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2006年09月 アーカイブ

2006年09月04日

おひさしぶりな感じですが皆様はいかがですか?

ブログなのにあんまり更新しないスキマニアックの遠藤(仙台インターネットマガジン所属、一番下っ端)です。こんにちは。

では、はじめに、仙台インターネットマガジンの近況とかをつろーっと書いてみます。
興味のない方もいらっしゃると思いますが。
しかも、なんせ内輪ネタだしね。申し訳ない。

先日、メンバーさんと顔合わせをしましょうということで、なごやかな食事会が行われました。行われました…。行われたはずでした。

……吐きましたごめんなさい…。体調悪い時にはもう飲むまいと思いました。
ごめんなさいとしか言えません。
しかも人の家に携帯電話を忘れ、それを持ってきてもらうというわがまま炸裂。もー…。もー…。

さ、こういう内輪のどうでもいい酔っ払い話はどうでもいいですね!本当に!でも参加者の方には謝らせてください!ごめんなさい!

えーと。閑話休題。

知り合えば知り合うほど、主要メンバーの好きなものと私の好きなものってかなりかけ離れているんだなーと激しく実感することが多いです。

たとえば、と言うか私の好きなものだけずらーっと並べていきますが、この中で「あ、わたしこれ好き!」って人はこれを読んでいる方の中でどのくらいいらっしゃるんですかね。気になりました。あまりのメンバーとの温度差に。

では好きなものを挙げてみます。

デイリーポータルZ
webやぎの目
テーマパーク4096
まばたきをする体
・(mixi会員の方のみです、すみません!)ヨシダプロ
藤原くん
クドウさん
オモコロ

…かぶった方、いらっしゃったらご連絡ください。
特にデイリー関係でかぶった方はぜひ語りましょう。

モロ私信というか日記でしたが、今回はこれにて。では。

2006年09月12日

ロチェスターシンドロームとの闘い ***佐藤研一朗***

仙台インターネットマガジンの読者の皆様、大変お久しぶりです、アメリカはニューヨーク州ロチェスターで世界一大きい写真展を計画している佐藤研一朗です。随分しばらくぶりの更新になってしましました。まともに更新したのが六月末だから、二ヶ月間も文章を書けないでいた。仙台インターネットマガジンが故障して、しばらく更新ができない状態が続いていて、どうも文章を書くモチベーションが上がらなかったのです。

だけど、文章を書いて残すというのは大切な事だと、つくづく感じます。だいたい日記をしばらくつけていないときは、たいてい調子が悪い。自分がやってきたことを、反省したり、励ましながら、記録に残していくということは、自分の平静を保って、仕事をやっていくことに本当に役に立つと思う。仕事だけじゃなくて、その人の生活全般にいったっても同じ。自分と自分のやっていることを、いる場所を、しっかり理解しなければ、いつだって不安にさいなまされるはずだ。

アメリカにきてから知ったのだけど、英語でHistoryというのは、文字が生まれた後の歴史という意味だそうだ。文字として記録に残った物を読み解いていくという学問だと思う。もし人間がHistoryの上に立って生きているのだとすれば、やはり私たちは、何か自分が生きてきて、やってきたことの記録していかなくてはいけないような気がする。そうしないと自分が消えて無くなっちゃうような気がする。自分が苦労して経験したこと、勉強したことそれがまた無に戻って行ってしまう。自分があたかも存在しなかったかのように。

この二ヶ月何をやってきたのだろうか?どうもいろんな事がありすぎてなにから書いていいかわからない。山や谷がありすぎて、どれだけ超えてきたか忘れてしまった。なんどか、しっぽを巻いて日本に帰りたいと正直思った。厳しい夏だった。

世の中はおもしろい物で、同じ物でも、遠くからか、近くから見るかで、目に映る物は全く違う。月は遠くから見ると美しいが、月面に降りれば岩がごろごろしているだけで、ちっとも美しくないというのと同じかもしれない。

変なことをいうけれど、私が今進めている今回の写真モザイク企画は大きい意味では、最初から完成している。どういう事かというと、この企画は、何か新しいロケットを開発して、太陽系外に人類を送り込もうという企画ではない。不治の病を今までにない技術によって治癒しようという物ではない。まず技術的に可能である。 今までにもう何万回と使われた印刷技術を使って、大きな写真を壁に貼ろうというだけだ。簡単に言えばそれだけの事なのだ。

資金的にも、$15,000の補助金と、市からの助成$8,000、モザイクを張るビルのオナーからの寄付$2,500で全て足る事になっている。世の中にはいろいろな企画があるけど、比べれば非常に安価でできる企画である。

物理的にビニールの写真をビルに貼れる技術もそんなに難しいことではない。これは専門家が必要だけれど、ニューヨーク市にいけば、同じ技術を使った屋外広告が何百枚と見ることができる。

もう一つあげるとすると、なんとかこの街を盛り上げたいという需要、今のロチェスターの欲望を満たしている。自分でいうのも何だけれど、これほどロチェスターの文化と歴史に合致して、みんながこれはここロチェスターで始めなくてはいけないと、思う企画は他にないように思う。

