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2003年07月 アーカイブ

2003年07月01日

正義の定義

seigi.jpg


数年前、正義の味方に憧れて、実際にトライしてみた事があります。
漠然と「正義」をしたかったのです。
やけくそ・虚無・かすかな希望=5対4対1ぐらいの割合でしょうか?
精神が疲れていたのでしょうか?

ともあれ、決意は固まっていました。
決意をしたのは善いのだけれど、肝心なことが決まっていませんでした。
それは、「現代社会に於いて、いったいぜんたい正義とは何なのか?」という事です。

現実に自分が正義の味方として存在するためには?
正義の味方をする前に、「正義とは何か」を考えなくてはならなくなってしまったのです。

キルケゴールという哲学者がいます。
キルケゴールといえば、有名な哲学者です。
実際に会ったことがあるわけではないので、確信は持てませんが、
哲学書を書いていることから考えてみても、哲学的なことをしていた人には間違いなのではないでしょうか?

キルケゴールを読んだのは高校生の頃だったと思います。
『中学生のための哲学入門』という本を高校生の私が読み、その中で、キルケゴールという人の思想に
強く惹かれたのを記憶しています。

そして、調子こいて、キルケゴールの哲学書そのものを読みました。
『死に至る病い』という不吉な題の付いたキルケゴールのいわば出世作です。
その冒頭の部分をすこし載せておきましょう。

人間は精神である。
しかし精神とはなんであろうか?
精神とは自己である。しかし自己とは何であろうか?
自己とは一つの関係。
その関係それ自身に関係する関係である。
あるいはその関係において、
その関係がそれ自身に関係するということ、
そのことである。
つまり自己とは関係そのものではなくして、
関係がそれ自身に関係する、
ということなのである。

ちょっと! キルケゴール考え過ぎじゃねえのか?
或いは、これ読んだ高校生のわたし自身が「考え過ぎ」なのか?

つまり、自分とは関係性のなかでのみ存在するということでしょうか?
つまり、「あなたあってのあたし」ってことでしょうか?
つまり、正義になる為には、「あなたは正義だ!」と認めてくれる他の誰かの存在が
必要だということでしょうか?

いま読み返してみてもさっぱり腑に落ちません。
キルケゴール気取ってんじゃねえよ!
思想をぶっ放すだけぶっ放しておいて、考え込んでしまったじゃねえかよ!と心中毒づき、
キルケゴールと別れようか?
それとも、連れていこうか?
と苦悩し、私が出した結論は
「クリアーしてから考えよう」でした。

つまり、「あなたは正義だ!」と呼んでくれる誰かとまず、出会う事。
次回より、その苦難の『道』。長々とお伝えしましょう。


P・S 正義の言葉 

人は自分の理解できないことや、面倒くさいことを『悪』と呼ぶ。


2003/07/01

2003年07月02日

変身

正義の概念を決定した後
単純な私はすぐに行動に移しました。

或る朝

ダイエーの開店時間の午前10時をわずか5分過ぎた頃にはもう、
寒々しい空気に包まれた生地売場のフロアーに突っ立って
女子店員のひんしゅくを買っていたものです。
三十分程、あれやこれやと品物を物色していましたが、結局、下品でないほどに、
黒光りしたビロウドの生地を3�程購入して、家路に着き、
当時、付き合っていた彼女に、マントとマスクの制作を依頼しました。

はい。
あのときの彼女の残念そうな表情が、今でも脳裏に焼き付いて離れません。
私が、一点の笑みを造るのも忘れて、大変生真面目な表情で頼んでしまったものですから
彼女はとても不安げな目で私を見つめたものです。

「我ガ・憂イノ・日本ヲ案ジ、旗揚ゲス」

そう台詞を吐き捨てて、正義の味方のコスチュームを
自分でデザインしたコ汚い紙の切れはしを見せたときには、彼女はもう、
何かをあきらめたように、悲しげに頷きました。


