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2007年10月 アーカイブ

2007年10月01日

ロン・ポール革命 1 -Ron Paul Revolution 1 ロン・ポールの衝撃


2008年アメリカ合衆国大統領選挙(Wikipediaより)

Jeffersonian democracy (Wikipediaより)
http://en.wikipedia.org/wiki/Jeffersonian_democracy

<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用>

ロン・ポール

ロナルド・アーネスト・ロン・ポール(英語名:Ronald Ernest "Ron" Paul 1935年8月20日 - )は、テキサス州よりの10期目の下院議員で、医師である。アメリカ合衆国ペンシルバニア州ピッツバーグ出身。テキサス州より2008年アメリカ合衆国大統領選挙への共和党立候補者。
目次
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* 1 略歴
* 2 政策
* 3 少年期・学生時代
* 4 家族
* 5 兵役と医師の経歴
* 6 議員時代:前期
* 7 1988年大統領選挙戦
* 8 新聞記事についての論争
* 9 議員時代:後期
o 9.1 選挙運動
* 10 外部リンク
略歴

ロン・ポールはペンシルバニア州ピッツバーグ近郊に生まれる。1953年同州のドーモントにあるドーモント高校を優等成績で卒業後、ゲティスバーグにあるゲティスバーグ大学へ入学。卒業後はデューク大学医学部で1961年に修士号を取得する。その後はデトロイトにあるヘンリー・フォード病院でインターンシップを受けた。キューバ危機の際、アメリカ空軍に徴兵されベトナム戦争を通じて空軍外科医として勤務した。大尉。

1974年に共和党議員へ立候補するも落選。その後1976年の議員選でもロバート・ガメッジに敗退するなどしたが、1978年に当選。1980年より2年間議員職を務めた。1988年アメリカ合衆国大統領選挙へアメリカ・リバタリアン党としての出馬で、3位に終わる。1996年に共和党へ再当選。以降数年にわたり再当選を繰り返す。

2007年に2008年アメリカ合衆国大統領選挙への再度出馬を表明。カリフォルニア州にあるロナルド・レーガン大統領図書館で2008年5月3日に行われた大統領立候補者のディベートにも参加し、各メディアに取り上げられるなど選挙活動を続ける。インターネットにおいて、名声が高く支持率が高い。

[編集] 政策

政治的立場は立憲主義、小さな政府を基調としている。 本来は小さな政府を推進する立場の共和党について、「大きな政府の党になってしまった」と言って批判している。

下院議員としては、新たな支出や増税に対して一貫として反対票を投じている。医者である事と掛けて「Dr. No」というあだ名がついた。

その他に支持している政策の主なものは、州の自治権強化、市民の銃器の所持、自由貿易等。

反対している政策の主なものは、連邦準備銀行制度、妊娠中絶の容認、死刑制度、所得税(違憲であると主張)、国民皆保健。

外交政策に関しては、不介入主義者である。国際連合と北大西洋条約機構からの脱退を支持。 「絡み合った同盟関係」を断つべきだと主張している。 戦争をしなければならないのは国民を守らなければならない時だけであり、下院による宣戦布告なしでの開戦は許されないと主張している。 イラク戦争に関しては、2002年の「イラクに対する兵力動員承認に関する法案」の下院での審議の際は徹底してイラクとの開戦に反対した。 大統領になった暁には、イラクから即時に撤退すると表明している。

[編集] 少年期・学生時代

ロン・ポールは、ペンシルバニア州グリーン・ツリー町で、ドイツ系ルター派移民の息子であるハワード・キャスパー・ポールと、マーガレット・ポールの間に生まれた。家族は、ピッツバーグのすぐそばにあるその小さな町で、酪農を営んでいた。彼は、7年間の大恐慌のさなか、5人兄弟の三男として生まれた。彼の父は、中学2年まで教育を受けたのち、兄弟のルイスとアーサーと共に、グリーン・ツリー酪農場の共同経営に携わっていた。彼は5歳から父の農場で働き始めた。その後彼は、新聞配達をしたり、また薬局で働き、運転が出来るようになってからは牛乳配達を行った。彼の牛乳を配達していた顧客の中には、伝説の野球選手、ホーナス・ワグナーがいた。

彼は1953年に、ペンシルバニア州のドーモント高校を優等で卒業した。彼は陸上競技にも秀で、2年生の部で、ペンシルバニア州大会の200m走で優勝し、400m走で2位の成績を残した。彼はレスリング部にも所属し、フットボールや野球もやり、そして生徒会長でもあった。

彼はゲティスバーグ大学の初年度の学費を、新聞配達、レモネード販売、芝刈りの仕事などで貯めたお金で支払った。ポールはゲティスバーグで郵便物や洗濯物の配達をする一方、大学の喫茶店を経営した。彼は膝に怪我を負い、陸上競技選手をあきらめたが、リハビリに水泳を選んだことがきっかけで、大学の水泳部に所属するようになった。彼には陸上競技チームを率いてくれれば全額奨学金が支給されるという申し出を受けたが、怪我が直ったとしても、もう以前のようなスピードは出せないのではないかと思い、申し出を断った。ポールはラムダ・シ・アルファ男性社交クラブの給仕、そして支配人にもなった。

彼は、兄弟のうち二人がそうであるように、一度はルター派の聖職者になろうかと考えたが、結局は医学の道に進もうと決心し、デューク薬科総合大学に入学したのち、1961年にそこで医学博士の学位を得た。彼は1961年と1962年、研修医としてデトロイトのヘンリー・フォード病院の内科で勤務し、1965年から1968年にかけては、ピッツバーグ大学の産婦人科で、同じく研修医として勤務した。

