白鯨の古典的退屈ぶりは超一流である 2003.8.X 初出

2005年01月27日

白鯨の古典的退屈ぶりは超一流である 2003.8.X 初出

というわけで僕はハーマン・メルヴィル作の
白鯨(はくげい)をやっと読み終えたわけであります。
白鯨、は1851年発表のアメリカ古典文学作品です。
本好きな人は、古典を読め、とよく言いますが
発表から150年以上たっても残っている、という時点で
白鯨、には既に何かあるな、と思わせられます。
150年とか200年と読みつがれてきた本にはきっと
150年たっても200年たっても変わらない何か、が
あるはずです。そしてその、何か、は、人類にとってとても大切な事だから、本好きの人は、古典を読め、と
言うのだと思います。
というわけで僕は、ハーマン・メルヴィル作、1851年発表の、白鯨(はくげい)、をやっと読み終えたわけであります。

僕は始め、白鯨、という小説はたぶん、キャプテンクック風の船長が、白鯨という巨大クジラを追いかけまわす
ストーリーなんだろうな、くらいの認識しか持っていませんでした。なんかそんなアニメが昔あったな、という感じです。
実際そういった話の展開だったのですが
100ページほど読み進んで、まず思ったのは
退屈だな~という事でした。
古典文学作品というのは、たいていスピード感なくて
話の筋も整っていないものが多いので
退屈なものである事が多いのですが
白鯨、も例に漏れず退屈な小説でした。
文学好きな人の中には、その退屈感がいいのだ、と
マゾヒスティックな事を言う人もいますが
どうなのでしょう。僕は面白くてためになる小説が
一番いいと思うのですが。
で、僕はだんだん、白鯨、を読むのが
苦痛になってきたのでありました。
エラい本を買ってしまったな、と。
でも買ったからには意地でも読み通してやろうと
決意し、先程読み終えたわけです。
そして最後に解説に目を通してみたのですが
その解説の中に、白鯨の古典的退屈ぶりは超一流である、と書いてあったのです。
早く言えよ、という感じですが
白鯨の古典的退屈ぶりは超一流である、との事。
それは作品をケナしているのだろうか、ホメているのだろうか。白鯨の古典的退屈ぶりは超一流である。
きっと世界的古典ともなれば、なんとでもホメてもらえるという事なのでしょう。
僕もいつか言われてみたいです。
卵のなかみの古典的退屈ぶりは超一流である。

閑話休題。
白鯨の古典的退屈ぶりは超一流でしたが
内容の深さもこれまた超一流でした。
キャプテンクック風のエイハブ船長が
白鯨、という巨大クジラを執念で追いかけるというストーリーを通じて、作者のハーマン・メルビルは、神の存在を問うているのでした。
僕が最初にイメージしたような
単なる捕鯨船の話ではなかったのです。
そしてこの場合の、神、は、
ユダヤ教の聖典、旧約聖書、の神、エホバ、です。
というわけで、これから古典的退屈ぶりにおいて
超一流である、白鯨、に挑戦してやろうという
血気盛んで奇特な若者がいるとしたら
僕は、白鯨、に挑戦する前に、
ユダヤ教の聖典、旧約聖書、を
読んでおくことをお勧めします。
旧約聖書の知識がある程度ないと、白鯨、の深さは
たぶん分からないと思います。
僕は幸いにして、旧約聖書と新約聖書とコーランと
古事記を読み比べるという無謀な企画を成功させた
事があったので、旧約聖書をモチーフとした、白鯨、の内容的深さには恐れ入りました。