正義は悲しみから始まる。

己が悲しむもの
己を悲しむもの

そう、全ては悲しみから始まる。


2003/07/02

2003年07月03日

衝撃の光景


1997年9月5日、北海道の9月にしては、太陽がジリジリとさす暑い日であった。多分気温は30℃を越えていただろう。小樽港に寄港したアメリカ軍の空母インディペンデンス号を、一目みようと3万人の人が大挙して訪れ、港は人であふれていた。あとで聞いたところによると30万人を越える人が数日間で小樽にこの船をみにきたそうだ。



港のはしっこのほうでは、市民グループ(左翼系の)が拡声器を持って、米軍の船を港に入れるなと、抗議活動をしていた。しかしそれはたかだか、50人位のものだった。警察も出動していたが、特になにもいざこざは起きていないようだった。



その船は全長:326m 全幅:76mという巨大な船で、まるでビルが建っているかのような迫力だった。この船には5000人の乗員と100を越える病院があるとパンフレットに書いてあった。僕がそのまえに滞在していた稚内の西にある礼文島という島の人口よりも多かったのには驚いた。



船の中に乗れると聞いたので、そうすることにした。それにしてもすごい行列だった。他に並んでいる人は何やら、ディズニーランドのアトラクションに並ぶかのように楽しげだった。なんかおっきな船がきたんだってよ、弁当をもって見にいこう。というような感じであった。私もその一人であった。



私は一、二時間も並んで、やっと船に乗ることが出来た。 船の中には戦闘機が展示してあった。それと壁にはってある大きな旗が目に入った。そこには蛇を踏みつけている絵が描いてあって、「DON'T
TREAD ON ME」訳すと「私を踏みつけるな」となる。



船から降りるとき見た人は、黒ゴマのように小さかった。その時の写真を見ると、嬉しくなさそうな私の顔が写っている。



私はこの光景が忘れられない。いつまでたっても頭から離れることがない。多分一生忘れることが出来ないだろう。



その時、私は日本は経済大国だとえばっているけれど、結局アメリカに守られているんだなあ。いったい日本はどんな国だろうか?と思った。





北海道の旅行に味をしめた私は、次の年に沖縄を訪れた。そこらいらじゅうにある多くの、大きな基地に驚いた。本州にある基地というのは、その土地の一部に基地があるといった感じだけど、
沖縄の基地は、基地の一部分として、街がおまけについているという印象を受けてしまう。 だって本当に一番いい土地に基地があるんだから。日本は55年前に、アメリカとの戦争に負けて、そのまま占領されているのだと思った。



いいかたを変えれば、日本がアメリカを雇って日本を守らせているともいえないこともない。



だけれどもそういう人は、横須賀でも、三沢基地でも、沖縄でもいって、目の前の米軍の戦闘機や空母や戦車の前で同じことを本当にいえるのだろうか。
「鬼畜米英」が、「進駐軍」になり「在日米軍」になった。言葉が変わったが、中身は同じものである。



これは自尊心を傷つけることなのでなかなか認めることは出来ないが、やはり現実を直視すれば、日本が戦争に負けて、そしてそのまま占領されているほうが正しい。
私は自分の目の前にある、現実をみて、そう考えるようになった。私の先生の副島隆彦にいわせれば、「日本はアメリカの属国である」となる。これが一番正しい、表現だと思う。日本は残念ながら踏みつけられているようである。



「通産省と日本の奇跡」の著者で日本研究家のチャルマーズ・ジョンソンによれば、在日米軍の持つ意味は、ふたつある。一つはアメリカが日本を同盟国として守ること、そして、もう一つは在日米軍は日本のビンの蓋で、
日本の軍事的脅威を封じ込めているというのだ。このことはソビエトが崩壊して、すでに日本に攻めてくる国が無くなっているのに、 いまだに米軍が日本に駐留していることで証明されのではないだろうか。いったい在日米軍は、なにからわれわれを守っているというのだろうか。




私はこの状況から少しでも日本が自立した国に成ることを望んでいる。そう出来るように自分の人生をかけていきたいと旅を通じて考えるようになった。


つづく






参考文書



日本属国論
・副島隆彦 

ブローバック アメリカ帝国への逆襲

チャルマーズ・ジョンソン



参考HP



空母インディペンデンス号のHPはこちら

副島隆彦のHPはこちら

チャルマーズ・ジョンソンの文章がありました。こちら


作成2002.2.10 修正2003.4.18 佐藤研一朗

2003年07月10日

21世紀 大晦日 正義の味方誕生秘話 【起】

21世紀の幕開けと同時に、正義の味方は生まれました。
と大袈裟なことをいってもそれは、たいした事では無く、
私が、初めて正義の味方として、世の中にその醜態を晒したのが、その日、とい
うか、その瞬間だっただけのことです。