だからこうして、遠くからこの企画を見る分には、不確定要素が少なく、なんの問題もなくスムースに企画を進める事ができるように見える。しかし企画を実際動かし始めると全く自分が想像をしなかったような事が沢山起きてくる。これらを全て事前に予想するのはほとんど無理な話だ。ほとんど量子力学の世界である。

まず予想外に時間がかかったのが法人化だ。これをしないと、市からの補助金はもらえないし、団体として他の団体と契約がむすべないので、いろいろな部分で問題がでてくる。そんなこともあって四月の末から取りかかったのだが、弁護士が言うには大体二週間で片が付くだろうと言うことので、なめていたのだが、法人化が終わったのが八月の終わり。4ヶ月もかかるとは夢にも思わなかった。

まず最初のつまずきはRochester Outdoor Museum or Artという名前だ。この"Museum"というのが、大変な代物だった。NY州では美術館と法的に名乗るには、州からの免許が必要で、だれでもが自分が美術館だと勝手に名乗ることができない。この許可を出しているのがNY州の文化局に、伺いをたてて、この団体が美術館と名乗ることができるのか、問い合わせるだけで、1ヶ月もかかった。しかも返事はNO。NY州の文化局は、ビルに貼り付けた写真はオリジナルでなく、量産できる物なのでアートではないと判断をしたそうだ。

その上、Museum(美術館や博物館)というのは、本来、作品や貴重品を保管し管理する場であるから、そのようなコレクションが無くてはならない。私が集めようとしている写真のデジタルデータは法律上コレクションとは呼ばないというのだ。ゆえに、Museumと認めることができないというのだ。まったく気が遠くなりそうな話だが、行政というのはどこでもこのように官僚的で、新しい物に対応ができないようである。それにだれかに何がアートかなんてきめてもらいたくない。そんなのアートではない。

選択肢は二つで、一つは彫刻のような物もコレクションに加えたコレクションポリシーをつくって美術館として登録する。もう一つは、美術館と呼ばないで違う名前で登録をするということ。結局はその両方をとることにした。コレクションポリシーというものがどういう物なのかわからないし、わからないものを作るのには、非常に時間かかかる。そしてまた文化局に伺いを立てるだけで何ヶ月もかかるのだから、とても九月の企画には間に合わない。それで長期的には美術館の免許をとる方向で進めて、短期的には違う名前で法人化をしようということになった。

それで、考えたのは名前は"ROMA"、どうせロマっていつも読んでいるのだから、それを法人名にすればいいじゃないかという簡単なアイディアだ。理事のみんなもROMAに長い間慣れ親しんでいるので、その名前をあきらめるのも何だといことで、賛成だった。

やれやれ、やっとこれで法人格が降りるかなあと、胸をなで下ろしたのが、六月の頭。しかし、いつまで経っても返事がこない。いったいどうなっているのか様子がよくわからない。1ヶ月たって、またもやNOの返事が来た。ROMAというのは、イタリア語でローマのことで、ROMA何とかという会社は何百とあるので、ROMAだけで法人として名乗るのは紛らわしいので、許可が下りなかったそうだ。呪われているのかのごとく、うまくいかず、笑うしか無かった。最終的には今回のBig Picture Rochester(以後BPR)の名前を登録して、法人格の許可が下りたのは8月末。まったく、ストレスフルな手続きだった。

といって、これで法人に関する手続きが終わった訳ではない。BPRは、Not-for-profit organization(非営利団体、日本ではNPOと呼ばれる)なんだけど、このNPOの資格を取っただけでは、ほどんどNPOの特権が無いのだ。

NPOの特権は、寄付を受け取ることができるというこだ。その時に寄付をした人が税金を控除することができる仕組みがある。どうせ同じだけの税金を払うなら、自分が世の中のためになると思うことに自分のお金を使いたいと思っている人は沢山いるわけで、この制度があるおかげで、アメリカにはものすごい数のNPOがある。もちろんアメリカ人の市民意識が高いからという理由だけで、NPOがたくさんあるのではなくて、このような経済的な理由と、もう一つ言えばアメリカの政府はあまり日本のようにまじめに働かないから、このような団体が増えざる得ないという背景が大きいと思う。なにせ、全国民の向けの、健康保険制度がない国なのだから。

それはさておき、この特典(510(c)3 Statusと呼ぶ)をもっていないと、NPOであって、ほとんどいいことはない。しかし、そんなに簡単にこんな特権をどの団体にも与えたら、脱税の向け穴になるのは間違いないことで、IRS(Internal Revenue Service=国税歳入局)による、厳しいチェックを乗り越えてやっとその特典がもらえる。通常は半年から1年はかかるらしい。まだまだ先はながい。

まあ、まずは一つ。意外と大変だったのが、写真モザイクを設置してくれる業者を捜すことだった。意外と早い時期に、ラマーという、全国チェーンの屋外広告のロチェスター支店が、モザイクの印刷費を寄付してくれることになっていた。ここがホントは設置もやってくれたらよかったのだが、ロチェスターでは、ビルの壁に写真を貼り付けたことがないといことで、他の業者を捜すことになった。

