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2004年10月 アーカイブ

2004年10月04日

台湾で

さて、このような成り行きで台湾に行く事になったのだったなあ。
もう、1998年かれこれ6年前の話しである。

私が長く滞在していた石垣島から、台湾の基雄(台北から電車で30分くらいの港町)への船がでていて、たしか値段は当時で、片道1万円くらいだった気がする。そして驚きなのがたった4時間で台湾までついてしまう所だ。と言うのは、沖縄本島から、石垣島までは、船で10時間以上かかるからだ。

沖縄本島よりも、近い外国、考えるだけでウキウキしたのを思い出す。私は仙台出身だから、外国というのは、基本的に近くにないものだと、思っている。海までいってもそれは太平洋だから、その先、ハワイまで何もない。自分は、仙台というのは、本島に孤島のような所だなあと思う。東北にしても日本海側に住んでいる人の感覚は、もう少し違うとおもう。

たとえば、北海道の最北端稚内にいけば、たくさんロシア人が、日本の中古車とか、生活用品を買い付けにきていて、街を歩いていても、レストランの入り口にロシア語が書いてあったりして、驚く。福岡にいけば、やはり地理的に韓国と近いから、外国に開かれている、つながっているという雰囲気がある。この点で、同じ日本でも、仙台とはまるっきし違う。

仙台で、国際交流というと、なにかアメリカ人とか、ヨーロッパ人とつきあう。お茶を立てて、日本文化を紹介するというイメージが先行するが、それは仙台の場所が、隣り合う外国がないからだろう。実際、仙台に住んでいる外国人は、大部分は韓国人とか、中国人だろう。かれらは、街を静かに歩いているだけでは、見分けがつかないから、私たちはあまり気がつかない。

いまニューヨークに私は住んでいて、一番思うことは、かれらアジア人(日本人を含めて)は、基本的に東アジアは同じような文化圏にいるということだ。歴史問題や、アジア的な事大主義てきな考えかたがなくなって、お互いの違いがある程度理解できると、文化が近いだけあって、つきあいやすい。 お互いにフェアーな関係であれば、楽しく一緒にやっていける。

だから、今のテレビや新聞で、北朝鮮問題に便乗して、中国や韓国をばかにするような方向は、私は賛成しない。もちろん私は北朝鮮を支持しない。それに韓国や中国が、ことがあるたびに歴史認識を持ちだすことも支持しない。なぜなら、戦争のあとに、講和条約を結んだ時点で、その国と国の戦争のあとの処理は全て終わっているからである。だから、韓国や中国が、歴史認識カードを切ろうとするときは、日本政府は、反論するべきだろう。アジア人どうしが、憎みあっていても、アジア人自身、得することは一つもない。得をするのはその他の国だろう。

ニューヨークへ行こう!

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>


20030903 NY ART REPORT PART2 TO NY in the air plane

こんにちは、中本誠司個人美術館の佐藤研一朗です。

今日はついに出発の日、いま、まさに、ニューヨーク行きの飛行機の中で、この文章を書いています。

ニューヨークと日本の時差は13時間、私は9月4日の16:00に成田を発ち、NYに到着するのは9月4日16:00である。なんだか不思議な感じだけど、日本からアメリカに行くときは、1日得をする。

飛行機のフライト時間は12時間長旅だ。
太陽を背中にして飛んでいるので、あっという間に夕日にな、やがて夜になった。窓からは大接近している火星が、紅く輝いている。
この12時間の間に、慌ただしく、昼→夜→朝→昼と、外の景色が変わっていく。何度経験しても、不思議な感覚だ。

はじめて私が、飛行機に乗ったのは、バイクで日本一周をしている途中に、韓国に立ち寄ったときだった。
私は、1週間かけて、船で福岡からプサンへ、それからバスと電車でソウルまで旅をしたのだが、帰りは陸路にもあきたので飛行機に乗ってみることにした。
帰りの飛行機は、私が1週間かけた道を、たった1時間、いや、確か追い風で50分でついてしまった。
まさしくひとっ飛びだった。
異国への1人旅を楽しんでいたのに、たった1時間で、現実に引き戻されてしまった、そんな感覚だった。
旅情緒もなにもあったものではない。

飛行機に乗っていて、一番好きなのが、真っ白い雪山のように広がる雲をみること。
雲の上にいるなんて、人間様はなんと偉くなったものだと、毎回感動していまう。
いまでも、飛行場でジャンボジェットを見ると、どうしてこれが飛ぶのかなあと、不思議になるものです。
たった12時間で地球の裏側に行ける時代、私たちは随分不思議な時代をくらしているのかもしれません。

この飛行機は、最新型のボーイング777だ。
エコノミークラスにも、1席ずつにテレビモニターがついていて、退屈することがない。スペースも広く作られていて、なかなか快適である。
でも、一つ言えば、お酒を飲むのに、お金がかかるようになってしまったというのが、ちょっと悲しいところである。

さあ、もうすぐNYだ。
今回は、NYに出発するという気持ちより、NYに戻るという感覚に近い。

昨年、留学したときに一緒だった中国人のトニーに、昨日電話をしたら、おまえが帰ってきたらウエルカムパーティをしてあげるよ。と、なんだか、ニューヨークが懐かしくなった。

はじめてニューヨークに行ったときは、右も左も、前も後ろもわからなくて、言葉も通じず、ドキドキだったけれど、今回のニューヨークの滞在は随分違うものになりそうだ。

Ken Ichiro Sato

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NY Art Report "9.11"

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

20030912 NY Art Report "9.11"

今日は9月12日、中国人の友だちのトニーが、小さなパーティを開いてくれるというので、マンハッタンから電車で2時間かけて、昨年、語学研修をしていたStony Brook (ストーニブルック)の彼が住んでいる寮まで、行くことにした。電車のまどから見える懐かしい風景を見ながら、キーボードを打っている。

昨日は9月11日、もうあのテロから、二年もたったのかと思うと、時が過ぎるのはあっという間だとおもう。昨年の9月11日には、学校では、すべての授業を一時中断をして、黙とうをしたのを覚えているが、ことしはそれもなく、朝ニュースを付けると、テロの犠牲者をいたむ記念式典の様子が流れていた。
その日、友だちに合うためにマンハッタンにいったが、街中に掲げられている星条旗が、半旗(旗をポールの途中までしかあげない。国家的に喪に服すというか、たしか死者に敬意を表す。という意味だったとおもう。)になっていること以外は、いつもと変わらない様子だった。

あのテロは、私がNYに留学をすることが決まり、さてどこの学校に行けばいいのかなあと、ちょうど思慮しているときにおこった。
その日の夜は、自宅にいて、確かインターネットをしていた。そうしたら、姉が慌てて部屋に入ってきて、飛行機がビルに突っ込んで、すごいことになっているのよ。と、言った。
なんのことかなあと思って、テレビをつけると、ワールドトレードセンターにジェット機が突っ込んだ映像が流れていた。
たしかこのビルは、自分が今からいこうとしているNYにあったんだよな。おいおい、まじかよ。へたな三流の映画じゃないのか?
あまりにも現実的でない光景を、ただただ、ぼーっとテレビを見ていたのを覚えている。
不思議に、怒りや、悲しみ、恐怖、なんかは、感じなかった。
それよりも、??????と頭の中に、クエスチョンマークがぐるぐると回っていた。


同時多発テロが引き金となって、気がつくとアメリカは、アフガニスタンを攻撃して、今回はイラクとの戦争をしてた。つぎの標的はイランとか、北朝鮮だといううわさはたえない。世界中が緊迫していた冷戦の時代が終わったのが15年前、その後アメリカは、冷戦の勝利者として、1人勝ちの様相をみせていた。

そしてアメリカ1人勝ちの時代に終止符をうったのが、この同時多発テロである。

そして、いま私たちが踏み入れている時代はどうも、戦乱といざこざが堪えない、混とんとした時代のようである。そしてそのことは日本をも直撃するだろう。
日本は平和だという人は多いが、それはその人が知らないだけで、実は日本の周りには危険がいっぱいだ。
朝鮮半島は、いまだ一つの国になっていなし、台湾と中国の問題も、なんだ解決の糸口も見いだされていない。まったく危険な状態だ。

もし、アメリカと北朝鮮との関係が悪化して、アメリカが北朝鮮を攻撃するようなことになれば、それはもう拉致問題の比ではない。
日本が北朝鮮に攻撃される可能性も、もちろんあるだろう。

そして、そういった切迫した状況が、いままで戦後55年間の日本の根本となった、そしてたった一度も改正されていない憲法を改正しようという動きにつながって行くだろう。

朝露が草の上から、ぽちゃっと落ちるように、日本が抱えてきた55年分の問題が限界点を迎え、ころがり落ちるように、物事がかわっていくだろう。これから先の日本には沢山の試練が待ち受けている。

それでも、その時、私たちは、日本に対する、なにも変わらない、ただこのまま悪くなっていくだけだ。という絶望的な閉塞感から、やっと抜け出すことが出来るだろう。

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There is no windows in my room!

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

20030905 NY ART REPORT Part4-1 There is no windows in my room!

時差ボケのせいか、真夜中4時に目が覚めてしまった。
それでも、起きると時差ボケがなおならなそうなので、7時になるまで目をつぶって横になっていた。
今日は、学校にいって、クラスの登録を済ませて、これから住む部屋を決めてしまわなくてはいけない。

学校はマンハッタンの隣にある、川をわたったQUEENS(クイーンズ)というところにある。
私が通うことになるLaguadia Comunity College (ラガーディア コミュニティー カレッジ)はCUNY(ニューヨーク市立大学郡 キューニーと呼ぶ)の一つの短大である。

どうして私がこの学校にいこうと決めたかというと、値段が手ごろであるということと、学校に入りやすさというのもあるが、なんといっても、そのロケーションが最高だからである。NOMA(ミュージアム オブ モダンアート モマと呼ぶ)は、世界的に有名な現代美術館だ。そのMOMAが、ただいま大改装をしていて、QUEENSに移転して、私が通うことになっているラガーディアか、歩いて1分のところで営業をしている。

それに、なんといっても決め手になったのは、その景色である。ハドソン川の対岸に見えるマンハッタンが、ばっちり見えるのだ。ここから眺めるマンハッタンは、エネルギーに満ちていて、だけどどこか寂しげで、でも力強くその存在をアピールしている。

空が見えないほど、高層ビルが建ち並ぶマンハッタンは、いつもごみごみとごったがいしている。
仙台生まれ、仙台育ちの私には、どうしても好きになれないし、住む気持ちにはならない。
”遊ぶのには良いけれど、住む場所ではない。”
地方に住んでいる人が、東京にいくと、いつも感じてしまうあの感覚と一緒だ。

だけど、川の対岸からみるマンハッタンは、私は大好きだ。
月と一緒で、少し遠くから見ているほうか良いようだ。

語学学校のクラスの登録も無事終わって、午後からは部屋を決めに行った。
リュックを背負い、ギターを肩にかけて、手でスーツケースを押しながら、地下鉄の駅まで向かう。
できれば、タクシーで行きたいとことろだが、ぜいたくも言っていられない。
地下鉄ならどこまで行っても、たった2ドルですむ。

それにしても、スーツケースが重たい。今回は、ムダなもの持ってこなくて、かなり軽量化をはかったつもりだったが、それにしても、重すぎる。
空港の荷物の預かり場で、受付嬢に、30キロ以上ありますねえ、といって、ヘビーというふだを付けられた。
そのヘビーのふだが風にたなびいている。。。
この荷物をもって、地下鉄にのるのか。。。。
ふーと、ため息をつく。

基本的に、ニューヨークの地下鉄は、エレベーターやエスカレータはないと考えていい。小さい駅なら、確実にない。全然、バリアフリーどころの話しではない。
バリア全開である。

狭い下りの階段が、ずうっと、つづいている。
成田に行く前に、友だちの家に遊びに行くためによった埼玉の与野本町の駅の階段以来の、難関である。

すーと息を吸いこみ、息をとる。
歯をぐっと噛みしめて、荷物全部を抱えて、一気に階段をおりていく。
手がちぎれそうである。

おりゃ〜と、掛け声でもでてしまいそうだ。

つづく

I come back NY.

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

200300904 NY ART REPORT Part3 I come back NY.

コンチネンタル航空 ボーイング777型機 08CO便は、12時間の長旅をおえ、無事にニューアーク空港に到着した。

昨日のタイトルの、To NY in the airplane は、本当は、正しくない。
なぜかというと、この空港はニューヨークではなく、その隣の州のニュージャージー州にあるからだ。
だから、正しく言えば、To NJ in the airpalne となる。

ニュージャージー州というのは、ニューヨークの隣に位置していて、ニューヨークのベットタウンのような感じだ。
日本でいうなら、東京と埼玉のような関係だろうか。
だから、ニュージャージという響きは、あまりカッコいいものではない。

ニューヨークの空港で有名なのは、JFK国際空港だが、こちらは、本当に大きい、それなのに、いつも増築工事をあちこちでしている。
それに、沢山の人が利用するので、税関や入国審査はいつも長蛇の列だし、直通している電車がなく、タクシーか、バスを使わなければいけないので、意外と使い勝手がわるい。

これに対して、ニューアーク空港は、こじんまりとしていて、あまり多くの飛行機が乗り入れない。
コンチネンタル航空は、その少ない航空会社のひとつだ。

建物も綺麗で、利用者がすくないので、入国審査も税関も、あっという間に終わった。
飛行機を降りて、30分もかからなかった。

空港からは、ニューヨーク行きの駅まで、モノレールが出ている。
5分ほど、モノレールにのって、そこで電車に乗り換えて、30分程で、マンハッタンの左下にあるニューヨークペンステーションだ。飛行機をでて、1時間とちょっとでニューヨークについてしまった。
すばらしい。これからはコンチネンタル航空を使おうっと!