[編集] 家族

ポールと妻のキャロルは1957年2月1日に結婚した。キャロルがロンを、セイディ・ホーキンス・ダンスパーティ(女性が男性を誘うパーティ)に誘ったのが、最初のデートだった。彼らは別々の州にある大学に通っていたが、ずっと付き合っていた。そして二人はロンがゲティスバーグ大学4回生の時に結婚した。

彼らには、ロニー、ローリ、ランド、ロバート、ジョイの5人の子供がいる。また、18人の孫とひ孫が1人いる。デトロイトで研修医をしていた時期、キャロルは家の地下室でダンス教室を開いていた。ロバート、ランド、ジョイの3人の子供も、同じく医者になった。ランドは眼科、ロバートは家族医療の専門医である。連邦議員の父と同じく、娘のジョイは、産婦人科医である。ポールは、子供達が学部生や医学生の間、州の学生援助ローンを受けさせずに、代わりに学費を出していた。彼は同様に、議員年金に加入しなかった。彼は週末はいつも、レイク・ジャクソンにある自宅に帰っている。

ポールが14区で選挙運動をしていたとき、妻のキャロルは、夫に協力するため、ロン家の家庭料理本を作り、それを選挙区民に配ることにした。その料理本は、ポール一家の写真で埋め尽くされていた。初版からかぞえて5版目が出版されている。彼女や他の家族は、夫の議会選挙戦のホームページに、「今週の料理」を掲載し続けている。

[編集] 兵役と医師の経歴

ポールの医学訓練は、アメリカ空軍のキューバ危機の時の兵役によって中断された。彼はベトナム戦争の最初の数年頃まで軍隊にいた。彼はベトナムへは行かなかったものの、1963年から1965年まで、現役兵として働き、韓国、イラン、エチオピア、トルコなどに赴任した。1963年から1965年、彼はテキサス州サンアントニオのケリー空軍基地の航空医官として、パイロットの耳鼻咽喉の治療にあたった。そして、1965年から1968年まで、ピッツバーグでの研修医の傍ら、空軍州兵に従事した。彼は空軍時代には、大尉に任命されている。

医大を離れて2年後、ポールはサンアントニオにある教会病院の救急救命室で、時給3ドルで働いた。そののち彼は産婦人科医として、4000人もの赤ん坊を取り上げた。彼はブラゾリア郡では唯一の産婦人科医で、とても忙しく、テキサス州レイク・ジャクソンの退職医師の仕事を奪うことになってしまった。彼は医師だった時は、「私は月に40から50人の赤ん坊を取り上げ、また数多くの手術もした。」と語っている。彼は決して、メディケア(高齢者向け医療保険制度)や、メディケイド(低所得者と身障者の医療扶助制度)の制度を受けつけない医師であったが、その代わりに、金銭に困っている患者には、無料や割引料金で治療したり、また分割払いに応じた。

[編集] 議員時代:前期

数年間、地元で医師として働いた後、ポールは政治の世界に入り、1974年のテキサス州政治集会で、共和党の代表になった。1971年8月15日、それは、リチャード・ニクソン大統領が、米ドルの金本位制からの完全な脱却を宣言した時、彼は政界に入る決心をした。彼は、「その日から全ての貨幣は、もはや本来の価値によって決まるのはなく、政治によってその価値が決まることになるだろうと思い、私は愕然としたんだ。」と言っている。

彼は、民主党候補者が大勝した1974年に、テキサス州22区の候補者として共和党から出馬したが、現職の民主党のロバート・R・ケーシーに敗れ、落選している。ジェラルド・R・フォード大統領が、ケーシー議員を連邦海事委員会の長官に任命した1976年4月、後任の議員を選出するための補欠選挙が行われた。ポールはその選挙で勝利するが、6ヶ月後の通常選挙で、民主党のロバート・A・ガメージに議席を奪われた。投票数は、18万票に対し、わずか300票差の接戦だった。次の1978年の選挙では、彼はガメージに勝利した。彼は1980年と1982年の選挙でも再選した。ポールはその地域では、下院における初めての共和党議員だった。彼は、1976年の対ジェラルド・フォードの大統領選で、ロナルド・レーガンを支持する、たった4人の共和党議員のうちの1人で、その時彼は、共和党の全国党大会で、テキサス代表団がレーガンを支持するのを容認している。

ポールは、22区の下院議員任期中も、月曜日と土曜日は赤ん坊を取り上げていた。この時期に彼は、自分が違憲だと思った法律には賛成票を投じなかったことから『ドクター・ノー』と呼ばれ、次第に評判を集めていた。

ポールは、アメリカ連邦議会で、1970年代で初めて下院での任期制限法を提案した議員で、彼自身、4期の任期中、視察旅行への参加や、議員年金への登録を辞退していた。また彼は、インフレ率に応じて議員給与を下げようと提案していた。1980年、共和党員の大多数が賛成していたカーター大統領の、徴兵登録制度を復活するという提案を、ポールは、彼らの見解の矛盾を指摘し、またこれはウォールストリート・ジャーナルの記事によるが、彼らは銃を登録するより子供達を登録したがるだろう、と言った。

この頃ポールは下院金融委員会の一員で、彼は連邦準備金制度がインフレを引き起こしたのだと考えていて、この制度を非難していた。彼はまた、 1980年代の貯蓄貸付危機の対策に考えられていた、銀行制度の規制解除にも反対していた。1982年に下院によって作られた、アメリカ金委員会は彼の提案によるが、この委員会から引き出された彼の結論は、ケイトー研究所から出版された、「The Case for Gold(金の正当性)」に書かれている。1978年から1982年にかけての、ポールのスタッフのリーダーは、ルー・ロックウェルである。ポールは毎年恒例の連邦議会の野球大会の常連メンバーだった。