それは当然のことだが、20世紀最後の晩、つまり大晦日でした。
場所は青森県の弘前市。の某バー。
友人数名、いつものように、男ばかりで、新世紀を祝おうという魂胆だった。

待ち合わせの場所に行く前に、一人で、初詣でに行った。
数々の禊ぎと汚れを落としに行った。
敗北して、一ヶの思想もなく、正義の見方何ぞをやり始めようと
している自分の罪を、先祖とか神様とかに告白し、許してもらうつもりだった。

ふんぱつして五百円玉を投げた。
五百円玉を投げてから、ふと、思いつき、お願いするのをやめた。
自分の都合が良いことを知った。
五百円を損した気分になった。

車に戻り、ダッシュボードを開けた。
マントとマスクが確実にそこに存在しているのを確認した。
世界に正義が存在していることを信じた。
悪があるから、正義があるのか、
正義があるから、悪があるのか、
それとも、それらは自分の作り出した幻想なのか?
すべてを見定めなければなるまい。

悪があるのであれば、悪が何者であるのかを研究し、それを倒さなければなるまい。
例え、それが自分自身であったとしても。
真に理解するには、経験するしかない。

それら全てをこれから、丸裸にするのだ。
太陽の下に晒すのだ。

覚悟は決まった。煙草に火をつけ、エンジンをかける。
己のナルシズムをあきらめ、アクセルを踏む。

突っ走りたかったが、地球の回転を緩めるかのように
減速する。

さあ、あたらしい世紀がくる。

2003/07/06

21世紀 大晦日 正義の味方誕生秘話 【承】

待ち合わせのバーに着いたのはPM10時だった。
カウントダウンまで、残り約2時間といったところ。
店内には、多くの人間がいた。例年の大晦日より、賑わっている。

私たちのテーブルには友人2人(MとK)と、わたしとで男三人。
端的に言えば、その晩、私たちは喧嘩した。

20代後半にさしかかった男三人は、
激しく飲むことを止め、「純粋」をあきらめ、
虚無の殻をまとい始めていた。
複雑で、巨大な社会に怯えていた。
純粋ではうち負かされることに勘づきはじめた。
笑い方が歪になってきていた。

虚飾では、無い、と考えている。
「学生時代」を終えて、「社会」に吸い込まれた、平均的な20代半ばの男なら誰しも、
そんな門じゃないかと、考えている。
もちろん、そうでない人もいる。

この頃になると友人たちはバイトしかしないで、
文学などを目指そうとしている私に侮蔑の目を向けるようになっていた。
私がそれでも偉そうに街にのさばっているのを煙たがっている。

言葉で言わなくても、それは、判る。
何かやりたいことがあり、未だそれを成し遂げていない人間は、
それが理不尽であったとしても、堪え忍ばなくてはならない類の境遇に置かれるだろうし
それは享受する。
又成し得ないうちは、やはり、そのようなみじめな生活を送らなくてはならないのもかもしれない。

そのような伏線があったのではないかと考えている。
そのような因果関係があり、
更にわたしが正義の味方としてふざけた登場をしたものだから、
喧嘩になってしまったのはある意味、必然的だったのかもしれない。

だいいち、わたしが皆の笑い方が嫌いになってきていたのだから。
でも、楽しく飲んだ。なにせ、20世紀最後の夜なのだ。


そして、カウントダウンは近づいてきた。
「やばい、トイレ行って来る」と言って、わたしは席を立った。
腕時計にちらっと目をやり、
「相変わらず、間が悪いな」と友人は呟いた。


2003/07/10

21世紀 大晦日 正義の味方誕生秘話 【転】

トイレに隠ったわたしは、ちっとも酔っぱらっていなかった。
ある種、まじめな話(例えば、政治、文学、戦争、ニュース)などするときは、
少しぐらい酔いを帯びているぐらいが、軽快な質ではあるが、その時は、緊張していた。

