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2006年04月 アーカイブ

2006年04月14日

号外 Breaking News

今日は号外です。
まだ、ROMAのメンバーにも教えていません。アメリカからの実況生中継です。

今日は非常に重要なミーティングがあった。GRE(Great Rochester Enterprise) のCEOのデニス モーティスのミーティングだ。このGREというのは日本の商工会議所をもう少し強力にしたような団体で、市と、郡と、それからプライベート企業からの出資で設立された、ロッチェスターの経済開発をしているNPOである。

先日、マネージメントレベルのジムとマイクにあって、プレゼンをして、非常に好評だったのだが、今日はCEOのデニスの前で、プレゼンだったのだ。

いつものように、仙台の定禅寺通りの写真、アーケードの写真をみせ、それがどのように、光のページェントと、七夕の写真を見せる。いかにPublic Artで街が、美しくなるかを、アピール。それから、ロッチェスターにもこういう企画をやりたい。コダックの故郷で、世界一大きい写真美術館を作りたいと、企画の趣旨と概要を説明する。ビジネススクールに通っているアダムが、ビジネスサイドを説明して、プレゼンはおわり。

デニスは開口一番、「感動した。これはロッチェスターでやらなきゃいけない。お金や、コダックとのコネクションや、ビルの許可は心配しなくていい。でも、今年一枚のだけ写真を貼るんじゃなくて、すぐに、この夏にでも50枚くらいはみたい。とりあえず、ローカルな写真でいいから。このスケジュールでやれるかい?」と、クリティカルヒット。

「来週にコダックのとのミーティングをする。コダックの下っ端と話をしていても話は進まないから、トップにあって話をつけてくるよ。」とのこと。なんと頼もしい。弁護士や、会計士の世話もしてくれるとのこと。

ミーティングの最後は、自分の話になって、どうやってロッチェスターに流れ着いたか、どうしてこの企画を進めることになったかなどいろいろと話をしたんだけど。最後に、今学期MCC(地元の短大)を卒業するいうと、「そりゃー、君みたいな頭のいい奴は、4大くらいでなきゃだめだよ。私が、どっかこの辺の大学で奨学金をくれる所を探してあげるよ。」とのこと。WOW。って感じ。

まだ、この話は完全に決まった訳ではないし、いつお金が、いくらお金が、どこから、誰に出るかとはっきりしていないので、あと数週間しないと、何とも言えない部分があるのだけれど、やっとこういう人にあえて、うれしい。この一年半こういう人をづっと探していた。ほんときっと2、300人くらいの人に会っただろう。いやもっとか。いろんなつてを使って、いろんな径路をたどって、やっとここまでたどりついた。いつかこういう瞬間が来ると言うことはわかっていたけど。Finally.

ということで、とりあず、号外と言うことでこの辺で、
勉強にもどります。ぜったいに今学期卒業するぞ!おー!

2006年04月16日

ハングリーという意味

前回のからのつづき
号外 Breaking News

ここ三日四日、久しぶりに、集中してぎっちりと仕事をした。GRE(Great Rochester Enterprise)のリクエストである、写真を貼りたい建物のトップ50の選考をやっていたのだ。もうこの企画を一年半も企画しているだけはあって、頭の中でもうほとんど候補は決まっていた。頭の中で建物を一つずつはっきりと思い浮かべることができる。それを地図に書き出して、住所を割り出して、グーグルマップのアドレスを貼り付けで、市の建築物のデーターベースで詳細を割り出す。幸いに、壁のサイズと写真はほどんとできていた。昨年の夏に3ヶ月ダウンタウンを1人で歩き回って、一つずつ建物の壁のサイズは測ったかいがあった。ちなみに最大、小さい写真も入れて、1000もの写真を貼りけることができる。

それらのデータをウエブにあげて、すぐみんなが仕事ができるように、ページをつくる。まあ、こんなかんじ。 http://outdoormuseum.com/projects/summer2006/top50slide/

昨日の夜には、だいたい仕事の区切りがついたので、お祝いに1人でどっかにいくことにした。でも、気がついたのは、「やることがない。」ということ。1人で飲みに行っても悲しいし。喫茶店にいっても何にもすることがないしと、どうも、多くの選択肢はない。しょうがないんので、ダウンタウンにあるlittle theater というインディペンデント映画ばかりやっている小さな映画館にいって、オスカーにノミネートされた短編映画を見てきた。でも、セレクションが全部戦争とか内戦とかの話ばかりで、暗くなる。まったく夜中に1人でなんでこんなに悲しい映画を見ているのかなと。。。。