ポールは1984年のアメリカ合衆国上院の共和党予備選挙で、フィル・グラミーに敗れた。彼は下院での再選ではなく、上院での活動を選んだのだが、結果彼は1985年に議会を去って医療の世界に戻ることになり、彼の議席は、テキサス州下院の議員だったトム・ディレイが引き継いだ。辞任演説でポールは、「我が国の憲法の制定者は、広く市民の幸福を目的としていたが、今や特定の人々の利益が目的となっている。ここでは票の取引が正当な施策としてまかり通っている。お使い坊やの議員達は凡庸な人種なのに、自由の擁護者は変人と思われている。真の自由を愛し、州の権力が強大になることを否定し、本物の皮肉屋を残さない者にとっては困難だ。」と語った。

[編集] 1988年大統領選挙戦

1988年アメリカ合衆国大統領選挙で、ポールはアメリカン・インディアンの活動家のラッセル・ミーンズに勝ち、アメリカ大統領へのリバタリアン党の出馬候補となった。46の州とワシントンD.C.の候補者名簿に名前が載ったことで、彼は一般投票で、共和党のジョージ・H・W・ブッシュ、民主党のマイケル・デュカキスに続き、3位となった(431,750票-0.47%)。 ミズーリ州では、ポールは、セイント・ルイス・ポスト・ディスパッチ紙がいうところの“事務的な不手際”のため、投票用紙に名前が記載されない候補者として扱われたので、大きく票を離されることとなった。彼はロナルド・レーガンの初期の支援者だったにもかかわらず、レーガン政権(対立候補であるジョージ・H・W・ブッシュが、その時の副大統領である。)が作った先例のない巨額の赤字を厳しく非難した。

リバタリアン党候補の時期、ポールは党の旗手と思われていた。そして、銃の所持権、保守的な財政政策、ホームスクーリング、妊娠中絶といった問題に関してポールがとった立場に同意する多くの支持者を獲得し、また、他の問題でも、連邦政府は間違った方向性に向かっている、と考えている者からも支持を勝ち取った。おかげで全国的な彼の支持基盤が生まれ、彼を議員生活に戻る気にさせ、選挙戦の資金面でも彼を支えた。2008年のポールの選挙事務長は、ケント・スナイダーで、彼は1988年の選挙の時に初めて活動に加わったのだが、当時ジョン・マケイン議員は彼に、「君は議会で最も正直な男の下で働いているんだよ。」と言われたそうだ。

大統領選への出馬中、ポールは選挙活動以上に、もっと多くのことをやろうとした。つまり、自由精神の思想をもっと広めようと、選挙年齢に満たない者もいるにもかかわらず、小中高生や大学生グループとの対話を頻繁に行った。「我々はこの選挙と同じく、未来の世代にも関心があるんだ。この子供達も、いつかは投票に行く年齢になるだろうし、もしかしたら、家に帰って両親に我々のことを話す可能性だってあるだろう。」その年、彼は国内中を回って、自由市場経済や増え続ける政府の累積赤字などについての話をした。「それで我々は多くの若者と話をするんだ。彼らがこの請求を支払い、この借金を背負うことになる。この若者達が、政府においても、次の時代を担っていくだろうから。」選挙の後、ポールは金銭に関するビジネスを開始した。理にかなった経済と教育について研究するシンクタンクを設立し、投資についての会報を発行した。そして議員生活に戻るまで、医師の仕事を続けた。


[編集] 新聞記事についての論争

1985年からポールが発行している会報、「ロン・ポールのサバイバル・レポート」の1992年版に、人種や政敵を中傷するような記事が掲載されていた。「アトランタ・プログレッシブ新聞」によると、ビル・クリントン大統領を隠し子問題とコカイン摂取疑惑で非難し、アメリカ下院のバーバラ・ジョーダンを、ペテン師で十分な教育を受けていない被害妄想者だと酷評していた。記事は、政府は未成年者に対し刑事責任を問える年齢をもっと下げるべきだと書かれており、「路上で寝泊りし、犯罪組織に加わってきた13歳の黒人の男の子は、力が強くて体も大きく、見た目も恐ろしいし、犯罪も犯すから、もう十分大人だ。だから、大人と同じように刑法でも取り扱うべきだ。」とまでいっている。またその記事はこうも言っている。「黒人の5%は、政治に対する常識のある意見を持っている。」「もしあなたが10代の黒人男性の強盗にあったことがないなら、彼らがどんなに足が速いのか、想像もつかないだろう。」「ワシントンD.C.の黒人男性の95%は、犯罪予備軍か、または完全な犯罪者だ。」

2001年のテキサス・マンスリー誌によるインタビューで、ポールは、会報には彼の言葉として掲載されたが、実はゴーストライターによって書かれた記事だと認め、彼自身の考えではないと釈明した。彼はジョーダン議員に関しての軽蔑発言については、「まことに悲しむべきことだ。バーバラと私はずっと一緒にやってきたし、実際の彼女は本当に明るくて素晴らしい女性なのだから。」といった。この時から彼は、彼の名前で出されるものについては、内容に同意できない記事であっても、道義的責任を取るようにした。テキサス・マンスリー誌によると、「今回のように、本人が困惑するような記事が彼の見解として紙面に掲載されたことで、4期の下院議員を務め、一度大統領選に出馬した者として、ポールは二度と、他人まかせな記事は出さなかった。」という。