ペンステーションからはタクシーで15分、今日とってあるの宿の、West Side YMCAは、63ストリート Wにある。セントラルパークのとなりにあって静かで良いところである。YMCAというのは、くわしくは分からないが、ジムやカルチャーセンター、そしてホテルが、一緒になった施設だ。ここを使うのももう三回目だ。
部屋には、シャワーはないけれど、宿泊客もジムの施設が使えるので、そこでシャワーとサウナに入った。もう、なれたものである。

このYMCAは地元のひとも、もちろん利用しているので、アットホームな感じがある。
エレベーターで一緒になると、今日は暑いはねえとか、声をかけられる。
でも、こういう受け答えが、実は一番難しい。

ホテルのカウンター、タクシーや、レストラン、こういうところの受け答えは、簡単だ。相手は、こちらがいうことが、最初からわかっているからだ。
ホテルなら、予約をもっているよとか、今日、部屋はあるかい?
タクシーなら、ここまでいってくれ。そこを左に曲がって。
レストランなら、このステーキをお願いします。というように、もう言うことが、最初から分かっているから、簡単なのである。

でも、急にエレベーターで、声を掛けられたりしても、まず、相手がなにが言いたいかが、わからない。相手が、何を言っているか想像するのがむずかしい。
とるにたらない、立ち話のひとこと、ふたことが、一番むずかしい感じがする。これができるようになれば、英語が完全に自分のものになっているということだろうか。

シャワーをひとあびして、ビールでも買いに、街をあるいた。夕焼け空で、あかくなったビルの街がうつくしい。不思議にニューヨークに来たぞーという、感慨はない。
ただ、ホットドックを片手に、行き交う人びとの顔をみて、ああ、ニューヨークに帰ってきたんだなあとという気持ちがわき上がってきた。

今回のニューヨークではどんな出会いがまっているだろうか。

さて、明日は、これから住む部屋をきめなくては。

Part4-2 There is no windows in my room!

20030905 NY ART REPORT Part4-2 There is no windows in my room!

なんとか、地下鉄にのりこみ、目的地までむかった私は、部屋のオーナーに電話をして、迎えにきてもらった。

私が借りようとしている部屋は、QUEENSの北西にあるアストリアというところにある。マンハッタンから電車で15分というなかなか便利なところである。
まちも、落ち着いていて、商店街もあって栄えているし、感じはなかなかいい。
こじゃれた感じのピザ屋で、食事をすませ、オーナーのジョーさんとおちあい、部屋へむかう。

彼は、日系の人で、日本語が話せる。
部屋は一軒家で、1階と2階をあわせて、6部屋に、6人の下宿人がすんでいる。
全員が日本人である。
英語を勉強するにはあまりイイ環境とは思わないが、まずははじめて家をかりるわけだし。
それに、1月425ドルで光熱費込みは、めちゃくちゃ安い、
仙台に住むより安いではないか。
これをインターネットで、見つけた時は、パソコンの前で、小躍りしてしまったくらいだ。

家は、駅から5分ほど歩いたところにあって、一軒家が建ち並んでいる住宅地という感じ。
家の外見は、緑の屋根と水色の壁が、綺麗である。

しかし、家は外見じゃなくて、大切なのは部屋の中である。
さっそく、オーナーのジョーさんに、部屋をあんないしてもらう。

私の部屋は1階の真ん中の部屋だ。大きさは6畳くらいだろうか。
床はフローリング。
土足厳禁。
クローゼットと、机やイスなどの家具もついている。
ふ〜む、悪くないかな。
あれ?
まてよ。
この部屋、窓がないじゃないか!!!

そう、この部屋には窓がない。
あららら。どうしたものだろうか。

私は悩んだ。

ここは、断って、重い荷物を抱えて、もう一度ホテルにもどるべきなんだろうか?


それとも、この窓もない部屋にすむべきなのか?

ここの契約は最低6ヶ月間、私は半年も、窓のない部屋にいれるだろうか。
気が狂わないだろうか?

他の部屋は、窓があるという、しかし3ヶ月は空かないらしい。
そこで、契約を、6ヶ月間から、3ヶ月間にしてもらえないかと、交渉をしてみる。オーナーはしょうがないかなあという感じで、イイですよと言ってくれた。

もし、断っても他にあてがないし、重たい荷物をもって帰るのも、ばかばかしい。
ホテルに5泊もすれば、ここの1ヶ月分の家賃になってしまう。
やはりこれは、もうしょうがない。
ここに3ヶ月住むことにしよう。

ニューヨークの生活の始まりとしては、まあ、これで良いのかもしれない。
ハングリーというか、最低の状態から始まれば、小さな改善していけば、あとは良くなっていくだけだ。
そんなふうに自分を納得させてみた。
なんだか、至極当たり前のようなきがした。
自分は、お金持ちでもないし、家族もそうである。
そして、他人から援助をうけて、ニューヨークにきている身分である。
修行僧みたいなものだ。
自分の街の、自分の家にいるわけではないんだ。
そう考えたら、ここで、3ヶ月がんばってみようという。と、やる気がでてきた。

この3ヶ月で、語学学校を、さっさと、終わらせてしまいたいのだ。
そういう意味では、ここは一つのことに集中できるような気がする。
気が散らなそうだ。
なんたって、窓もないんだから。

部屋は、ちょっとほこりぽかったので、オーナーに、ぞうきんを1枚かりて、天井から、床、壁、家具、電球に到るまで、すみから、すみまで、ぴかぴかに掃除した。

もし、こんな窓もない部屋で、掃除をしなかったら、あっという間に、病気になってしまいそうだからだ。

小学校のころ、子どものころに、ちゃんと部屋は掃除をしなさいと習ったことが、今日はとても、重要で、なによりも大切に思えた。

今まで一度も、続いたことはないけれど、ほこり1つも落ちていないように、毎日掃除して、暮すことにしよう。

"I'm looking for red beans."

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

20030914 NY Art Report Part5 "I'm looking for red beans."

人間が生まれ育った環境を抜け出すのは難しいものだ。
とくに難しいのは、味覚や、骨身にしみついた習慣をかえることだ。これだけは譲れないという、習慣をだれもがもっているだろう。

普通、こちらにきて、一番恋しくなるのは、やはりごはんだろう。

NYにもう20年になるという日本人が言うには、「自分は、考え方とか、生活とかは、もうアメリカ人になってしまっている。でも、ときどき、無性に、どうしようもなく、日本食が食べたくなるんだ。」と。
それほど、味の記憶というものは、強いものだと言うことだろう。

だけど、それだけじゃなくて、NYにはあまりおいしいものはないというのが、ほんとうの理由ではないだろうか。
ここでおいしいものは、チャイニーズと、道端でうっているホットドックとベーグルだけである。
そんなことを、こちらに長い友だちにいったら、ほんとそうだよねー。と、賛成してもらえた。

さてさて話しを戻そう、こちらに来てもう1週間、私が、なにを一番いやだなーと思ったか、それは、まくらと布団である。

今の部屋についた日、部屋にはベットがあったけど、布団はなかった。枕とシーツは家のオーナーが用意してくれた。だからその夜は、まだ暖かったからいいけれど、服をいっぱい着て、シーツをかぶって寝た。
次の日はどうも、漫然とした疲れがぬけなかった。

こちらの枕は綿がいっぱい入った、ふかふかの枕である。私はこれが大の苦手で、頭がほかほか熱くなって、熟睡できない。これだけは、どうも、いやなのである。絶対に譲れないのである。
日本にいるときは、小豆のはいった枕を愛用している。これだとひんやりと冷たくて、気持ち良く眠りにつけるのである。

二日目の夜にほかほかと温かい枕で寝つけないので、よしこうなったら、明日、小豆の枕を作ってやろう。と、思い立った。
実は、この計画は、ひそかに日本にいるときから考えていて、小豆を入れる枕の生地だけはもってきていたのだ。

次の朝、さっそくこの計画を実行に移すことにした。
しかし、いったい、このNYのどこに、小豆が売っているのだろうか?

しばし、考える。
「!」
「こまったら、チャイナタウン。中国の人は、なんでも食べるっていうしな、きっと小豆もうっているはずだ。」
そんなことを勝手に想像して、学校がおわりすぐに、7トレインという、地下鉄に乗って、フラッシングにむっかう。この7トレインというのは、マンハッタンから、Queensの右上にあるフラッシングという、ところまでをつないでいる。学校からは30分である。

地下鉄と言っても、地下を走っているのは、マンハッタンだけのことで、それ以外のところは、全部道路の上に、おもちゃのジェットコースターなような、ちゃちな作りの高架の上を走っている。日本にあったら、大きな地震で一発で倒壊するだろう。

フラッシングという所は、チャイナタウンとコリアンタウンが合わさったような所で、非常に面白い。街を歩いているのも、だんぜんアジア人が多い。ここにくると、不思議に安心をしていまう。

しかし、小豆さがしの旅は簡単ではなかった。この街の端から端まで探し回った。しかし見つからない。中国人は小豆を食べないのだろうか?

最後の最後にたどり着いたのが、日本食品売り場だった。。。。
おお、小豆があるではないか。ちゃんと日本語のパッケージだ。
しかし、こちらで、売っている日本の食材は安くない。だいたい日本の1.5〜2倍はするのである。
これで、枕なんか作った日には100ドルはかかってしまう。

ダメだこりゃ。と、私はため息をつき、肩をおとして、7トレインに乗り込んだ。
途中で、7トレインからNトレインに乗り換え、夕日に染まるマンハッタンを眺めながら、家に向かう。
また、あのふかふかの枕で寝るかと思うと気が重い。

駅をでて、家まで5分だが、途中で夕飯の支度をしようと思い、スーパーに寄った。
私の家は、アストリアという所にあって、もともとギリシャ人が作った街のようだが、今はヒスパニックの人が沢山住んでいる。
街を歩いていても、英語を聞くより、スペイン語を聞くほうが多いんじゃないだろうか。
地域によって、全然違う人が住んでいる、これがNYである。

やはり、ヒスパニックの人が多いので、スーパーには、あまり見たことがないような、食材も沢山ある。
私が砂糖を探して、スーパーをうろうろとしいると、偶然、豆コーナーを見つけた。
ヒスパニックの人は、豆を随分たべるようで、沢山の種類の豆が置いてあった。

まさかなあ、小豆はないだろうなあ、なんて思いながら、よく見ていると、そこに小豆らしき豆があるではないですか。
おおこれだこれだ。これなんだ。袋を見ると、Red Beansと書いてある。
形は、日本の小豆よりも、平べったいが、大きさといい、色といい、これはまさしく小豆である。
値段も、1袋2ドル、安い!!!
私は、このRed Beansという豆を、10袋ほど買い占めて、小躍りをしながら、家に帰った。

家にもどり、台所で袋を開けると、まさしく小豆の匂いがするではないか。
やった。
俺はやったんだ。
今日からは、ひんやりとした小豆の枕で寝れるんだ!

そんなことを1人で、NYまできて、つぶやいる私はアホだろうか?

こうして、私の小豆探しの旅は終わった。

私は、NYで、小豆の枕を使っている、数すくない日本人だろう。

Problem about English in Japan

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>
20031003 NY ART REPORT7 Problem about English in Japan

私が、こちらにきて、もはや1ヶ月である。
全く、はやいものです。
窓のないこの小さい部屋にもなれてきて、慣れたくもないのですが。毎日英語との戦いです。

先週、CUNYのオフィスにいって、来年の1月から、大学に入るようにアプライをしてきました。
そこで言われたことは、書類はこれで大丈夫です。あと必要なのはTOEFLの成績だけです。ということでした。TOEFLというのは、ご存知のかたも多いでしょうが、アメリカの大学に入るための英語の能力テストのようなものです。やっとこさ、ここまでこぎ着けたと言う感じです。

このTOEFL(Test of English Forign Language)は690点満点で、私が必要なのは450点、この数字は、他の難しい大学をうける人から言わせると、楽勝な点数でしょうが、私にとってはなかなか大変な点数なのです。
それにしても、このテストは難しい、難しい。
聞き取りに始まり、文法、長文読解、そして、決められたテーマのエッセーを書く。
聞き取りなら、5分くらいの大学の講義をきいて、問題に答える。
長文も、見たこともないような、日常でもあまりお目にかかれない単語がぎっしり。
テスト時間は3〜4時間、しかも コンピューターの前で、画面をにらめっこしながらである。
私は何回かこのテストを受けたことがあるが、終わることには、もうフラフラである。
毎回、テストの帰り道をどう帰ってきたかよく覚えていない。

通常、日本人留学生で、日本からアメリカの大学に、ストレートで入れる人は、ほとんどいない。
やはり、みんな英語の壁があって、大学に行く前に、ESLと呼ばれる、語学学校に通うことになります。
大体、平均で、1年から1年半は、この語学学校にかよって、英語を身に付けて、大学にいくということになります。
だから、留学というのは思った以上に、時間がかかるものです。
この時期というのは、だれにとっても、辛い時期で、どうして俺は英語が出来ないんだろうと、劣等感にさいなまれて、落ち込む人も多いものです。

私もいまはまだこの段階で、なんとか、さっさと英語の壁を乗り越えたいなあと思っています。
私の場合は、昨年3ヶ月ほどこちらの語学学校で勉強していました。
それから、9ヶ月間、日本に帰って仕事をして、今回またこちらにもどってきて、ちょうど1ヶ月目、それで、大学にアプライするのは、結構、スゴイというか、むちゃというか、、、
まあ全体的にみてみれば早いほうなのです。これでパスできればの話しですが。

それにしても、日本人にとって、英語というのは、これほど、いや〜なものはないのかも知れません。
私が思うに、日本人全員が、英語コンプレックスに陥っているように思います。

どうして、中学1年生から、勉強しているのに、こんなに英語をしゃべれないのでしょうか。

一つは、学校での英語の教えかたがあるでしょう。

文法とか、英文を日本語に訳させたり、日本語を英語に訳させたり、英語単語を、暗記させられたりということです。
ここで問題なのは、英語を勉強しているのに、日本語をつかって覚えるということでしょう。
私は英語を勉強している時、日本語は一切使わないように心がけています。
辞書も英英辞書だけを使っています。
さながら、英語の脳みそだけを使っているような感じです。
その分、上達が早いように思います。

実は、英語でおしゃべりができるようになると言うことは、本当はそんなに難しいことではありません。
それは、日常で使う言葉というのは、限られているし、単純な言い回しが多いからです。
これは、日本語でも、韓国語でも、同じことでしょう。

だから、本当は中学、高校生では、日常で使う、こういう時には、こう返事をするんだよということを、100個、200個も覚えていれば、もう十分なのです。
それだけで、旅行先でそんなに困ることがないくらいは話せるでしょう。

でも、どうも、英語の教科書にでてくる英語は、へんな言葉がおおい。
そんな言い方をするだろうか、あんまりそんな言い方はしないよなあというのが、多い。
いった何を考えて、教科書を作っているんだろうか?