こんなのを武者震いというのかもしれない。
足がガクガク震えていて、立っているのも辛いくらいだった。
だから便器に腰掛けた。
ズボンを穿いたまま、便器に座るのはどうしてこんなに不快なのだろう?
と思った。
そのぐらいの現実感はあったのかもしれない。
足はまだ震えている。ガクガク。
両の掌で、膝をつかんだ、震えは手をも揺らした。
しょうがねえなと思った。

膝の上にアタッシュケースを置いた。ZERO・HALLIBURTONである。
ちなみに、ゼロ・ハリバートンといえば、
1938年にアメリカで生まれ、
NASAが大気圏突入時にも耐えられるようにとその特注品を発注し、
アポロ13が初の月面着陸を試みた時にも月の欠片などを
そのケースで持ち帰ったといわれている品物である。
わたしの数少ない自慢である。
そのケースにマントとマスクを忍ばせておいたのである。

カチッ。
あまりにもキザである。

便所の鏡の前に突っ立っている男は黒いマスクを被り、
黒いマントを装着していた。
どうみても、正義の味方には見えなかった。
むしろ、悪の化身であった。

足はまだ震えている。
意味もなく、鏡に向かって、舌を出してみる。
己の「老い」を認める。
垂れた前髪を意識しながら、中指と人差し指で、すくい上げる。

そうこうしているうちに、トイレの外では、カウントダウンが始まった。

20世紀末、わたしはマントとマスクを身につけ、生まれ故郷の小さな繁華街の某バーのトイレにいた。
自分にはふさわしい世紀越えの場所だと思った。
鏡を見ながら何故か、母を思った。

10・ 9・8・7・6・5・ フォウー
ごめん。 ガチャ。

2003/07/10

21世紀 大晦日 正義の味方誕生秘話 【結】

3  2  1  ゼロ。
ハッピーニューイヤー。カンパーイ!

クラッカーがいたるところで発射されている。
携帯をもって、話をしている人間がいる。
携帯の番号を押している人間も何人かいる。
メールを打っている人間もいる。
働いている人もいる。
抱き合って、キスをしている人もいる。

人の波をすり抜けて、僕はこの店の中心点に、走っていた。
自分の姿に驚いた友人が、「あっ」と、呟いた気がする。
「あっ」という言葉が通り過ぎていく。

中心点。そこは若者の円陣の真ん中だった。

興奮している若者はなんでも、受け入れる性質がある。
普段若者が毛嫌いしている
「無感動なサラリーマン」だろうが、
「アウェイからやってきたサポーター」だろうが、
「乞食」だろうが、「やくざ」だろうが、
「こんな時代に正義の味方の格好をしている野暮な男」だろうが、だ。
わたしはその真実を知っていた。
そこは「祭り」だからだ。

「イェイー!」とわたしは叫んだ。
それがふさわしい言葉かどうかは判らない。わたしはもう若くはないからだ。

すぐさま、「イェーイ!」と若者たちが叫ぶ。
向こうのエネルギーがすさまじかったので、負けないように言った。

「我ガ・憂イノ・日本ヲ案ジ・旗揚ゲス」 
 一瞬、しーんとなる。つづけて      「イェーイ!」と若者が反応ス。

「闇に光を届けにきた。」          「イェーイ!」
「正義の味方、参上!」           「ウォー!」

という感じだった。

それから、ジョッキを一杯、一気させられた。
そして、握手を求められた。
それから、あまり憶えていない。


しばらく立って、友人が迎えにきた。「どうもー」とか何とか言っちゃって。
そしてわたしを強制連行するかのように2人で、肩を担いで、円陣の中から引きずり出した。

「何をする! 正義だ! これは正義なんだよー」
若者の目の色が変わった。まるで異常なものを見るような目つきに変わった。

その後、友人たちに説教された。
説教されている間も、その格好だったから、友人は
「マスクを脱げ!」と言った。
「これが本当の顔だ!」
「お前はKだ!」と、わたしの本名を口にして言った。
「わたしは正義の味方だ」と言い張った。