ラマーが紹介してくれた建築家が、あまりよくなくてよけいな時間を食い。ビルのオーナーはさっさと業者を連れてきて、ビルに穴を開けてテストしろとか、五月蠅いので、なかなか、これもストレス一杯であった。なんだか、大変なときは、いろいろなものが重なる物で、フィラデルフィアから来るはずだった広告会社が、台風でこれなかったり送れたり、どんどん時間を押していった。

まあ、詳細を書いていると終わりがないが、山あり谷ありで、結局、昨年一番最初に私がコンタクトをした業者にやってもらうことになったのだ。彼は非常に経験があって、一番ふさわしい人であったようだ。いろいろ回り回って、一番最初にコンタクトした業者と一緒にやることんなったのは、不思議な巡り合わせを感じる。

まあ、この辺は序の口で、ここ二ヶ月は今までに無いくらいに厳しい中で企画を進めてきたんだけど、振り返って見て、だんだん自分が闘っている相手が何であるかが、わかってきたような気がする。闘いの相手はロチェスターシンドローム。なんじゃそれと、いわれそうだけど、沢山のひととロチェスターについて話をしてアイディアを得て、私が名付けた病名だ。

ロチェスターにくると急に気分が暗くなり落ち込むことが多くなり、家に引きこもることが多くなり、友達ができなくて苦労する。これが典型的な症状である。悪い場合では鬱状態に陥りそこから抜け出すのに長い時間がかかる事がある。

留学生や、他の街から移ってきて友達や、家族のいない人は要注意で、とくに、ニューヨーク市や、ロサンゼルスのような栄えたまち、非常に住みやすい街から移ってきた直後は特にかかりやすい。急性ロチェスター中毒とでも呼ぼうか。

ロチェスターシンドロームのおもしろいところは、ロチェスターを離れれば直るということである。たとえばオンタリオ湖の対岸にあるカナダのトロントに遊びにいくと、すうっと心が晴れているのに気が付くのだ。もちろん留学生が本国に帰国をした場合はとくに本人が驚くほどに、今までの鬱はどこに行ったかのように消えてしまうのだ。しかし問題は、症状が完治したように見えても、またロチェスターに帰ってくると、何事もなかったかのように症状が復活する。

これを何度か経験している人にとって、ロチェスターへ戻る前日の苦しみ、気の落ち込みは想像を絶する物がある。私は、これをロチェスター帰省前日症候群と呼ぶ。

これはいたったい何であるか。症状はほとんど、ホームシックに近いのであるけれど、疑問はどうしてロチェスターにきたときだけそれが起きるのかだ。それがトロントや、ニューヨークやロスで起きないで、どうしてロチェスターにきた時だけなのか? この土地がもつ特有な病気であるということは間違いはない。

ロチェスターにきてから強く感じることが多いのだが、その人が住んでいる場所というのは、その人の人生に強く影響を与える。考えてみればニューヨーク市にすんでいたときは毎週のように、いろんな友達のハウスパーティーに遊びに行っていたし、2ヶ月に一回は、大きなパーティーを自分のアパートで盛大に開いていたけ。でも、ここ二年間のロチェスターではそんなことはなかった。むすっとだまって、勉強して、本を読んで、ROMAの仕事に打ち込むまあそれだけだった。まったく息が詰まるような生活だ。ここでは勉強と仕事に打ち込めるけれど、ニューヨーク市にすんでいたらあえただろう世界各地からやってきた何百という人に会うことはない。どちらがよくてどちらが悪いというわけではないけれど、いい友達を得るのが大事だと思っている人間には、この街は身にしみるのである。やっとこのごろ、友達が増えてきて、少しらくになったが。他の街で1ヶ月でできることが、ロチェスターでは二年もかかった。

仙台インターネットマガジンのコラムニストの大場理史さんによれば、その土地、その土地がもつ力があるというのである。ロチェスターでは「土地がもつ力」がネガティブに働きすぎて、人の気分を暗くするのだ。街が死んでいくとき、人の気持ちも暗くなるのはあたりまえと言ってしまえば、その通りだろう。

いままで何度も書いているけど、ロチェスターは30年、40年前までは、ホントに栄えていたのだ。ダウンタウンには沢山映画館があって、デパートがあって、レストランがあって、バーがあった。2,30万の人口の街に地下鉄まであったのだ。でも、そのあとは、衰退の一途である。ここ30年、40年間一貫して転落しているのだ。日本もバブルが崩壊してここ15年ずっとムードが暗いが、それが30年、40年間と続いていると考えてもらえばいいと思う。どれだけそれが人の誇りを傷つけるか、希望を打ち砕いて、あきらめを覚えさせるか想像は難しくない。

世の中にある全ての物には使命がある気がする。とくに人間が作った物には、はっきりとした使命がある。たとえば車なら人を乗せて移動をすること。ビルならオフィスや住まいとして人に使ってもらうことだ。でも、その使命が果たされていない物というのは、独特の悲しみを放っている。空っぽのビルを見ると気分が暗くなるのは、そういうことだろう。ロチェスターには作られたけど、活かされてない物がたくさんあって、それを嘆くかのように、悲しみを放っている。寂れてしまったダウンタウンというのはその最たる物だ。その悲しみがロチェスターシンドロームの原因になのだろう。