それともう一つ、このごろ、日本人が英語が苦手な理由を、発見したのです。
それは、小学校5年生で習う、ローマ字というやつです。
ローマ字は、この文章を打つのにも使っている分けですが、これが、英語を読むのには、じゃまになるのではないでしょうか。

私が、中学校にはいって英語のクラスが始まって、一番最初に理解できなかったのは、英語の単語をいったいどう発音していいか、と言うことでした。
たとえば、"HERE" という単語、これをローマ字読みすると、"ヘレ" となりますよね。これは”ヒァー”というように読みますね。
"NAME"これはどうなりますか、ローマ字読みすると、”ナメ”ですね。でも、本当は、”ネイム”ですね。

ローマ字というのは、ローマというだけあって、多分イタリア語あたりの発音を取り入れたんでしょう。きっと日本が明治になって開国をしたときに、日本語をアルファベットに置き換える時に考えられたんでしょう。イタリア語はローマ字読みでばっちりだと、以前聞いたことがあります。
その当時は、ヨーロッパが中心だったのでしょうから、問題はなかったのでしょうが、今では英語が中心なった今でも、いまさら、変えるわけにもいかないというような感じで、この問題はほったらかしなんでしょう。

だから、中学校1年生で、英語を教えるときは、英語の読みというのを、教えるべきでしょうね。


と言うよりも、
最初は、なによりも、口から、
"HELLO" とか "HI"、"How are you? " "Good morning"と、口から英語が出てくるように、英語が身に付いて、自分のものになるように教えなくてはいけないと思いいます。
文字は、2の次、3の次でイイともいます。

一番大切な事は、子どもに英語なんて、いやだーと、思わせないで、楽しく覚えさせることです。

私も英語嫌い、英語コンプレックスから開放されるまでに、大変時間がかかりました。
よく、思い出してみれば、高校の時に、学校嫌いになったのも、まともに英語も話せない先生が、英語を教えているといのが、気に入らなかったと言うのが原因だったような気がします。

こんな笑い話があります。東大の英語の教授がアメリカに1年間留学した。
クラスが始まった日、彼は口から英語がまったく思うように出てこなかった。
しかし彼は、一年経っても、まともにクラスメートと会話がする事ができなかった。

思い出してみれば、学生時代、みんな、あれだけ、一生懸命、エネルギーを使って英語を勉強したけれど、学校を、でても誰も英語をしゃべれない。
それなら、まだしも、英語コンプレックスにまで陥ってしまう。

これなら、いっそのこと、英語を義務教育から外したほうが、よっぽどイイのではないか。
気持ち良く暮せるのではないかと、私は思ってしまうくらいです。

はたして、日本の英語教育というのは、いったい何なんでしょうかね?

ハーレムへの旅

20031229ハーレム
今日は、思いついてハーレムに行ってきた。
友人と夕方までだべって、それからする事もなかったので、自転車で、ちょっとした旅にでることにした。
最初は、なんとか島という、イーストリバーの島の、刑務所がある島にいこうとおもったが、セキュリティーがあって、入れなかったので、しぶしぶ、アストリアにもどって、河原を眺めていた。
すると、アストリアブルバードから、橋がでているのでだが、どうも、それが気になって、しかたがなくて近くまで行ってみた。
行ってみたら、どうも、対岸まで、自転車で、いけるようなので、これは、もう、いくしかない。と言う感じで、いった。気分はいけるところまでいってみよう。自分が思うままにと言う感じである。
一つ橋をわたると、なんか、なんにもない、人気のない公園のようなところにでた。なんか、非常に恐ろしさを感じた。マンハッタンに行くためには、もう一つ、橋を渡らなくてはいけないので、入り口を探してうろうろしていると、なんとか、入り口を見つけることができた。それにしても、人気がないと言うのが、これだけ怖いものだとは思わなかった。

さてさて、橋をわたるのは、おもったより大変で、なんたって、前半が。ずっとのぼりざかだから。
なんとか、橋をわたりきると、もうそこはマンハッタン。多分、アッパーイーストだったんだろう。
突然、そうだハーレムにいってみようというきになった。ハーレムに住んでいる友だちに言わせると、話しにきくよりは危なくないと言うことだったので、うむ、じゃあ、一つこの目で、見てこようという感じになったのだ。怖いもの見たさというのは、こういうことか、それにしても、知らないところにいくというのは、いかにはらはらするか、なんか旅をしてきた人間としては、これほど、ぞくぞくと嬉しさを感じることが、できる瞬間はない。

私は、バイクを漕ぎながら、北へ、西へと、進んだ。街は、黒人と、白人が入り混ざった感じである。
さて、130ストリート、ブロードウエイあたりからは、もう、白人は1人もいなくなる。いるのは黒人と、ヒスパニックだけである。私は結局、バイクをこぎながら、196ストーと、もうほとんど
マンハッタンの先端まで、来てしまったのだ。

そうそれはあとで分かったことで、というのは、私は地図の一つも持たずに、そこまでいったのだ。
あほだ。

196スト辺りで、引き返して、190ストあたりのシーフード&チャイニーズ?でも、店員はスパニッシュ
という、不思議な店で、飯をくった。1人だけ、エイシアンがいて、話しをすると、中国人で、かれもアストリアに住んでいるということだった。それにしても、彼のスパニッシュは射たについていた。
もうすこし、話しをしたいとろだったが、ともだちから
電話がかかってきたので、店をあとにした。そいういえば、170すとを越えた辺りからは、ヒスパニックばかりが、目に付く。店も、全員スパニッシュを話していた。

くたくたになりながらも、帰り道を急いだ。マンハッタンにはアップダウンがないとばかり思っていたが、それは、真ん中からしたにかけてだけである。
ハーレムのあたりは、結構アップダウンが激しくて、疲れてしまう。それにしても、仙台よりはずっとましであるが。。。。。
途中、120すと辺りにある、コロンビア大学の急ンパスをとうり抜ける、。うむ。まるでローマか、ワシントンである。
戸の大学をというりすぎると、もうハーレムではない。急に白人の顔がおおくなる。
それでも、黒人たちも、群れをなしてあるいている。
ところで帰り道二つのアクシデントがあった。何者かが、デリにおしいって、何かを盗もうとして、発砲したということであった。あたりはやじ馬と、テレビの報道陣がたくさんいた。

ハーレムは、見た目はそんなにあぶなくないなあと、おもっていた帰り道だッたので、ちょっと怖かった。

もう一つの、アクシデントは、私の身に降りかかったものである。ころんびあをお抜けて、しばらくしてから、歩道を群れをなしてあるいている黒人のティーネイジャー5、6人を前にみた。それで、私は歩道を走っていたので、彼らが邪魔で、ト売れなかった。それでもって、スピーどをおとして、バランスをトリながら、彼らがどくのをまっている。そして、1人が気がついて道をあけたので、先にすすんだ。そして、私が、彼らを通りこした瞬間、1人の黒人が私の頭に向かって、何をを投げて、私のあたまに命中した。あまり痛くなかったし、相手も5人だったし、もう足もがくがくになるくらい疲れていたので、仕返しをするかどうか迷ったが、なにもしないで、ぶっ殺すぞ、ガキ
どもと日本語でどなっただけで、逃げた。

うむ、一つ目の、アクシデントを考えれば、懸命な選択だったようなきがする。
でも、思いつきのこの度を締めくくるには、この旅を自分の中で伝説にするためには、何かをやり返したほうがよかったんだろうなあと思う。

でも、それはそれである。なにかして、ケガをしても、なににもならない。たばになっているやつらに勝てるはずもない。

なんか、落ち込みながら疲れた体を引きずって、そのまま帰った。

MoMA VS PS1 Part1

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

New York Art Report Part7 20031211

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MoMA VS PS1 Part1
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早いもので、ニューヨークの滞在も、もう3ヶ月がすぎようとしている。ついに先週、雪がふった。ちらちらの雪ではない。たぶん10センチ以上はつもったのではないだろうか。いたるところで、車が立ち往生していた。すごいのは多くの車がスタットレスタイヤをはいていないということだ。だからといってチェーンを付けてる車もみかけなかった。チェーンというのは日本独自のものなんだろうかなんて考えてしまった。

外はとても寒くても、家の中はぽかぽか、ぬくぬくしているので、どうも出不精に磨きがかかってしまう。これではいかんと、先日、近所にあるNoMA(Museum of Mordan Art)の支店のような美術館、PS1にいってきた。PS1は、MoMAの一部のようなものらしいのだが、コンテンポラリーアートに重心を置いて、運営されている。場所は私が住んでいるマンハッタンの隣の、クイーンズにある。MoMAからは、地下鉄の7線に乗って、たった2駅の45RD Court House SQ駅から、歩いてすぐのところにある。

ここからすぐのところに、昨年ニューヨークでお世話になって、魚田さんの友人の韓国人アーティストのLEEさんの、スチューディオ(スタジオ)がある。このスチューディオが入っているビルは、落書きだらけで、すごいのだが、それがまた一つの巨大な絵のように見えなくもない。まるでニューヨークのように、でたらめだけど力強い絵だ。この辺り一帯は結構寂れていて、住宅地というよりも、工場や倉庫街といった感じである。夜に1人ではあんまり歩きたくないなあという感じの街並である。ニューヨーク市としても、この辺に沢山アーティストに住んでもらって、今やショッピング街となったソーホーや、チェルシーの様に、街を作っていきたいと思っているのだろう。

さて話しをPS1に戻します。
最初に結論からいうと、今回、PS1はなかなか、面白かったです。というのはPS1は、コンテンポラリーアートを中心に運営していて、思い切った大胆な発想で、展覧会を作っているように感じました。

ところで、コンテンポラリーと言う言葉は、どんな意味なんでしょうか?コンテンポラリーアートとモダンアートとは、どう違うのでしょうか?どうもわかっているようで、わかっていない言葉って、沢山ありますよね。
コンテンポラリー comtemporaryと言う言葉は、辞書で調べてみると、今現在のとか、同時代のというニアンスのようです。モダン modernは近代的な、現代のと言うような、意味があるようです。
だからここでいう、コンテンポラリーアートというのは、いま現役で活躍している人のアート、いま2003年12月11日のアートという語感になるのだろうと思います。一方モダンアートというのは、もっと広い意味をもっているようです。たとえばピカソや、ジャクソンポロックのように、もう亡くなってしまった人のアートから、いま活躍している人のアートまでを、モダンアートと呼んでいるようです。ですから、もし中本さんの絵が、ニューヨークの美術館に納められるとするならば、PS1ではなくて、MoMAに納まるべきでしょうね。

MoMA VS PS1 Part2

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

New York Art Report Part8 20031211

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MoMA VS PS1 Part2
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今回のPS1の展覧会は、南米出身とスペインのアーティストの特集でした。ここニューヨークにくると、一番最初に驚かせられることは、街を歩いていると、英語だけではなくて、スペイン語も、沢山当たり前のように、聞こえてくると言うことです。一日に一度は、スペイン語を聞きます。そのくらい南米からアメリカに移民してくる人が沢山いる。アメリカの一番南のマイアミでは、英語より、スペイン語を聞くことが多いそうである。そういえば、カリホルニアだったか、どこだったか、はっきり覚えていないのですが、南部の州では、スペイン語を公用語にしようという運動まであるそうである。

ヒスパニック(南米から来た人達)は、自分の母国ではとてもじゃないけど、お金が稼げない。たとえば、1ヶ月1万円くらいしか、お金を稼げないので、どうしても、経済的に豊かなアメリカにわたってくる人たちが多くなる。一般的に言って、かれらがつく仕事は、たいてい日本で言えば、3Kと言われるような、仕事である。ニューヨークにきているヒスパニックはそれほど、怠け者のようには見えないが、かれらは中国人は、日本人のビジネスマンのように、ヒステリックには働かない。大部分の人がカソリックを信じていて、大家族でくらしているようである。結婚するのが早く、子どもを沢山生むので、そのうち黒人の人口を抜かすのではないかと言われている。

このような、バックグランドとか、社会的な知識は、こういうアートの話しにはいらないよ。と、おっしゃる方もなかにはいらっしゃるのですが、私は、それはちがうのではないか。と、言いたいのです。というのは、宗教、カルチャー、時代、社会や政治というものから、アートは切り離して存在はしないからです。どんなアーティストでも、人間ですし、どこかの社会に所属しているわけです。だから、もちろんアートも、時代、社会、政治、カルチャーや宗教などの影響からは逃れられないのです。むしろ、それらを映す鏡ではないのか。たとえば、こちらで、日本人の作品をみると、あれ!これは日本人の作品じゃないのかな。と、名前をみる前に、感じることがあります。それは、その人が日本人独特の感覚をもっているからです。私も日本人なので、それをうすうす感じることができるわけです。