その後、2時間ぐらい、論争が続き、わたしは敗北した。調子にのっていたのを、認めた。

21世紀最初の元旦、その早朝、目が覚めたら、わたしはビルの間に挟まっていた。

この一連の出来事が「正義」なのか「悪」なのかは判らない。
どちらかというと、限りなく「悪」に近いのではないかと、承知している。

でも、説教をしているときの友人の目はいつになく、本気だった。
その目は久しぶりに輝いていた。
生きていた。

2003/07/10

2003年07月18日

ル京詩世VS情報化社会

先日、或る友人と、情報化社会について、少しだけ議論した。
それで、私がつまらなそうに話を聞いていたら、
最近私のこの連載を読んだ事を盾に、
「お前のは、具体性が無く、抽象的すぎる。だいたいにして、結論も無いし、欲しい情報が無い。」
などと、遠慮なく批判され、それで悔しくて、一晩泣き、
滅多にしないが、少しだけ、「調べもの」をしてみることにした。

出どころは『インターネット白書』。
経済白書とか、イチゴ白書なら私も知っていたが、まさか、インターネット白書なるもの
がもう既に存在していること自体、かるい驚きだった。
(ちなみに『バナナ白書』というエロ本を昔、鑑賞したこともあります)

さて、いま手元にあるこの資料を頼りに少しだけ、日本のインターネット事情の
ほんの断片を紐解きましょう。

資料にはおびただしい量のグラフと、表と、解説図と、文章が、
約400ページにもわたり、掲載されているが、
ざっと見て、私が得た情報は、

全てのインターネット上での日本語の言語率が、10.3%で、
その支配率からいって、日本はアメリカ、中国に次いで、三番目のサイバー王国らしく、
GDPの割合から比較して考えると、その貢献度は大きく、
また、今後の需要が伸びることは必至で、世界経済に乗り遅れないためには、
I T化は避けることが出来ないらしく、
むしろ、国際事情を考えると、流れにのっていった方が、国益に繋がり、
だが、それにまつわる犯罪も多発されると予想され、
ゆえに、こうしたデータが必要になってくる。

ということ だけ であった。

馬鹿なのであろうか?
実に不安である。

不安だから、情報を欲しがるのである。

2003/07/18

ル京詩世VS個人情報流出

インターンットの検索ページで、自分の名前をキーワードに入れて、
検索すると、自分に関しての情報がヒットしてしまう。という事を聞いた。

なるほど、と思いながら聞いていたのだが、しばらく経ち、
うーん、これはもしや、世の中が相当危険なことになってきているのではないか?
と正義のわたしは思い直し、
個人情報が漏れると、どのように危険なのか
『なんとかリサーチ200X』の如く、シュミレーションしてみた。

時は200X年、
或る小説家気取りの金の無い男、R・S(仮名)が、OLのA子(仮名)と恋愛し、
某春の某吉日、都内某所にある、A子の実家に赴き、両親に求婚のお願いをしに行った。
その男は、なんとかA子の両親に認めてもらおうと考え、
アナログなその男は、
『好印象を与えるために』とか、
『第一印象で勝つ』といった類の、下品な本を片っ端から読みあさり、
彼が使えるだけの能力(つまり、言動、服装、態度、マナー、etc)をフルに駆使して、
好印象を与えるために、完璧なセルフプロドュースをして、A子の家に出向いた。
緊張しながらも、なんとか無難に、事を終え、結構感じよくうつったんじゃないかな、などと考えながら、
「では、お邪魔いたしました」と礼儀よく、男は玄関を出た。
男が帰った直後、
お父様が、お母様に、「おい、あれ。」とそっけなく言った。
するとお母様は奥座敷から、膳にのせたノートパソコンをお持ちになり、
「はいっ!これ。」と言って、お父様の前にパソコンを置いた。
父はおもむろに検索の欄に「R・S」と男の名前を打ち込み、R.Sの素性を調べはじめた。

「ん? これは仙台インターネットマガジン、ほう」
そして又クリック
そこには、あの仮面とマスクで身を固めた、R.Sの姿。
そこでお母様が、「あなた何かおもしろいのでも見つかりましたか?」と訊ねる。
お父様は、お母様に見られないようにパソコンの電源を落とし、
「なあ、今日のあの話なあ、ありゃ、ご破談だな」と呟いた。

