ドクターKへの個人的な手紙

2003年08月25日

ドクターKへの個人的な手紙

今回のこのいわゆる書き物はエッセイなどというものではない。
いわゆる、ドクターKひとりへの手紙だ。
不特定多数へのメッセージも良いが、その人ひとりだけに真剣に歌う詩があってもよい。

えっ。見ているんだろう? 


君と電話で、論争したのは、2003年8月5日の夜だったと思う。
君は、僕の数少ない同級の友で、今でもつきあいのある人だ。
その君はあの電話で、僕に説教をくれた。
説教の内容は、「変わらないのは君だけだ」と「システムとか経済を学べ」と、云った内容だったと思う。
それで僕は、息苦しくなって、「では、実際になんか効率よく学べる良い書物でもあったら、教えてくれないか?」
と訊ねた、と思う。
それで僕等はお互いよそよそしくなって電話を切った。

その後、君からメールが来た。その君のメールの言葉で印象に残ったのは、

1.恐らく君は「誠実さ」を求めているだろうが、僕は「正確さ」を求める。正確さは誠実さだと思うからだ。 逆の命題は成立しない。
2.現時点で、君は文学者と言うよりは、疑わしい宗教家だと思う。
3.馬鹿にしているのか馬鹿なのか。経済に限らず、簡単に手に入るものに価値など無い。
4.ダンスを終えた後の拍手を求めるのではなく、ダンスし続けて、読者を魅了し続けること。