国や企業や、街が衰退していくときに生まれる典型的な文化がある。新しいことをおそれ、リスクをおそれ、変化をおそれる文化だ。多くの人はこのような文化をさしてロチェスターは保守的だというが、それは言葉の使いたかが間違っている。保守というのは歴史の中で培われた伝統や文化を大切にしていこうという立場だ。短いロチェスターの歴史をひもとけば、この街はもともと進歩的で公民権運動や、女性の地位向上運動などが非常に盛んで、コダックやゼロックスのような革新的な企業を生んだクリエイティブな街だったのだ。それに従うなら、ロチェスターは進歩的でクリエイティブな街でなくてはいけないはずだ。だから、この「新しいことをおそれ、リスクをおそれ、変化をおそれる文化」というのは、ただの現状維持の文化だと言っていい。

長い間、自分の街が死に絶えていくの見てきた人の中には、このロチェスターシンドロームが骨の髄まで染みついてしまった人が沢山いる。非常にやっかいな人々だ。ここ二ヶ月は、そんな人々と格闘をしながら、疲れ果てて、日記も書く気がしなかった。

一番の大変だったのは、企画を進めるのに必要なお金を、必要な時に、ほとんど使えなかったとうことだ。今回の補助金は、アーティストが地元の地域団体と協力してパブリックアートを作るというルールがあって、ROMAは、RDDC (Rochester Downtown Development Corporation) という団体に、親団体になってもらって、補助金を申請した。補助金を管理しているのはRDDCなので、何かお金が必要な時はそのたびにRDDCを説得してお金をもらってこなくてはいけない。でも、お金を扱っている団体が、新しいことをおそれ、リスクをおそれ、変化をおそれる人たちだったらどうだろうか? まあ、大変なことは目に見えている。

今年四月、RDDCとの最初のミーティング、RDDCの代表が開口一番、「もしこの企画ができなかったら、誰が使ったお金を返すの? うちはROMAが完全にこの企画ができるとわかるまで一銭もお金を払いません。」といった。これが一番最初に言うことかと、閉口してしまった。その後も、この留学生が何らかの理由で日本に帰国したらどうするとか、まあ、平気でそういうことを言う。外国に住んでいて、こういうことを言われるのが一番こたえる。留学生がなじみの無い街で、滅びそうなロチェスターのために、1人で頑張っているんだから、少しは優しい気持ちはないのかとおもうが、そういうことは頭にはないらしい。

失敗したときのことを考えて、それに準備をするというのは大切だけれど、全てをそこに重点を置けば何も進まない。新しいことやるには、リスクがあるのは当たり前で、リスクを全く取らないで、だれもやったことが無いことを現実にするのは、不可能なのだ。

はっきりいって、この初っぱなのミーティングでかなり気力が萎えてしまって、最初からこの人たちとは働きたくなかった。これでお金を沢山もらえるというわけではない。すすんでただ働きをするのだ。できれば、楽しく仕事がしたいではないか。それで、やる気がしないので、一億円のディールを結ぼうと走り回ったり、それがだめだとわかると、違う補助金の申請をしたりして(これも決勝までいったけど、だめだった。)、なかなか、モザイクの方の仕事に手を付かなかった。というか、つけなかったのだ。

相手もそれを感じてか、態度はますます硬化していった。結局、開催まであと三週間現時点で、RDDCからおりて使ったお金はポスターやポストカードの印刷費の7万円だけである。あとは全部ツケでまかなっている。これだけ、金銭的に厳しいというか、締め付けが厳しい企画はこれまでに一度もやったことがない。酷かったのは、コンテストが終わる二週間前に、地元の新聞とフリーペーパーに広告を載せるはずだったのが、前日にRDDCからのキャンセルをくらい、載せられなかったことだ。追加のポストカードも作れなかったし、宣伝は結局メールとクチコミだけに頼るしかなかった。

先週も巨大なモザイクを作るために、新しいPCが必要だったのでけど、この予算も出ずに、大変な思いをした。知り合いに電話をしまくり、かけずりまわって、余計な時間ばかりを費やしてしまった。何か作るときに必要な道具がないほどつらい物はない。最終的には、BPRのメンバーでビジネス担当のアダムのクレジットカードにつけてもらって、PCを買ったのだ。彼には今回、途中からプロジェクトマネージャーとしてただ働きしてもらって、本当に頭があがらない。ここまで尽くしてくれて、涙が出る思いだった。

モザイクをはらせてもらうビルのオーナであるニューヨーク州立大学ブラックポートも、また強敵だった。これから最終合意を結ぼうという時になって、ビルにモザイクをはる工事をする会社の保険だけでは足りないから、追加で三億円の保険をかけてくれと言うのだ。このアメリカの訴訟社会でなにかやるとき、保険をかけられるだけかけるというのは、悪い事じゃないけど、問題はそのコストだ。BPRはまだできたばかりの会社だから、自分たちでこの保険をかけようとすると、100万円くらいかかるのだ。全体の予算が250万円だから、この保険は高すぎるのだ。そんなお金はどこからも出ない。これを聞いて、RDDCがパニくり、モザイクは今からお金をもっと集めて、来年にやりましょうという始末。この人達は、こうやって草の根の団体が身を粉にしてボランティアで働いて、なんとかこの街を盛り上げようとしていることに、敬意はらって一生懸命応援しようという気持は全然ない。あるのはこの企画を使って自分たちをどれだけ宣伝できるかというだけだ。そし金もろくにださないで、自分たちが強い立場にいるのをいいことに、言いたいことだけを要求してくる。