以前、911のことを書きました。もちろん場違いだ。と、言われるのは分かっていますが、それでも書く理由は、あの事件が、2年たったいまでも、ニューヨークに暗い影をおとしているからです。今になってやっと、あの時は、2カ月間もまともに寝れなかった。と、友人のニューヨーカーがぽつりと語ってくれます。そういうことを抜かして、この作品は、ああだ、こうだ、とは、アートの専門家でもない私が、とてもいえません。そういうことは、美術手帳の記者達にまかせて、自分はもっと違った視点で、書いていきます。まして、あの事件は、世界中を変えたわけです。日本だって、もちろんその例外ではないわけです。私が言いたいのは、これが、今、現在、私たちが生きている時代だよ。ということです。

展覧会の名前は、 The Real Royal Tripである。南米やスペインで活躍しているアーティストを見に行こう。と言う感じでしょうか。個人的に面白いなあと思ったのは、ひとつひとつの作品に合わせた展示のしかたでした。たとえば、まっくらな、なにも見えない暗やみの洞窟のようなようになっていて、奥の方から、ゴーっと、得体のしれない低音が流れていて、観覧者が奥まではいって、体感できるという作品とかも、その作品に行くまでに、細い細い通路に、カーテンが何枚も何枚も、かかっていて、カーテンをめくって先にすすむごとに、ドキドキさせる仕組みになっていて、よく出来ていると思いました。

それと、Justo Gallegoという、スペイン人のアーティスト(?)のドキュメントがおもしろかったです。この人は、自分1人で、40年もかけて、巨大な教会を造っている人で、あんまり大きい教会をつくろうとしているので、自分が70歳を越えても、まだまだ、ぜんぜん完成しない。こういう、しつこさが日本人には足りない何も知れませんね。彼は、街の人達には、変人だという目でみられている。それでもあきらめずに、作っている姿に、見入ってしまいました。そいう人がらに魅かれて、彼を手伝っている若者とかもいて、なにか中本さんが生きているときに、中本美術館に訪れてきた若者たちのようでした。

このPS1はとても古い建物で、見た目もおんぼろです。オフィスか、学校のような施設を、改装して使っているようでした。だからこそ、ひとつずつの作品、作品に、思い切ってスペースを使えるのかもしれません。MoMAと比べると、お客さんも少ないし、有名ではないけれど、非常にいい美術館だと思います。お金をかけないで、良いものをつくろうとしている姿勢が伝わってきました。

MoMA VS PS1 Part3

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

New York Art Report Part9 20031211

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MoMA VS PS1 Part3
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実は、先月(11月)にすでに、MoMAには行ってきていたのです。
それをなかなかレポートにしてまとめられなかったのは、私が怠け者ということも一つの理由ですが、MoMAの展示が、あまりぱっとしない、もう少しいうと、面白くなかったからです。私のような素人が、天下のMoMAに向かって、面白くないとか、いっていいのか、と言われそうですが、アートは、どこかのエライ人ではなくて、その人の主観が一番大切なんだと、中本さんから、教わっていますので、やはりはっきり書きますが、どうぞ、このつたない文章を読んでくださる奇特な皆様、気分を害さないでくださいね。

私が今のMoMAが面白くないとおもうのは、建物のサイズ、展示のしかた、展覧会のテーマがよくわからないという、3つの理由からです。まず、わかって欲しいのは、今、マンハッタンにあるMoMAは改装中で、私が見に行っているMoMA QNSは、改装中の仮設の建物だということです。本物のMoMAはマンハッタンの確か45st辺りにあって、いま2004年末から2005年初頭を目指して、いまは工事の真っ最中です。なんと新しいMoMAの設計者は、日本人の建築家、谷口吉生氏だそうです。ギャラリーは今の1.5倍の大きさになるそうです。まったく楽しみです。それに比べて、いまのMoMA QNSはもともと、ホッチキス工場だった建物を改装したもので、大きくないし、お世辞にも、かっこがいい外見をしているとはいえませんし、建物自体が、美術館むけという感じがしません。

次の理由は、展示のしかたです。MoMAのコレクションは、現在10万点!を越えているそうです。常時展示している会場は、そのなかから、例えば、ピカソ、ジャクソンポロック、アンディーウオフォール、リキセンシュタインとか、もう、美術の教科書にのっているような絵を100点くらい選んで、展示してるわけです。でも、そのような名だたるアーティストの作品が、タダでさい狭い展示ホールに、公募展のように、1点、2点と飾ってあるわけです。もちろん、初めて訪れたときは、もちろん、スゴイと思ったのですが、世界のアーティストの巨匠達ののダイジェスト版カタログを見ているような感じを受けるのです。なんどか、MoMAにいくとわかるのですが、常時展示のスペースにある、巨匠達の作品はほとんど、かわらないのです。それが、どうも悲しいのです。どうせなら、ジャックソンポロックの大特集で、彼の絵が何十枚も飾ってあるのを見てみたいものだと、私などは思ってしまいます。

最後の理由は、それと、特別展覧会のテーマがよくわからないのです。こちらは、今活躍している人たちを、いっぱい集めて来ました。と言う感じの、展示なんです。それも、やっぱり公募展みたいな、大きい部屋に沢山作品が飾ってある、そんな感じを受ける展示のしかたなんです。やはり会場のサイズがサイズなので、しょうがないのかもしれないのですが、それなら、もう少し、工夫があってもいいだろうと、思いました。

とういことで、MoMA VS  PS1では、絵の値段では、もちろんMoMAが圧倒的に勝っていますが、展覧会の面白さで言えば、PS1に軍配があがるのではないかと思います。

以上
佐藤研一朗

イサムノグチ ミュージアム

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

ニューヨーク アート レポート 8

みなさん今日は、ごぶさたしております。中本誠司現代美術館の佐藤研一朗です。
ひさしぶりに、ニューヨーク アートレポートを書きましたので、おとどけします。
では

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イサムノグチ ミュージアム
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先日、3年ぶりにオープンしたイサノグチムミュージアムに行ってきました。非常に凝った造り、そして作品の展示のしかたが素晴らしかった。

<写真1>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040506/images/DSCF0526_JPG.jpg

この美術館はマンハッタンから川をわたった所のアストリアという、日本人が沢山住んでいる地域にある。実は、前に住んでいたところは、そこから歩いて5分の所だった。ずっと、改築が終わってオープンするのを心待ちにしていた。

イサムノグチミュージアムは、その名の通り日系彫刻家のイサムノグチの作品だけを展示している美術館だ。だから、中本誠司現代美術館のコンセプトににているかもしれない。大きさは、中本美術館の3倍くらいの規模だ。建物は1階と、2階、そして彼の作品が沢山飾ってある庭園がある。大きいとは言えないが、中身が充実しているので、楽しんで帰ることができるだろう。

この建物は非常に天井がたかく、外から光がもれてくるように設計されている。たぶん工場か、倉庫の様なところを改築したのだろう。以外に思われるかもしれないが、このスタイルは、ニューヨークの美術館とか、ギャラリーでは、普通である。

<写真2>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040506/images/DSCF0528_JPG.jpg

以前チェルシーのギャラリー周りをしていて、ぴかぴかのギャラリーのとなりに、きたない車の修理工場があるのをみて、驚いた。もともと、チェルシーは倉庫街だったし、この美術館がある場所も、確かに倉庫などが多い。気をつけていないと、通り過ぎてしまいそうである。だれもそんなことは気にしないし、少ないお金でやっているのだから、その中で出来ることをやりますよ。と、開き直っているという感じを受ける。この辺の感じが、ニューヨークらしいという所だろう。

1階は、彼の石の彫刻が、至る所に展示されている。日系の作家だけあって、なにか、日本の雰囲気を醸し出している。アメリカ人がみると、東洋の神秘のように映るのだろうが、私がみると、驚きではなくて、なにか懐かしいような、それとも非常に普通な、というか当たり前のような感じにうつる。自分の中の日本人の感覚に非常に近いなあという所だろうか。

私が感動したのは、2階の展示のである。作品はもちろんすごいのだけど、その展示の仕方が素晴らしい。まず最初の展示室は真っ暗で、そこにノグチの舞台演劇のために作った作品が展示されている。真っ暗の中に作品がライトによって浮かび上がっていて、神秘的な気分になる。ライティングが、すばらしく、その作品の影すら、うつくしい作品の一部になっている。

<写真3>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040506/images/DSCF0563_JPG.jpg

部屋を移ると、今度は一面柔らかい明かりに埋め尽くされる。有名な和紙でてきた提灯のようなライトの作品が、無数に吊されていて、床にはワラが敷き詰められていて、こおばしい香がただよっている。彼の日本への思いでの、暖かい部分を表現したかったのだろうか。

部屋によって、全く会場の雰囲気が変わり来訪者を驚かせる。次の部屋は、今度はまた暗やみに戻り、そして闇の中に日本庭園を模して作ったような展示である。床には小石が敷き詰められていて、渡り石が展覧者を導いている。最後の部屋は、急にモダンな作りになる。壁と、床はアルミになっていて、もう日本がみられない。完全にアメリカのモダンである。ここでは、彼がデザインした家具や、ラジオ、そして金属の作品が展示されている。

私が感動したのは、作品の展示の仕方を変えるだけで、これだけ作品が生きるのだということ。それと、建物は大きくないし、ゴージャスではないけど、作品を生かすことに力をいれています。というコンセプトである。 MoMAには何度も行っているけれど、超有名な作品が、山のように展示してあって、一つずつの作品の個性が強いだけあって、個性がお互いに干渉しあって、頭ががちゃがちゃしてくる。帰るころにはくたくたに疲れいる。

それに比べてこの様な小さな美術館は、なにか見終わったあと、充実した気分になって帰ってこれる。それはコンセプトが一貫しているからだろう。今までいったニューヨークの美術館の中で、この美術館が一番好きだ。

佐藤研一朗 2004.6.17
(了)

The Isam Noguchi Museum 公式サイト(英語)
http://www.noguchi.org/

簡単な略歴
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A4%A5%B5%A5%E0%A1%A6%A5%CE%A5%B0%A5%C1?kid=31002

ソクラテス彫刻公園

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

ニューヨーク アート レポート9


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 ソクラテス彫刻公園
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イサムノグチミュージアムからの帰り道に、ソクラテス彫刻公園を、ぶらっと散歩してきた。アストリアのハドソンリバーの川沿いにあって、マンハッタンが一望できる。勉強の気分転換にはぴったりで、以前、住んでいた近所にあるので、よく足を運んだ。私のお気に入りの公園である。

<写真1>
http://www.im-sendai.jp/ken/20031011/images/DSCF0182_JPG.jpg


だだっ広い公園は、緑の芝が敷き詰められている。そこに大きな作品が、なにげもなく、おしげもなく、青空の下に展示されていて、不思議な感じがする。近所から犬を連れて週末の散歩に来ている人がたくさんいる。だれも犬に鎖をつけていない。犬達がじゃれあって遊んでいる。だれも、それをとがめたりしない。マンハッタンのセントラルパークなんかよりも、もっとみんなリラックスしているので、のんびりするには、最高の環境だ。

<写真2>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040506/images/DSCF0605_JPG.jpg


しかし、こんなにきれいな公園も、1986年までは、違法なゴミ埋め立て地だったそうだ。この辺は倉庫街だと前回も少し書いた。そう言えば、この辺りいったは、いまでこそ、レストランとかスーパーマーケットとかが、沢山あって便利だけど、5、6年前までは、何にもなかったのよ。と、家主の奥さんがいっていたのをおもいだした。

いまでは、若い子や、少しお金持ちの人が買い物をするおしゃれな街、ソーホーも、もともとは倉庫街だった。家賃が安いこの街に若いアーティストが移り住んで、有名なギャラリー街になった。でも、いまは家賃が高すぎるので、アーティストは、チェルシーやブルックリンに移り住んでいるときく。ニューヨークでは、街の移り変わりがすごく早い。 たぶんニューヨーク市もこの辺りを再開発して、もっとファッショナブルな街にしたいと思っているのだろう。

随分前に聞いた話ですが、 仙台でも同じような動きがあるようです。卸町という、人が住んでいない倉庫街が、物流業界がこの不況と、合理化のあおりを受けて、非常に活気がない。そこで街を活性化させようと、空いている倉庫をアーティストに貸して、ギャラリーにしようとしているそうです。たしか、私と同じくらいの同世代の若者達が、アートマネージメントのNPOを目指してがんばっているGroundあたりが、この辺りの話しをよく知っていると思うのですが、その後のプロジェクトは進展したのだろうか。

Ground 公式ホームページ http://www.groundweb.net/

きっと大切なのは、行政側のバックアップ、それとアーティストを集めたり、会場を管理するアート団体、それと地元の厚い協力、そして若い人(古い人でもいいのですが)に、細かいことをいわずどんどん好きなようにならせるという方針でしょうね。仙台は、東京やニューヨークに比べて人口は少ないし、メディアもないし、自分たちのやっていることに厳しいので、よっぽどの事がないと、話題にはならないでしょう。

しかし、もしかしてうまくいけば、この辺りは、ソーホーのようなおしゃれな街に変身するかもしれませんね。そうしたら、卸町の近くにある、1000点以上の中本さんの作品を収めてある巨大な倉庫も、巨大な美術館に生まれ変わるかもしれません。


いやいや、話しが大幅にずれました。
さて、今回の、作品のテーマは、環境のようである。会場が大きいので、そのスケールに合わせて、本当に大きい作品がおおい。間欠泉を模した作品は、実際にイエローパック国立公園にある間欠泉とインターネットでつながっており、同じタイミングで、水を吹き出す仕組みになっているらしい。

<写真3>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040506/images/DSCF0602_JPG.jpg


面白かったのは、グリーンジャイアンツというコーンの缶詰めラベルにのっているキャラクター(レストランとかで働いた人は見たことがあると思う。)の、本当に大きいバージョンの作品、どうも、うまく説明出来ないので、どうぞ写真をみてください。

<写真4>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040506/images/DSCF0603_JPG.jpg


