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2005年10月 アーカイブ

2005年10月15日

アートと広告

なかなか、コンスタントに文章をかけない。そのうちに現実はどんどん前に進んでいってしまう。特に忙しくなってくると、いつもそうだ。一番おもしろいところを人に伝えられないのは、少しかなしい。まとまった文章を書こうとしないで、物を忘れないうちに書き留めておくくらいの気持ちで書いていった方がいいのかもしれない。あとでいくらでも書き足すことはできるんだから。
まあ、いつか出版するこの企画の本の企画だとおもって書いていこう。
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前の文章はこちらから
強烈な第一印象でみんな幸せになっちゃうようなアイディア1
http://www.im-sendai.jp/archives/2005/06/post_119.html

まあ、そんなことで、学校の行政学のグラントライティングの授業の一環として、この企画を思いついたんだ。(グラントライティングはNPOが補助金や寄付金を行政や、財団からもらうために送る手紙の書き方)この寂れたダウンタウンのビルに、巨大な写真を貼り付けて、野外の美術館を作ろうというアイディアだ。なんせコダックやゼロックスの本社があって、the Image Center と自分たちで呼ぶくらいだから、この企画はロッチャスターにはぴったりだ。

この企画なら、車で通り過ぎる人の目にも入る。だれが見ても、ダウンタウンは変わったと印象づけることができる。郊外に住んでいて、いつもダウンタウンにこないような人たちも、引っ張ってこれるだろう。そしたら、このさびれーた感じの街も、もっとにぎやかになって、活気が出る。

インパクトとして、人の目に毎日つくというのは、すごく強い。自分たちが、テレビや雑誌の広告に乗っている商品を、お店で、深く考えずに手に取り買ってしまうのも、広告で何度もイメージを植え付けられているからだ。何度も見ているものというのは安心感があるのだ。

さしずめこの企画は、ダウンタウンはいい所ですよという宣伝だ。素晴らしい宣伝になるだろう。否が応でも、街を通れば、写真を見ることになるのだから。しかしこの写真には広告はのっていない。ただのアートだ。でもそれはダウンタウンの広告なのだ。(この広告の話はまたあとで書こうと思うけど、あとで、写真に広告を載せるか載せないかで、議論になった。)

ベットに入っても、いろいろと思いをふくらませていてら、その日はなかなか寝付けなかった。

アメリカの青年団?との出会い1

結局、この行政学グラントライティングのクラスではAをもらうことができた。どのようにリサーチをするとか、まずニーズを語るには数字が必要だとか、なかなか重要なことを教わった。

先生には、これはいい。たいした物だ。と、ほめられれて、なかなかいい気分で授業を受けることができた。少数のクラスなのでわからないことがあったら聞けばよかった。こういう感じのクラスをとるのが一番力がつくと思う。講義をただきいているだけの授業はほとんどただ受けただけ、テストのために勉強をするだけで、あとあと、ほとんどなにも残らない。今考えると、よく自分のへたくそな英語にクラスのみんながつきあってくれたなあと言う感じだ。

まあ、先生にほめられたこともあって、いい気分で、いろんな人に会うたびに、こういうアイディアがあるんだけどと、作ったコンピューターグラフィックを見せるのが日課になっていった。だって、見せた全ての人がこれは素晴らしいアイディアだと言ってくれるので、気分がよかったのだ。

これは、あとからわかったことだけど、アメリカ人は、返答に困ると、とりあえずこれはいいアイディアだということがおおい。だってほめるのはタダだもんね。そんなのだめだよとかいって、けなしてその場の雰囲気を壊すよりいいに決まっている。アメリカ人も実は建前をつかう。それにしても、本当にだれ1人も、これはちょっと。という人がいなかったから、やはりいいアイディアだったんだろうと思う。