その日、私は、完全に頭にきて、ブラックポートのビルではなくて、同じ地区にあるオーナーが非常に協力的なビルでやろうと、BPRの理事全員にメールをしたのだ。その時に私のミスで、そのオーナーにもこのメールを送ってしまったのだ。どうやら、そのオーナーがこれはどういう事なのかと、ブラックポートにそのメールを転送したそうなのだ。それを読んでブラックポートの担当者は態度を軟化させて、工事会社の保険に、ブラックポートの名前を入れるだけでいいでしょうということになったのだ。偶然とはおもしろい物だ。いったい何がどうなって、物事がつながるか、その時にならないと誰にもわからないのだ。

まあ、こんな感じで、目に見えない抵抗を、うけて、私はすこし疲れてしまった。きっと他の理事も同じだろう。スタートして、いざ走り出したら、自分の周りが空気でなくて水に満たされていて、全然前にすすまない。そんな感じだ。よく、ここで、この企画ができたら、世界中どこにいっても仕事ができるよとジョークをいって、他の理事とお互いを励ましたけれど、ホントにそんな感じである。

まあ、闘っている相手がロチェスターシンドロームなんだから、簡単な訳がないのだ。自分はこの企画でロチェスターシンドロームの撲滅を目指します。(^_^)

2006年09月20日

■9月 みやぎ五行歌会例会



肩甲骨は
羽根の名残だと
背中を触る
その手はいつか
わたしを離すのだろうか

去る9/17にみやぎ五行会の例会がありました。
わたし欠席だったんで、作品のみの参加。


たとえ今このとき、自分のそばで暖かさを感じている
存在であっても、単なる別れか、それとも死別か、
いろんな理由で自分から離れていってしまうんじゃないかという思いは
いつも付いてまわります。妙にマイナス思考ですそこ(笑
だって人は必ず死んじゃうので。
恋人でも家族でも友人でも、それは一緒だと考えます。
その中でも、絶対に避けられない死によって別れる事になる事を、
「羽根」=「天使」の居る「天国」、 という感じの連想で表そうとしました。

だから、自分と接する人達を大事にしたいと思っています。

という感じです。
ちょっと今回暗い歌だったかもしれない。
だって寒いんですもん最近!!(関係あるのか?
こうやって歌の説明するのがあんまり得意ではなく
もっともらしいことを並べ立てて理論武装しないと
何か聞かれた時に答えられないので(汗

締め切りに迫られ、カッチーニのアヴェ・マリアを
ず------っとリピートリピートで聞きながら作りました。
アヴェ・マリアになのか、締め切りになのか分からないけど
考えてるうちに泣けてきてしまって、参りました。
鳴いてたかもしれないです。ぴよぴよ。

受験前に、答えが分からない夢を見たり、
空手の昇級審査前に、型を間違える夢を見たり、
そういうタイプなんです。
最終的にマックスプラス思考になるんですけど(笑

2006年09月22日

あといくつ寝ると〜♪***佐藤研一朗

2006年9月17日記

みなさん、こんにちはアメリカニューヨーク州はロチェスターで、世界一大きい写真展を企画している佐藤研一朗です。

あと10日でBig Picture Rochester(旧ROMAのリーガルネーム)の最初の企画の、ロチェスター写真モザイクが完成します。今日、最終の色のチェックを終えて、印刷会社に印刷スタートの号令を出したところです。金曜日には、印刷が終わり、来週の月曜日にはモザイクの貼り付け工事があり、来週の金曜日には、オープニングセレモニーそして、土曜日は、オープニングフェスティバルをやります。いよいよ、開幕が迫ってきたのに、どうも、実感が湧かずにいます。本当にあと10日寝ると、本当にその日がやってくるのでしょうか?

九月に入ってからの大きな仕事は、写真のピックアップ、モザイク作り、それからビルのオーナーであるニューヨーク州立大学ブラックポートとの最終合意だった。

最終的に、このモザイクプロジェクトに、ロチェスターから、7千枚を超す写真が集まった。内訳は、一般の参加者から約2500枚、アマチュア写真家から3500枚、市と図書館から1500枚。前回の連載で書いたように、700ドルと非常に限られた予算の中で、広告もろくにできなかったのに、目標の1万枚までは届かなかったけれど、よくここまで集まったと思う。みんなでビラまきをして、本当に走り回って、ほんとうに感慨が深い。写真を送ってくれた皆さんには、本当に感謝です。

モザイクの大きな写真はコンテストに応募された70点の中から、子供達がブランコで遊んでいる写真を選んだ。この写真を一目見たときに、この写真だなあと確信をしました。非常にポジティブで始まりにふさわしい写真だし、写真の後ろにあるストーリーがおもしろい。実はこの写真は子供が近所で撮った写真で、そこはクリセントと呼ばれる貧民層が住む、一番治安が悪い地域なのです。普通のロチェスターの人は昼間でもあんまり寄りつきたがらないような所です。