どれくらい、白鯨、が深いかと言いますと
白鯨の主人公のエイハブ船長の、エイハブ、という名前が既に、旧約聖書においてエホバの神を捨てたイスラエルの王アハブのメタファー(隠喩)となっています。
エイハブ船長=アハブ、です。
そう解釈して読んでみると
白鯨、と呼ばれる神の化身を執念で追いかけるエイハブ船長の姿は、神を捨てて近代的自我と自由意志とを獲得して、神を含む大自然、を支配しようと挑戦している僕たち現代人の姿でもあるわけです。
神を含む大自然に対する畏れ、を捨てないと近代は始まりません。
森林を伐採して都市を開発したり
石油や鉱物などの資源を奪い合って戦争をしたり
有害な放射性物質や産業廃棄物を過疎地にまき散らかして豊かな生活を送っている現代人はみんな、神を含む大自然に対する畏れ、をなくしています。
もっと言えば現代人は、神を含む大自然、に対して挑戦しています。
現代人はみんな、白鯨と闘うエイハブ船長です。

エイハブ船長は、白鯨、という圧倒的自然の脅威と
闘って、片足をなくしてしまいます。
それでもエイハブ船長は、旧約聖書でエホバ神を捨てたイスラエルの王アハブのように、執念で白鯨に闘いを挑み続けます。
白鯨は神の化身なのではないか、と、船の乗組員達が
畏れ始めても、エイハブ船長は徹底的に闘いを挑み続けます。
人の片足を奪っておいて神の化身もクソもあるものか
そんな神ならいらない、人間様が一番偉い。
まさに、エホバの神を捨てたイスラエルの王アハブです。
白鯨に敢然と立ち向かうエイハブ船長と乗組員達の運命やいかに……。

白鯨にモリを何本か打ち込んではみたものの
結局船もろとも白鯨に突き飛ばされて
巨大な海の渦巻きに飲み込まれていきます。
つまりエイハブ船長と乗組員達は、神を含む大自然、に闘いを挑み、結局は敗北し、船もろとも海のもくずとなって消えていくのです。
僕はそこに現代文明の行く末を見ました。
人類は、神を含む大自然、に闘いを挑み、
善戦はするものの、結局は敗北し、
巨大な渦巻きに飲み込まれて消えていく……。
なんとも言えません。

でもどうなのだろう、と僕は思いました。
毎日神に祈りを捧げてエコな生活を送っていたとしても
神が姿を現すというわけではありません。
むしろ片足を奪われても執念で、神を含む大自然、に
闘いを挑み続けるエイハブ船長の姿は、結構魅力的ですらあります。
そして実はエイハブ船長が最も、神を含む大自然、に
近づいていたりします。
白鯨に船を沈められて、巨大な海の渦巻きに飲み込まれてしまうその刹那、エイハブ船長は神を見たのではないだろうか、と僕は思いました。

神はこの世界を造りっぱなし、後は沈黙している。
祈っても中々答えてくれない。
でも、蛇に授かった知恵、が人類にはあるので
その知恵でもって人類は、神を含む大自然、を
支配してやろう、と闘いを挑んきた。
旧約聖書的に人類史を語ればそうなります。
そして2003年まできた。
でもたぶん、人類は結局、神を含む大自然、に
敗れてしまうのです。白鯨、はそういう結末を迎えます。

人類は、神を含む大自然、には勝てない。
でも闘いを挑むことで逆に、神、に近づいていく。
でもやっぱり人類は敗北する。
風の谷のナウシカ、も真っ青な巨大なテーマです。

神と決別し、近代的自我と自由意志と科学技術とを
獲得した人類が築き上げた、近代都市。
その近代都市が、相変わらず地震一発で沈むような
脆弱なものである事を考えると、
白鯨が発表された1851年とさして状況は変わっていないのかもしれません。
月まで人間を送り届けられるようになったのに
神を含む大自然と人類との関係は
相変わらず神様優位のようです。

白鯨、はやはり150年経っても読む価値のある古典文学作品でした。白鯨、お勧めです。
ただ、白鯨の古典的退屈ぶりは超一流である、事は
僕が保証いたします。


-白鯨の古典的退屈ぶりは超一流である-

白鯨(1) ハーマン・メルヴィル 講談社文芸文庫


白鯨(下) ハーマン・メルヴィル 講談社文芸文庫 






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投稿者 im-sendai : 2005年01月27日 03:27
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