「こんなのやっても、おれは絶対にいかねー」と、言ったのは、日本人留学生の知り合い1人のみ。(^_^;、私もあなたには見てもらいたくないよとは言い返さなかったけどね。大人だから。でも、ここにまだこうして書くというのは、まだきっとむかついているんだろう。そして実は私は子供だから。

だいたい新しいアイディアを出すと、「なんだそれ。」とか「そんなの無理だよ。」みたいな反応しかしめさない仙台人の中で生まれ育った私にとって、みんなにほめられるなんて、生まれて初めての経験だった。(^_^) 仙台人はどっかではやった二番煎じ的な物を好む傾向があって、仙台から新しい物を発信していこうとか、仙台独自の物をとか、独創的な物とか人を応援していこうとか、そいう風土はまったくない。仙台の発祥のものといったら、新しい市長がいうように、牛タン、冷やし中華とあとは回転寿司くらいなもんだろう。あー、はずかしい。(まあ、西澤さんの発光ダイオードがあるか。)

どうか友達よ。あなたの友達で何か新しいことを始めようとしている人に、「なんだそれ?」とか「そんなの無理だよ。」なんて言わないで、「なかなかおもしろいね。がんばって。」と言ってあげてほしい。問題点がみえみえなら、「おもしろいけど、ここはどうするの?」と、さりげなく聞いてあげよう。これは他人だからできる客観的なアドバイスだとおもう。

あんまり、だめだ。だめだ。っていうと、本当に才能がある人を、劣等感の固まりにしちゃうことがある。やっぱり、そうした風土は変わった方がいいとおもう。ほめるって大切なことだとおもう。ねえ、どっちにしろ、タダでできるんだし、人をほめれば、あなたもほめられるわけで、まあお互い気分いいじゃん、そのほうが。

まあ、話はずれまくりですが、こうして私は、みんなにほめられて、いい意味で勘違いをしながら、どんどん調子にのって、だんだんこれを本当に実現させてみたいとおもうようになっていったわけです。

セメスターも終わりにさしかかり、ある日、次の学期のクラスを登録をしにいった。その時、担当になってくれたのが、ダビダというインド出身の社会学の教授だった。いつものように、自分の企画を紹介すると、これはおもしろそうだから、あなたにぴったりな団体を紹介してあげようといってくれた。

紹介してもらったのはtransitionsというヤングプロフェッショナルグループ(私は青年団と訳している)。なんかダウンタウンを盛り上げようとしている人たちらしい。青年団に連絡をとって、ミーティングに参加することになったのは、もう年の暮れ、2004年の12月の中頃だった。

日本の911

週末、もとルームメートのクリスが友達と一緒にロッチェスターに遊びに来てくれた。わざわざ車をレンタルして、ニューヨーク市から6時間もとばしてきてくれたのだ。
せっかく、友達が遊びに来てくれたのに、かぜを引いてしまって、半分ノックダウンされて、ちょっとふらふらのまま、ロッチェスターの案内をした。アメリカにきてからというもの、緊張をしているのか、二年間、タダの一度もかぜを引いたことがなかったのに、こんな時に限って、これだ。

ほんとなら、よりすぐりのビールをみんなで楽しむはずだったのだが、全くアジがわからない。なんてこったってかんじ。

どうも、学校がいそがしい、プロジェクトが忙しい、バイトをして生活費を稼がないとやっていけないという、物理的な理由だけじゃなくて、どうも精神的にこのごろまいってしまっている。

仙台市長選挙で、地下鉄建設を推進する市長が当選したこと、それと、この間の衆議院選挙で、郵政民営化を推進する小泉首相ひきいる自民党が圧勝したこと、この二つにノックアウトされたようだ。

いままで自分はロッチェスターに比べたら、仙台ってなんていい街なんだろう、アメリカに比べたら、日本はなんていい国なんだとと思うことで、自分のアイデンティティーを保ってきたんじゃないだろうかとおもう。