今回コンテストには、結構いい写真は集まったけど、1人の写真家として、こういうところに行って、写真を撮った人はいなかった。そんな危ない地域に美しい物があるはずがないと、無意識に思いこんでいるからだ。でも、子供はそういうステレオタイプが無いから、ただ単に近所でおもしろいと思った物を取ったのだろう。スラムにだって美しい一瞬はある。それは、多くのロチェスター人にしては、発見ではないだろうか。私にとってもそうだった。まさに、"Reveal moments of beauty in Rochester"(ロチェスターの美しい瞬間を探し出せ!) というテーマにぴったりである。

子供の写真を飾ると、きっと「アートじゃなくて、楽しい子供の写真を飾った」と批判をもらいそうなんだけど、やっぱりこの写真の裏にあるストーリーを考えると、こういう危ない地域でこんな美しい一瞬があることを人々に知らせてくれる訳で、やっぱりそれはアートかなあと思う。

私の他にも3人の審査員がいて、それぞれ違う写真を選んだのだけど、一生懸命説得して、納得してもらった。写真の選考は美術館に写真を飾るのとは違って、ただ写真がおもしろいとか、アーティスティックだというだけでは写真は選べない。パブリックアートはそこの場所にマッチしなくてはいけない。飾るビルにマッチすることは当たり前だけど、タイミング、時代、その街の政治や社会状況の考察も考えるべき対象である。もう少し言うと、アートを設置し、それを見た人や、周りに住んでいる人の行動や考え方が、どう変わるかという結果が一番大切だと私は思います。アートを使って、マスとコミュニケーションをとり、影響を与えるそれがパブリックアートだと思う。

たとえば、審査員が選んだ写真。これはビルの窓に違うビルが移り込んだ写真だ。写真としてはおもしろいけど、これは飾れない。だって、この写真に写っているビルは、2,3ブロック歩けばそこから見えるのだから。それをわざわざ飾ってもしようがない。この写真を祝う気にはなれないなあと思う。

もう一つの写真は夕焼けをバックに、家族らしき人が通りを歩いている写真である。これも自分の部屋に飾りたいようないい写真だったんだけど、どうも映画の最後のシーンのような感じで、終わってしまうという感じが強くて、一番最初に張るべき写真には思えなかった。これから始まるのであって、終わるのではないのだ。

もう一つ、ブランコの写真を選んだ理由は、ブランコをしている女の子の顔がはっきりと見えることだ。せっかく、七千枚の写真をロチェスター人々から集めたのだから、なにか感情を込めやすいものがいいと思う。そしてロチェスターのアイコンになるような写真がほしかった。やはり顔が見えないとアイコンにはならないと思う。この写真をはったらロチェスターにいいことばかり続いて、不運続きのロチェスターに舞い降りた、幸運の女神みたいになって、ロチェスターを守ってくれたらいいなと思う。(^_^)

モザイク作りは思ったよりも大変だった。やはり7000枚もの写真を扱って一枚の写真を作るだけあって、非常に時間かかかるだ。最新型のpcがなかったら、作るのはもっと大変だっただろう。このPCの金を立て替えて、クレジットカードに入れてくれたアダムにはホントに感謝以外の言葉はない。

最終的に画像の容量が1Gを超えてしまって、セーブをするだけで、5分もかかる始末。まあ、それだけじゃなくて、オリジナルの写真に手を加えて、モザイクとして成り立つように加工するのが結構な仕事だった。アートは終わりがない、完成がない仕事なんだなあと、実感したしだい。そしてそれがすごくストレスフルな仕事だとよくわかりました。

ニューヨーク州立大学ブラックポートとの最終合意は、簡単ではないけど、終わる方向で進んでいる。モザイクの設置工事をする業者の保険にブラックポートを入れるというのが、焦点で、こちらからは2ページの提案書を送っておいた。それがブラックポートの弁護士の手が入って、最終的には6ページになって返ってきた。(^_^) どうも、話をきくと、すごく細かいこと、考えられそうな自体全てを羅列して、全てその工事業者が責任を負うというようなものだったらしい。たとえば、誰かがモザイクにぶら下がって、落ちてけがをしたら、その工事業者が責任をおうというような感じだったらしい。

この最終合意を担当しているアダムが電話でぼそっと、この弁護士とやりとりをしていて、ホントに疲れたと、言ったのが印象的だった。彼はスゴイできた奴で、いつも前向きで、人の文句を言わない奴だけど、これにはすっかり参ったようだった。幸いに工事業者が、すごく理解をしてくれて、なんとか収拾の方向に行きそうだ。モザイクにぶら下がって落ちてけがをしたら、それはそいつのせいだろうと思うのだけれど、ここは訴訟社会のアメリカ。その弁護士がいうには誰もがニューヨーク州を訴えるとのことだ。まあ、だから今回は一番大変な人に当たってしまったのだろう。

恥を知ることがない世界は、まったく、大変な世の中である。

2006年09月25日

もう少しで頂上だ。***佐藤研一朗

ニューヨーク州はロチェスターで、世界一大きい写真展の計画を進めている佐藤研一朗です。地元仙台で一番好きな季節は秋ですが、今日のロチェスターは見事な秋晴れで、仙台を思い起こされます。さんまと戻り鰹の刺身が食べたい今日この頃です。

