現代美術の歴史と今後の表現

2004年08月27日

現代美術の歴史と今後の表現




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No.2








 
現代美術の歴史と今後の表現

( 一 )

 現代美術とわざわざ"現代"という言葉をつけなくても、美術の歴史そのものがタブーに対する挑戦の歴史であったわ
けです。その対象は宗教・政治・風俗が対象とされてきました。どのあたりから、"現代"の冠詞が付くようになった
かというと、これは諸説あるでしょうが私の解釈では、マルセル・デュシャン(MARCEL DUCHAMP)による"概念芸術"が、すべての引き金
になっているように思います。

 "概念芸術"の説明の前に、デュシャンの時代についてお話しましょう。世紀末が過ぎ、美術の世界は一気に立体派・
野獣派などの造形的な力強さを競う時代でした。その中のトップスターはなんといってもパブロ・ピカソでしょう。
そして彼は死ぬまでその座を譲ることはありませんでした。そうです、造形性を表現に求めるのであれば、彼以降の
作家は常に2番手でいなければならなかったのです。このような巨人を前にしてデュシャンは考えました、「ピカソ
と同じ事をしていたら一生浮かばれない。」と。そこで、彼は猛烈に考えたのです。造形によらない、造形を超える
大きさと広がりを持つものはいったいなんだろうと。そこで導き出されたのが、作品を鑑賞する者の概念に、直接的
に強く訴えかければ良いのではないかと。
その思考から生まれたのが、概念芸術と呼ばれる表現形式です。

 これ以前の美術は、美術表現は、表現形式として「こう言った意味を既存の絵とか立体の表現の奥に忍ばせておくか
ら読み取ってください。」と言う態度の作品であったのが、「これをイメージしてみろ。」といった直接的に(別に
既存の表現のみならず、設計図のような具体的な絵や、文字・文章と言った具体的な手段も含む)表現し、鑑賞者の
イメージ(概念)を膨らませ、「イメージを膨らませ感動できるヤツは上級鑑賞者であり、イメージを膨らませられ
ないやつは感性不足だ。」と定義したのが"概念芸術"という表現手段なのです。
これは、2重3重の罠がしかけてあって、良くわからないとか、意味不明だということは無能を意味するような強迫
観念があるんですよね。それで分かったような気になって分かったような事を言う必要が生じるというタイプの芸術
様式です。

 そう、ここまで来ると、現代の訳の分かったような分からないような芸術という有り様も、
現代という時代性も、このような"概念芸術"のスタイルに大きく影響を受けている事に気がつかれる事と思います。
その結果として、芸術を解説する人の存在が重要となり、芸術は解説されなければ理解できない高尚なものとイメー
ジされるようになって、人々からどんどん距離をおいて考えられるものになってしまいました。



( 二 )

 人は、社会の中で生活している限りにおいては、相対的な存在であると言えるかもしれません。身体的特徴から、能
力的な特徴まで、全て誰かと誰かの中間に位置づける事ができます。しかし、果たして本当に相対的なものなのでし
ょうか?

 人は(どんな動物でも同様でしょうが)、自分の五感から得た情報しか知り得ることはできません。また、その五感
は一人一人異なっていますから、自分という個人を形成する情報群は唯一無二のものであると言えるでしょう。しか
し、人は何故か自分の中に擬似の社会を創造し、自ら作った制限に束縛されて生きていく生き物でもあります。
具体的に言うと、生活水準(何と比較して水準なのか?)を向上するために、良い学校(日々生き生きと学べる?)
に入り、良い企業(日々生き生きと暮らせる?)に入って、理想的な異性(異性同志理解し合える?)と結婚し、理
想的な子供(?????)を育て。


先月記述した、

「頭では常識を信じその枠の中に居るべきだと考える」状態です。


 人は、正直なもので、心労がたたるとすぐ胃腸に潰瘍となって現れます。いわゆる、「体や心がついてこないという
不幸にみまわれた」状態ですね。

 すでに、唯一無二の肉体と情報を身につけた、一人一人が、また、決して自分の概念以上の事は想像できない一人一
人が、自分の眼にはこのように写る。自分の耳にはこのように聞こえる。また、より細かいひとつひとつのことつい
て自分自身の感じを明確にしていったらどうでしょう。絶対の存在である自分が浮かび上がってきませんか?そして
この絶対の存在である自分の感性や、肉体により情報を吸収し、かつ情報を発散していくのだと思いませんか?
美術とは、結局のところ、他人の意見によって頭で理解し感動するものではありません。しかしながら、現代という
時代において、美術館や学校といった機関(または、学芸員や教師)を除いて美術に触れる機会がない以上、そこに
展示してある作品を、分かったような振りをして観るしかなくなっているのが現実だと思います。

 何時からか、現代美術がBIGビジネスになり、作品を評価したり、金持ちに売りつける才能の有る人と表現者であ
る作家との間で、逆転現象がおきてしまっているのもまた、事実でしょう。作家は自信を失い、商売人としての学芸
員は、商売への興味を失い、まだ、かろうじてアートに金を出す企業や役所に取り入って、素人受けする作家の、く
だらない作品を露出するだけの時代でもあるのです。


( 三 )

 さて、そうです。今後の展開です。
どんな表現のジャンルも同じでしょうが、表現には、それなりのルールというものが有ります。美術で言えば、美術
家や、画廊で展示するものである。そしてそれを見る人は静かに(分かったような顔をして)観ていかなければなら
ない、といったルールですね。

 作家はどう観ているかというと、展示場に入ったとたんに、面白いものが有るかどうか、全体を見渡し、つまらなけ
ればそそくさと会場を後にし、面白い作品が有れば、観たいだけ観てくる、また、作家がいれば話をしてくる。とい
った態度です。

 しかし、もう少し推し進めて、そこに美術作品が展示してあることを意識せずに五感で吸収してもらえるのが一番良
いと思っています。そうすれば、余計な解説者の存在は必要なくなりますからね。
もっというと、作品個別の良し悪しを問うための展示ではなく、鑑賞者自らの意思を開放するような作品を、あちら
こらに露出させる。そういった作品が身の回りにあふれた状況を想像するのがアートの当面のテーマだと考えていま
す。









 encounter with duchamp
http://www.MarcelDuchamp.org/
マルセル・デュシャンのページ
とても凝っていて素晴らしい。(英語)


 The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even

http://www.marcelduchamp.net/index.htm
同上

 ART MINIMAL & CONCEPTUAL ONLY

http://members.aol.com/mindwebart3/page12.htm

たくさんのアーティストを紹介している。
MARCEL DUCHAMPを選ぶと作品が見れる。




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投稿者 im-sendai : 2004年08月27日 01:42
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