これから会社と個人の関係はどうなってしまうのだろう(1)中村教授の場合 2003.8.X 初出

2005年01月27日

これから会社と個人の関係はどうなってしまうのだろう(1)中村教授の場合 2003.8.X 初出

青色LEDの開発者である中村修二・米カリフォルニア
大サンタバーバラ校教授が、発明当時在籍していた
日亜化学工業に対し特許権の対価として20億円
を求める裁判を起こした、というニュースが
ありました。
僕の周りの年配の方からは総じて、何たる事だ、と
言う声が聞こえてきました。
でも若い人達からはあまり、何たる事だ、という声は
聞こえてきません。

今日はその辺の、何たる事、について考えてみたいと
思います。

卵のなかみ、を始めて少し分かってきた事は
近代社会というのは、我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)を前提に成立していて
我思う故に我あり、という個人の責任の主体を明確にすることで権利や義務が明確になり
選挙や私有財産制や契約や裁判が成り立つのだ、という事です。
そして近代化というのは、地縁・血縁による暖かい共同体を解体し、法律や契約によるクールな世界に置き換えていく行為である、と。
そして日本は98年から2002年にかけて完全に近代化を
果たしたのだ、と。

何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが
それは当たり前のことではなくて
例えば、所有は盗みである、という言葉があります。
つまり私有財産制、私の所有する財産、という概念が
なければ、盗み、という概念も発生しない、という考え方です。
我思う故に我あり、という近代的自我に基づいて
これは私の財産だ、という主張をするから
その財産を盗んだ、という概念が発生するわけで
誰も何も所有しない原始共産制のような社会では
その辺にあるものを持っていっても
それを盗みとは言いません。
盗み、の発生は、所有、にあるのだという屁理屈です。
そう、屁理屈です。
所有は盗みである。中々よくできたロジックですが
共産主義革命がもはや現実的でないことを考えると
それは屁理屈です。
矛盾は抱えていても現在のところ僕たちは
近代が築き上げたシステムの中で生きていくしかありません。

で、中村教授の話に戻るのですが
共産主義革命はもはや現実的でない事を考えると
現在のシステム下で
我思う故に我あり、という近代的自我を持った人間が
個人の発明の対価として会社に20億円の対価を
求めたとしても、原理的に何の問題もないと言えます。
別に犯罪的行為を働いているわけではありません。
でも多くの日本人は、所属していた会社に
特許権を寄越せ、とか、20億円寄越せ、と
請求する人を見ると、なんとなく、欲深い奴だな、とか
我の強い奴だな、と思ってしまいます。
我の強い奴、文字通り近代的自我の強い奴だな、と。
それは何故なのだろう。

一つ考えられるのは
日本は最近近代化を終えたばかりなので
近代的自我の強い奴、は文字通り、我の強い奴、として
嫌われる雰囲気が残っているということです。
つまり日本を近代化させるためには、みんな近代的自我を押し殺し、日本のために、働く必要があったわけで
そういった状況が長く続いてしまったために
日本社会には近代的自我を持って権利だ義務だと叫ぶ人は、我の強い奴、という事で嫌われる雰囲気が残っているのではないかという事。それで、20億円寄越せ、という中村教授の訴訟を見て、何たる事だ、と思ってしまう。

もう一つ考えられるのは、つい最近まで日本では終身雇用の原則、会社は家族の原則が常識で、一つの会社に40年間奉仕した後社長さんから金時計と表彰状をもらって引退するという生き方が理想的であるとされていたので所属していた会社に特許権の帰属を求めて訴訟を起こす中村教授のような人を見ると、家族に対する裏切りの
ように感じて、何たる事だ、と思ってしまうのでは
ないかという事。

年配の方々の中村教授に対する、何たる事だ、には
日本人みんなが近代的自我を押し殺して
国家の近代化に取り組んでいるのに
一人抜け駆けして20億円寄越せとは
何たる事だ、とか
終身雇用でみんなが会社に忠誠を誓っているのに
所属していた会社に特許権の帰属を求めて
訴訟を起こすとは何たる事だ、という文脈が
背後にあるような気がします。
たぶんそうだ。
きっとそうだ。

それに対して若い人たちからはあまり
何たる事だ、という声が聞こえてきません。
それは何故なのだろう、と
僕はまた考えてみました。

まず考えられるのは、若い人たちが時代が変わったことを日々肌で感じ取っているからではないだろうかということです。
つまりほとんどの会社の寿命は20年とも30年とも
言われる時代なのだから、もう会社は家族にはなりえないのだということ。
40年間勤め上げて社長さんから表彰状と金時計をもらって世話になったな、と肩を叩かれるのを待たずに
会社がなくなってしまうのだということ。
会社に忠誠を誓っても経済的リターンはもうそんなにないのだということ。
日本は近代化を終えて、もう全ての会社が
日本のために頑張っているわけではないので
会社は単に個人のスキルを磨くところ
しばらくの生活費を稼ぐところという意味づけしか
もてなくなってきているのだということ。
近代化が日本人の悲願ではもうないので
会社のために頑張っただけで
会社以外でも尊敬されるということは
もうないのだということ。

若い人たちはそういった時代の変化を日々肌で
感じているので、中村教授が
以前いた日亜化学工業に20億円求めようと
特許権を寄越せと主張しようと
別に、何たる事だ、とは思わないのでは
ないでしょうか。

会社と個人の関係のあり方が
今劇的に変わり始めていて、それが中村教授の訴訟に
対する世代間の認識ギャップとなって現れている
ような気がします。

サービス残業に対する未払い分の給料の
支払いを会社に求めて訴訟を起こす、という若い人が
増えているそうですが
そういった訴訟を起こす人もかつての近代化途上の
日本社会では、なんと我の強い奴だ、という事で
嫌われていたはずです。
でも躊躇しない若い人が増えているようです。
それは、会社は家族ではないこと、会社に尽くすことが
イコール日本社会に尽くすことではないのだ、という事を若い人たちが日々肌で感じているからでは
ないでしょうか。
きっとそうだ。
たぶんそうだ。
絶対にそうだ。

会社と個人の関係のあり方は
劇的に変わってきている。

青色LEDの発明をめぐる
中村教授と日亜化学工業との訴訟に対する
世代間の感じ方の違いの背後には
これからの会社と個人の関係を
考える上で結構重要な文脈が隠れているような
気がします。


というわけで次回は
近代的自我の強い人、中村教授と好対照をなす
いい人、田中耕一さんについて考えて
みたいと思います。


これからの会社と個人の関係は
どうなってしまうのだろう(2)
田中耕一さんの場合に続く
http://www.im-sendai.jp/archives/2005/01/220038.html








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投稿者 im-sendai : 2005年01月27日 03:15
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