できれば、仙台インターネットマガジンにも一週間に一回の調子で文章を書いていけるようにしようと思い、日曜日に文章をかく時間を確保することにしました。どれだけ続くかわかりませんが、できるだえけ定期的に書いていこうと思うので、よろしく。

モザイクの完成がいよいよ近づいてきて、今週の金曜日にオープニングセレモニーをやります。それなのに、ここ十日くらいどうも疲れ切ってしまって、仕事が手につかず大変でした。飲み会にいって愚痴ばかり言っていました。(つきあってくれた人、ご迷惑をおかけしました。)どうも、いよいよ頂上が見えてきて、その先のことをいろいろと考えてしまっていたからだろうと思います。

モザイクの他にやっていることは、学校にアプライをすること、今年の春にMCC(モンローコミュニティーカレッジ)という短大を卒業したけど、あと2年こちらで勉強して四年制大学卒業できたら、いいなと思っています。それで、ロチェスターの学校にアプライをしようと、いろいろと調べていたのです。しかし、わかっているけど、授業料が高い。アプライをすれば、合格はできるだろうけど、どうやって私立なら年間300万円とか、公立の大学でも150万くらいの授業料を払えばいいのかと考え始めたら、急にブルーになってしまいました。

最低、大学に行くためには奨学金でももらわないと、どうにもならない。ただ、学部生にでる奨学金は少ないし、全額を出るような物はほとんど無い。奨学金というのは大体、大学院生のためのような物だ。もし、奨学金がでても、生活をしなくてはいけないわけで、それに月々10万くらいかかる。いまのところは、自分のなかで回答は無いわけで、とりあえず出してみるかなくらいの消極的なのりで、モチベーションがあがりません。

しかし、ビザの関係で、今後も自分の企画のためにアメリカに引き続き残るとするなら、やはり最悪来年の9月からまた学生に戻らなくていけない。そう考えるとやっぱり、アプライをしなきゃなあと、重い腰を上げようとしているところです。

まあ、それと気が乗らないのは、ロチェスターにある学校で自分が勉強をしたと思っている都市研究を教えているところがないということもある。本当は対岸のカナダのトロントにいって勉強をできれば最高なんだけど、ここ1,2年は企画のことを考えるとロチェスターの近くの大学に行くのがベストだろうと思うわけです。

まあ、この二年間で知り合ったロチェスターのお偉方達に推薦状を書いてもらえれば、もしかしたら、奨学金が見つかるかもしれないので、落ち込まずやっていこう。

未来のことを考えて、今行動するというのは、人間を人間とたらしめている特徴だとおもうけれど、あんまり先の事を考えると、不安にさいなまされたり、悲観的になってしまったりすることがある。いくら、自分のような、いつも何事も何とかなるだろうと思っている楽観的な人間でも、たとえば自分の生活とか不安定になってきたり、特にお金がなくなってくると、いつまでも落ち着きを払っているわけにもいかなくなってくる。そうなのです、お金がないのです。(^_^)

8月の末までは近所の日本食レストランでアルバイトをしていたのですが、ちょっと事情があってお暇を頂くことになったのです。ちょうどモザイクの企画が忙しくなってきた時なので、タイミングとしては悪くはなかったのですが、収入源が無くなってしまったのは痛い。幸い年末に日本に帰ろうとためていたお金があったので、それを食いつぶしながら暮らしているところです。来月はどうしようかなあ=来月はどうやって家賃を払おうかなあ(^_^;)みたいな状態というのは、なかなかの「覇気を奪う罠」だなあと思うわけです。

禅とオートバイ修理技術(Zen and Art of Motorcycle Maintenance)という、昔はやった哲学(?)の本によれば、「覇気とは、全体を動かし続ける、いわば精神のガソリンである。」そうだ。まさにその通りで何をやるにもこの覇気が必要になってくる。筆者はバイク修理を例にこんな事をいっている。「オートバイを修理しているうちに、さまざまな問題にぶつかる。こうした事柄の一つ一つが覇気を奪い、修理する者の熱意を吸い取ってしまう。こうなるともう何もかも投げ出したくなってしまう。これを私は『覇気を奪う罠』と呼んでいる。」

詳しくはふれないけど、本の中で、価値観の硬直、自分に対する過大評価、過小評価、必要な道具の欠落などの「覇気を奪う罠」についてや、どうやって覇気を管理していくかなんて事が書かれていて、非常におもしろい本だ。まさに、私が直面したロチェスターシンドロームや、将来への不安、お金の欠乏というのも強力な「覇気を奪う罠」だったようだ。

まあ、そんな感じで、覇気のタンクが、からからになってしまって、先週は何もできずにごろごろ、だらだらとしていたわけです。これではいかんと部屋を掃除して、模様替えをしたのですが、それでも調子がでず。髪がだいぶ伸びてきたので、気分転換に近所の美容室に髪を切りに行きました。

