ロチェスターシンドロームとの闘い ***佐藤研一朗***

2006年09月12日

ロチェスターシンドロームとの闘い ***佐藤研一朗***

[投稿者:佐藤研一朗]

仙台インターネットマガジンの読者の皆様、大変お久しぶりです、アメリカはニューヨーク州ロチェスターで世界一大きい写真展を計画している佐藤研一朗です。随分しばらくぶりの更新になってしましました。まともに更新したのが六月末だから、二ヶ月間も文章を書けないでいた。仙台インターネットマガジンが故障して、しばらく更新ができない状態が続いていて、どうも文章を書くモチベーションが上がらなかったのです。

だけど、文章を書いて残すというのは大切な事だと、つくづく感じます。だいたい日記をしばらくつけていないときは、たいてい調子が悪い。自分がやってきたことを、反省したり、励ましながら、記録に残していくということは、自分の平静を保って、仕事をやっていくことに本当に役に立つと思う。仕事だけじゃなくて、その人の生活全般にいったっても同じ。自分と自分のやっていることを、いる場所を、しっかり理解しなければ、いつだって不安にさいなまされるはずだ。

アメリカにきてから知ったのだけど、英語でHistoryというのは、文字が生まれた後の歴史という意味だそうだ。文字として記録に残った物を読み解いていくという学問だと思う。もし人間がHistoryの上に立って生きているのだとすれば、やはり私たちは、何か自分が生きてきて、やってきたことの記録していかなくてはいけないような気がする。そうしないと自分が消えて無くなっちゃうような気がする。自分が苦労して経験したこと、勉強したことそれがまた無に戻って行ってしまう。自分があたかも存在しなかったかのように。

この二ヶ月何をやってきたのだろうか?どうもいろんな事がありすぎてなにから書いていいかわからない。山や谷がありすぎて、どれだけ超えてきたか忘れてしまった。なんどか、しっぽを巻いて日本に帰りたいと正直思った。厳しい夏だった。

世の中はおもしろい物で、同じ物でも、遠くからか、近くから見るかで、目に映る物は全く違う。月は遠くから見ると美しいが、月面に降りれば岩がごろごろしているだけで、ちっとも美しくないというのと同じかもしれない。

変なことをいうけれど、私が今進めている今回の写真モザイク企画は大きい意味では、最初から完成している。どういう事かというと、この企画は、何か新しいロケットを開発して、太陽系外に人類を送り込もうという企画ではない。不治の病を今までにない技術によって治癒しようという物ではない。まず技術的に可能である。 今までにもう何万回と使われた印刷技術を使って、大きな写真を壁に貼ろうというだけだ。簡単に言えばそれだけの事なのだ。

資金的にも、$15,000の補助金と、市からの助成$8,000、モザイクを張るビルのオナーからの寄付$2,500で全て足る事になっている。世の中にはいろいろな企画があるけど、比べれば非常に安価でできる企画である。

物理的にビニールの写真をビルに貼れる技術もそんなに難しいことではない。これは専門家が必要だけれど、ニューヨーク市にいけば、同じ技術を使った屋外広告が何百枚と見ることができる。

もう一つあげるとすると、なんとかこの街を盛り上げたいという需要、今のロチェスターの欲望を満たしている。自分でいうのも何だけれど、これほどロチェスターの文化と歴史に合致して、みんながこれはここロチェスターで始めなくてはいけないと、思う企画は他にないように思う。

だからこうして、遠くからこの企画を見る分には、不確定要素が少なく、なんの問題もなくスムースに企画を進める事ができるように見える。しかし企画を実際動かし始めると全く自分が想像をしなかったような事が沢山起きてくる。これらを全て事前に予想するのはほとんど無理な話だ。ほとんど量子力学の世界である。

まず予想外に時間がかかったのが法人化だ。これをしないと、市からの補助金はもらえないし、団体として他の団体と契約がむすべないので、いろいろな部分で問題がでてくる。そんなこともあって四月の末から取りかかったのだが、弁護士が言うには大体二週間で片が付くだろうと言うことので、なめていたのだが、法人化が終わったのが八月の終わり。4ヶ月もかかるとは夢にも思わなかった。

