正義の定義

2003年07月01日

正義の定義

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数年前、正義の味方に憧れて、実際にトライしてみた事があります。
漠然と「正義」をしたかったのです。
やけくそ・虚無・かすかな希望=5対4対1ぐらいの割合でしょうか?
精神が疲れていたのでしょうか?

ともあれ、決意は固まっていました。
決意をしたのは善いのだけれど、肝心なことが決まっていませんでした。
それは、「現代社会に於いて、いったいぜんたい正義とは何なのか?」という事です。

現実に自分が正義の味方として存在するためには?
正義の味方をする前に、「正義とは何か」を考えなくてはならなくなってしまったのです。

キルケゴールという哲学者がいます。
キルケゴールといえば、有名な哲学者です。
実際に会ったことがあるわけではないので、確信は持てませんが、
哲学書を書いていることから考えてみても、哲学的なことをしていた人には間違いなのではないでしょうか?

キルケゴールを読んだのは高校生の頃だったと思います。
『中学生のための哲学入門』という本を高校生の私が読み、その中で、キルケゴールという人の思想に
強く惹かれたのを記憶しています。

そして、調子こいて、キルケゴールの哲学書そのものを読みました。
『死に至る病い』という不吉な題の付いたキルケゴールのいわば出世作です。
その冒頭の部分をすこし載せておきましょう。

人間は精神である。
しかし精神とはなんであろうか?
精神とは自己である。しかし自己とは何であろうか?
自己とは一つの関係。
その関係それ自身に関係する関係である。
あるいはその関係において、
その関係がそれ自身に関係するということ、
そのことである。
つまり自己とは関係そのものではなくして、
関係がそれ自身に関係する、
ということなのである。

ちょっと! キルケゴール考え過ぎじゃねえのか?
或いは、これ読んだ高校生のわたし自身が「考え過ぎ」なのか?

つまり、自分とは関係性のなかでのみ存在するということでしょうか?
つまり、「あなたあってのあたし」ってことでしょうか?
つまり、正義になる為には、「あなたは正義だ!」と認めてくれる他の誰かの存在が
必要だということでしょうか?

いま読み返してみてもさっぱり腑に落ちません。
キルケゴール気取ってんじゃねえよ!
思想をぶっ放すだけぶっ放しておいて、考え込んでしまったじゃねえかよ!と心中毒づき、
キルケゴールと別れようか?
それとも、連れていこうか?
と苦悩し、私が出した結論は
「クリアーしてから考えよう」でした。

つまり、「あなたは正義だ!」と呼んでくれる誰かとまず、出会う事。
次回より、その苦難の『道』。長々とお伝えしましょう。


P・S 正義の言葉 

人は自分の理解できないことや、面倒くさいことを『悪』と呼ぶ。


2003/07/01




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投稿者 im-sendai : 2003年07月01日 23:58
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