自分の目の前にある現実がいくら悪くても、日本や仙台と比べて客観的でいられたのだ。自分にはいつでも帰る場所がある、そう思うからこそ、がんばれるし、ここで戦えるのだ。

こちらでがんばって世界で活躍できるくらいになって、でもいつかは仙台に帰って自分の力を発揮できるようになりたいと、ずっと思ってきた。

だから、日常、日本人ともあわず、日本語を話さなくても、自分は変な日本人かアメリカ人かわからない人間にならずにすんでいたんだろうとおもう。ただの日本人でいられたのだ。

ただ、今回の選挙の結果は、自分の国や、地元の政治家が、アメリカの悪いところに追随して、人々はそれを諸手をあげて応援しているように私にはみえた。実際には圧勝でもなかったし、反対している人も沢山いたのはたしかだ。

でも、なんだか結果を見て、自分の故郷と祖国の将来を楽観視することはできなくなってしまった。あきれたというか、幻滅したというか、気が滅入ってしまったのだ。ブッシュが選挙に勝って、アメリカからずいぶん多くの人がカナダに移住をしたようだが、そんな人々の心境も同じようなものだったのだろうか。自分の片方の足場がガラガラと音をたてて崩れていくような、そんな気分だ。

自分の心の中にある、自分が帰るべき故郷はなくなっていくのだろう。信じていた物に裏切られ、また無連帯の嵐の中に放りだされた、そんな気分だ。


アイデンティティーというのは、人にとって非常に大切な物だと思う。どんなアイデンティティーをその人が持っているかが、その人の人生の方向性を決めていくのだと思う。

2005年9月11日、日本の政治体制は音をたてて、大きく方向を転換した。くしくも、ちょうど四年前、アメリカが 2001年9月11日を境に大きくかわったのごとく。あれは私たち、日本人にとっての911だったのだ。

多くの人は、まだそれを認識していないけれど、日本の911は我々ひとりづつをこれからゆっくりと飲み込んでいくだろう。我々はいままでに、迫られたことがない選択を迫られるようになるだろう。日本に住んでいる人間でこの変化から逃げ出せる人はいない。

私は日本のマイノリティーで、この日本というシステムの一番端っこにいて、今回、一番最初に、この変化のあおりを受けたのだろう。この変化に自分のアイデンティティーの変更を迫られた。もうあなたはそのアイデンティティーはもてませんよと。自分は日本の911にやられてしまったようだ。

正直、どうしたらいいかは、まだわからない。二つだけ確かなことは、自分はまた新しいアイデンティティーを自分で作り上げなくてはいけないこと、そしていまは、目の前に積み上がっているやるべきことを、もくもくと処理して、前に進むしかないってことだ。

また、高校を卒業して、なにもわからないまま、旅を始めたころに戻ってしまったのかもしれない。きっとこれは、また新しい旅の始まりなんだろう。そうおもえば、先が全く見えなくても、きっと楽しめるさ。それもきっと楽しいさ。

帰るべき家を無くし
頼るべき親をなくてた
などてこの国はやぶれ
などてすめろぎは人になりたまいし
我々は、それでも生き残るしかない。


栄光に向かって走る
あの列車に乗っていこう
裸足のママでかけだして
あの列車に乗っていこう
土砂降りの痛みの中を
傘もささず走っていく
いやらしかも、きたならしさも
むきだしのまま走っていく
見えない自由がほしくて
見えない銃をうちまくる
ほんとうの声を聞かせておくれよ。

2005年10月16日

黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場1

アメリカでは年間に18000人の人が殺人事件で、命を落としている。
アメリカは危ないという、日本人の一般のイメージはただしい。アメリカは病んでいるのだ。異常なのだ。
日本がいくら危なくなったと言っても、年間に約600件の殺人事件しかおきていないのだから、アメリカと比べたら、ほとんど起きていないのと同じである。