まず最初のつまずきはRochester Outdoor Museum or Artという名前だ。この"Museum"というのが、大変な代物だった。NY州では美術館と法的に名乗るには、州からの免許が必要で、だれでもが自分が美術館だと勝手に名乗ることができない。この許可を出しているのがNY州の文化局に、伺いをたてて、この団体が美術館と名乗ることができるのか、問い合わせるだけで、1ヶ月もかかった。しかも返事はNO。NY州の文化局は、ビルに貼り付けた写真はオリジナルでなく、量産できる物なのでアートではないと判断をしたそうだ。

その上、Museum(美術館や博物館)というのは、本来、作品や貴重品を保管し管理する場であるから、そのようなコレクションが無くてはならない。私が集めようとしている写真のデジタルデータは法律上コレクションとは呼ばないというのだ。ゆえに、Museumと認めることができないというのだ。まったく気が遠くなりそうな話だが、行政というのはどこでもこのように官僚的で、新しい物に対応ができないようである。それにだれかに何がアートかなんてきめてもらいたくない。そんなのアートではない。

選択肢は二つで、一つは彫刻のような物もコレクションに加えたコレクションポリシーをつくって美術館として登録する。もう一つは、美術館と呼ばないで違う名前で登録をするということ。結局はその両方をとることにした。コレクションポリシーというものがどういう物なのかわからないし、わからないものを作るのには、非常に時間かかかる。そしてまた文化局に伺いを立てるだけで何ヶ月もかかるのだから、とても九月の企画には間に合わない。それで長期的には美術館の免許をとる方向で進めて、短期的には違う名前で法人化をしようということになった。

それで、考えたのは名前は"ROMA"、どうせロマっていつも読んでいるのだから、それを法人名にすればいいじゃないかという簡単なアイディアだ。理事のみんなもROMAに長い間慣れ親しんでいるので、その名前をあきらめるのも何だといことで、賛成だった。

やれやれ、やっとこれで法人格が降りるかなあと、胸をなで下ろしたのが、六月の頭。しかし、いつまで経っても返事がこない。いったいどうなっているのか様子がよくわからない。1ヶ月たって、またもやNOの返事が来た。ROMAというのは、イタリア語でローマのことで、ROMA何とかという会社は何百とあるので、ROMAだけで法人として名乗るのは紛らわしいので、許可が下りなかったそうだ。呪われているのかのごとく、うまくいかず、笑うしか無かった。最終的には今回のBig Picture Rochester(以後BPR)の名前を登録して、法人格の許可が下りたのは8月末。まったく、ストレスフルな手続きだった。

といって、これで法人に関する手続きが終わった訳ではない。BPRは、Not-for-profit organization(非営利団体、日本ではNPOと呼ばれる)なんだけど、このNPOの資格を取っただけでは、ほどんどNPOの特権が無いのだ。

NPOの特権は、寄付を受け取ることができるというこだ。その時に寄付をした人が税金を控除することができる仕組みがある。どうせ同じだけの税金を払うなら、自分が世の中のためになると思うことに自分のお金を使いたいと思っている人は沢山いるわけで、この制度があるおかげで、アメリカにはものすごい数のNPOがある。もちろんアメリカ人の市民意識が高いからという理由だけで、NPOがたくさんあるのではなくて、このような経済的な理由と、もう一つ言えばアメリカの政府はあまり日本のようにまじめに働かないから、このような団体が増えざる得ないという背景が大きいと思う。なにせ、全国民の向けの、健康保険制度がない国なのだから。

それはさておき、この特典(510(c)3 Statusと呼ぶ)をもっていないと、NPOであって、ほとんどいいことはない。しかし、そんなに簡単にこんな特権をどの団体にも与えたら、脱税の向け穴になるのは間違いないことで、IRS(Internal Revenue Service=国税歳入局)による、厳しいチェックを乗り越えてやっとその特典がもらえる。通常は半年から1年はかかるらしい。まだまだ先はながい。