この公園のユニークな所は、アーティストの作品を、どこから買ってくるのではなくて、公園内に、スタジオがあって、そこをアーティストに貸しだして、作品を作っている。6ヶ月ごとにアーティストを募集していているそうです。

さきほどホームページを見ていたら、2005年のアーティストを募集していました。
http://socratessculpturepark.org/Applications/Grant_Application.htm

学生は募集できないようですが、その他の条件はなく、どこの国籍の人でも、何歳でも、募集できるようです。しめきりは10月、交通費と、宿泊費は出ないそうですが、40万が支給されて、半年間、自由にスタジオを使え、機具などもそろっているようです。 この辺りは、安全な場所だし、日本人がいっぱい住んでいて、暮しやすい場所なので、もし受かったら、すごい経験でしょうね。 もし興味のある方は、挑戦してみてはどうでしょうか。

佐藤研一朗 2004.6.19
(了)


ソクラテス彫刻公園 公式ホームページ(Socrates Sculpture Park)
http://socratessculpturepark.org

アフリカン アート ミュージアム

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

ニューヨーク アート レポート 10

こんにちは佐藤研一朗です。

ニューヨークでは梅雨がなく、暑いけれど過ごしやすい日々が続いています。
今日は私の通っている学校の近くにある私のお気に入りの美術館を紹介します。

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アフリカン アート ミュージアム
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アフリカンアートミュージアムはモマ・クイーンズ(MoMA Queens)から、5分ほど歩いた倉庫街のなかにぽつんとたたずんでいる。建物は普通の雑居ビルのようで、このビルの3階のスペースがこの美術館の展示スペースである。このスペースは非常に小さく仙台メディアテークの展示スペースの3分の1ほどでしかない。

このごろ、ニューヨークの美術館は改築ラッシュのようで、先日訪れたNew Museumという現代美術を専門に扱っている美術館を尋ねたが、残念ながら改築中でみることができなかった。このアフリカンアートミュージアムも昨年、マンハッタンからクリーンズに移転してきたばかりだ。マンハッタンは東京の丸ノ内の中にあるようなものだから、家賃がべらぼうに高い。大きなスペースも借りれないし、ロックフェラー財団のような、大財閥にでも支援してもらわないと、とてもじゃないが美術館の経営はできないだろう。(たとえばMoMAのように)

クイーンズというはの、マンハッタンの隣に位置しいる。地下鉄が通っているので、マンハッタンまでは20〜30分で到着する。東京でいうと埼玉とか千葉みたいなところである。いわゆるベッドタウンである。だから高いビルなどは建っていない。住宅街、駅前の商店街、それと倉庫街も結構ある。マンハッタンなどと比べると、家賃は安いし、人がゆったりしているので、暮しやすい。


地図
http://www.im-sendai.jp/ken/image/tizu.gif


マンハッタンを抜け出して、郊外に移ってきたのはいいが、今度はなかなかお客さんを呼び込むのが難しそうである。これは仙台の郊外にある中本誠司現代美術館がもっている悩みと同じものだろう。街中なかにあれば、人は来やすいが家賃が高い。郊外にあれば、広いスペースをもてるが、客を呼ぶのが難しい。資金が沢山ある公立の美術館と違い、私立美術館の泣き所でもある。そんなことで、中本美術館をと重ねて、どうもこの美術館に親近感がわいてきて応援したくなってしまった。

この美術館の特集は、実はなかなか素晴らしいものがおおい。一つのテーマに絞って、良質な作品を展示するというのがこの美術館のポリシーのようだ。昨年の1月に行ったときはアフリカの現代アートがテーマだった。ドイツのカッセルで5年に一度行なわれる世界的なアートイベントのドクメンタに参加したアーティストの作品が展示してあったのにはおどろいた。面白いとおもったのは、アフリカの伝統衣装をきた人形が、大きいテーブルの周りに腰掛けている作品で、どうも喧々諤々の議論をしているようである。アフリカの現状を皮肉った作品なんだろうがなんとも言えない緊張感が伝わってくる作品だった。


<写真1>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040102/images/DSCF0343_JPG.jpg


もう一つ面白かったのは、アフリカの木彫りの像、仏像、マリア像、フィギュア、骸骨、地球儀まで紅白のテープでグルグル巻きにした作品で、紅白で目がちかちかする。すごいなあと思ったのは、宗教的なものをストレートに批判しているようであったからだ。タブー? そんなことは知らないよ、とでもいっているようだ。(あとで読み返して思ったが、これは偶像崇拝を批判している作品ではないか。そして、イスラム教の教えにそった作品ではないだろうか。アフリカにもイスラム教徒が沢山いる。)


<写真2~5>
http://www.im-sendai.jp/ken/20040102/images/DSCF0334_JPG.jpg
http://www.im-sendai.jp/ken/20040102/images/DSCF0336_JPG.jpg
http://www.im-sendai.jp/ken/20040102/images/DSCF0338_JPG.jpg
http://www.im-sendai.jp/ken/20040102/images/DSCF0339_JPG.jpg


会場で見た作品の多くは非常に分かりやすく、作品の主張がはっきりしている。日本やアメリカのように、何が問題であるかわからなくなってしまった社会ではなくて、いまだに問題が山積みになっているアフリカをよくも悪くも象徴しているようでもあった。

普段は、現代美術ではなく、アフリカの伝統芸術を飾ってあることが多い。マスクや像は日本のものと完全に違っていて、いつ見ても新鮮だ。ピカソもアフリカの美術をみて、キュビスム的な絵を描くようになったと聞いたことがある。ニューヨークに来た際は訪れるべき美術館だろう。

佐藤研一朗 2004.7.11
(了)

アフリカンアートミュージアムの公式ホームページ( Museum for African Art)
http://www.africanart.org/

ドクメンタ公式ホームページ
http://www.documenta12.de/
shinji kohonoという日本人が次回のドクメンタにかかわっているようです。
ネットで調べてみましたが、京都国立近代美術館の主任研究官の河本信治さんというかたのようです。海外で日本人が活躍しているのを聞くとうれしくなりますね。


ドクメンタ視察旅行記
http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/02dokumenta/1.html

彫刻センターSculpture Center

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

ニューヨーク アート レポート11


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 彫刻センター Sculpture Center
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小さな美術館がおもしろい。つねづねそう思っているが、先日、彫刻センター(Sculpture Center)を訪れて、それをまた実感した。

モマクイーンズ(MoMAQueens)から歩いて、20分ほどの所に彫刻センターはある。この辺りクイーンズのロングアイランドシティーは寂れている。再開発の起爆剤として建てられたシティバンクの30階だての高層ビルがひとつぽつんと建っているだけで、あとは倉庫と車の修理工場があるだけである。このへんの地理に詳しくない人は、この倉庫街にうずもれた美術館を探しだすのに一苦労するだろう。道には小さな看板がたっているだけで、外観は完全に倉庫か工場である。それもそのはずこの美術館はもともとトロリーの修理工場だったそうだ。

<写真1>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407sculpture/pages/DSCF0675_JPG.htm

この美術館も、先日紹介したアフリカンアートミュージアムと同じように、最近マンハッタンから移ってきたようだ。家賃が高すぎるからだ。有名な前知事のジュリアーニは、いまでも共和党の副大統領候補にしたらと声があがるくらい評判がいい政治家だ。業績はマンハッタンを徹底的に綺麗にして、安全にしたということだ。荒廃した風景は人をもっと荒廃させる。と言うスローガンのもと、割れている窓ガラスをもとにもどさせた。麻薬の売人を片っ端から捕まえて、アダルトショップを立ち退かせ、警官をそこら中に配置した。それはすごい手腕であったが、その副作用として、マンハッタンの家賃が高騰したのである。

それでお金のないひとはクイーンズやブルックリンなどに移らなくてはいけなくなったのだ。私が住んでいるクイーンズのアストリアも、5年、10年前までは、倉庫しかなかったと、以前レポートに書いた。このような街の移り変わりの激しさはニューヨークの文化をつくっているような気がする。

仙台でも、泉区の北の方にたまに出かけると、それまで山や田んぼだった所が新しい団地になっていたりして驚くことがある。しかしニューヨークの街の移り変わりは、古い町が、全く性格が違う新しい街に生まれ変わってしまうというもので、ちょっと意味合いが違う。

話しはもどる。
建物の中は、元修理工場と言うだけあって、大きなスペースにただ壁を取り付けただけだ。展示場は1階と、地下である。入場料は5ドル以上の寄付。

この美術館、彫刻センターというわりには、いわゆる「彫刻」という作品は一つもなかった。ほとんどの作品がインスタレーションといっていいと思う。今回のテーマの一つは音のアートといことで、美術館のあちらこちらから、いろいろな音が聞こえてくる。

今回は面白い作品が多くて、どれを紹介するか迷ってしまうが、とくに印象にのこっている作品を3つ紹介したい。一番最初に目に付いたのはビデオ作品。レストランの様子が何事もなく映されている。最初は何のことかわからなかったのだが、見ているうちに、だれ一人もおしゃべりをしていないことに気がついた。レストランの中では、数人がビラをくばっている。そのビラがテーブルにおいてある。シーっと人さし指を口に付けて、「静かに!」とジェスチャーをしている。このジェスチャーは万国共通なのかと、ちょっと驚いた。


<写真2>

Francis Alys & Rafael Ortega "One Minute of Silence"

http://www.im-sendai.jp/ken/200407sculpture/pages/DSCF0679_JPG.htm


つぎに面白いなあと思ったのは、天井からスピーカーの音がでる丸い部分だけがつるしてある作品だ。この丸い部分だけが、音もたてづにドクドクと動いている。なんだか、不思議で、ちょっと薄気味わるさを感じてしまう。


<ビデオ1>

Stephen Vitiello "Fear of High Places and Natural Things"

http://www.im-sendai.jp/ken/200407sculpture/pages/DSCF06991_JPG.htm


地下は少しかび臭く、迷路のような細い通路になっている。何となく不気味な雰囲気が漂っている。その入り口にこの作品が置いてある。古びた安っぽいレコードプレイヤーにヘッドホンがついていて、自分の好きなレコードが選んで聞けるようになっている。ただこのレコードはビニールでできている。本物のレコードから型をとったのだろう。音楽は聞こえるが、ビニールで出来ているだけあって、雑音が多すぎてよくわからない。古い音楽のようだ。遠い消えゆく記憶と言う感じである。もしくは30年前の新聞を読んでいるのと同じで、何を言っているかよくわからない。


<写真3,4> 

Terry Nauheim "Curiously Groovy"

http://www.im-sendai.jp/ken/200407sculpture/pages/DSCF0686_JPG.htm
http://www.im-sendai.jp/ken/200407sculpture/pages/DSCF06861_JPG.htm

帰り口にカウンターで受け付けをしていたスタッフの人と話し込んだ。話しによるとこの彫刻センターはNPO(Non Profit Organizationの略 - 非営利団体)で運営されていることだ。それもあってか、本当に気さくな人だった。自分が働いている中本誠司現代美術館もNPOなんですよと、話しがもりあがった。中本美術館のホームページをみせると面白いと喜んでくれた。しかしそろそろホームページの英語版を拡充しなければいけないなあ。


それにしても、今回のテーマに合わせて、本当にぴったりな作品ばかりがおおかった。どのように作品を集めているのだろうかと、疑問に思うほどである。あとでホームページを調べてわかったのだが、この美術館、イメージライブラリーというシステムをとっている。このシステムは、アーティストが自分の作品をこの美術館に登録しておいて、企画展がおこなわれるとき、このイメージライブラリーからテーマにあっている作品が選ぶ。現在は400名以上のアーティストが参加していて、毎回、企画展に展示される作品の3分の2はイメージライブラリーから作品だ。これは非常にイイシステムだとおもう。中本美術館も導入したほうがいいかもしれない。

このイメージライブラリーはどんなアーティストでも、要項を送れば、登録してくれるそうだ。日本から沢山応募して、From Japan なんていう企画展が開催されたら、面白いとおもうのだが。

募集要項はこちらから  (彫刻センターホームページ内)
http://sculpture-center.org/gi_artistsubm.html


佐藤研一朗 2004.7.22 
(了)

彫刻センター(Sculpture Center) 公式ホームページ
http://sculpture-center.org/

この展覧会の写真をもっとみたいひとは  (彫刻センターホームページ内)
http://sculpture-center.org/pe_treble_img1.html

NYと仙台の街の比較1

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

アートレポート11.5


 ************おわび***************
 *                            *
 * 今回はアートの話しはあまり出てきません。       *
 * NYと仙台の街の比較のような小論文になってしまったので*
 * 興味と、お時間のあるかただけ、お読みください。    * 
 *                            *
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 ダンボ散策 Down Under the Manhattan Bridge Overpass
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マンハッタンブリッジが頭の上を駆け抜ける小さな街ダンボに行ってきた。ブルックリンにあるこの辺りには、アーティストが沢山住んでいて、ギャラリーが沢山あると聞いたからだ。雲ひとつない晴天で、ハドソンリバーから吹いてくる風が気持ち良い。ブルックリンは危ないと言うイメージがつきまとうが、場所によってはなんの問題もないところが増えてきているときく。

駅から歩くこと10分、ダンボが見えてくる。倉庫が多いが、ちょっとおしゃれなお店がぽつぽつとあって、雰囲気がいい。ちょっとのどが渇いたので、ギャラリー周りをする前に喫茶店に入って、お茶を飲むことにした。入った喫茶店は、なかなかいい感じだ。大きなカウンターが見える。夜はきっとバーになるのだろう。驚いたことに、このお店の中には、画材が売っているコーナーがあるではないか。さすがにアーティストがすんでいるだけある。さいさきのいいスタートだ。

<写真1>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407dumbo/pages/DSCF0660_JPG.htm
<写真2>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407dumbo/pages/DSCF06601_JPG.htm