この中小都市のロッチェスターも、アメリカにあるわけだから、例外ではない。

たった20万人しか住んでいないロッチェスターで、毎年約50件のが殺人事件が起きる。今年はまだ10月なのに、すでに48人が亡くなっている。ここ1ヶ月で、5、6人のティーンネージャーが立て続けに殺されて、いま街では若者の夜間外出禁止令を出すべきか議論がされている。

こういった殺人がおこるエリアは大体決まっていて、ダウンタウンを取り巻くように位置する、クレセントエリア(三日月エリア)と呼ばれる所である。
ここはスラムとか、ゲットーとか呼ばれるようなところで、住民の半分以上が貧困レベルで生活している。家族構成は、驚くことに半分以上がシングルマザーである。住民の人種構成は70%が黒人、20%がヒスパニック、残りが貧乏なアジア人とだろう。白人はたった2%しか住んでいない。普通の白人は、昼間でも近づきたがらない場所である。

このような人々が劣悪な環境で暮らしているのは間違いない。半分以上の家が鉛ペンキ(lead paint)を使っており、多くの子供たちがなまり中毒にかかっている。幼年時で中毒になると、脳障害を起こし、IQが低下し学習障害などを起こす。この鉛ペンキは1979年に禁止されたにもかかわらず、いつまでたっても、取り除かれることがなく、被害が広がっている。(多くの国で、鉛ペンキは1900年前半に屋内での使用が禁止されている。)驚くことに、このエリアの幼児の五歳までの死亡率は第三世界のレベルと同じである。

このようなエリアで犯罪が多発しているのだ。これは、アメリカの一番汚い部分である。このようなゲットーが自然発生的にできあがった訳ではない。人種差別的な文化を下敷きに、1950年以来、街の郊外化( suburbanization )と一緒に、国の方針として、人種そして、経済格差による、住む場所の選別が行われたのだ。

簡単に言えば、黒人は街の中心に、白人は郊外に、貧乏人は街の中心に、金持ちは郊外にというようにである。ロッチェスターはその典型のような街だ。
上の写真をみてほしい、一つは貧困レベルで、もう一つは黒人の人口のわりあいである。色が濃い方が数字が高くなっている。ちなみにまんなかの色が濃いところがロッチェスターの中心部である。 二つともほとんど同じようにみえるだろう。つまり、貧乏なのに、黒人が多いということである。

1970年まで、国の方針のもと、銀行は市街地に家を持とうとする人には絶対にお金を貸さなかった。黒人はいくらその人に支払い能力があっても、金が借りれなかった。つまり、白人で、郊外に家を持とうとする人だけが、銀行からお金を借りることができたのだ。それによって、どんどん白人は郊外にでていき、白人と黒人は離れて住むことになった。

考えてもほしい、公民権運動はたかだか、1960年代の後半におこったのだから。この人種問題で、いかににアメリカが遅れた国かが、わかってもらえるだろう。

いまでも、このような金持ち白人は外、貧乏黒人はうちという、流れはそのままで、街の郊外化はとどまることをしらない。ロッチェスターの郊外で一番金持ちのエリアは97%が白人である。たしか黒人は1%以下であったと記憶する。

この人種間(特に白人と黒人)の経済格差、社会的隔離は、もうほとんど解決不可能の問題になってしまったといえるだろう。*人種の問題というのは、はっきり言えば、黒人と白人の問題。元奴隷と、元オーナーとの問題。まあ、そう考えれば、この問題が簡単に解決するわけがないのかもしれない。

日本にはないはなしだから、あんまり、こういう話をしてもぴんとこないだろうけど、たどえば、この間のハリケーンのカトリーナを思い出してもらえると、いいだろう。

あのとき、逃げ遅れて、体育館に非難していた人たちはみんな、このようなゲットーに住んでいた人々だ。貧乏で車ももてないという人たちだ。アメリカの中に存在する第三世界である。日本人はどうしてああいう人に支援が遅れたのだろうかと、不思議におもっただろうけど、支配者層の白人は、そんな第三世界に住んでいる住民のことなど、最初から信用していないのだ。だからこそ、支援が大幅に遅れたのだ。これははっきりしていることだ。

黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場2につづく
http://www.im-sendai.jp/archives/2005/10/2_3.html

黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場2

黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場1
http://www.im-sendai.jp/archives/2005/10/post_177.html
よりのつづき

さて、なんで今日はこんな話になったのだろうか?
実は昨夜、学校から帰り道に、そのゲットーから出てきた、15、16歳くらいの黒人少年に殴りかかられて、けんかになったのだ。私の住んでいるダウンタウンは、ゲットーの近くにあるが、基本的に安全で、いままで一度もこのようなトラブルにまきこまれたことはなかった。

バスを降りいつもの帰り道を1人で歩いていた。前方から自転車にのった2人組の黒人少年がこちらへむっかって走っていた。ここまではいつもの光景である。

少年がすれ違いざまに、私の頭を殴ったのだ。明らかにふざけて、やっていたのだ。頭にきた私は、少年たちを走って追いかけた。すると彼らはバランスを失って、お互いの自転車にぶつかって、とまった。1人が、勢いよく立ち上がり、今にも殴りかかってきそうであった。

まず、私が彼の足にけりを食らわせた。向こうは反撃をしてこない。これくらいで終わらせてやろう思って、自分の家に向かってまた歩き出した。

しかし、またしつこく距離をとりながら、まとわりついてくる。本来ならば、走って帰ればよかったのだが、そうもしないで、大声をだして、威嚇してみた。

1人が自転車を降りて、またかかってきたので、とっくみあいいのけんかとなった。むこうが2人だったので、空手でもやっている訳でもない私は、快勝とはいかなかった。顔に一発くらいメガネが壊れてしまった。おかげて今日、顔が腫れている。格闘技とか習おうかなあ。でも痛いのあんまり好きじゃないんだよね。(柔道は一回で挫折しました。)

結局最後に、近くにいた人が止めてくれたので、それで終わりになった。相手が逃げる間際に、強烈な頭突きを、二発鼻面に入れてやったので、向こうも鼻血くらいはでただろう。

このての黒人のガキの中にはアジア人を馬鹿にして、ターゲットに仕掛けてくることがある。そんなガキに、アジア人におもしろ半分で、ちょっかいを出したら、痛い目にあうということを、教えられたと思うので、教育として、よかったと思う。こいう奴らは体をもって教えなくてはならない。

しかし、どうも、調子がわるかったり、特にいらいらしているときにこういうトラブルに巻き込まれるんだよなあと思う。病み上がりで、調子が悪かったし、どうもいろいろと、いらいらすることが多かったので、必然とこういうようなことが起きたのだろうなと思う。少し自分をコントロールする技を磨かなくてなあ。


今日は、ちょっと顔が痛いが、こういう少年たちに、個人的には恨みはない。正直かわいそうだとおもう。彼らが、このアメリカで成功できる確率は、最初から低いのだから。本人がいくらがんばったところで、その辺でドラッグを売っているゲットーから抜け出すのは簡単ではない。

親がドラッグディーラーだったら、親がヤクチュウだったら、こういう少年にはどうすることもできないだろう。これがこの少年達の戦場である。こんな所に生まれてしまったら最後、その環境との闘いである。

結果の平等は、この資本主義の世の中において、私たちは求めることはできないだろうけど、機会の平等くらいは、獲得したいものだ。しかし彼らにはそれすらも与えられていない。


黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場3へつづく
http://www.im-sendai.jp/archives/2005/10/3.html

黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場3

黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場1
http://www.im-sendai.jp/archives/2005/10/post_177.html
黒人少年達の戦場、そして私たちの戦場2
http://www.im-sendai.jp/archives/2005/10/2_3.html
よりのつづき