この結果、非常にまずいのである。

不安になった私は、実際に調べてみることにした。
検索エンジンにて、「ル京詩世」と打ち込み、検索をかけたみたのだ。
ありました。
ヒットどころか、ホームランです。
しかも2件。

極力、自分では、情報漏れなどがないように、用心しているつもりだった。
怪しいなと感じたサイトとかには個人情報を書き込まないようにしていたつもりだった。
また、どうしても、名前を晒さなくては会員になれないような場合は、
出来るだけ、偽名を使うようにしているつもりだった。
しかも、その都度思いついた、「意味を成さない記号の羅列」とかを多く使用しているつもりだった。
それでも、在った。

一つは『仙台インターネットマガジン』
これは良し。というか、
自分の意志でもって公開しているのであるから。上記の如くなっても仕方あるまい。
それともう一つ、
『Windows 95 ピンボール・ハイスコアー』
というサイトに、ル京詩世の名前が。ガーン。
しかも、
「ピンボールにはまっていて、いまいちどうすれば高得点になるのか? みなさん凄いですね」
などといった、まぬけなコメント付き。
しかも、57位という、中途半端なランクイン。

まるで「素」。恥ずかしい。

リサーチ結果報告:アナログはデジタルに負けるかもしれない。みんなも気をつけよう。

2003/07/18

ル京詩世VS風俗嬢

美談を一つ

正義の味方をはじめてまだ間もない頃、
或る、おばさん風俗嬢と、飯を食いに行ったことがあります。
その風俗嬢はとても疲れていて、希望を失っているようでした。
人を信用できなくなっているようです。

確かに、人は信用できません。
でも、そう思っていては、悲しいことです。
それで、無理矢理、「そんなことないぜ!」と言いました。
理屈も何も無く、です。

今がまさに正義の味方の存在価値が、問われていると思った私は、
言いました。
「昨日、正義の味方を見たよ」
「へー」と彼女。
「そんなのいたら、見てみたいね」

そこで、私はトイレに行くフリをして、駐車場に向かいました。
私の愛車20万のサニーには常時、マントとマスクが忍ばせてあるのです。

変身して帰ってきた私は、おばさんにキスされました。
そして、なぜかカラオケを歌わされました。
おばさんのリクエストは、尾崎豊の『卒業』です。

大晦日での失敗もあり、心を込めて卒業を歌い終わってから私は、一目散に退陣し、
トイレから素知らぬ顔して、おばさんの元に戻りました。

白々しい顔で私が、
「あれ、いま正義の味方来てなかった?トイレでまた会っちゃったよ」と言うと、
おばさんは、こう言いました。
「あれは正義の味方なんかじゃないね。あれはどう見たって、デビューできなくて、
やけになっているアホな男だよ、あんたはもっと頑張らないと!」

と真実を口にしました。


事実は小説より奇なり。
愛ある説教だけが正義を創る。
おばさんは風俗嬢でもあるし、神でもある。

2003/07/18

2003年07月20日

ル京詩世VS月光仮面

世には、私の他にも、正義の味方はいるやうだ。
そのうちの一人、月光仮面さんを今日は紹介ス。
彼を紹介しているHPから、月光仮面さんについて、私が知り得た事をここに記ス。

そのHPに拠ると、

月光仮面さんはこの前の自民党大会に参加していたらしい。
しかも、「国民にもっとわかりやすい政治を!」と書かれた、プラカードを持って、突っ立っていたらしい。
しかも、迫力ある右翼の方十数名が、スピーカーで怒鳴っているすぐ隣で、
弱々しく一人で、けなげに、突っ立っていたらしい。
しかも、プラカードは折り畳み式のものだったらしい。
どうやら、月光仮面さんは無党派らしい。