このまちも、1970年代から、アーティストがマンハッタンから、もっと大きいスペース、もっと安い物件を求めて、移り住んできたところから始まって、今では700人以上のアーティストのコミュニティーがあるそうだ。ニューヨークの街の移り変わりが早い。それがニューヨークの文化を作っているのではないかと、前回書いた。この街はその典型だろう。

まず、アーティストが街にスペースを求めて移ってくる。そうすると、レストランや、バー、ギャラリーが出来る。だんだん街がおしゃれになってくる。すると、ちょっとしゃれた洋服屋など、移ってきて地価がたかくなる。そうすると家賃があがって、アーティストが違う場所にうつっていく。のこされた街は、レストランや洋服屋などのショッピング街になる。これが一連のサイクルのようだ。 これは街の再利用といえるのではないか。

人が移り住んでくるというのが、このニューヨークの街の移り変わりのミソだ。人が移り住んでくるからレストランが出来て、お店ができる。人が住んでこそ街は生きるのだ。仙台の駅裏(東口)の再開発されたきれいな街並をみて、いつも何かが足りないなあと、考えていたが、あそこには人が住んでいないのだ。やはりあそこは、住宅地にするべきだったのではないだろうか。仙台駅まで歩いて5分、10分というのは素晴らしい環境だ。

なにも、仙台駅まで1時間もかかるような山奥を切り崩して、ちょっと前まで、なになに村だったところに団地を作らなくてもいいはずだ。住んでいる人には非常にもうしわけないが。こんなところに住んでいたら、国分町にも飲みにいけないではないか。

人口が減りだしたら、あっという間に過疎化して、ゴーストタウンになってしまいそうである。もしくは、その時移民受け入れがはじまっていれば、中国人や、韓国人のたくさん住む町になっているかもしれない。これは、ニューヨークの隣の州、ニュージャージーなどの郊外に結構みられる風景だ。

この移民の受け入れの話しは、中国や朝鮮が嫌いな人が増えている今の日本では反感を食らいそうな話しではある。けれど、ニューヨークきておもったのは、移民を受け入れられる国はまだいいのである。移民を配給する国よりもずっと豊かで、自分たちが移民にいかなくてもいいのだから。最悪さけなければいけないのは、日本が貧乏になって私たちが移民にでて海外で稼がなくてはいけなくなるといういう事態だ。想像ができないが、戦後までは日本はそのような状態だったのだから。

いづれ人口が減りだし、しかも高齢化がもっと進んだら、どちらにしても移民を受け入れをしなくてはいけないのだ。もし、自分たちが結婚して、子どもを2人づつ育てられなければ、簡単な算数の引き算で人口が減りだす。となれば、やはりこれは避けられない政治課題になっていくだろう。

話しがずれた、さて都心の空洞化が叫ばれて久しい。一番丁などが、郊外の大規模店に押されている。やはり仙台の都心にも、もっと人が住むべきだと思う。都心に数万人の人が移り住めば、どれだけ毎日の渋滞がへるだろうか。ニューヨークは東京都同じくらいの規模の街だが、東京ほど渋滞や、満員電車などの交通のわるさがない。仙台のよりもずっと小さい、ニューヨークビジネスの中心のマンハッタンに、そこに150万の人が住んでいるからである。日本だとオフィス街のとなりに人が住んでいることが考えずらいが、こちらでは普通である。

<仙台とマンハッタンの比較> 青いのがマンハッタンの大きさ
http://www.im-sendai.jp/ken/image/nysendai.jpg

六本木ヒルズの例を見るように、日本でも、この都心回帰が少しづつ始まっているようである。ただこの大規模の再開発をみていると、限られた人しかすめないこの街は、あまりうまくいかないのでないかとおもう。私には大きな社宅のようにしかみえない。雑多な人が住みあっているから街に活気がでるのだろう。

それに街の再開発とかいうと、やれ、立ち退きだ。やれ、保証だと、大規模な予算がかかる。よっぽどうまくやらないと計画が鎮座してしまう。それよりは、街中に沢山ある雑居ビルの空きテナントを、再利用して住居として貸しだせるようにすればいい。大々的な再開発も入らないし、予算も時間もあまりかからない。問題はそれが地方レベルでできるかと言うことだ。産業地に人住めないという法律があったはずだ。地方レベルでそのような法律を変えられるとは思えない。

日本は何でも中央で物事をきめるから、時間がかかるし、ニーズにあわないこともおおい。そして日本の端っこから端っこまで、全部同じになってしまった。人々は自分が頑張ってもどうにもならないとわかっているから、だれも政治に関心をもてない。この明治から続く中央集権が、日本人の性格を受け身にしているようにおもう。いつまでも、上からの指図をまっているがこない。それが今の日本に蔓延している絶望感と喪失感だろう。やはり、道州制にしてもっと柔軟に自分たちが過ごしやすい暮らしを作っていけるようにするべきだとおもう。

これからは、いままでのように行政がぽんぽん箱物を作っていくというのは、できなくなっていくだろう。それは雪だるま式に増えていく国や地方自治体の借金をみればわかる。私は、行政が箱物を作ることを、否定しない。道路も新幹線もなければ、どこにもいけない。ダムがなければ、蛇口から水はでてこない。問題はどうしようもない、利用価値がないような箱物を簡単に作ってきたということだ。

その例をあげれば仙台市がつくったシェルコム仙台という球場があげられるだろう。100億円をかけて作ったのは、観客が1000人ほどしか入れないドーム球場だった。それならば宮城県と組んで、どうして老朽化がすすむ宮城球場をなおさなかったのか。りっぱな球場があれば、球界再編でもめているいま、ロッテ辺りが、仙台に戻ってくることもあったのではないか。100億円かけて屋内ゲートボール場をつくらなくてもいいだろうに。

シェルコム仙台関連記事
http://www.kahoku.co.jp/kou/980111k.htm
http://www.kahoku.co.jp/kou/980112k.htm

これから必要になるのは街の再開発ではなく、街の再利用だろう。再利用なら見捨てられている所を、資源として再利用するのだから、みんなに喜ばれる。あるものを最大限に、付加価値を付けて使っていくという思想だ。そう考えれば日本は宝の山だ。ただいまは、宝の持ち腐れをしているのだ。

仙台にだって、埋もれている資源、地域が沢山ある。そう気づいて、宮城教育大学の助教授の村上タカシ氏が、七夕期間中にいろは横丁で企画しているのがtanabata.orgだ。これは街の再利用といえるとおもう。前回紹介したGroundの卸町での活動だった同じだろう。

村上タカシ ホームページ
http://ArtsAndAct.at.infoseek.co.jp/

TANABATA.org ホームページ
www.tanabata.org/

Ground ホームページ
http://www.groundweb.net/

<続く>


<参考資料>
戦略ケース 東京再生はなるか−六本木ヒルズ・...
http://www.jmrlsi.co.jp/menu/case/2001/moribuil_1.html

MID-TOKYO MAPS: #04 この地図について
http://www.mid-tokyo.com/04/aboutthis.html


ps
街の再利用と言う言葉は、どうも私がいま一番最初に使い始めた言葉らしい。
ということで、どんどんこの言葉をつかって、はやらしてほしい。

NYと仙台の街の比較2

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

アートレポート11.5 その2

 ************おわび***************
 *                            *
 * 今回はアートの話しはあまり出てきません。       *
 * NYと仙台の街の比較のような小論文になってしまったので*
 * 興味と、お時間のあるかただけ、お読みください。    * 
 *                            *
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 ダンボ散策 Down Under the Manhattan Bridge Overpass
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さて、いったい何の話しをしていたんだと、突っ込まれそうだが、私は、ダンボのギャラリー巡りをしていたのである。カフェをでた私は、いい気分でギャラリー周りを始めたのだが、最初に入ったギャラリーが沢山入っているビルが改築中で、どのギャラリーもやっていなかった。しょうがないので、窓から、マンハッタンと、マンハッタンブリッジの写真をとる。どうもこの街はチェルシーなどの華々しいギャラリー街ではなくて、アーティストがスタジオかりて、製作しているアトリエ街のようなところなのだろう。

<写真1> 対岸に見えるのがマンハッタン
http://www.im-sendai.jp/ken/200407dumbo/pages/DSCF0663_JPG.htm

しばらく歩いていると川沿いに公園を見つけた。エンパイア・フルトン・フェリー公園(Empire Fulton Ferry state park)は、なかなかイイ味をだしている。対岸に見えるマンハッタンの風景画を描いている人がちらほらと見える。歩いている人も、マンハッタンなんかよりも、ずっとリラックスしているように見える。

以前紹介したソクラテス彫刻公園のように、作品が沢山おいてある。ホームページでくわしい情報を得られなかったので、くわしくはわからないが、駆け出しのアーティスの作品がおおいようだった。これは非常に日本の公園も参考にできるだろう。高いお金を払って、大家の彫刻をおくよりも、定期的に駆け出しのアーティストに材料費だけ出して、作品を作らせてたら、おもしろいし、安上がりではないか。でも柵も門もない日本の公園だと、作品の管理がたいへんだろう。

<写真2>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407dumbo/pages/DSCF0671_JPG.htm

しばらくして、ガイドブックに載っているギャラリーを探すが、なかなか見つからない。歩きまわること30分やっと、ギャラリーを見つけたが、作品入れ替え中で作品が飾っていなかった。中にいた人に聞くと、いまちょうど、ほとんどのギャラリーが改装中ということだった。でも、ひとつだけやっているところがあると、Dumbo art centerを紹介してもらった。

そんなことで、Dumbo art centerに行ったのだが、なんと、ここも作品の入れ替え中で作品が飾っていなかった。ということで、今日のレポートは、No.11.5になっていわけです。オーナーらしき人に、ぜんぜんギャラリーがやっていないよと話しをすると、「タイミングが悪かったね。でも、10月15〜17日には、アメリカでも最大級のアートフェスティバルがダンボで開催されるんだよ。」と教えてくれた。昨年は300以上のアーティストが参加して115,000人がダンボを訪れたと、すこし誇らしげだった。そう、このフェスティバルは、Dumbo art centerの企画で行なわれているのだ。

このダンボ・アートフェスティバル(d.u.m.b.o art under the brdge festival)は、路上、ギャラリー、スタジオを開放して行なわれる。ファインアートから、パフォーマンス、インスタレーション、そしてショートフィルムに至まで、幅広い種類のアートがあつまる。ことしは、特別企画として、韓国アートの今(Korean art now)が企画されるそうだ。10月に見ることが出来たら、詳細を紹介したいとおもう。

すごいなあと思うのは、このDumbo art centerもNPOであるということだ。NPOは非営利団体の事だが、お金を一円も稼ぎませんよということではない。常勤のスタッフには給料を払っていいし、運営に必要なお金を、寄付や事業で集めることが許されている。ということは、ここスタッフは、バイトの心配もしないで、年がら年中、このフェスティバルのことを考えて暮していけるのだ。


きっとこのフェスティバルは、仙台で毎年秋口に行なわれている常禅寺ストリートジャズフェスティバル(通称・ジャズフェス)のようなイベントだろう。今年で14年目を迎え、昨年は3500名の参加者と、50万人の観客数を数えるというジャンボイベントだ。しかも仙台のメインストリートを占領して、屋外で行なわれているのだ。音楽を引く人なら誰でも参加でき、ジャズに問わず、さまざまなジャンルの演奏家が参加している。

常禅寺ストリートジャズフェスティバル 公式ホームページ
http://www.j-streetjazz.com/

このジャズフェスに触発されて出来たのが、学生達が中心になって活動している伊達ロックである。こちらもジャンルをロックにこだわらず、音楽、アート、パフォーマンス、フリーマーケットなどが行なわれる。記憶に残っている方もいるかもしれないが、2年前には、中本美術館と共同で、嶋本昭三スカイアートパフォーマンスを開催した。今年はスタッフがなかなか集まらず、開催が危ぶまれていたが、元スタッフが奮起して10月に開催する運びになった。このニュースを心から祝福したいとおもう。

伊達ロック 公式ホームページ
http://daterock.com/

嶋本昭三スカイアートパフォーマンス(中本美術館ホームページ内)
http://seishi-nakamoto.com/museum/artweek/2002/index.html


仙台にもこのようなイベントがあるのは、素晴らしいことだとおもう。仙台人はこの街をもっと誇ってもいい。これだけバランスがとれていて、過ごしやすく、美しい街は、なかなかあるものではない。この街がもっと面白くなったら? そりゃあ、最高の街になるだろう。

そのことを仙台人が実感できていないというのはどうしてなんだろうか。自分たちのやっていることの評価が低すぎる。メディアが東京に偏向しているからだろうか。まったく、残念でならない。

伊達ロックとか、ジャズフェスとかは、将来的にNPOのような団体になったほうがいい。実行委員や、副実行委員くらいは、それで暮して活けるようにしていくべきだ。そうすることによって、イベントの質も上がっていくだろう。仙台には100万人すんでいるのだから、100人くらいはそうやって暮している人がいてもいい。

2、3年、見込みのありそうな若者を、支援して、このような何万人も集まるようなイベントで力を発揮させたら、どれだけすばらしいことでしょう。そういうなかから将来、本当に社会に貢献するようなリーダーが出てくるのではないかと、私は思うのです。

こちらにいると、日本人は政治のことに本当に興味がないんだなあと、つくづく思う。それは戦争にコテンパに負けて、政治なんてもう信じないと、遺伝子にくみこまれてしまったのでしょうがないのかもしれません。

私は、日本人は、個人的には周りの人の気持ちを考えて、周りの人に迷惑をかけない行動できる人々だと思います。しかし、社会的には、非常に自分勝手な人間になっているのではないかと、感じることが多いのです。

自分が所属している会社や、グループの中では、非常に気を使うのに、自分たちが住んでいる社会には、関心をしめさない。こういうことは、政治や、社会に対してもっとストレートなアメリカに来て思うのですが、恥じるべきことではないかと思います。

