日輪の翼 2003.9.X 初出

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2003年09月01日

日輪の翼 2003.9.X 初出

近世日本では、お伊勢参り、が
大変盛んだったそうです。

これは現在の三重県北部にある、伊勢神宮、という所へ
全国から人々が大挙して参拝に出かける、という
信仰行事のようなものですが
テレビゲームも新聞もインターネットも
なかった近世の日本人にとって、お伊勢参り、は
信仰と旅行と情報収集を兼ねそろえた一大イベントだったのだと思います。
聖地伊勢に行ける、という信仰上の達成感と
道中で様々な土地の文化に触れられる、という
旅行の側面と、普段は農村や藩内の狭い世界で
仕切られた生活をしている人々へ外部の情報を
もたらす、という正に一石二鳥ならぬ、三鳥も、四鳥も獲れる、お伊勢参り、が近世日本では大変盛んだったわけです。

では、その伊勢参りのルーツは、となると
これは戦国時代から江戸に入る頃に始まるようです。

伊勢神宮は、鎌倉・室町の時代までは
民衆と繋がりを持たずに超然としていた、との事ですが
戦国時代を経て江戸時代に入ると
伊勢神宮の経済的基盤であった諸国の領地が
武士達に押さえられてしまったため
経済的に立ちゆかなくなってしまった、そうです。
そこで御師(おし)と呼ばれる人達が登場し
お伊勢様信仰を全国に販売したり
伊勢神宮の近くで旅館を経営したりして
お伊勢様を経済的に助けたそうです。
そして、お伊勢参り、が盛んになっていった。

現代で言えば、JTBやH.I.S.のような旅行代理業のような事をして、お伊勢様を経済的に助けた
この御師(おし)と呼ばれる人達は、
信仰を持ちつつも、ビジネスライクな判断もできる
中々機転の利く人達のように思えて
僕は、大変面白いな、と思ってしまいます。

で、そんなユニークな御師達の活躍もあって
江戸時代、お伊勢参り、は大ブームとなり
ここ東北地方からも相当な数の人が
伊勢まで行っていたようです。
新幹線どころか、電車も自動車もない時代なのだから
まさに一生に一度のビッグイベントだったのだと
思います。お伊勢参り。

と、前置きが長くなってしまいましたが
中上健次さんの、日輪の翼、という小説に
この、お伊勢参り、の話が出てくるわけです。
前回の、月に兎、太陽には烏、のエッセイで
伊勢の天照大神(太陽)と
熊野のヤタガラス(太陽黒点)の関係を
考察していて、僕は、日輪の翼、について
書いてみたいな、と思ったわけであります。
伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、
くまのへさんど)という諺があるくらい
伊勢参り、と、熊野参り、は
かつて日本では大変盛んに行われていたようです。

で、そのヤタガラスの熊野地方出身の
中上健次さんの小説、日輪の翼。
深読みすれば、これは太陽(日輪)に
住むカラス(翼)ともとれます。
中上健次さんは、そのまま、熊野集、という小説も
発表していますが、、日輪の翼、というタイトルにも
きっと何か含みがあるのだろう、と僕は思います。

日輪の翼、という小説は
若き日に売春で生計を立てていた老婆達が
女あさりが大好きな若者が運転する冷凍トレーラーに
乗って、熊野から伊勢、諏訪、出羽、恐山……と
日本各地の霊地を巡り、そして最後に皇居のある東京へ至る、というなんとも凄まじい小説です。

何が凄まじいか、と言えば
女あさりが大好きな若者が、
若き日に売春で生計を立てていた
老婆達と日本各地の霊地を巡る、という点に既に
僕が、♂♀生・性・聖のエッセイで考えたような
人間存在に対する問いが凝縮されていますし
冷凍トレーラーに老婆を乗せて聖地に乗り付けて
警察官に注意されたり
老婆達が素朴な信仰心から聖地の参道を
ホウキで掃こうとして警備員に注意されたりすると
いう話の展開の中で、近代化した社会の哀しさが
さり気に描写されていたりします。
そしてそれらの問いと、古事記や日本書紀の
神話の世界がシンクロして、なんとも言えない
ロードムービー風のストーリーとして提出されています。
凄い力技です。凄い小説です。日輪の翼。

話が逸れますが
僕は、一般の人々が神の死亡を知る、それを持って
近代化は達成される、のではないかと最近考えています。
日本社会が98年から2002年にかけて完全に近代化を
成し遂げたのだと仮定すれば、同時にそれによって日本の多くの一般の人々が、神の死亡を知ったのだ、と言えるのではないかと思うわけです。
現在様々な場面で言われている、人心の荒廃、というものの原因は、日本社会が完全に近代化を達成して、
多くの人が、神の死亡を知った、ことにあるのではないか、と思うわけです。

ヨーロッパが近代化を達成し、ニーチェが神の死亡宣言を行った19世紀後半、切り裂きジャック、という猟奇犯が、当時の西欧社会を震撼させたそうですが
僕は、サカキバラ事件、に、切り裂きジャック、と似た不気味さを感じてしまうのです。
あの少年は確か、バイオモドキ神、とかいう神を
自分で作り上げていたように思います。
新興住宅地の母性が強い家庭がどうのこうの、と評論家諸氏に指摘される事もありますが、
僕は、サカキバラ事件、に、神の死亡、を感じました。
切り裂きジャック、も、サカキバラ事件、も突っ込んで調べたわけではないので、単純な推測は危険ですが
僕はそんな気がします。神の死亡。

どうして人を殺してはいけないの?