いつまでたっても、この街を楽しめない。いつまでたっても、この街が自分の街ってきがしない。もう一年半も住んでいるって言うのに。いままでいろんな街にいったけど、よく考えればロッチェスターには、仙台を抜かせば一番長く住んでいる。おどろきだ。しっかしいつまでたっても、ここに住んでいる気がしない。旅先の街にそのままとどまっている。そんな感じだ。

だれかに、電話してのみにいこうと誘えばいいのに、それもする気にならない。どうしてなのかは自分でもよくわからない。こんなフレンドリーでどこに行っても友達ができる自分がいつの間にかアンフレンドリーなロッチェスター人のようになっている。完全にどっかでボタンを掛け間違っている。自分が悪いのか、ロッチェスターが悪いのか、それはわからない。

ニューヨークにいたときはこんなことは一度も感じなかった。毎日友達と飲みに行って、週末はパーティーにいって、月に一回は、自分のアパートでパーティーをした。そういえば、一度パーティーに100人くらいゲストがきたことがあったっけ。今でもよくニューヨークの元ルームメートから、「友達みんなとのんでいるよー。」と、電話がかかっている。そのたびに、飛行機に乗ってニューヨークに帰りたくなる。ニューヨークには、たった一年しかいなかったのに。。。どれだけ街そのものが、住んでいる人の行動に影響を与えるか、身をもって、それを体験している。

ロッチェスターでのプライベートな生活は全然おもしろくない。というよりは、ほとんど存在していないという気がする。学校に行って、勉強して、ROMAの仕事に打ち込む。どうもここでやっていることは、それだけなのかもしれない。ニューヨークでの生活はいかに、楽しい日々の過ごし方を教えてくれたけど、ここでの生活は、つくづくハングリーにいかに仕事に打ち込むかを教えてくれる。

ハングリーでいるってことは、それだけでモチベーションがあがる。前に進まなきゃ、生きていけないのだから、無我夢中で前に進もうとする。でも、これは一種のやせ我慢に近い。こういうのはそんなに長い間続けられる物でもない。

孫子も背水の陣は、ここぞという時以外やってはいけない。長い間やると失敗するっているじゃないか。こういうのを長い間やっていると、どうも人間がすり減ってくるような気がしてならない。もうこうやって、追いつめられたまま、一年半も暮らしている。もうそろそろ、こういう生活は終わりにして、日常も楽しめるようになりたい。そうしないと、こういうハングリーさの中でしか暮らせない人間になってしまう。それはやっぱり不幸だ。

もう少しで、学校も卒業、自分の企画からもすこしはお金ももらえそうだ。きっとすこしは楽しい日々になるだろう。まあ、自分の企画が実現するまでは、やっぱり楽しめないのかもしれないねえ。ええ、わかってますよ。前にすすめって事でしょう。(^_^)

2006年04月18日

旅先で死ぬと言うこと

ソーシャルネットワーキングシステムのMixiというのをやっていて、ここに連載を載せる前に、文書を発表している。友達ばかりが見ているので、コメントはつきやすいし、面識のない人でも、名無しの権兵衛ではないので、信頼性がネットより気がする。ソーシャルネットワーキングシステムはこれから世の中をどんどんと変えていくだろうと思う。このサイトが外洋に浮かんでいるとすれば、mixiは海水浴場みたいなものだ。どちらもいいところがあって、欠点もある。もしmixiに参加したいという方がいましたら連絡ください。

さて、そのmixiの「そうだ、世界を飛ぼう」というコミュニティーに「 息子の足取りをたどっています。」という書き込みがあって、気になったので読んでみた。どうもヨーロッパを放浪中に、何かの事故か事件に巻き込まれて無くなった息子さんの旅の軌跡のてがかりを、お父さんがなんとか探そうとしているようというような書き込みだった。

旅先で旅人が死ぬというのはなにか、特別な思いがある。なぜなんだろうか。目的地にたどり着けなかったからなのか。故郷に生きて戻ることができなかったからなのだろうか。それとも目的地すら見つからなかったからか。