[編集] 議員時代:後期

[編集] 選挙運動

1970年代に経験したよりも厳しい戦いのあと、ポールは、1996年に下院議会に帰ってきた。当時は1994年の選挙で共和党が上下両院で勝利した後だったので、彼は議会で以前よりも有意義にに活躍できるだろうと期待していた。共和党候補者選出選挙での彼のライバルは、グレッグ・ラフリンで、彼は共和党内の指導者層から支援されていた。その中には、議会議長のニュート・ギングリッチや、当時テキサス州知事だったジョージ・W・ブッシュがいた。現職のラフリンは、1年前に民主党から共和党に移党しており、共和党全国委員会は、他の民主党員が彼に倣って移党することを期待して、ラフリンを全面的に支援した。こういった全国委員会や全米ライフル協会といった支持組織の努力にも関わらず、挑戦者だったポールがこの予備選挙に勝利した。非現職から議員に返り咲いたのは、彼にとって3度目である。

ギングリッジや他の共和党の指導者達は、ラフリンのために、選挙区を訪れて遊説を行っていたが、一方ポールは、ラフリンが移党する14ヶ月前の、ラフリンの投票記録に対するギングリッジの厳しい批判を引用した新聞広告を掲載していた。ポールの友達であり、野球投手で選挙区民のノーラン・ライアンは、名誉選挙事務長を務め、ポールのために広告に登場し、さらに、税務活動家のスティーブ・フォービスも彼を支援した。今回ポールは、以前出馬した22区ではなく、沿岸側の下院14区で選出された。この変更は、選挙区が再区画された結果で、ポール自身は、同じレイク・ジャクソンの家に住み続けている。

秋の選挙での彼のライバルは、法定弁護士のチャールズ(通称:レフティ)・モリスで、選挙戦では、ポールがかつて、州の規制や古参の新聞に味方して連邦政府の薬物法の撤廃に賛成したことや、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議に支援されたことを持ち出して、ポール陣営を激しく攻撃したが、わずかな票差で敗れ去った。ポールは逆に、モリスは弁護士と大手労働組合の手先だというレッテルを貼った。ポールは、彼の全国的な支援組織のおかげで、モリスよりも多くの選挙資金(モリスの47万2153ドルに対し、1200万ドル)を得た。ポールの政敵を含む民主党員のコンサルタントをしているケン・ブライアンは、「指導者レベルを除くと、彼は下院で最大の支援基盤を持っている。」といっている。ポールへの寄付金の大部分は、個人からの少額の寄付から成り立っている。その年、彼は、両議会において、個人からの寄付金額の多さで、ニュート・ギングリッチ、ボブ・ドーマンに続き、第3位となった。

1998年、彼は、対立候補の70万ドルに対し210万ドルと、選挙資金獲得でも大差を付け、党内予備選挙と続く本選挙に勝利した。対立候補は民主党の米農家で前マタゴルダ郡 (テキサス州)判事のロイ・スニーリーで、ポールは「スニーリーを疑問視しよう!」と有権者に警告する広告を出し、11%差で勝った。ポールはスニーリー判事が、自身の給料の5%アップ(判事達の旅費予算の400%アップを含む)する議題に賛成票を投じたこと、そして、新たな政府機関を作り、それに自動車のナンバープレートの登録料を管理させる法律を制定したことで、官僚の人数を増やしたことを非難した。それに対してスニーリーの協力者は、彼は郡職員の「生活費」としての給料を5%上げることに賛成しただけだと主張した。ポールは、自分は議員の給与引き上げには、1度も賛成したことはないと反撃した。

2000年、スニーリーは、ポールに再び挑戦したが、ポールは60%もの投票を得、選挙資金でもスニーリーの110万ドルに対し、240万ドルを得て、選挙に勝利している。ポールは2002年、2004年(対立候補なし)にも再選し、10期目を迎えた2006年では、対立候補の60万ドルに対し 120万ドルと、選挙資金でもはるかに上回っている。2008年の選挙では、共和党予備選挙で2人の対立候補(ポールに解雇された以前の側近であるエリック・ドンデロと、フレンズウッド市の市議会議員のクリス・ぺデン)がいたが、ポールは勝利した。


[編集] 2008年アメリカ合衆国大統領選挙

[編集] インターネットでの人気

ポールは5つの共和党の大統領候補討論会に参加し、そのうちの4つの討論会で、討論会のインターネット投票、もしくは携帯メール投票の票数で、勝利している。第一回の討論会を終えて、ABCニュース (アメリカ)は、インターネットでのポールの確固たる存在について、「彼の支持者は、バイラル・マーケティング(=口コミ宣伝)の仕組みを熟知している。長期的な視点で大統領選挙運動を捉えており、インターネット調査やブロクを開設することで、少なくとも、今の時流を認識している。」と述べている。雑誌USニューズ&ワールド・レポートは、彼の増加するインターネットでの人気を、「ポールの支援者はインターネットに集結していて、彼らの熱意によって、どのインターネット情報の統計でも、ポールは、はるかに有力な候補者達に混じって、姿を現している。USAトゥディ新聞はポールを、『ネットの申し子』と呼んでいる。