政治や社会のことは、うさんくさくて、難しくてわからないと、言われるかもしれない。でも、答えは簡単。それはただ、自分たちの生活であり、日常の事なのだ。そろそろ自分たちの周りの事を、考えていく時が始まってきているようにおもうのです。それが大人のたしなみというものでしょう。

(了)

佐藤研一朗 2004.7.31


Dumbo art center 公式ホームページ
http://www.dumboartscenter.org/

D.U.M.B.O ART UNDER THE BRIDGE FESTIVALのレポート
http://www.new-york-art.com/Garou-dumbo-1.htm
http://www.new-york-art.com/garou-dumbo.htm

フィラデルフィア美術館

<この文章は私が中本誠司個人美術館のメーリングリスト向けに、連載してたものです。ニューヨークに行こうがなかなか進まないので、こちらを先回りして、掲載します。>

ニューヨーク アート レポート12


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 フィラデルフィア美術館
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フィラデルフィア美術館に行ってきた。なんの予備知識もなく訪れたのだが、
思い掛けなく、マルセル・デュシャンの作品をみることができ大満足だった。

前回は、どうも話しがアート以外に飛んでしまったので、今回はすこし反省し
て美術館のことをもっとかいていきたい。それでも、私のないアートの知識を
ひけらかしても、しょうがないので、情景や状況の説明に文面をさいてしまう
ことを、お許しいただきたい。

フィラデルフィアは、ニューヨークから車で2時間ほどいったところにある。
ペンシルベニアという州にあって、全米5位のビジネス街でもある。人口は1
50万人で、仙台よりももう少し大きいくらいだ。歴史に深く、落ち着いた街
並と、古い建物がめだつ。あのメイフラワー号が辿り着いたの土地である。

<写真1>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407philadelphia/images/DSCF08211_JPG.jpg


今回、フィラデルフィアに行くことになったのは、ルームメートのクリスがフ
ィラデルフィアで行なわれるビールフィルティバルに一緒にいこうと誘うの
で、ビールに目のない私は、返事ひとつについていくことにしたからだ。さっ
そく話しは飛んでもうしわけないが、アメリカには地ビールが沢山ある。日本
のビールもおいしいのだが、種類の多さには負ける。小さな会社がいろいろあ
って、オリジナルなビールが沢山ある。中には22%という日本酒より強いビ
ールまである。

ちなみにニューヨークからは、バスで2時間、隣の隣の州であるが、そのわり
には遠くはない。今回はチャイナタウンバスをつかった。これはその名の通り
中国人が経営していて、チャイナタウンからでているバスだが、非常に安い。
フィラデルフィアまでたった10ドルだ。普通なら往復で40ドルだから、相当
格安である。このバスは、その他ボストンやワシントンにもでている。貧乏旅
にはぴったりである。アメリカに来た際は使ってみてはどうだろうか。

フィラデルフィアの場所
http://color.pepper.jp/philly/1/location.php


私は高校をでて2年間旅行をしていたので、旅が大好きだ。しらないまちに行
くと、何もかもが新鮮に感じて、楽しいものだ。このところ英語との格闘のた
めに、机に座って、辞書を読むという生活を続けていたので、久しぶりの小旅
行を心からたのしむことができた。

さて、話しをフィラデルフィア美術館にすすめよう。実はほとんどの読者の方
はこのフィラデルフィア美術館をみたことがあるはずだ。美術館の周りの風景
も頭に浮かべることもできるだろう。

なにを言ってんの?と思うかもしれませんが、
まず、この写真をみてください。

<写真2>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407philadelphia/images/DSCF0752_JPG.jpg

これでぴんと来た人は、なかなかセンスがいい。


そう、この美術館、映画「ロッキー」の舞台として登場しているのです。思い
出してください。ロッキーがジョギングをしながら、上っていく階段を思い出
してください。そう、あのシーンこそ、フィラデルフィア美術館なのです。カ
メラがパーンして、遠くに見える街並がフィラデルフィアです。タラタ〜、タ
ラタ〜と、ロッキーのテーマソングが聞こえてきそうです。

<写真3> ロッキーの足型と、フィラデルフィアの街並
http://www.im-sendai.jp/ken/200407philadelphia/images/DSCF07531_JPG.jpg


フィラデルフィア美術館は、建物は大理石で出来ていて、歴史を感じさせる。
建物の装飾は派手で、カラフルだ。規模も大きく、ニューヨークにあるメトロ
ポリタン美術館ほどではないが、ゆっくりまわっていたら、一日は時間を潰す
ことが出来るだろう。今回はスケジュールの関係で、2時間しか滞在すること
ができなかった。でも、それでちょうどいいかもしれない。大きな美術館をは
しから、端までみようとすると、疲れるばかりで、何をみたかわすれてしまう
から。

コレクションはヨーロッパ美術、アジア美術、アメリカンアート、近代・現代
美術と、武器と甲冑までと幅広い。今回はアジア美術と近代・現代美術だけを
みてきた。

入場料は、寄付。毎週日曜日は、自分の好きな金額を払うだけで、入場でき
る。ニューヨークだと、金曜日の夜だけが一般的だが、フィラデルフィアは、
太っ腹だ。ちなみに私は、ちょっと心苦しいが、1ドルだけを寄付してきた。
宮城県美術館でもこのシステムを導入してほしい。これなら、美術に興味のな
いひとも、ちょっと行ってみようかなあと思うはずだ。学生が何万人も近くに
いるのだらか、もっと混んでいても良いはずである。


今回一番、面白かったのは、近代・現代美術のコーナーにあったマルセル・デ
ュシャンの常設展だ。ピカソのあとに活躍して彼は、コンセプチャル・アート
(概念美術)の先駆けのようなひとだ。一番有名な彼の作品は、「泉」。買っ
てきた便器にサインをしただけの作品。この作品を80年前にみせられた観客は
どんな気分だっただろう。その他、有名な所をあげれば、モナリザにヒゲを書
き足した「L.H.O.O.Q」と言う作品。見る人をからかったような、考え尽くさ
れたユーモアの様な作品だ。

<写真4> 「 泉」
http://www.im-sendai.jp/ken/200407philadelphia/images/DSCF0775_JPG.jpg

いま、もし私がダビデ像にヒゲを書き加えた作品を発表しても、なにもインパ
クトはない。それはデュシャンがすでに古い絵に落書きをするという行為を作
品として発表しているからだ。、モナリザに落書きをした作品ではない。モナ
リザに落書きをした行為そのことが作品だ。 コンセプチャル・アート(概念美
術)というのは、きっとそういうことだろう。現代美術を難しくしたのは、彼
の仕業かもしれない。

そして、私がまんまとデュシャンにだまされたのは、彼の遺作だ。常設展の一
番奥には、暗い部屋がある。そこには大きな木の扉が意味あり気にある。その
扉に空いている穴から、観客が中をのぞき込んでいる。

<写真5>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407philadelphia/images/DSCF07841_JPG.jpg

なかには、下半身をあらわにした倒れている女性の裸体がみえる。しかし顔は
みえない。どうも、倒れているのか、寝ているのか、それとも死体なのかは、
よくわからない。よく見ようとすると、裸体をじろじろとみることになり、変
な罪悪感を感じる。いやいや、デュシャンにやられた。と、あとから気がつい
た。何十年もたっているのに、いまだに人にリアクションを与えられるという
のは、スゴイと思う。

<写真6>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407philadelphia/images/DSCF0785_JPG.jpg

もう一つ、びっくりしたのはアジア美術のコーナーであった。ここに日本の美
術品があるとい書いてあったので、浮世絵でも飾ってあるのかと思ったが、な
かにあったのは、茶室の建物であった。それと小さなお寺がそのまま美術館の
なかに再現してあるのだ。笹まで植えてあって、まるで野外にきたようだっ
た。これを日本からわざわざ解体して再現したのだから、相当お金がかかった
だろう。

<写真7>
http://www.im-sendai.jp/ken/200407philadelphia/images/DSCF0796_JPG.jpg

英語には美術館と博物館の違いはない。それもあってか、このような総合アー
ト美術館のようなところには、このような大掛かりの作品が展示してある。美
術館なら絵と彫刻しか飾っていない日本との違いである。これは背景が違うの
で、比較したところでしょうがない。

このような美術館のコレクションの背景には、人類学がある。人類学というの
はもともと、植民地をどのように、効率良く管理していくかと始まった学問
だ。ワシントンには、これでもかというほどの美術館、博物館あって、世界中
の美術品を展示している。それは世界の中心だからだ。彼らは世界をうまく管
理していくために、世界中を研究している。その過程でこれほどの美術館と博
物館ができたのだろう。

私たちは、それとは違う道でアートを考えていくべきだとおもう。


(了)   佐藤研一朗 2004.8.1


フィラデルフィア美術館公式ホームページ
http://www.philamuseum.org/


Making sense of Marcel Duchamp
マルセル・デュシャンの作品が見れる とても凝っていて素晴らしい。(英語)
http://www.understandingduchamp.com/

仙台インターネットマガジン 近江俊彦さんによるアート講義
マルセル・デュシャンの話しができます。
http://www.im-sendai.jp/rensai/2000/2000.8/oumi.html

マルセル・デュシャン年譜(日曜鋳物師のページから)
http://ha5.seikyou.ne.jp/home/seamew/profile/duchamp1.htm

河瀬昇さんによるArt Contemprary in Japan
現代美術家や現代アートの考察がいっぱい(トップページ)
http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/

マルセル・デュシャンについての解説,1,2,3
http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/02artist/dcn1_page/dcnn.html

http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/02artist/dcn2_page/dcnn2.html

http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/duchamp_dynamism.htm


マルセル・デュシャンについての ぼくだけの勝手な解釈(中江嘉男)
ちょっと、ほかのと違っていておもしろい。
http://www.nezumikun.com/chico/Duchamp.html

2004年10月13日

アメリカの姿1

昨年、一年間、ニューヨークシティーに滞在していた。
学校を転校したために、ロッチェスターという、ナイアガラの滝の近くの町に、引っ越してきた。

なんと言っても、ロッチェスターは寂れている。
街に人は歩いていないし、夜になると本当にしずかだ。大都会ニューヨークから移ってきて、最初はすこし正直落ち込んだ。ほんとに田舎にきちゃったと。でも、こちらにきてはや一ヶ月、少しずつおもしろくなってきた。というのはニューヨークにいたらわからないアメリカの姿がすこし見えてきたからだ。

アメリカに来る前は、こっちにはいろんな人が住んでいると漠然と思っていた。黒人、白人、そして世界中からの移民が一緒にごちゃごちゃと暮らしているというイメージだ。

三年前、はじめてニューヨークを訪れたときはたしかに、そのことに素直に驚いた。地下鉄にのっていると、白人、黒人、ヒスパニック、ユダヤ人、中国人、韓国人、日本人(この辺は見分けがつかないが)、インドや中東からの移民と見飽きることがない。まあ、人種の博物館みたいなところだと感動したものだ。

しかしよく観察していると、みなそれぞれの人種のグループに属して暮らしていることがわかってくる。基本的に白人は白人とつるんでいるし、中国人は中国人、黒人は黒人と言ったようにだ。

よくニューヨークをたとえて、サラダボールだという。材料がそれぞれ細かくわかれて、一つのボールの中でごちゃごちゃになっているけど、けっして解け合うことがない。

街を歩いているカップルをみているとこれが、もうはっきりわかる。人種をこえたカップルをみることはまれである。これだけ、いろんな国の人たちがいるのに!!! と、私は不思議でたまらなかった。ちなみに、その中で、日本女性はすこし異質な存在なようだ。日本人の女性は、白人男性、黒人男性とでもつきあう。この手のカップルが街をあるいているのはよくあることだ。これは、同じアジア人でも、韓国人、中国人となるとまったく話が違ってくる。彼女たちは基本的に国境を越えた恋愛をしないようだ。

社会学の教科書によると、Japanese-American(日系)の人種を越えた結婚の確率はたしかに、他の人種よりも高いそうだ。これは歴史的にみても、日本人の性質をあらわしているようにおもう。江戸時代の鎖国前に、東南アジアにたくさんあった日本人町は、鎖国後、あっというまに現地人と交わってなくなってしまったときいたことがある。

ちなみに、大和撫子と比べ、わが日本男児はどうだろうか? これはもう、からっきしだめである。日本人男性と白人、もうしくは、黒人とのカップルは、一年間ニューヨークに滞在して、2、3度しかみなかった。これは日本人に限らず、アジア人男性、全般がそうである。かなしい現実である。一度、日本人と白人女性のカップルをみたとき、おもわずがんばれよと声をかけそうになったくらいだ。

アメリカの姿2

ロッチェスター

ニューヨークがサラダボールだとすれば、ロッチェスターは、囲碁版かオセロ版だ。つまり白と黒にはっきり分かれている。白人が住んでいる地区、黒人が住んでいる地区が、完全にわかれているのだ。
街の中心であるダウンタウンを堺にして、東側は白人、西側は黒人というわけだ。ロッチェスターにはあまりヒスパニックやアジア人がいないので、この違いが余計はっきり浮き彫りになるのだ。

これは、先日おとづれたフィラデルフィアでも同じようにはっきり分かれていた。たぶんアメリカのほとんどの都市がこうなのではないだろうか。いづれ、アメリカ縦断旅行をするときによく観察してこようとおもう。

人種差別撤廃法案が可決されたのが、たった40年前の出来事なのだ。それまでは、黒人は白人と同じ電車の席にも、トイレもつかえなかった。かれらは長い間、奴隷としてこき使われてきたのはいうまでもない。スポーツの世界で黒人が、その身体能力の高さをいかし多く活躍しているのは、長い間、過酷な環境のなかで体が弱い人たちはいきていけず、淘汰されてしまったのだろう。

それに比べれば、いまは黒人にも選挙権はあるし、バスだってトイレだって一緒に使っている。大学の入学枠を、人種の割合にあわせなくてはいけないという法律もあったが、逆差別にあるという理由で最近廃止されたくらいだ。アメリカは表面上なんの差別がないように見える。

しかし、奴隷制が廃止され、公民権が黒人に認められて40年たつのに、黒人と白人が交わることがない。私の学校には、黒人と白人が半々いるが、黒人と白人のカップルなんてみたことがない。これをみるだけでアメリカの深刻な問題点がはっきりとしている。これだけの人種がいても、親が異なる人種の新生児はたった全体の5%でしかない。

かれらはお互いに、関わりたくないのである。白人からいわせれば、差別なんかしないから、私の生活にかかわらないでね。といことだろう。別々の社会にすんでいるのだ。

バーで知り合った白人の女の子が、私の通っている学校の名前を告げると、こんなコメントしてくれた。「私は人種差別者ではないけれど、あの学校、黒人がいっぱいいるでしょう。」

アメリカは、人種、宗教、社会階級で、づたづたに切れ裂かれた人造国家である。
アメリカが、南米の国のように、メルティングポットになる日は来るだろうか?