年間の自殺者の変化

年間に18000件の殺人事件が起きる国、これがアメリカである。そしてそれは異常であると思う。これは内外誰もがみとめることなのだ。

翻って日本を見てみよう。殺人事件はいくら増えたと言っても約600件、アメリカの18000件とくらべらたら、日本は安全な安全な国である。酒飲んで酔っぱらって歩いて帰っても、何の問題のない国だ。

でも、日本は年間34000人が自殺する国である。これも異常だ。私たちの国は病んでいるのだ。私たちはこのことをはっきりと認めなくてはならない。よく表をみてほしい。

この十年で、約30万人が自殺したのだ。山形市や、秋田市といった東北の県庁所在地が、一つ消滅したのと同じ規模だ。なんと恐ろしい社会であろう。

日本に生まれたら最後、この内向きで、憂鬱で、今にも自殺をしてしまうような環境と戦わなくてはならない。これが私たちの戦場である。

自殺をした人の約半分は無職者で、1/4は経済的な理由を苦に自殺している。
ここに政治は何かできたのではないのか?

大人気の我々の総理大臣はこのことについてどのように考えているのだろうか?

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経済の改善努力は必要=自殺者増で首相(7/23 ロイター通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040723-00000314-reu-bus_all

小泉首相は、自殺者数が増加していることについて聞かれ、「どういう事情かわからないが、あまり悲観的に思わないで、がんばっていただきたい。理由はなかなかわからない。厳しい状況だと思うが、できるだけ少なくなるような対応が必要だ。これだという特効薬がないので困っている」と述べた。
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なんという人間だろうか。これが一国の首相の発言なんだろうか。国民の生命を守るのが国の役目ではないのか?「重大なことだと受けとめている。もてる人材を持って状況を解明し、全力をもって解決していく。」くらい言えなかったのだろうか。

まあ、経済的な理由に自殺した人たちは、彼がやってきた痛みを伴う構造改革の、痛みに耐えられず死んでしまったのだろう。小泉首相してみれば、どういう事情かわからないと、思っていたいのだろう。きっと自分がやっているような歴史的な改革にはもちろん犠牲者が必要だと考えているに違いない。

ブッシュが海外で戦争をやって、ゲットーなんかかまいはしないのと、小泉が彼がやった改革のために死んだような人々をかまいをしないのはほとんど一緒だ。

あほな日本の一般庶民は、自分が一番ひどい目を合わされているのに、こんな男をヒーローのように持ち上げている。この人達はマゾなんだろうか?

首相がこの調子なのだから、政府が本気になってこの問題を解決しようとするわけがないのだ。リストラされて、鬱になってしまうような負け組は死んでしまった方がいいと、言っているのも同じだろう。

今でも、ここをのぞきに来てくれている、ネット右翼の皆さんよ。どうか、こいう我々の現状に対して、声を大にして抗議してほしい。拉致の問題を抗議するのは大切だけれど、でも日本の中のことが一番最初であるべき事なのだ。日本国民が、何万人も毎年、国家システムに押しつぶされて、もしくは国家サービスの欠落によって、殺されているのだよ。そして、これこそは私たちが実際に解決できる問題だ。

ここが我々の戦場だ。ずいぶん前に、私の後輩は、理由もなく自殺を試みたし、もう20後半になろうとしている他の後輩は、働くこともできず、学校に行かず、何かにおびえるように、何年も家に引きこもったままだ。日本にうまれたら最後、私たちはこのような現実を向き合って行かなくてはならない。

自分だって、下手をしたら危なかったとおもう。危ないところから、逃げ出すことができて、ラッキーだったと思う。高校を卒業をして逃げ出すように旅にでれて、今でもよかったと思っている。やりたいことだけをやって生きていくと、高校を出たときに決めた。だから最初から人並みの生活とか、そいうことは考えないことにしている。自分はやりたいことがたくさんあって、当分死にたいとは思わないだろう。