テクノラティ、ヒットワイズ、アレクサ・インターネットといった、ブログ圏での人気を比べることができるネット検索エンジンによると、ポールの名前は、インターネットでよく検索される言葉の上位にランキングされることからも、インターネットでの彼の知名度の高さが確認できる。それは彼の支持者が意識的にアクセスしてポールのランキングを上げており、その統計は正しくない、という意見もあるが、テクノラティ社の広報のアーロン・クレーンは、ポールのネット検索での多さは、技術的に最善の方法を用いた正確な統計によるものだと、断言している。ポールは、YouTubeにおいて、全大統領候補者の中で、自分が一番のアクセス件数(430万以上)であり、2007年5月20日時点で、メールマガジンの登録者数でもトップを獲得し、それはバラック・オバマ氏をも上回ると、自身で発表している。ポールのYouTubeチャンネルのアクセス数は、常にトップ40圏内に位置し、2007年9月27日時点での視聴者は2万9000人に達する。

[編集] 政治的立場

ポールのニックネーム“ドクター・ノー”は、彼の医学博士としての肩書きと、それから『提案された法案が、明確に、合衆国憲法に沿ったものでない限り、決して法案に賛成票を投じない』という、普通の人とは間逆とも取れる、彼の強固な態度に由来している。ポールはオーストリア学派の経済哲学を信奉している。これは、中でも特に、貨幣供給に対する政府の統制は、結果的に経済的非効率と通貨不安を引き起こす、という学説を持つ。ポールはこの考えについて、数冊の本を書いている。 彼は、オーストリア学派の経済学者、フリードリヒ・ハイエク、マーレイレイ・ロスバード、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの3人の写真を、事務所の壁に掲げている。

ポールの不干渉主義という外交政策であり、それ故、2008年合衆国大統領選挙の共和党候補者の中では、2002年のイラク戦争決議案に反対をした唯一の候補者となった。彼はアメリカ同時多発テロ事件の対応として軍事力を行使する法案に賛成票を投じはしたが、特定のテロリストを対象とした他国商船拿捕免許状と報復の権限を大統領に与えること、などいった戦争の代替策も提案している。彼は強固な国家主権を維持するためとして、国連やNATO(北大西洋条約機構)からの脱退を主張している。彼は市民的自由を第一に考えており、米国愛国者法、国民IDカード、連邦政府の拷問の使用、国内監視、大統領自治権、などに反対し、そして自由貿易を支持し、それゆえ管理貿易のための組織である北米自由貿易協定と世界貿易機関を否定している。彼は、より強固な国境警備と、不法滞在外国人に対する生活保護の停止を主張している。国籍の出生地主義と恩赦には反対している。彼は2006年の安全国境柵法に賛成票を投じている。


ポールは通常、公共投資やイニシアティブ(住民投票制度)、租税に関しては、ほとんど全ての提案に反対票を投じている。彼は、決して税金は上げないし、赤字予算には絶対に賛成しないと誓約している。ポールは、政府の予算を2000年の支出水準に規模を縮小することで、税制の中立性を保ちながら、個人に対する所得税を廃止しすることが出来るという信念を持っている。彼は、個人の生活や、諸外国及び国内の機能に対するアメリカ政府の役割を、大幅に減少すべきだと思っている。彼は共和党は小さな政府という誓いを忘れ、大きな政府のための政党になってしまっているといっている。ポールは、アメリカ合衆国内国歳入庁、教育省、エネルギー省、国土安全保障省、アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁、州際通商委員会といった連邦政府機関を、必要のない役所仕事だといって、これらの大部分の廃止を主張している。また彼は、銀本位制や金本位制といった兌換紙幣に賛成している。また、自由貿易が金利と貨幣供給を決定した時経済の不安定さは減少するのであり、また、国債は政府の支出に応じて発行されていて、連邦準備制度は、抑制のない膨張した貨幣供給を政府が行うのを許可してしまっている、といった理由から、連邦準備制度中央銀行の段階的廃止を提唱している。

ポールは、州権、銃の所有、政治犯に対する人身保護令状、陪審による法の無視の権利、自主的な又は非公式の学校内礼拝を認める憲法改正、などを支持している。彼はまた、労働者の社会保障制度からの脱退の許可、医療の分野における自由市場の拡大、公害防止に対する私的所有権の認知、投票用紙への党・候補者名記載の増進に賛成している。ポールは、徴兵制度、麻薬撲滅キャンペーン、社会医療制度、福祉国家論、海外援助、司法積極主義、連邦死刑制度、結婚・教育に対する連邦の規制、インターネット・ギャンブルの禁止に反対している。そして彼は、同性愛者の行為と同様に異性愛者も含んだ問題に対して、破壊的な行動に焦点を合わせた、彼が”礼儀正しい“と呼ぶところの、軍の“聞かざる・言わざる政策“の施行廃止を支持している。彼は、未婚夫婦や同姓カップルによる養子縁組に対しての政府の補助金制度に反対票を投じた。ポールは自身を、中絶に対する”ゆるぎない反対者“だと言っており、母体及び胎児の健康に対する医学的判断の規制は、”国家レベルの最高位の取り扱い事項だ“という信念を持っている。
<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用終了>

2007年10月04日

ロン・ポール革命 2 -Ron Paul Revolution 2 Web2.0革命とロン・ポール

今回はロン・ポールのインターネット戦略、この数年間でウェブがいかに革命的に発展したかについて考えていきます。

下のほうにロン・ポールの動画と訳を載せておきましたのでご覧ください。


<副島隆彦の学問道場の気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板から引用>
http://soejima.to/

ロン・ポールWeb 2.0戦略考 投稿者:佐藤研一朗 投稿日:2007/08/09(Thu) 17:13:12

アメリカ在住の佐藤研一朗です。
ロン・ポールのWeb2.0を使った選挙キャンペーンについておもしろい記事がありましたので、紹介します。それと、Web2.0がもたらすだろう選挙への影響を考えてみました。