残された家族にとって不幸なのは、多くの場合、旅人が死に至るまでのストーリーを、だれも覚えていないのだ。その時旅先にいた周りの人はみんなすれ違いの人間なのだ。ちりちりバラバラになって、細切れになってしまったストーリーからでは、残された家族は、どうしてその旅人が死ななくてはいけなかったのか、その答えさえつかめない。ピースが足りないジグソーパズルをやっているようなものだ。まったく、不幸だ。理由を告げることもできず親を残して死んだら、それはやっぱり親不孝だ。

高校を出て、私がバイクに乗って日本一周をしていたときの出来事を思い出した。沖縄の石垣島であった彼は、自分と同じようにバイクで日本一周をしていた。二年間をかけた自分ののんびりとした旅とは違って、彼の旅はもっときびきびしていて、これから北海道に向けて出発するとのことだった。キャンプ場で一週間くらい時間を共にしたけど、今になっては彼と何を話したかも思い出せない。顔も名前も忘れてしまった。でも、気さくな奴で一緒においく酒を飲んだのは覚えている。

彼は急ぐように北海道を目指し先に旅立った。私はしばらくして沖縄を離れ、九州、韓国、四国、中国と旅の終わりを楽しんでいた。それは兵庫にすむ、沖縄で同じキャンプ場で知り合った別の友達を訪ねたときだ。この兵庫の友達の家に泊めてもらい、お互いに沖縄を離れた後の旅をどんな風にすごしたのか、なんて話をしていたのだ。そんなときに、その友達の携帯が鳴った。拾った手帳にその友達の名前があったので、電話をしてきたのだという。持ち主に名前があるけど、電話番号が無かったので、その友達の電話番号にとりあえずかけてみたのだとういう。

その手帳は私とその兵庫の友達が沖縄で一緒に過ごした彼の手帳だったのだ。それで、兵庫の友達の携帯にのこっていた彼の電話番号に電話をすると、彼の家族がでて、彼は北海道で先週亡くなったというのだ。缶詰工場かなにかのアルバイト先で、昼の休憩中にローラースケートで遊んでいて、車にはねられて亡くなったというのだ。私とその友達は一週間後に実家の岐阜で行われた葬式に参加をしたのだ。

記憶がすごく薄れてしまって、詳しくは思い出せないがそんな感じだったはずだ。いまになって、考えれば、本当に不思議な話だ。まず、いったい誰がその手帳をひろったのだろうか。そして、まさに私が兵庫の友達の家に泊まっているときに、電話がかかってきたのだ。そして手帳の持ち主はもうこの世にはいなかった。どういう偶然なんだろうか。きっと呼ばれたのだろうなあ。いまになってはそう思う。

その葬式のときに手帳はもう彼の実家に届けられていた。そこに書き留めてあった彼の旅のルートを家族全員で、回りたいとそのお父さんはいっていた。なんとか、彼の死の手がかりを知りたい。彼がどんな心境で旅をしていたのか知りたいという気持が伝わってきた。そこにはもしかしたら何かがわかるかもしれないという、かすかな希望があって、それが、なんともいたたまれなく、悲しいのだ。なんだかわからないけど、そんなことを思い出した。

こういうことを書いているとバッドラックを引っ張ってきそうなのでここで切っておこう。自分はまだ長い長い旅の途中だけど、まだまだ死ねないなあ。絶対に死にたくないしね。こんなところで死んでたまるかって感じ。(^_^)

道半ばで死ぬって悲劇で、悲劇だからこそ、世の中の人は好きで、ストーリーになるのだけれど、よく考えてみるとやってられない話だよね、本人にしてみれば。やりたいことをできずに死ぬんだから、あっ、やっちまったーて感じだろうな。それはやっぱりやだなあ。私は自分が死んでからもずーっと世の中に残るようなものを100コくらい作ってから、満足して死にたいもんだね。

生きているって言うことは、かっこわるいかもしれない。
死んでしまうって言うことは、とっても惨めなものだろう。
だから親愛なる人よ。その間にほんの少し、人を愛するって事をしっかりとつかまえるんだ。

