。今年私が代表になって、フライヤーを作ったりしていたんです。去年からのスタッフと私で動き出そうと、10人くらい集まって、いつも話しをしていたんです。
でもそこにいるスタッフは、もう今年は関われないけど、意見を言うスタッフで、これは別に悪い意味じゃなくて、それで土台を作っていこうとしていたんです。でも、動けない、動かないスタッフだから、話していてもどうしようも無いんですよ。
そしたら第1回の全体ミーティングもせまってきて、それで、こりゃどうにかしなきゃいけないって思って、私が大学の知りあいをさそったり、フライヤーを配ったりしていたら、何人か集まってきたんです。そこから何人か抜けたり、新しい人が入ったりを、繰り返して、いま15人くらいの主要スタッフになったって感じでしょうか。
たぶん去年のスタッフからみたら、まだ、たいしたことはやっていないと思うんですね。ただ全くイベントをやったことが無い人が、去年2万人まで膨れ上がったイベントの次を、やるっていうのは、結構大変な事なんですよ。(笑)
(研)
そうでしょうね。準備期間もほとんど無かったんじゃないですか。
(門)
無かったですね。二ヶ月くらいですよ。だけど4月、6月、7月と3回やるっていうのは、最初の段階でほとんど決まっていたんです。それだけ決まってて、で、どうしようかって感じで、今年はスタートしました。
今年のスタッフは、去年のスタッフから受け継いだ、マニュアルとかスケジュールがあるんです。
とりあえず最初は、みんなそれにしたがってやるんですが、分からない。どうしてそうやるかが、分からないんです。去年のスタッフは、1から失敗を重ねて来たうえの結果でやっているから、納得がいくんでしょうが、例えば、これをやらないと後で大変な目に会うとか、経験上分かるんですね。
でも今年のスタッフは、まず何も知らない状態から、ただ表を渡されるだけなので、それだけじゃやっぱり理解できるわけがないんですね。
当時 、私も自分の事をするだけで精一杯で、そこを忘れていまってたんです。なぜこういう事を、やらなくてはいけないのかって事を、みんなの中で、1から考えて、持ってもらわないといけなかったんですね。それをしないと、大変だってことが、私は分かってなくて、これじゃあ、忙しいだけだ。と、いってやめていった人が何人もいました。
それでこのままじゃダメだ。って思って、根本的な事から、みんなで話しあっていくことにしたんです。例えば、どんな人に伊達ロックに出てもらいたいかとか、やっぱり伊達ロックに出たいって言ってくれる人に出てもらいたい。とか、そういう所から話しあっていきました。その時今年入ったスタッフに、伊達ロックはどうして、コンセプトがないんですかと聞かれました。そんなところから全部作り出していって、一人ひとりの中で、なんとなく伊達ロックって言うものを持ってもらえるようにやって来ました。
でも今日ミーティングが終わって、各リーダーと話したら、伊達ロックって考えがやっと自分の中で出てきたって言われました。いままではミーティングに去年のスタッフがいると、去年のスタッフと私しかしゃべっていないんですね。経験に裏打ちされてるから、しゃべれない、口を挟めないって言っていました。それがミーティングでは今年のスタッフの意見もどんどん出てくるようになったし、一回目が終わって自分も経験して、自分なりの考えとか、思いとかがでてきた感じです。
(研)
そこまで来るのは大変でしたね。
(門)
そうですね。みんなも一回やるまでは分かんないら、取りあえずやってみるって感じで、楽しいか、楽しくないか何にも分からなくって、取りあえず一回やるしかない。
(研)
去年やっていたスタッフが、1/3でもいたら話しは違うんでしょけどね。教えながら、アドバイスをしていって新しいスタッフを育てるって事も出来たかもしれない。
それなしで、しかも去年の成功、言い換えると重荷というか、プレッシャーみたいのがあっただろうし、なかなか大変な立場でしたね。
(門)
そうですね。今もすごく考えているのは、去年もちゃんと、部門部門のリーダーがいたわけですよ。その人たちが一年間やって来たノーハウを、生かさない手はないと思うんです。
だから今年のリーダーが私を通さないで、直接パイプを持って、何か分からないことがあった時に、私も分からないことがたくさんあるので、直接去年の部門のリーダーに聞いてもらって、相談してもらって、去年はこうだったのか、じゃあ今年は自分たちはどうするのか、話しあようにできたらいいんですね。唯それがスムースに出来なかったんですよ。去年のスタッフでも宮城県にいない人とかもたくさんいますし、あんまり関わりたくないって感じの人もいるって所で。
つづく
聞き手 佐藤研一朗
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