<佐藤研一朗の感想>

「web2.0と呼ばれる新しいネットの波」

動画を簡単にアップロードできるYoutubeを始め、友達同士のネットワークを構築できるソーシャルネットワーキングシステムであるFaceBookやMySpaceなどの発展、普及がものすごい勢いで進んでいる。2000年に自分が転送速度がおそいアナログの電話線でインターネット始めたとき、こういう事ができたらいいなあと夢に描いていた事の、ほとんど全てがネット上で可能になった。ネットは現実世界に影響を与えないと言われ続けてきたが、気が付けばネットは生活の道具として、手放せないものになっている。この数年のネットの発展は目を見張るものがある。このweb2.0と呼ばれる新しいネットの波は、ネット誕生にも引けをとらないほどの変化だったと、今後われわれは気づくことになるのだろう。

今回の大統領選挙はこのWeb2.0が一般になってはじめての選挙だから、、Web2.0がどれだけ今回の選挙に影響を与えるかはまだだれもわからない。だからこの選挙におけるネットの影響を注視しておく必要がある。テレビ映りがいいケネディーがニクソンに勝ったように、今回、Web2.0向きの候補者が影響力を大きく強める可能性はおおいにある。

「テレビとネットのちがい」
テレビ選挙で大切なことは、テレビ映りだ。なにを言うかというより、どういったか、それがどんな印象を与えるかということが大切だ。テレビで、自分の意見をじっくり語る時間などほとんどないのだから、短い時間でどれだけいい印象を与えられるかが重要だ。だから多少自分の意見にぶれがあったりしても、その時々、いい印象を与えていれば、それでいいのである。ニュース番組を録画してそれをあとから検証する人などほとんどいないのだから。問題にはならない。視聴者は、そのときそのときの断面しか、見ることができない。

ネット選挙で重要なことは、まさにその対極にある。大切なことは、明確なメッセージと、一貫性だ。これはネットの性質を考えてみればわかる。自分か書き溜めたものや、テレビの番組などで語ったことを、有権者はすきなだけ、時間をさかのぼって見ることができる。この差は非常に大きい。一貫性と、明確なメッセージががあるかどうか、見ていればすぐにわかってしまう。ネットほど、候補者の「ブレとボケ」を、浮き彫りにするものはないだろう。時間をさかのぼって見ることができるので、テレビ局側も、人はすぐに忘れてしまう。ばれはしないといって、相当いい加減なことを流していることが、見る側から簡単にわかってしまう。しかしこれからは、Youtubeで、出典つきで批判されるわけだから、テレビ局への圧力も高まっていくことだろうとおもう。これからはばれる時代なのだ。

「ネット選挙の申し子 ロン・ポール」
今回の大統領選挙で、ロン・ポールはこのネットの性質に一番マッチする候補者だろう。彼の明確なメッセージと一貫性は目を見張るものがある。YouTubeで、彼の何十年前のビデオを見る機会があったが、彼の主張はまったく変わっていない。保守とはいったい何なのかを体現している人だ。この人は思いつきや、人気取りで何かをするひとではないと、すぐにわかる。ネットはその人の徳の高さみたいなものを、あぶりだす性質をもっているように思う。この人がいまネットで、非常に大人気になっているのだ。

web2.0のことを考えながら、ロン・ポールをウォッチするようになって、数ヶ月たつが、いくつか気づいたことがある。まず、テレビや新聞といった主流メディア(メインストリームメディア)とネットは、相反するものではないといことだ。主流メディアの欠点は、常に新しいものを更新していかなくてはいけないので、過去のコンテンツをうまく活用することができない点だが、ネットを使えばそれを解決できる。ネットは、深く多くの情報を発信することができる反面、弱点は、影響力の小ささにある。しかし主流メディアが取り上げれば、多くの人に深い情報を与えるきっかけを作ることができる。このように主流メディアとネットがうまくかみ合ったとき、非常に質が高い情報発信が可能になる。たとえば、Youtubeで取り上げられているロン・ポールの動画は、主流メディアのテレビの番組に出演したときのものもおおいが、一方で、後援者たちが手持ちカメラで撮影した、ロン・ポールの講演会の様子なども沢山アップロードされているのだ。NY TimesやEconomicsでロン・ポールの記事が掲載されれば、それはすぐに支援者のブログに掲載され、読者によって、たくさんの記事の批判や賛同のコメントが書き込まれる。このように、支援者たちの中で、どんどん知識、情報が共有されていっているのだ。これはすごいことだ。

「口コミ、伝言ゲーム、ネズミ算」
ネットは基本的に、口コミの世界だ。伝言ゲームのように、友達から友達へ、知り合いから、知り合いへと伝わっていく。だから、明確なメッセージがないと伝言ゲームが途中で終わってしまう。しかし、いいものは、じわじわと、そして火がついたように一気に広がる。そして、需要が大きければ、大きいほど、その勢いが早いのだ。ネズミ算を考えればわかりやすいかもしれない。需要が大きということは、一匹のねずみが一回で多くの子を埋める環境がそろっているということだ。アメリカ大統領選挙のように、アメリカ人ならたいていの人は興味のあるものなら、需要は相当なものだ。しかも今回は、現役の大統領が参加しない、オープンレースの選挙である。その上、いい加減、まともな大統領に変えないとどうにもならいないよと、多くのアメリカ人のぼやきが聞こえてくるような時勢であるから、前回の選挙よりも関心は相当高いだろう。

