芸能オーディション見学記

2004年12月04日

芸能オーディション見学記


芸能オーディションというのは見ていて大変面白い。そこには、ステージ活動をしていく上で必要なことがたくさん見える。 というわけで、私はちょくちょく芸能オーディションを見学させていただいている。もちろん、オーデイョンを見ただけで、 すべてが分かるものでは決してない。むしろ、かえってわからなくなる場合のほうが多い。しかし、そこで、 時折チラリと見え隠れする何かをしっかりと受け止めたいと思っているし、そこでつかんだ何かが、私の劇団のメンバー育成に、ちょっとづつ活かされていることは確かだ。以下はあるオーディションを見学した印象を私なりにまとめてみたものだ。


< CMタレントのオーディション 東京>


(応募者) 2000人くらい
( オーディション 参加者) 一次書類審査通過者25人
(目的 ) CMタレントとして活躍できそうな素材をセレクトし、ストックする
(主催) 大手代理店 & 某雑誌


都内にある広告代理店のビルで行われたオーディション。友人に付き添われて会場入りしたのは午後12時50分ころだった。

「控え室から観察すると面白いよ」という友人のすすめに従い、控え室を覗いてみる。受付を済ませた参加者が三々五々に集まっていた。お互い初対面でありながら、すぐに打ち解けて、情報交換をしているメンバーが多い。結構場数を踏んでいるメンバーが多いらしい。男の子の姿は3人くらい。あとはみな女の子だ。総じて何の変哲もない若者のような印象。「へ?これが2000人のなかから選ばれた人たちなの?」という感じ。


控え室では順次個人の「写真撮影」が行われる。プリクラで写真を撮るのとはやっぱりわけが違う感じだ。ポーズや角度、笑顔にも各自のスタイルがしっかりと出てくる。この瞬間に表情が「ガラリ」と変わるメンバーがとても多いので驚く。なあるほど、こういうことかと納得。どっかの山奥から出てきたんだろうなあと思わせる、妙にアカヌケしない女子高生でも、この瞬間に表情が大きく変わる。
「す、すごい!」
ためらいもなく、正面からカメラを見据えている姿勢には感動すら覚える。

<審査開始直前>
審査室は広い会議室だった。びっちり座れば200人は座れるスペースだったが、可動式の机を片づけ、審査員席と、参加者の座る椅子5つが並んでいて、がらんとした感じ。


座る場所を探してたら、審査員席のはしっこに座ってもいいよといわれた。堂々と座って、「どん!」を足を組んだ私のデカイ態度。これはどう見ても審査員だろう。審査員は全部で7人くらい。代理店勤務のCMディレクターや、オーディションを主催している雑誌の編集長が中心に審査をしていた。審査員は総じて30代前半くらい。話し方もフレンドリーな感じ。だが、目の底に妙にさめた光が宿っている。聞いてみると「げっ!」と思うほど有名なCMを手がけている面々だ。


面接は一度に5人づつ行われる。参加者の熱い視線が私にも向けられてくる。参加者全員は基本的にビジュアルが水準以上。いや、はっきりいえば、相当カワイイもしくはカッコイイ感じだ。控え室で受けた印象とは全然違っている。あそこでは、本当に平凡な若者にしか見えなかったはずなのだが。高校生の女子の中には制服でオーディションにやってくる子が多かった。いわゆる「コギャル系」でキメている子などにとっては、制服が必須アイテムなんだろうなあ。



質問内容は以下のような感じだった。


(1)どういうCMが好きか、印象に残ったCMはあるか。
(2)現在どういう生活をしているのか(学校生活、バイト、などのことについて)
(3)どのようなタレントとして活躍していきたいか。
(4)「最後に、ここで披露できる特技があれば見せてほしい。」


(4)以外は、極めて平凡な質問という印象。
何をどう答えてもまったく自由という感じ。いいことを話せばそれでOKというものでもないらしい。審査員が注目していたのは、むしろ、そのタレント志望者の考え方がどのくらい前向きなものであるかという点だったように思う。個性的な答えを乱発すればそれでよいというわけではなさそうだった。ビジュアルとして非常にいい線いっている志望者たちではあるが、この「前向きさ」をどう表現するかという点では優劣がはっきり出ていたように思う。


事実、この前向きな姿勢は印象度にも大きな影響を持っている。あれだけかわいい子がそろっていても、面接のあとになると、全然顔が思い出せない子というのが、何人もいた。印象にまったく残っていないのだ。自己PRが不足していた子がその中に多かったことは確かだが、しかし、やたらめったらと自己PRをしまくった志望者もいたけれども、それが印象に残ったかというと、必ずしもそうではない。

どうやら、前向きな考え方をしているのかどうか・・・・・また、していてもそれを伝えられるのか・・・・そのあたりがひとつ、 印象度をきめるきっかけになっていそうである。
印象度。この、あいまいで、はっきりとどのようなものか説明ができないもの。これが実はとても大切なものらしい。

たとえば、面接が終わり、次の順番にあたるグループが入室してくるまでのほんの1〜2分の間、審査員達が次のような会話をしている。

「あの子の黄色いトレーナー、似合ってたよね」
「へえ、あの子はゴミの分別にとても気を配っているんだ。イマドキよくできた子だよね」
「オカマ顔のオペラ歌手かあ・・・・面白い自己PRだったね」

専門的な会話などまったく出てこない。実に他愛もない会話だが、結果的にこういう話題に上って来た子の中から、オーディションを通過する子がでていた。別に黄色いトレーナーやごみ分別、オカマ顔が高い評価に結びついたわけではない。つい世間話の話題にしたくなるような何かを彼女らはもっていたということだ。印象に残るフック(ひっかかり)を彼女らは持っていたからだといっていい。


この印象度というのは一体なんだろう?そんなのは審査員によってマチマチなものだろうし、そんなものを頼りにして、オーディションができるのだろうか?