ウェンディーというヘヤーデザイナーに、1年半くらいずっと切ってもらっていて、私の専属のデザイナーさんみたいな方です。(^_^) 彼女は僕の企画のファンなので、髪を切りながら企画の進行状況をいつも報告するのですが、来週ついに一つ目の企画がオープンすると言うと、興奮気味に、「あなたが1年半前に始めてきたときを思い出すわ。その日家に帰って、私は旦那に日本人の学生がダウンタウンに世界一大きい写真展をつくっていて、きっとロチェスターを変えると思うといったら、旦那はさめた声で、まあ資金を得るのも大変だし、難しいんじゃないかって言うのよ。その時は私は頭にきたけど何も言い返さなかったけど、今日家に帰ったら、ほらいったでしょ、研はホントに実現させたのよって言ってやるわ。ほんとにおめでとう。」といった。そしたら急に、ああやっとここまできたんだなあと、すとんと腹に落ちて、こころが暖かくなって、また少し元気が出てきた。人の温かさに久しぶりにふれた気がした。

これだけ、がんばってやっているのだから、きっといいことがあるだろうと思う。ただ、どんないい事が、どのタイミングで起きるかってことは、予測不可能だ。だから、いまは、残された少ない時間の中で、できるだけのことをやって、いいイベントにすることに集中しよう。いまはベースキャンプに重い荷物を置いて、頂上を目指している。食料が無くなりそうだったり、空気が薄くなってきたり、大変な所だけど、それでも、もう少しで頂上だ。その先に何があるかは、行ってのお楽しみ。だから人生は楽しいのだ。

ロチェスターにお住まいの方、金曜日は4半からセレモニー、土曜は2時からフェスティバルがありますので、友達、家族をお誘いのうえ、ご来場ください。

2006年09月28日

朝顔のはな * 佐藤研一朗

みなさんこんにちは、今日もニューヨークはロチェスターから、世界一大きい写真展の計画を進めている佐藤研一朗です。あと一日でモザイクのオープニングがやってきます。

モザイクのオープニングの準備は8割方終わった。あとは屋内展覧会用の名札を作って、フレームをくむだけだ。今回は、かなりみんなに仕事を分担してやってもらっているので、だいぶ楽だ。もうすぐモザイクが見れるというそれだけがみんなのモチベーションを支えてる。みんな学校や仕事、家庭もある中、手伝ってくれている。ありがたい、そんな言葉しかでてこない。

本当は今日あるはずだった写真の設置は業者の都合で明日に持ち越し、最後の最後まではらはらとさせてくれる。まったく、明日は雨だって言うのに。業者は、金曜日の4半まで、大丈夫終わりますからってね。言っている。どうも金曜日にやるつもりだなこの人は。

まあ、なにごともなくうまく言ってくれればいいと思う。まあ、この業者は経験豊かだから、問題ないだろうと思うことにしよう。まあ、劇的にモザイクが現れていいかなあと思う。

予想はしていたけど、この企画は最後の最後まで、安心できなくて、はらはらさせられる。この企画を始めて、随分神経が太くなったような気がする。わくわく、どきどきすることが無くなってしまった。なんか図太くなって、まあ、何とかなるだろう。なるようになる。そんな言葉が自然に口から出てくるようになった。(^_^)

部屋にある朝顔の鉢植えについに花がさきそうだ。買ってきて最初の一週間は本当に勢いよくのびたのに、悪い虫がついて、二週間でほとんど枯れてしまった。1ヶ月ほど、ほとんどあきらめていたけど、水をやっていたら、また芽が出てきたのだ。しばらくするとツルがのびて、葉をもう一度つけて、また1ヶ月、私のモザイクの開幕に合わせたかのように、ついに花を咲かせそうなのだ。きっといい花を咲かすだろう。

2006年09月29日

モザイク完成!




ついにモザイクが完成した。なんと言えばいいかわからないけど、そこにモザイクがあるのだ。完成したら涙くらい出るのかなあと思ったけど、どうもそういう感じではなくて、そこにあるべき写真がついに目の前に現れたそんな感じだ。

モザイクは、自分が予想していた通りにいった。昨日まで自分の頭にしかなかったものが、今は現実に目の前にある。自分の中ではすごくシームレスな感じでつながっているけど、昨日までは夢だったものが、今ではそれが現物となった。現実としては100%と違う。不思議なものだ。

仕上がりはすごくよかった。一つづつの小さな写真は詳細までみえて驚きだった。そして、設置工事をした人達がホントにベテランで、雨のなか、もくもくと作業を進めていった。話をきくとアメリカ中を飛び回っているようで、先日は大雨の中、ニューヨークのトランプタワーの20階にこれよりも大きい広告を貼ってきたそうで、このくらい朝飯まえさって感じだった。最後の最後にきてやっと全てがうまく回ったという感じだ。


今の気持は、すごく不思議な感じで、興奮しているというか、すごく落ち着いた平和な気分だ。なんて言ったらいいわからないけど、明日は朝早くおきて、朝焼けのなか、モザイクを見に行こうと思う。

いままで応援ありがとうございました。
本当にみんなに励まされてやってきたそんな感じです。
まだまだ、1枚目で、これからも続けていきますが、いい意味で一段落をつけられそうです。

明日はセレモニーでスピーチをしなくてはいけないので、もう寝ます。

ps.

ロチェスターにお住まいの方はぜひ土曜日に2時からお祭りをやっているので遊びに来てください。

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