ちょっとした小競り合いが終わって、このHPの制作者が好奇心から、
月光仮面さんに、インタビューをしたという。
その印象の抜粋から、

第一声が関西弁だったらしい。
月光仮面さんは新幹線に乗って、東京までやってきたらしい。
仮面の隙間から、可成りの白髪を覗かせていたらしい。
いわゆる団塊の世代らしい。
現在は独身らしい。
その事をふまえて、「では以前、結婚していたのですね?」と聞いたら、
「プライバシーに関するんで」と言って、やんわり、コメントを控えたらしい。
具体的な活躍として、
サッチーの学歴詐称の告発と、
野村監督の解任要求があるらしい。

ただ、月光仮面さんにも弱点があるらしく、
情報機器を持たないいわゆる情報溺者(デジタルデバイド)らしい。
パソコンはもとより、携帯もFAXも持ってないので、
月光仮面さんとのやりとりは、月光仮面さんからの手紙か電話を待つのみらしい。
HPの説明をして、「HPをボランティアで作りましょうか?」と提案したら、
「是非お願いしたい」との謙虚な答えが返ってきたらしい。

インタビューの途中に「一緒にお食事でもどうですか?」と誘ったら、
「マスクを取ると、顔がわかってしまうから」という理由で、お断りなさったらしい。
ゆえに、昼の12時前から夜の7時まで、約7時間も飲まず食わずで、突っ立っていたらしい。


このHPに掲載されていた、月光仮面さんの印象の言葉の断片を繋ぎ合わせて、
その全体像を想像した私は、抑えきれない衝動を感じた。

胸が切なくなった。
弟子にしてもらいたいと思った。
手紙を書かなければならないと思った。

僕は、あなたが大好きです、と。

2003/07/20

2003年07月21日

伊達ロック実行委員会 実行委員長 安藤ゆかりさんへのインタビュー2

実録・留学事情









伊達ロック実行委員会 実行委員長 安藤ゆかりさんへのインタビュー


Prat2







 伊達ロックは4年目をむかえるイベントで、若者たちが自発的に集まって活動している。

一年に、何度もイベントを重ねるのことで、他のイベントのと差別化を図っている。そしてそれは仙台の若者達の心つかみ、放さない。気がつけば、7月に行なわれるイベントで、伊達ロックは15回を迎える。


 伊達ロックを追いかけてきて、仙台のまちが少しずつ、少しずつ、自分たちが楽しめる街へと、変わってきているように、感じることが多くなってきた。


 先日、その伊達ロックに、ビックニュースが飛び込んできた。何と伊達ロックのCDをださないかという誘いであった。そして今まで4年間に出演したバンドやアーティストを厳選してCDを発表することになったのだ。CDは、全国のTUTAYA、仙台のCDショップと伊達ロックの会場で販売される予定だ。


 発売日は7.27で、その当日は、今年最後の伊達ロックが勾当台公園でおこなわれる。興味のある方は、ぶらぶらとビールを片手に、日曜日のひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。



 今日は、そんなノリに乗っている伊達ロック実行委員長安藤さんへのインタビューの後半をお届けします。



 




まず、伊達ロックとはどんなイベントですか?




年で開催4年目のイベントになるんですが、音楽あり、パフォーマンスあり、アートありの、本当になんでもありのイベントなんですよね。そして、主に仙台で活動している方と一緒に仙台を盛り上げていく、そんなきっかけになるようなイベントだと思っています。


 


「伊達ロックはすごく大きくなった」(安藤)


 


じゃあ、少し安藤さんについて話しを移していこうと思います。


安藤さんは、仙台の出身なんですか?


ええ、仙台出身なんです。


 


今は大学生?


ええ、3年生です。


 


「1歩踏み越えて、なにかやろうとする人が少ない」(安藤)


仙台はどんな街?


通の意見なんですけど、まあそこそこ大きくて、まあ、そこそこ遊ぶのにはこまらないかなっていう印象ですね。

でも東京よりは大きくないぶん、アットホームな感じもあるし、街が綺麗だって気がしますね。物足りないところは?

う〜ん、普通に暮らしていると、物足りないというのは、感じないですけど、たとえば、私が伊達ロックとかやるじゃないですか。

でも、なにかやろう、1歩踏み越えて、なにかやろうとする人が少ない気がしますね。


仙台は人も多いし、学生も多いのに、そのわりには、1歩踏み越えてなにかやろうとしている人が、ちょっと少ないという印象派ありますね。


 


「あれだけのお客さんを楽しませたい」(安藤)


何がキッカケで伊達ロックにはいったのですか?