の4点だった。


そして、

僕は、そのメールを見て、悔しくて堪らなかった。あまり悲しくて僕はやる気を失った。食事。食べる気がしない。睡眠。眠れない。仕事。やる気がしない。だから、僕はふてくされて、寝ていた。この一ヶ月、「外出可能な引きこもり」みたいなもんだった。あの子供の背丈ぐらいの大きさの、起きあがりこぼし(小坊師)式のビニール人形を想像してほしい。ぼくは君に倒された、ギザギザ髪の典型的な顔をした男の子のビニール人形だ。倒された僕は、地面に伏しながら、こう思った。僕はもう起きない。起きたら又やられる。必ず起きあがってくるはずのビニール人形が起きあがってこないとしたらどうだろう?そんなの、張り合いが無くて、ちっとも面白くない。「あれっ。壊れたのかな? うそぉ?!」と不安になってくる。だから僕は、ふてくされて、寝ていた。このエッセイを休んでいた。正直に言うと、ああ、書けネかったのさ。そのうちに、僕は妄想に侵された。その亡霊は人の反応、一言に恐怖を抱いている。他人の目が気になって仕方がない。仕舞いには、カオスの波に呑まれ、君が愛もって放った何気ない一言でも、死の恐怖にさえ感じられる事がある。偉く言葉にナイーヴになってるんだ。僕はひとつのエッセイを書く苦しみを知っているつもりだ。たった一枚書くのにも、「迷い」「不安」「恐怖」「冷静」を通過しなければ書けない。臆病な僕が確信を得るには、様々な分野の書物を机に並べて、これは大丈夫か?これはどれかに既に書かれていなかったっけ?と、まことにみみっちく部屋中をうろうろし、目を血走らせて、苦悩しているんだ。きみは、「正確さ」は「誠実さ」ともっともらしい言葉を並べたが、僕はそんなのには騙されない。マルクス以後、全体化が不可能に近くなってしまったからなのかい?だから「正確さ」を求めることにしたのかい?それは一理ある。君はそうしてもいいけど、人はそれぞれ、違うんだ。誠実さを求める人間もいても良いと思うし、何も求めない人間もいても良し、その他、なんだっていい。自由なんだ。なのに、僕が少し、ああ、僕も少し冷静にならなければならないと反省し、では、「僕はどうすればいいかな?」と問うと、「君は経済を学べ、システムを学べ」だ。何故、聞いてはいけないのかね?判らないから聞いているのだ。時間が無くて効率よくものにしたいから、恥を忍んで頭を下げているのだ。そういう生き方も在るんじゃないのか?よく何々の修行には、「ここまでで、三年。一人前になるには十年ぐらいかなあ。」なんて白々しく大袈裟に語る人がいるが、僕はそんなの、信じない。その背後には、「自己保存」というエゴの神が見える。君は僕の為を思い意見してくれたのではないのか?僕がそういう状態になってくれればいいと思ってすすめてくれたのではないのか?簡単に教えてくれたらいいじゃないか?だいたい、なんでおれが、疑わしい宗教家なんだ。おれほど、神を疑って、疑ってしょうがない人間もいないぐらいだと、自負しているぐらいなんだ。なんできみ相手に踊り続けなくちゃいけないのだ。きみは僕の友達じゃないのか?お笑い芸人だって家族や友人がいて、その人の前でなんで、芸をしていなくちゃいけないんだ。舞台裏は、実につまらないんだ。真実なんて何も楽しいことなんか無いんだ。何もないんだ。きみはお客じゃないと思っていたのは僕の誤解かい?ああ、誉めて欲しかったのさ!僕が今必要なのは「自信」なんだ。本当なんだ。誰も誉めてくれる人がいないから、もし誉めてくれる誰かがいたら、時給千円払ってもいいから、2時間ぐらい「ル京さん、ガンバレ!ル京さん、ガンバレ!ヨッ!正義のみかた!」と耳元で囁きつづけてもらいたいぐらいなんだ。実際お金の使い方としては、悪くないなと思っているぐらいなんだ。この時世では、結構いいバイトだし、実に需要と供給に適ってると思っているぐらいなんだ。嗚呼、なんだか話がせこくなってきた。カッコ悪りぃ!いや、わざとかっこわるく下手くそに書いているのだ。どっちかというと、構造(システム)主義なんだ。なのに。このやろう。システムをまなべとはこのやろう。人はハッキリ言って、何かにしがみついて行かねばならないというのが、僕の持論だ。君は独立した一ヶの完全な大人のつもりでいるようだが、その欺瞞がもう間違いの元だ。システム教か?経済教か?いずれにしても、君がそこまで強く訴えられるというのは、君は既に何かそういったモノを信仰しているという証だ。あの優しすぎると最近、世間でささやかれている平和憲法でさえ、自衛権の行使は了解されているのだ。僕だって、そこまで避難されては、自衛の手段に出る権利ぐらい在るはずだ。だいたい君とやり合ったって、僕には何一つ得はないのだ。これを見た僕の数少ない読者からは、もうあの人はこんなに熱くなってしまって、見えてないな。もう終わりだ。とささやかれるに決まっている。被害妄想が激しくて、自己憐憫で。もうあの人の視野は五百円玉ぐらいの狭さで、何も見えていないのだ。もう終わり。僕は知っている。こんな時代に熱いのは損だ。クールでなければ、誰も寄りつかない。でも、だ。僕はこう分析している。それはやはり、戦争に負けて、五十年経っても、虚無化政策の影響の余波だと考えている。ああ、人の寂しさの歪はなんと悲しい姿で、時代を長い間うつろにするのだろう。こんな議論をしているようではだめだ。言語議論は、野蛮への奔走だ。最終的にはSENSOUだ。何を学んだのだ。全共闘の繰り返し。そんなのにうんざりした世代が、寡黙になって、無言で何を教えてくれたんだ。何も教えてくれない人も多いが、でも中にはやはり、違う人もいる。その先輩達の深い思いをわかってるんだろう!こんな事をやっているから、だめなんだ。繰り返しだ。マスターベーションだ。あきらめるな。真に冷静で、賢い者はそれを感じている。微分細分してその果てにあるのは鬱だ。時間の持てあましだ。狩りに行ってなんの為に狩りをしに来たのか、分からなくなっているのだ。男のエゴだ。こんな事を言うと、君はまた女に迎合して、もてたがってと思うかもしれないが、それは、無い。もてたかったら、こっちだって、こんな方法は選択しない。そんなに熱くはないんだ。ああ、くどい。ああ、やだ。タクシーで逃亡し、東京へ行って、国会議事堂にでも突っ込んでやろうか? いやそれでは、病んだ男がやけを起こしただけと思われ、思想犯にも成れず、メタファーにさえ成らないというのが落ちだ。ああ、このやろう!このやろう!今日は自慰しないぞ!

といった上記の如き、脈絡の無い、亡霊に約一ヶ月憑依され、はっと気づき、微かではあるが、
「君がメールを送った」というアクションそのものに、感謝が生まれ、ここに記す。ありがとう。


また上記の如く妄想にあなたへの甘えと自身の弱さ、臆病さを認めます。
                                                  ル京詩世


P・S 「真実」の銀河の外界に、無限の宇宙あり。

2003/08/25




人気順に記事を表示する。

仙台インターネットマガジンに愛の一票を(^_^)/人気blogランキング

blank_space
投稿者 im-sendai : 2003年08月25日 06:23
コメント
コメントはまだありません。
blank_space
コメントする





保存しますか?



blank_space
トラックバック

このエントリーのトラックバックURL : http://www.im-sendai.jp/mt/mt-tb.cgi/410

blank_space