いつか、目標もやりたいこともわからず、暮らしていた時に、決めた一番最初の目標は、死なないこと。今だって苦しいときは、失敗したときは、この目標を思い出す。今日も生きていられてよかったと思うことにしている。


どうか、危ないと思ったら、逃げ出してほしい、責任なんて感じないで、その危ないところから逃げ出して、どうか、生き延びてほしい。

どうか、私のしる全ての人々よ。大げさだなんて言わないで、真剣に考えてほしい。どうか、あなたのもつ友達を大切にして、家族を大切にして、助け合って、慰め合って、励まし合って生き延びてほしい。そして自分たちが安全に暮らせる環境を作ってそこに立てこもって、この嵐をやり過ごしてほしい。


夜のそこで蹴飛ばされて、なんとか持ちこたえている。
ぼくはここに立っているよ。汚れた顔をしているけど。
ナイフをつきつけられても、
げんばくつきつけられても、
すいばくつきつけられても、
くそったれって言ってやる。

ブルーハーツ

参考資料
http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm

■10月 みやぎ五行歌会定例会

■本日、10/16。みやぎ歌会定例会でした。
なにやら、仙台東口のほうでお祭りだったんですね。
車が渋滞してて、駐車してから会場へ猛ダッシュ・・・・・。
秋なのに汗だくなわたしでした。
でも昼間は暖かかったですよね、今日。

さてさて。秋ですねぇ。
今日の歌会も、「秋」をテーマにしたような歌がたくさんありました。
作品数は20首。これは歌会メンバーのフル提出だったようです。
参加者も多かったんですよね。
先々月、女性の新メンバーが加入し、そして今日また新メンバーが増えました。
兼ねてより作成しておりました、「杜のつぶやき 第二集」という、
みやぎ五行歌会の歌集ができあがりました。
メンバーが一人16首ほど掲載しております。
出来上がって手に取ると、感慨深かったですよ。

歌会のお話に戻りますね。
わたしが提出しましたのは、以下の歌です。



耳の下に
香り
あなただけ
気付くくらいが
ちょうどいい


歌会に出すのは、凄く久しぶりな「恋の五行歌」なわけなんですが、
(しかもちょっとクサい歌でしたw)
なんと、一席を!一席をいただいてしまいました!!(思わず太字)
歌会では飛び上がって喜べなかったので、いま喜ぼうとおもいます。
わーいひゃっほーいいえーい!
・・・嬉しいなぁ。
初めてです。初一席です。たぶんもう無いです(笑

  どうしよう、ドッキリだったら。  ←おい

公募で入賞するより嬉しいかもしれません。
だってやっぱり、公募の結果待ちと、歌会で持ち点を入れていただくのは違いますよ。
続けてて良かったなと思った瞬間でした。

で、皆様より質問が。

・設問 「あなただけが気付く」距離とはどのぐらいなのか、述べよ。

ああ、穴があったら入りたい。
とはまぁ冗談ですけれども、「毛穴が見えるくらい」とでも申しましょうか。

・・・・色気の無い締めになっちゃいましたが、締めます。←締めるのかい!


■10/22・23は「五行歌全国大会in福井」です。
みやぎ歌会からも数名出席されるので、お帰りになったら
是非お話聞きたいです。
こちらに何かエピソード載せられたらいいなぁと、勝手に思っているんですけれどもね。

■これからの歌会予定。

・11/20 11月例会 13:00~16:00
・12/18 12月例会 14:00~17:00
・2006/01/15 新春歌会 仙台国際ホテル内(予定)

※通常の歌会は13:00~開催していますが、12月の歌会は、14:00~になっております。
※場所は「仙台市青葉区中央市民センター」です。
※予定・場所等は変更になる場合があります。

見学希望の方は、筆記用具をお持ちになり、飛び入り大歓迎なので是非とも
いらしてください^^

About 2005年10月

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