しっかりと印象に残る志望者をさして、「あの子はオーラが出ていた」なんて言う人もいるらしい。なんだか、 妙に神ががりになってきたが、このオーラという言葉は実に便利かもしれない。背中から光の輪が発しているように、 一種独特の雰囲気を持っていたというような意味だ。しかも、不思議なことに、このオーラが出ていたという現象(のようなもの)は、多くの審査員が同時に感じ取るものらしく、ひとにってマチマチなどという中途半端なものでは決してないということだ。


じゃあ、どうやってオーラを出せばいいの・・・・・・・・・・?ということが疑問になってくる。 まあ、この問題は最後にもう一度考えてみることにしよう。


さて、オーディションは次々に進んだ。それぞれの参加者が、ぞれぞれなりに面接を受け、ダンスを披露したり、歌を披露したり、バイト先でやっている案内嬢のアナウンスを聞かせてくれたりと、相当に盛り上がったオーディションだった。 中学生、高校生の女子には「生徒会長」をやってもおかしくないような、マジメで前向きな子が多く、審査員の話題を集めていた。一方で、「渋谷で何度かスカウトされたことがある・・・・・」というコギャル系の子が何人かいたが、いずれも面接の後に話題に上ることはなかった。「スカウトされる」という受け身の姿勢になじんでしまっているようにも見えた。コンパニオンやモデルの経験者もいたようだったが、その多くは「見られることに慣れているだけ」という感じで、退出後に審査員の話題に残ることはなかった。

 この時、審査員の間で出て来た「不評」をここに上げてみよう。

(1) 「なんか、あの子、可愛いけどさあ、目がガラス玉みたいなんだよねえ」
(2)「ビジュアル的には最高なんだけど、もう完成している感じ。今後変化してくれそうもないよね」
(3)「小銭は稼げそうな感じだけど、大きな仕事は無理だろうねえ。」
(4)「タレント事務所が好みそうな子だけど、CMにはどうかなあ」
(5) 「いくら戦隊もののコスプレが趣味でもさあ、ここでやられたって困るよね」

ここで出てきたボロクソな批評には、それなりにオーディションの性格をよくあらわしているように思える。それぞれの不評の意味を私なりに考えてみた。


(1)要するに前向きさが欠けているということ。何も訴えてくるものがないということ。


(2)完成品よりも、今後の可能性を感じさせたり、磨けば光る素材だったり、そういうタイプを探している審査員は結構いるみたいだということ。こういう素材を大化けさせることを生きがいを感じている人は結構多いらしい。

(3)オーディションというのも、よく考えてみるとビジネスの一部だというこ。当たり前のことだが、意外と意識されていないことかもしれない。どういう使い道があるのか、それが重要な判断基準になっていることは確かだろう。ただ個性的であればいいということでもなく、使い道がはっきりと見えること大事なのかもしれない。


(4)オーディションといっても、その目的によって、選考の基準も、通過する人間もまったく違ったものになるのだろう。個人の自己主張、魅力を順調にPRできたとしても、最後に待っているのは「選び手側の事情」なのだ。だから、オーディションに落ちたからとってそれは必ずしも才能の欠如を意味しない。
「とてもいいものを持っているけれど、いまうちで必要なキャラじゃあないから。」という事情で外されているだけの子も結構多いと思う。CMなんかでも、もうすでにフィルムの絵コンテが出来上がっている場合などは、そのCMのイメージにもっとも近い人間が選ばれるので、 背が高すぎる、低すぎる、声のイメージが違う、丸顔の子でないとダメ・・・・など、 とにかくディレクターの希望だけがオーディションの選考基準になったりしているらしい。


(5)趣味、特技の披露も時と場所をわきまえたほうがいいらしい。



全員の面接が終わると、その場で選考に入った。この時の選考の仕方は大体以下のとおりだった。

審査員各自が、「いい」と思った子の名前を上げる。何人の名前を挙げても可。その結果、三人以上の審査員の支持が集まった子を原則的に合格とする。こういうスタイルの審査だった。また、 誰か一人の審査員が「責任をもって預かる」と明言した子については、支持者が1でも合格。

みんなどういう子に投票するのだろうとわくわくして待っていると、審査員の一人から
「あなたも、どうぞ。せっかくですから、ご意見を聞かせてくださいよ」 と声をかけられた。えっ!オレが意見を言っちゃっていいの?審査員もどきで座っていた私は、本当に審査員になってしまった。