まあ、まずは一つ。意外と大変だったのが、写真モザイクを設置してくれる業者を捜すことだった。意外と早い時期に、ラマーという、全国チェーンの屋外広告のロチェスター支店が、モザイクの印刷費を寄付してくれることになっていた。ここがホントは設置もやってくれたらよかったのだが、ロチェスターでは、ビルの壁に写真を貼り付けたことがないといことで、他の業者を捜すことになった。

ラマーが紹介してくれた建築家が、あまりよくなくてよけいな時間を食い。ビルのオーナーはさっさと業者を連れてきて、ビルに穴を開けてテストしろとか、五月蠅いので、なかなか、これもストレス一杯であった。なんだか、大変なときは、いろいろなものが重なる物で、フィラデルフィアから来るはずだった広告会社が、台風でこれなかったり送れたり、どんどん時間を押していった。

まあ、詳細を書いていると終わりがないが、山あり谷ありで、結局、昨年一番最初に私がコンタクトをした業者にやってもらうことになったのだ。彼は非常に経験があって、一番ふさわしい人であったようだ。いろいろ回り回って、一番最初にコンタクトした業者と一緒にやることんなったのは、不思議な巡り合わせを感じる。

まあ、この辺は序の口で、ここ二ヶ月は今までに無いくらいに厳しい中で企画を進めてきたんだけど、振り返って見て、だんだん自分が闘っている相手が何であるかが、わかってきたような気がする。闘いの相手はロチェスターシンドローム。なんじゃそれと、いわれそうだけど、沢山のひととロチェスターについて話をしてアイディアを得て、私が名付けた病名だ。

ロチェスターにくると急に気分が暗くなり落ち込むことが多くなり、家に引きこもることが多くなり、友達ができなくて苦労する。これが典型的な症状である。悪い場合では鬱状態に陥りそこから抜け出すのに長い時間がかかる事がある。

留学生や、他の街から移ってきて友達や、家族のいない人は要注意で、とくに、ニューヨーク市や、ロサンゼルスのような栄えたまち、非常に住みやすい街から移ってきた直後は特にかかりやすい。急性ロチェスター中毒とでも呼ぼうか。

ロチェスターシンドロームのおもしろいところは、ロチェスターを離れれば直るということである。たとえばオンタリオ湖の対岸にあるカナダのトロントに遊びにいくと、すうっと心が晴れているのに気が付くのだ。もちろん留学生が本国に帰国をした場合はとくに本人が驚くほどに、今までの鬱はどこに行ったかのように消えてしまうのだ。しかし問題は、症状が完治したように見えても、またロチェスターに帰ってくると、何事もなかったかのように症状が復活する。

これを何度か経験している人にとって、ロチェスターへ戻る前日の苦しみ、気の落ち込みは想像を絶する物がある。私は、これをロチェスター帰省前日症候群と呼ぶ。

これはいたったい何であるか。症状はほとんど、ホームシックに近いのであるけれど、疑問はどうしてロチェスターにきたときだけそれが起きるのかだ。それがトロントや、ニューヨークやロスで起きないで、どうしてロチェスターにきた時だけなのか? この土地がもつ特有な病気であるということは間違いはない。

ロチェスターにきてから強く感じることが多いのだが、その人が住んでいる場所というのは、その人の人生に強く影響を与える。考えてみればニューヨーク市にすんでいたときは毎週のように、いろんな友達のハウスパーティーに遊びに行っていたし、2ヶ月に一回は、大きなパーティーを自分のアパートで盛大に開いていたけ。でも、ここ二年間のロチェスターではそんなことはなかった。むすっとだまって、勉強して、本を読んで、ROMAの仕事に打ち込むまあそれだけだった。まったく息が詰まるような生活だ。ここでは勉強と仕事に打ち込めるけれど、ニューヨーク市にすんでいたらあえただろう世界各地からやってきた何百という人に会うことはない。どちらがよくてどちらが悪いというわけではないけれど、いい友達を得るのが大事だと思っている人間には、この街は身にしみるのである。やっとこのごろ、友達が増えてきて、少しらくになったが。他の街で1ヶ月でできることが、ロチェスターでは二年もかかった。

仙台インターネットマガジンのコラムニストの大場理史さんによれば、その土地、その土地がもつ力があるというのである。ロチェスターでは「土地がもつ力」がネガティブに働きすぎて、人の気分を暗くするのだ。街が死んでいくとき、人の気持ちも暗くなるのはあたりまえと言ってしまえば、その通りだろう。