面白いことにロン・ポールがネットで人気が出始めたのは、彼が全国中継された共和党のディベートにでたあとだ。テレビ放送により、彼の鋭いメッセージが、鋭い感覚を持っている人に届き、彼らがネットでロン・ポールのことを調べだし、ロン・ポールの大ファンになっていったのだ。テレビにより、新たな種火が全国にちらばり、ネットにより火が広がっていく。そしてそれをまた、主流メディアが取り上げ、ファンが増えていく。というようなスパイラルがある。ロン・ポールのメッセージがアメリカ人の需要にこたえているとすれば、選挙が近づけば、近づくほど、この傾向は高まっていくだろう。

最後に、もうひとつだけ取り上げたいのは、MeetUpのことである。これは自分の近くに住んでいて、同じ趣味を持っている人が、つきに一回とか、どっかであっておしゃべりをするようなミーティングのセットアップを手助けしてくれるサイトである。ビール好きの集まりもあれば、ただ、若い人で集まって飲みに行くというグループもあれば、環境の問題とか、もちろん政治のあつまりもある。ネット上だけどやりとりだけではなく、実際に人にあってやり取りをするというところが、新しいところだ。私が住んでる30万人位の地方都市でも、ロン・ポールの集まりができて、週一回ほど、あつまってボランティア的に、選挙活動をはじめている。毎回、十名くらいはあつまっているようだ。一円もかけないのに、このような動きが全国で起きているわけだから、ものすごいことだ。自分のスケジュールがあえば、近いうちに参加して、また報告をしたいと思います。

<感想終わり>

<TechCrunchJapanより引用開始>
http://jp.techcrunch.com/archives/ron-paul-a-distributed-web-20-campaign/

Ron Paul―ネットワーク分散的Web 2.0キャンペーン

2008年の米国大統領選挙に向けて面白い現象がおきている。それもWeb 2.0に関連した現象だ。

Ron Paulという名前はよく知られているはずだが、知らない向きのため説明しておくと、彼は米国の次期大統領選に出馬している。Paulの政策プラットフォームは、彼自身が所属する共和党だけでなく、民主党も含めて(全部ではないかもしれないが)他の候補者ほとんどのものと大きく違っている。Paulは古典的な保守派で、「小さい政府」の信奉者であり、国家の価値より個人の価値を優先する。Paulはイラク戦争反対派で、広い意味で米国の介入に反対する立場をとっている。Paulはモンロー主義はまったく間違った政策だと信じている。

Paulは今回の大統領選では泡沫候補扱いで、 メインストリーム・メディアも専門家もともに大きな役割を果たす可能性はゼロだとしている。しかしオンライン世論調査 の結果だけで見れば、Paulこそ次の米国大統領だ。その秘密はWeb 2.0の世界でのPaulへの支持が増え続けているところにある。

ネットワーク分散的Web 2.0選挙キャンペーン



私はオンラインでのアメリカ大統領選を1995/6年のときからウォッチしている。2008年は、実質的にオフラインと同時にオンラインでも戦われる選挙戦としては4回目となる。有権者にオンラインで接触しようとした最初の試みである1996年から長い間かけて発達してきた。2000年は壁紙と無料の本で(私はSteveForbesのサイン入りの本を持っている)、2004年もはブログが登場、そして今回ビデオとMeetupの2008年だ。進化の方向は常に「やればやるほどいい」で、選挙の回数を重ねるごとに候補者のページはますます中央集権的に内容を増加させてきた。今回の選挙ではBarakObamaの場合、独自のSNSをスタートさせるところまで来ている。Ron Paulのやり方は、これとまったく正反対だ。Paulは「小さい政府」と個人の価値を説くが、彼のキャンペーンはまさにそれを地で行く戦略となっている。型どおりの経歴紹介のページと政策を説明する文書以外のコンテンツはすべて外部Web2.0サイトのものなのだ。公平にいえば、他の候補者もWeb 2.0サイトを利用してはいる。しかし独自のコンテンツを補足する程度の使い方だ。ところがPaulの場合、コンテンツはほとんどすべてがWeb2.0なのだ。

Ron Paul BlogはTypePadを利用したブログ。更新はひんぱんだが、ほとんどの記事がキャンペーンのスタッフによって書かれ、個人的な色合いはまったくなく、コメント欄も設けられていない。

Digg上のRon Paul。Paulの支持者にDiggの関係記事を投票するようはっきり呼びかけているわけではないが、ここにリンクを貼っていることは、それ以外に目的はあるまい。Paul関連のDigg記事が4桁に達しているのは驚くべき成果だ。

Ron Paulの選挙キャンペーンのイベントはEventfulに載っている。このサイトにすべてのPaulのイベントが掲載されているのかどうか分からないが、キャンペーン・イベントの情報を周知、共有するのにWeb2.0サイトを使うというのは興味深い試みだ。

「Ron Paul下院議員を2008年の大統領に」というFacebookのグループ。このあたりから話が面白くなってくる。 Paulの Facebookグループは1万5千のメンバーがおり、Paul関連のニュースや活動に関する活発な情報源になっている。あらゆる選挙活動、学生のグループから資金集め、会合、集会、その他すべてはここで情報が交換される。

FlickrのRon Pau。写真を撮ってWeb 2.0サイトにアップしようとするなら、誰でもFlickrをまず思いつくだろう。Paulのキャンペーンももちろん利用している。しかしFlickrに普通のキャンペーン用宣伝写真以外に舞台裏やハプニングなどの現実を撮ったものがアップされているのが意外。