チューインギャング The Blue Heart

2006年04月28日

おやじ

うちの親父は中本美術館に深く関わってて、そんなこともあって、私は、親父と一緒に働いたというユニークな経験を持っている。リーダーとしての振る舞い方や、考えかた、どのように人を引っ張っていくか、親父からは沢山のことを学んだきがする。うちの親父は音楽家だけあってかすごく感性がするどい。特に人の見目があるというか、人間関係を直感的に分析するのがすごく得意なのだ。

たとえば、あの人と、あの子はきっといいカップルになる。と予想したら、その2人があとで結婚したりという感じで、いつもそのするどい直感には驚かされる。親父の話でおもしろかったのは、「会議で何時間も議論して、一つのコンセンサスができあがって、みんなが賛成して、全てが決まりかけた時に、急にまた問題をぶり返して、議論をぶちこわす人は、親父との関係が悪い人だ。」というのだ。これは結構真理をついているのではないかと思う。

こういう人はどこにでもいて、物事をいつも難しくしてくれる。悪い人じゃないんだけど、なにかうまく人とつきあえない。みんなの意見に賛同できない。自分の意見が間違っていたり、劣っていても、それを認められない。普段はあんまりそういう素振りを見せなくても、何か重要な時に、それがむらむらっとでてくる。とても重要な時に限って、親父に認めてもらえなかったという気持が出てきて、父親に反抗するように、他人の意見を認めないで反対をする。そして会議をぶちこわしにする。父親というのは権威の象徴のような物だから、その無意識的な心理はわからないものでもない。

先週の日曜日は久しぶりの全体ミーティング。悪いニュースばかりじゃなかったのにミーティングは荒れに荒れた。こんなにみんなが怒って、めちゃくちゃな終わり方になったのは、これが初めてだ。問題の焦点は法人化である。ROMAを法人化しなくてはいけないというのは、もう半年前から話していることで、未だに法人化していないのが、ボトルネックになっている。どんな団体と契約を結にしたって、法人格が無ければ話にならない。

今は、ニューヨーク州の教育省から美術館の法人格をもらおうとしているのだが、これが思ったより時間がかかっている。どうも話によると、ケースバイケースなのだが、早くても半年くらいかかるそうなのだ。そんなにちんたらやっていたらどうにもならないから、その前に、ROMA設立委員会みたいな団体を立ち上げて、法人格をとっとと取ってしまおうというのが、議論の中心だった。

問題なのがこの法人化を担当している J (としておきます。)が、まだだれがいつお金を払うかもわらから無いのだから、そんな面倒で、200ドルも使う必要はない。法人を取ろうと思ったら、そんなのはすぐにできるのだから、様子を見れいればいいといって聞かない。ほかの全てのメンバーは、とれるものはとっとと取ってしまおうと、いっているのに、聞く耳をもたない。言っていることにあまり説得力がないのに、1人でいつまでも反論しているから、みんなが怒りだして、会議がめちゃくちゃになってしまった。

自分ももう少し、会議をコントロールできるようにならなくてはいけないなあと、ちょっと反省をしている。きっと、これは大切なことだから、みんなで投票をしてきめようとか、法人化するメリット、デメリットを黒板に書き出して、みるとか、いろいろできたのになあと、ちょっと後悔。つぎからは、もう少しこの辺をコントロールできるようになりたい。

その夜は Jに電話をして、ゆっくりと話をする。ROMAのことから、将来のこと、家族のことまで2,3時間ははなしたか。まあ、思ったととおり家族の話になったら、彼の父親とはうまくいっていないそうだ。子供の頃から一度も父親に認めてもらったことがなく、クラスでAをとっても、満足してくれなかった。そんなことを教えてくれた。母親とは時々電話をするけど、父親とはほとんど話していないらしい。ビンゴってかんじだ。

そして、Jは私が彼のことを認めないと文句をいうのだ。他人のまえで、もっと私が彼がROMAで活躍しているとほめてほしいそうだ。きっと彼の中では、無意識に私が彼の父親の立場にすり替わっているのだろう。彼はもう40過ぎ。おっさんと呼ばれてもしょうがない歳だ。それなのにいつまでも独身で、まるで20代のようにふるまって、まったく子供のようだ。こういう人の親代わりにならなくちゃいけないんだから、リーダーって言うのは大変な仕事だと思う。まったく、何の因果で、私は、かわいい女の子と遊ばないで、夜中に40過ぎの野郎と長電話してるんだか。。。。。

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