警察に捕まるからだ。

じゃあ、警察に捕まらなければ殺してもいいの?

それが神が死んだ後の、近代社会の末路の姿のような気がします。
まさにハルマゲドン。

その民族の、倫理観の最終的な拠り所、というのは
やはり、素朴な宗教心、なのではないかと僕は思ってしまいます。
でも近代化は、それらを法律やシステムにどんどん置き換えていってしまいます。
そして、子供達に、どうして人を殺してはいけないの?と聞かれて、警察に捕まるからだ、としか答えられなくなって行く。
僕は近代化の恩恵にさずかって、卵のなかみ、を書き続けているのに、実は近代社会が嫌いなのではないか、と
思ってしまう事があります。

近代化は、街から闇を無くし
人々に知識をもたらすので
人間はだんだん怖いものがなくなってきます。
それはそれで、無知による悲劇、がなくなるので
良い事だと僕は思いますが
そうして次々とこの地上で自由に生きる力を獲得していくと、人間は、神を含む大自然に対する畏れ、を
次第になくしていきます。
そして、一般の人々が神の死亡を知る、ことで
近代化が達成される。そして人心が荒廃し始める。

エデンの園で蛇にそそのかされたイブが
知恵の実を食べてしまったために、
人類は楽園を追い出されて現在の形に
至ったのだ、と旧約聖書は教えていますが
やはり知識というものは罪なのではないか、と
僕は思ってしまいます。

と、話がだいぶ逸れてしまいましたが
中上健次さんの、日輪の翼、の話に戻ります。

若き日に売春で生計を立てていた老婆達が
素朴な信仰心から、聖地の参道をホウキで掃きたい、と言う。
神さんに奉仕したいのじゃ……。
清められたいのじゃ……。
警備員さん達も無粋な事を言わずに掃除させて
上げればいいのに、と思ってしまいますが
そんな不幸な一生を送った老婆達の
ちょっと切なくなるような素朴な宗教心は
不用意な、神の国発言、などで
ヒンシュクを買ったりしている
自民党の政治家先生達より、よほど、神さん、に
近づいているのではないか、と僕は思ってしまいます。

男の生体を知り尽くしている元売春婦の老婆達は
冷凍トレーラーを運転する若者が
旅先で女あさりを繰り返しても
別に責め立てたりはしません。
そんな無軌道な若者が運転する冷凍トレーラーに乗って
老婆達は聖地巡礼を繰り返す。

♂♀生・性・聖に対する根源的な問いと
近代社会の矛盾がない交ぜになっていて
それらが、日本の神話世界とシンクロし
一つのロードムービースタイルの小説として
提出されている。
凄い小説です。日輪の翼。

文庫版後書きで、いとうせいこう、さんという方が
三島由紀夫の豊饒の海四部作との対比を述べられて
いましたが、ご説ごもっともであります。
豊饒の海、は、三島由紀夫が自決の直前に
書き上げたという曰くつきの作品で
これもまた、凄い小説です。
名作の条件は二度読める事だ、とよく言われますが
けだし名言で、豊饒の海、や、日輪の翼、は
一度読んだだけでは吸収しきれないくらい
ぎっしりと文学のエキスが詰まっていて
もう一度読んでみようかな、と思わせる力が
あります。
そして読者の内面の成長とともに
読む度に新たな発見があったりする。

究極、文学とは、この世界とは何か、人間とは何か
神とは何か、愛とは何か、死とは何か、といった
人間の形而上学的要求に、物語として答えを
与えてくれるものなのではないか、と思う事があります。

科学は、様々な事象の仕組み、は教えてくれても
その意味、は与えてくれません。
でも人類は、高度に発達した脳、や
もの思う心、が与えられているので
どうしても、その意味、を求めてしまいます。
いくら科学的知識が増えたとしても
それだけで人間の心が救われたりする事は
ないような気がします。
マッドサイエンティストという生き方は
ちょっと寂しいような気がします。

様々な科学的知識を体系的にまとめ上げ
それらを、人々の形而上学を保証する物語、として
提出できた時、最も良質な文学作品が
誕生するのではないか、と僕は思ったりするわけであります。

キリスト教的世界においては
ダンテの、神曲、や、ゲーテの、ファウスト、が
それにあたるのでしょうし
日本的世界においては
三島由紀夫の、豊饒の海、や
中上健次の、日輪の翼、がそれにあたるような気がします。

日輪の翼、に関しては、またいずれ別の角度から
書いてみたいと思います。
一本の小説について様々な角度から
いつまでも話ができる。
それも名作の条件なのでしょう。


・註、近世……歴史の時代区分の一。
   中世と近代の間の時期。
   ・日本史では後期封建制の時期の
   安土桃山・江戸時代をいう。
   ・西洋史では近代と同義に用いられる
   ことが多いが、特にそのうち
   市民革命・産業革命までの時期を
   近代と区別していう場合がある。
           (三省堂 大辞林)
 
        


-日輪の翼-


日輪の翼 中上健次 著 小学館文庫


豊饒の海(1) 春の雪 三島由紀夫  


豊饒の海(2) 奔馬 三島由紀夫


豊饒の海(3) 暁の寺 三島由紀夫

豊饒の海(4) 天人五衰  三島由紀夫


ダンテ 神曲 地獄篇 

ダンテ 神曲 煉獄篇


ダンテ 神曲 天国篇

ゲーテ ファウスト(1)


ゲーテ ファウスト(2)







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投稿者 im-sendai : 2003年09月01日 00:00
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