私が推薦したのは控え室で目にとまった子だった。前述の「山奥の女子高生丸出しだが、写真撮影で表情が変わった子」である。誰も推薦者が出ておらず、私が最初の推薦者だった。隣にいた有名なCMディレクターさんが「ぼくも、あの子は好きです」といってくれた。「ただし、CMは厳しいですね。タレントならああいう子を欲しがるプロダクションは必ずあると思います。」わずか15秒で勝負するCMの世界には、やはりそれにあったタイプがあるらしい。

もっとも支持を多く集めたのは、自作のダンス、歌を披露し、「スタッフと一緒に考えながら仕事のできるタレントになりたい」 という女の子だった。その前向きな姿勢は見ていて気持ちのよいものだったし、また、自己完結せずに、アドバイスを受け入れられる謙虚さを持っており、それが印象に残った。審査員全員が、 「彼女の夢の実現に力を貸してやりたい」という気にさせられたのかもしれない。まあ、審査員がそんな気持ちになったからといって、それでオーディションを通過できるほど、世の中甘くないのは確かなようだが、何か手を貸してやりたい、力になりたい、そう思わせるだけの何かがその人にあることは大きなポイントになってくることはたしかかもしれない。

つまり、オーラが出るといういい方をするけれども、実際にはそれは「出る」というよりも、人を引き込む何かのことなのかもしれない。自己PRこれでもかと繰り返しても、印象に残らない人というのは確かにいるわけだし、どんなに自分を訴えても、それが人を引き込むような力を持っていない限り、ダメだということかもしれない。このオーディションでもっともポイントの高かった子は、きっと前述のように審査員が 「力になってあげたい」と感じるようなところに、なにか人を引き込むものがあったのだろうと思う。


考えてみると、今回の面接では「ほお!」と感心することを話すことも大事だったが、「え?それ、どういうこと?」 と思わず突っ込んでみたくなるような人。そういう人がより印象に残っていたような気がする。 つい身を乗り出して聞いてみたいことを持っている人はやっぱり強かった。自己主張は必須の条件だが、それだけでは印象に残らない。 こっちを引き込む何かがほしい。こう考えてみると、やはり大事なのは「魅力」なのだ。魅力というのは、人を引き込む力のことであって、自分で主張できるものでは決してないのだ。

このとき写真撮影をしていたカメラマンの方と知り合いになった。彼はこういうオーディションを多く撮影してきた人だが、 やっぱり同じようなことを言っていた。 「誘いの隙がある子が通ってますね。自己主張すればいいってもんじゃありません」 ここでいう「誘いの隙」とは、思わず聞いてみたくなるような何かのことだ。

自分を伝えることはとても難しいが、それだけではまだ不充分。それが相手を引き込む力を持っているのか、どうか・・・・・・・。 これが決定打を出す鍵になっているらしい。そんな力は努力してすぐに身につくものじゃないことは明らかだろう。それは、その人の生き方と深く結びついたもののようだ。 何年もの蓄積によってにじみ出る何か・・・・・・その何かとは一体なんだろう。


オーディションの見学を終え、仙台に戻る新幹線の中で、そのことをずっと考えてきた。劇団CUEは、簡単にいうと、 その何かを求めて練習を続けている。恐らくそれは、身につけようとして身につくものとは違うと思う。自己実現をかけて何かに真剣になれる姿勢。ここからメンバーがそういう「魅力」を滲み出させてくれることを狙っている。


というわけで、劇団CUEは、何かを教えるということではなく、何かに真剣になれるメンバーをどのように育てるか、 その辺をとても大事にしている。本当に好きなことに、真剣に取り組むところから、その人なりのこだわりが生まれてくる。 そのこだわりが、個性の芽になり、人を引き込む、なにか気になる魅力になってくれればそれでいいと考えている。

(追記)
高校生、大学生、専門学校生、短大生など、学生の皆さん!
ここに書かれたことは決して遠い夢の世界の出来事ではない!
実は、あなた方がすぐに直面するであろう就職や進学の面接試験というものも、実は「オーディション」と大差ない。

まずしっかりした自己主張。さらに、相手の印象に残るような「誘いの隙」そして、最終的には採用する側の事情により、合否が決定されていく。

実はオーディションだって、ビジネスのために必要な人材を選ぶためのものだ。一般の面接試験と呼ばれるものと、実は共通する部分が大分ある。不況の時代といわれる昨今、企業なんかの面接はどんどんシビアになっているし、ある意味ではオーディションによく似た面接試験が行われている。しっかりと自己PRすればそれでOKというものでは決してない。

個性を評価する時代といわれているけれど、個性ならなんでもいいというものではない。
その場に必要な個性なのかどうか、それが判断されることは、オーディションも実社会もさほど変わらない。どうやら黙っているだけで個性を理解してもらえるとような時代ではなさそうだ。個性はそれをしっかりと伝える技術を持たない限り、 「ないものと同じ」とみなされるものであり、伝えられない本人が悪いといわれても仕方がない時代なのかもしれない。




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投稿者 im-sendai : 2004年12月04日 11:26
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