2004年10月22日

アメリカの植民地


プエルトリコという国をしっているだろうか?
私は、カリブ海にうかぶ小さな島というイメージしかなかったのだが、プエルトリコからきたクラスメートからこの国の話をきいて、自分の無知をちょっとはじた。

「プエルトリコはアメリカの植民地みたいなところだよ。」

約100年前にスペインからアメリカ領になってから、プエルトリコはずっとアメリカの支配下にあるそうだ。住民はアメリカの市民権を持っているけれど、投票権がないそうだ。アメリカの州ではなくて、common wealth というらしい。ハワイや、アラスカも州になるまで、この common wealthというやつだったらしい。

住民は、スペイン語をはなし大半がカソリック、つまり典型的な南米のひとたちである。自分たちのことをラティーノ(南米人ースパニッシュを話す人たち)と呼んでいるそうなので、意識はアメリカ人というのとは違うのかもしれない。

日常はスペイン語だが、このごろは学校では英語を使うようだ。そのクラスメートも、こちらにきてまだ一ヶ月しか立っていないのに、ネイティブと同じように話すからおかしいと思っていたが、そいうことらしい。

それと、アメリカ軍の大規模な基地がこの島にはあるということも、教えてもらった。沖縄は、日本のプエルトリコだという記述を以前、アメリカの基地問題を取り扱った本でみて、意味がわからなかったが、ようやくこの意味がわかった。

しかし、現在も、この島がアメリカに「支配」されている、「虐げ」られているかというのは、話を聞いていると、ちょっと違うようでもある。

というのは、1953年にアイゼンハワー大統領が完全独立を認める用意があることを表明したが、プエルトリコ側が辞退し、93年には、アメリカの正式の州への昇格を問う住民投票が実施されたが、自治領残留が決定し、98年の住民投票でも現状維持が50.2%、アメリカ州昇格が46.5%で現状維持派が勝利しているのだ。

なんでまた、州になりたくないのとクラスメートにきくと、州になると、税金があがるから、みんなイヤだって言っているみたいだよと、いっていた。

きっと、プエルトリコの経済はたいしたことがないから、アメリカ政府からたくさん補助がでているんだろうと思う。州になると、そいう特権もなるなるということだろと推測する。(そのうち確認してみようとおもいます。)

実は沖縄にも、たくさん補助金がでていて、そのお金で小さな離島にも立派な道路と、橋が架かっている。こんなところに作る必要がないというのもたくさんあるが、そうでもしなければ、離島に経済なんて、ありはしない。漁業と、サトウキビがいいところだ。

植民地主義が終わったのは、きっと植民地がそれほど儲かるものではなくなってしまったからだ。

2004年10月23日

台湾で 2

前回は、話が、全然台湾に行かなかったので、今回は台湾のことを簡単に紹介します。

私が台湾に行ったのは、かれこれ6年前、1999年の8月、私はまだ高校を出たばかりの19歳だった。バイクで日本一周をしている途中、沖縄の最南にある石垣島に立ち寄り、前々回のエッセイに書いたようないきさつで、台湾を訪れることになった。

私は、2週間ほど滞在し、台湾をぐるりと一周してきたのだが、初めての、しかも、1人での、海外旅行だったことを、差し引いても、台湾での思いでは、素晴らしかったという言葉1つで、語れると思う。

石垣島からは、フェリーがでており、1万円ちょっとで、台湾へ行くことが出来た。実際、台湾は石垣島から非常に近くて、たった4時間でついてしまった。沖縄本島へ、10時間もかかることを考えると、台湾はとなりの島である。

台湾は、九州と同じくらいの大きさで、約3000万人が住んでいる。島の中央には、玉山という富士山より高い山がある。この山は、台湾が日本であった戦前は、新高山と呼ばれていた山である。あの、パールハーバーの暗号であった、”ニイイタカヤマ、ノボレ”の新高山である。

戦前は、日本であると書いたが、台湾の政治状況は非常に、複雑である。日清戦争に、勝利した大日本帝国は清から、多額の賠償金とともに、台湾を割譲された。それ以後、50年以上、日本が太平洋戦争にやぶれるまで、台湾は日本の支配下にあった。

日本が、戦争に敗れ台湾を去ったあと、中国大陸での内戦で、共産党に負けた国民党が、台湾に逃げこんでくるのである。国民党は、台湾を支配し、その後、つい最近、35年以上も(用確認)、国民党の一党独裁状態を続ける。
彼らは、別に台湾に、”台湾政府”をつくったのではなく、自分たちこそが中国の正式な政府であると主張しつづけ、”中華民国”(注1)を、台湾に持ち込んだのだった。機会があれば、大陸へ侵攻するつもりであった。このことが、二つの中国という、理解しづらい問題をつくった。

外国に初めて訪れた、ティーネージャーの私は、日本は、日本だけで存在しているのではない、と言うことをおもいしった。そしてかつては、日本であったという国を見て回り、歴史、そして、国家のスケールの大きさというものを知ることになった。
つづく

(注1)もう一つの中国は、”中華人民共和国”。いま中国というと、こちらのことである。ちなみに、中華という言葉は、世界の中心と言う意味である。地理的概念を含まないので、戦前はこの地域を支那とよんでいた。しかし、いまではこれは、差別用語になるらしい。しかし、英語では中国のことを、”チャイナ”とよぶが、ことれいいのだろうか? たしか、オランダ語では”シーナ”と言うらしい。

2004年10月27日

大統領選挙登録のお手伝い

選挙登録のお手伝い。

宿題の山が一つが片づいたので、やっと文章を書く気になった。
実は、書きたいことが山ほどあるのだが、なかなか文章を書くのは、右から左というわけにはいかない。うんとか、すんとか言いながら、pcとにらめっこをして、数時間は必要である。そんなわけで、へたくそな文章ですが、その数時間かけただけ、みなさんに、楽しんで読んでもらえればなあとおもいます。

さて、2004年の大統領選挙が近づいてきました。テレビも、新聞も選挙の話題ばかりで、クラスメートでも、いい加減疲れてきたよという人がおおいようです。

もう二週間前の話だが、サービスラーニングというプログラムに参加して、選挙登録を手伝うことになった。体験学習というどんな感じか想像がつくかもしれない。ENG101のボーナスクレジットになるというので、これは楽して成績があがるならと、参加することにしたのだ。

日本には、住民票というシステムがある。そして、選挙の時は、その住民票に記載されている住所に、投票のはがきが自動的におくられてくる。日本にいたときは、それは当たり前って感じだったが、こちらのいい加減でラフなシステムをみていると、日本人の生真面目さがよくわかる。

こちらでは、ソーシャルセキュリティーカードというのがある。銀行に口座をひらいたり、携帯やケーブルテレビに入るとき、仕事をするにも必要な本人確認のため必要だ。カードといっても、ぺらぺらの紙にナンバーが書かれているだけのしろもので、カードを見せて本人確認をするのではなくて、9桁の数字を相手に告げるだけである。

しかしこのカードと選挙登録のシステムが連結していないようで、こちらでは、選挙の前に選挙登録をしないと、投票ができない仕組みになっている。前回4年前の大統領の投票率が、50だったか60%くらいと低調だったのも、理解できなくもない。(日本の投票率も毎回相当低いが。)

学校の廊下に長机を置いて、登録を呼びかける。Did you resister? と声をかけると、けっこうの人が、ああ、まだしてなかったのよ。と登録用紙をうけとってくる。何で投票しなきゃいけないのと、聞いてくる人もいた。「Take your advantage. 」というと、そっかーと素直に登録をしていく。

なかには、選挙にいったってどうせなんにもならないんだよ。わかってんの?議論を持ちかけてくる人がいた。まあ、わかってはいるし、おれは日本人だから投票権はないし、授業の一環だから手伝っているんだよというと。不満そうに「いつも、ビックブラザーみているよ。」いって立ち去っていった。

ネイダーという、有名が市民活動家が今回の選挙にグリーンパーティーから出馬している。彼は最左翼なひとだ。でも、彼があんまり活躍すると、民主党から出馬しているケリーから票を奪う形になって、最右翼のブッシュを助けるという皮肉な形がおきる。前回の大統領選挙にも彼は立候補して、数パーセントの投票をえたが、彼が出馬をしていなければ、ゴアがかっていただろうと言われている。

このように、民主党、共和党の二大政党制は、一種のフェイクだともいえる。ブッシュにしても、ケリーにしたって、両方ともお金持ちだ。という批判がよくされる。

しかし、実際には100名以上の候補者がこの大統領選挙に立候補しているのである。ブースの横の壁に、張り出されたプリントには、聞いたことがない候補者のリストが記載されていた。中にはコミュニストパーティーやリバタリアンパーティなんていうものまであるのだ。だけど一般的にだれもかれらに見向きもしないのである。

登録用紙はこんな感じだ。(こんな感じで、日本にいる皆さんに紹介できるというのはおもしろい。)

ny102404.jpg

名前、住所、性別、ソーシャルセキュリティーナンバーという項目はわかるが、支持する党を記入というのはどうだろうか?これでだれが、ケリーかブッシュを支持しているか一目でわかってしまう。これを悪用して、右よりの団体が、登録を呼びかけて、民主党支持になっている登録用紙を全部廃棄したという、ニュースがながれていた。
リンク

私が手伝ったのが登録最終日だったのだが、かなりの高い確率で学生は選挙に登録しているようだった。それでも二時間で、30人以上が登録をしていった。今回は若者の選挙登録の割合が上がってると聞いた。

さてこの選挙どうなることだろうか。
まためちゃくちゃに混乱するのだろうか?

佐藤研一朗 2004/10/21

2004年10月30日

アメリカで一文無し

アメリカで一文無しになった。。。。。。

今度の冬休みは、一年半ぶりに日本で過ごすことにした。お金がないのでどうしようか迷っていたが、年末の格安チケットを見つけたのが決定打となった。

通常年末クリスマス前から年明けた2,3日は、どの飛行機のチケットもべらぼうに高い。ニューヨークから日本への往復エコノミークラスで、だいたい1000ドル以上は軽くする。貧乏留学生の私にはとても手が届かないのだ。

それでも、一年半も日本に戻っていないのだ。いい加減、家族や友人、留学を支援していただいている美術館にも顔を出してこなければならない。

そんなことで、何とかやすいチケットがないかとネットで探していたら、それがあったのだ。税金と空港使用料などを全部入れて667ドル! しかも12月28日の日本航空である。片道ではなくてちゃんと往復だ。

これは買うしかないだろうと言うことで、ない金をはたいてチケットをかった。

そこまではよかったのである。問題はその後だ。昨日無事席が取れたので、お金を振り込んでくださいと旅行代理店から電話がかかってきたので、先日銀行にいってお金を振り込んだのだが、なんとそのとき私が持っていた全財産(財布にあるお金、口座に入っているお金全部あわせて)が、670ドルだったのだ。

私は二つ銀行口座を持っている。一つは日本のシティバンクの口座、もう一つはアメリカのシティバンクの口座である。日本のシティバンクのカードをもっていると日本からのお金を振りこんでもらうのが、非常に簡単なのだ。銀行や郵便局か普通に振り込める。そして海外でも多くのATMでお金がその日の日本円のレートで現地の貨幣で引き落とせるのだ。アメリカはシティバンクの本拠地なので、ほとんどのATMでお金を引き落とせる。留学生必修のカードだ。

ただこのカードにクレジットカードをつけてなかったので、このカードでは現金以外の買い物ができない。アメリカでは、このような電話取引や、インターネットでの取引は、だいたいクレジットカードという感じだ。(たまに小切手も使えるが。)

それで、こちらのシティバンクのデビットカードがついている口座を作って、(クレジットカードを申し込んだけど、お金があんまり入っていないのでことわられれた。)なにか必要な時にだけお金をその口座に振り込むようにしているのだ。

日本のシティバンクの口座は日本円で残高が表示されるので、毎日レートが変わることもあって、いまいちはっきりいくらドルで自分がお金を持っているか把握するのが難しい。今回も、まあだいたい足りるだろうなあくらいにしか思っていなかったのだ。まったくその日は一ドル106円くだいの円高だったからよかったものの、これが110円くらいだったら、チケットは買えなかっただろう。

そんなわけで、670ドルの全財産で667ドルのチケットを買ったのだから、残金3ドル。その日、洗濯をしにコインランドリーにいって1ドル、喫茶店にいって紅茶を一杯飲んで2ドル払ったら、一文無し(一セント無し?)になってしまったのだ。

あと二日間、0ドルで暮らさなくてはいけない。幸い食料は十分にあるので、なんとかやっていけるだろう。

それにしても、アメリカで一文無し。いい響きだ。お金が一番大切だと思っているような国で一文無し。私の社会価値はいま0になった。(笑) いつも、お金をせびってくるホームレスに明日あったら、財布の中身をみせて、おまえのほうが金持ちだから、俺に金をめぐんでくれよといってみようかな。


20041030 佐藤研一朗

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