いままで何度も書いているけど、ロチェスターは30年、40年前までは、ホントに栄えていたのだ。ダウンタウンには沢山映画館があって、デパートがあって、レストランがあって、バーがあった。2,30万の人口の街に地下鉄まであったのだ。でも、そのあとは、衰退の一途である。ここ30年、40年間一貫して転落しているのだ。日本もバブルが崩壊してここ15年ずっとムードが暗いが、それが30年、40年間と続いていると考えてもらえばいいと思う。どれだけそれが人の誇りを傷つけるか、希望を打ち砕いて、あきらめを覚えさせるか想像は難しくない。

世の中にある全ての物には使命がある気がする。とくに人間が作った物には、はっきりとした使命がある。たとえば車なら人を乗せて移動をすること。ビルならオフィスや住まいとして人に使ってもらうことだ。でも、その使命が果たされていない物というのは、独特の悲しみを放っている。空っぽのビルを見ると気分が暗くなるのは、そういうことだろう。ロチェスターには作られたけど、活かされてない物がたくさんあって、それを嘆くかのように、悲しみを放っている。寂れてしまったダウンタウンというのはその最たる物だ。その悲しみがロチェスターシンドロームの原因になのだろう。


国や企業や、街が衰退していくときに生まれる典型的な文化がある。新しいことをおそれ、リスクをおそれ、変化をおそれる文化だ。多くの人はこのような文化をさしてロチェスターは保守的だというが、それは言葉の使いたかが間違っている。保守というのは歴史の中で培われた伝統や文化を大切にしていこうという立場だ。短いロチェスターの歴史をひもとけば、この街はもともと進歩的で公民権運動や、女性の地位向上運動などが非常に盛んで、コダックやゼロックスのような革新的な企業を生んだクリエイティブな街だったのだ。それに従うなら、ロチェスターは進歩的でクリエイティブな街でなくてはいけないはずだ。だから、この「新しいことをおそれ、リスクをおそれ、変化をおそれる文化」というのは、ただの現状維持の文化だと言っていい。

長い間、自分の街が死に絶えていくの見てきた人の中には、このロチェスターシンドロームが骨の髄まで染みついてしまった人が沢山いる。非常にやっかいな人々だ。ここ二ヶ月は、そんな人々と格闘をしながら、疲れ果てて、日記も書く気がしなかった。

一番の大変だったのは、企画を進めるのに必要なお金を、必要な時に、ほとんど使えなかったとうことだ。今回の補助金は、アーティストが地元の地域団体と協力してパブリックアートを作るというルールがあって、ROMAは、RDDC (Rochester Downtown Development Corporation) という団体に、親団体になってもらって、補助金を申請した。補助金を管理しているのはRDDCなので、何かお金が必要な時はそのたびにRDDCを説得してお金をもらってこなくてはいけない。でも、お金を扱っている団体が、新しいことをおそれ、リスクをおそれ、変化をおそれる人たちだったらどうだろうか? まあ、大変なことは目に見えている。

今年四月、RDDCとの最初のミーティング、RDDCの代表が開口一番、「もしこの企画ができなかったら、誰が使ったお金を返すの? うちはROMAが完全にこの企画ができるとわかるまで一銭もお金を払いません。」といった。これが一番最初に言うことかと、閉口してしまった。その後も、この留学生が何らかの理由で日本に帰国したらどうするとか、まあ、平気でそういうことを言う。外国に住んでいて、こういうことを言われるのが一番こたえる。留学生がなじみの無い街で、滅びそうなロチェスターのために、1人で頑張っているんだから、少しは優しい気持ちはないのかとおもうが、そういうことは頭にはないらしい。

失敗したときのことを考えて、それに準備をするというのは大切だけれど、全てをそこに重点を置けば何も進まない。新しいことやるには、リスクがあるのは当たり前で、リスクを全く取らないで、だれもやったことが無いことを現実にするのは、不可能なのだ。