達ロックがあることは、高校生ぐらいの時から知っていたんですよ。一度、フェスも見たことがあったんです。でもそのときは「伊達ロックっていうのがあるんだ〜」くらいで、面白そうだなっていうくらいでしたね。


それから、ある日フリーペーパーで、伊達ロックのことを読んで、へー、伊達ロックって学生がやっているんだって、知ってたんですよ。


自分もあんなふうに勾当台公園を好きに企画してみたいなあ、あれだけのお客さんを楽しませたいなあとふと思っていました。


もともと、いろんな人が一緒にその空間を共感できるイベントっていうのに興味がありましたし。ただ、そう思いつつ参加せずに、過ぎていたんですよ。


しがかわるようですが、私は、大学の授業で中国語を勉強していたのです。そんなこともあって、たまたま中国に友だちと旅行にいったんです。

そしたら、なんかあっちの人のエネルギッシュさ、なんかやるぞっていうモチベーションの高さに、びっくりしたんですよね。

帰ってきて、自分も 何かしなきゃっておもって。

それで、なにしよう。なにしよう。って、考えたら、そう言えば前から気になっていた伊達ロックってあったなあって思い出したんです。

それでスタッフやりたいんですけどっていきなりメールをして、一人で飛び込んだと。


 


「常識だけが人生ではない」(安藤)


今、大学3年生だそうですが、卒業後はどうしたいと思っていますか?


〜ん、伊達ロックをやってすごく視野が拡がったような、だけど、反対に拡がったから分かんなくなったようなこともありまして。

いろんな人にあうようになったので、必ずしも、就職して普通に会社員になってとか、そいう常識だけが人生ではないなと感じることもありますね。

でも、やっぱり、自分が生活するくらいのお給料があるところで働きたいなあって(笑)、思うし。

やっぱり、伊達ロックをやったていう経験は生かされるだろうなって思いますね。何らかの形で、ステップアップになればいなって思います。

        


                                         

じゃあ、来年はどうしますか?


っ? 来年ですか? 伊達ロックですか?

何らかの形では、関わっていきたいと思っていますけど。

ただ今年ほどやれるかどうかはわからないけど。


結局みんな伊達ロックが好きなんだおもいます。やりたいけど仕事とかでやれないだけで。特に前回の、今年1回目の伊達ロックに、普段は来れないけど今まで伊達に関わったメンバーさんがたくさん来てくれて、それを感じましたね。

私も、やっぱり伊達ロックが好きな人間なんで、なんだかんだで付き合っていくと思いますよ。


 


伊達ロックは好きですか?


好きです。


終わり




聞き手 佐藤研一朗 場所 市民 活動サポートセンター 2003年5月6日


 


 


 







DATEROCK
FESTIVAL 2000-2001-2002


伊達ロックコンピレーションCD


予約受け付け中 1500円


01 椿屋四重奏 舌足らず


02 The Bockers THANX-U


03 spotrain 東にある丘


04 fra-foa 青白い月


05 ハイチーズ 大先生


06 ドリチンクラブ キュウリ


07 ストロボ ロング・グッバイ


08 さとう智文 夕景


09 SOUL ADDICTION Get on the bus


10カリフラワーズ SEX ON THE BEACH 2003


11 すいか☆トロピカル プリプリプリ


12 白A LOVE


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過去の伊達ロック特集



2002.6.24 伊達ロック代表の門間さんへのインタビュー第2回




2001.6.1 伊達ロック代表の門間さんへのインタビュー第1回 



2000.10.5 伊達ロック総集編第2回

7/30に行なわれた伊達ロックフェスティバルの総集編の第2部(全2部 伊達ロック実行委員長の目黒君にインタビュー



2000.9.5 伊達ロック総集編第1回

7/30に行なわれた伊達ロックにいった感想



2000.7.1 伊達ロックプレイベント4

7月末に予定されているアートイベント。 伊達ロックプレイベント4のレポート





2000.6.1 伊達ロック

夏に予定されているアートイベントの伊達ロック。その実行委員長へのインタビューを交えた紹介。



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