はっきりいって、この初っぱなのミーティングでかなり気力が萎えてしまって、最初からこの人たちとは働きたくなかった。これでお金を沢山もらえるというわけではない。すすんでただ働きをするのだ。できれば、楽しく仕事がしたいではないか。それで、やる気がしないので、一億円のディールを結ぼうと走り回ったり、それがだめだとわかると、違う補助金の申請をしたりして(これも決勝までいったけど、だめだった。)、なかなか、モザイクの方の仕事に手を付かなかった。というか、つけなかったのだ。

相手もそれを感じてか、態度はますます硬化していった。結局、開催まであと三週間現時点で、RDDCからおりて使ったお金はポスターやポストカードの印刷費の7万円だけである。あとは全部ツケでまかなっている。これだけ、金銭的に厳しいというか、締め付けが厳しい企画はこれまでに一度もやったことがない。酷かったのは、コンテストが終わる二週間前に、地元の新聞とフリーペーパーに広告を載せるはずだったのが、前日にRDDCからのキャンセルをくらい、載せられなかったことだ。追加のポストカードも作れなかったし、宣伝は結局メールとクチコミだけに頼るしかなかった。

先週も巨大なモザイクを作るために、新しいPCが必要だったのでけど、この予算も出ずに、大変な思いをした。知り合いに電話をしまくり、かけずりまわって、余計な時間ばかりを費やしてしまった。何か作るときに必要な道具がないほどつらい物はない。最終的には、BPRのメンバーでビジネス担当のアダムのクレジットカードにつけてもらって、PCを買ったのだ。彼には今回、途中からプロジェクトマネージャーとしてただ働きしてもらって、本当に頭があがらない。ここまで尽くしてくれて、涙が出る思いだった。

モザイクをはらせてもらうビルのオーナであるニューヨーク州立大学ブラックポートも、また強敵だった。これから最終合意を結ぼうという時になって、ビルにモザイクをはる工事をする会社の保険だけでは足りないから、追加で三億円の保険をかけてくれと言うのだ。このアメリカの訴訟社会でなにかやるとき、保険をかけられるだけかけるというのは、悪い事じゃないけど、問題はそのコストだ。BPRはまだできたばかりの会社だから、自分たちでこの保険をかけようとすると、100万円くらいかかるのだ。全体の予算が250万円だから、この保険は高すぎるのだ。そんなお金はどこからも出ない。これを聞いて、RDDCがパニくり、モザイクは今からお金をもっと集めて、来年にやりましょうという始末。この人達は、こうやって草の根の団体が身を粉にしてボランティアで働いて、なんとかこの街を盛り上げようとしていることに、敬意はらって一生懸命応援しようという気持は全然ない。あるのはこの企画を使って自分たちをどれだけ宣伝できるかというだけだ。そし金もろくにださないで、自分たちが強い立場にいるのをいいことに、言いたいことだけを要求してくる。

その日、私は、完全に頭にきて、ブラックポートのビルではなくて、同じ地区にあるオーナーが非常に協力的なビルでやろうと、BPRの理事全員にメールをしたのだ。その時に私のミスで、そのオーナーにもこのメールを送ってしまったのだ。どうやら、そのオーナーがこれはどういう事なのかと、ブラックポートにそのメールを転送したそうなのだ。それを読んでブラックポートの担当者は態度を軟化させて、工事会社の保険に、ブラックポートの名前を入れるだけでいいでしょうということになったのだ。偶然とはおもしろい物だ。いったい何がどうなって、物事がつながるか、その時にならないと誰にもわからないのだ。

まあ、こんな感じで、目に見えない抵抗を、うけて、私はすこし疲れてしまった。きっと他の理事も同じだろう。スタートして、いざ走り出したら、自分の周りが空気でなくて水に満たされていて、全然前にすすまない。そんな感じだ。よく、ここで、この企画ができたら、世界中どこにいっても仕事ができるよとジョークをいって、他の理事とお互いを励ましたけれど、ホントにそんな感じである。

まあ、闘っている相手がロチェスターシンドロームなんだから、簡単な訳がないのだ。自分はこの企画でロチェスターシンドロームの撲滅を目指します。(^_^)


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投稿者 佐藤研一朗 : 2006年09月12日 12:21
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