MeetupのRon Paul。選挙の候補や各種の社会運動が組織的な集会の情報をMeetupに載せるようになってからかなりの時間がたつ。以前のキャンペーンでは集会情報は候補者のサイトで集中管理されていたもので、現在は他の候補者もMeetupを利用するようになったが、Paulの場合は完全にMeetupだけを利用している。

on MySpaceの「Ron Paul 2008」。友達はすでに4万人を超え、さらに増加中。PaulのページはMySpaceページとしてはなかなか上出来。妙なことにRonPaulのTypePadのブログがMySpaceブログとしてコピーされていて、こちらではコメントがオンになっている。荒らしのコメントがついているのを見ると、果たしてコメントを有効にしたのがよかったかどうか議論の分かれるところかもしれない。

YouTubeのRon Paul 。PaulにとってYouTubeはキラーアプリケーションだ。Ron Paulのビデオは何度もYouTubeで第1位にランクされている。チャンネルには2万を超える登録者がおり、Paulのチームがアップロードしたクリップだけに限っても、閲覧回数は200万回以上に上っている。YouTubeによってPaulはメインストリーム・メディアをバイパスして、直接有権者にメッセージを伝えることが可能になっている。

Paulは2008年の大統領選で共和党の候補者に選ばれる可能性は少ない。現在獲得している支持基盤を利用して、無所属候補として立候補することになるかもしれない。しかしその結果は別として、Paulが各種Web2.0ツールを利用して勢いに乗ることに成功したことはすでに選挙キャンペーンのあり方に影響を与え始めている。将来はさらに影響が広がっていくだろう。FredThompsonのキャンペーンでは、 Thompsonが正式に出馬を表明して以降、インターネットをキャンペーンに積極的に取り入れている。他の候補者もこれからPaulの例を見習うことになるはずだ。

Paulは、Web 2.0ツールを利用すれば、ある問題に関心のある人々に直接メッセージを届けることができること、Paulを依然として無視し続けているメインストリーム・メディアが次第に無意味になっていくことを実証している。Web2.0はもちろんまだメインストリーム・メディアに取って代わる 存在ではない。しかしPaulの成功によって、その日が着実に近づいているといえるだろう。

この記事の目的は、もちろん、Paulへの支持を訴えるものではない。選挙の候補者が、伝統的な手段をバイパスして、Web 2.0ツールを利用していかに直接に有権者にメッセージを届けることができるかを検証したものだ。政治的意見はどうあろうと、これまでのPaulの成功は本人とキャンペーンチームの功績といっていいだろう。

Paulの政見に興味がある読者は下に掲載したGoogleによるビデオをチェックするとよい。このビデオによると、Googleの社員はMountain Viewを訪れた候補者の中で、Paulに対していちばん多くの質問をしているように思える。Google社員の間では Paulにはちゃんとした内容があると思われているに違いない。読者の皆さんでそれぞれ判断していただきたい。しかしYouTubeは最良のWeb2.0伝達手段ではある。


[原文へ]

<引用終了>


[567] ロン・ポール Ron Paul 投稿者:研 投稿日:2007/05/29(Tue) 10:50:17

重掲でマッドマンが取り上げていましたロン・ポールが、二度目の討論会でも、スゴイ人気だったようです。こういう人が出てくるところがアメリカの底力なんでしょうね。あのフォックスニュースで2位になったって言うのはすごい。これだけ、正確に、誠実に真実を語れば、人はやはり聞く耳を持つし、たの候補者の偽善性よくみえますね。

暗いニュースに訳が出ていたので、引用しておきます。
<引用開始>
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2007/05/in_2a07.html

次のロン・ポール議員は共和党の異端児と言えるだろう。

質問者:
「ポール議員、あなたは2002年のイラクに対する軍事力行使権限をブッシュ大統領に与える法案に反対した共和党下院議員6人の1人ですね。」
ロン・ポール:
「その通りです。」
質問者:
「そして今では米軍の撤退を主張していますね。最新の世論調査によれば、共和党支持者の77%が駐留軍撤退の予定表設定に反対しています。あなたは出馬する政党を間違えていませんか?」(会場から笑い)
ロン・ポール:
「だが、昨年度の選挙では戦争政策のせいで共和党の支持基盤が縮小したことを自覚すべきでしょう。したがってその(共和党支持者の)割合が国民全体では少ないわけです。アメリカ国民の65%から70%は撤退を支持しています。国民は戦争を終わらせたいのですよ。(中略)ロナルド・レーガンは1983年に海兵隊をレバノンに派遣し、しっぽを撒いて逃げることはしないと言いました。それから数ヵ月後、241人の戦死者が出て、海兵隊は撤退しました。レーガンは回顧録の中でこの件に触れて「決してしっぽを撒いて逃げることはしないと言ったが、中東政策の不条理について自覚が足りなかった」と言いました。それで彼は政策変更に至ったのです。我々はロナルド・レーガンの勇気を必要としているんです。」

1988年に自由党(Libertarian)から大統領選に出馬したこともあるディープな保守派の雄ロン・ポール議員(テキサス州)は、フォックスニュース主催、目の前にブリット・ヒューム、周りは皆共和党員というある種もっとも危険な環境の中で、痩せっぽちながら堂々と自説を展開できる超度胸の持ち主だ。

質問者:
「ポール議員、イラク戦争に反対し、駐留米軍の即時撤退を主張しているのはこの舞台上であなた1人だと思いますが、党から逸脱していませんか?なぜ党の指名を求めるのですか?」
ロン・ポール:
「あのですね、共和党は道を見失ったんです。共和党の保守派は常に外交不干渉主義を提唱してきたんです。ボブ・タフト上院議員はNATO加入すら反対しました。ジョージ・ブッシュは2000年大統領選挙で、謙虚な外交政策を主張してました。国家建設はせず、国外での警察活動もしない。朝鮮戦争を終結させるために共和党が選ばれました。ベトナム戦争終結のために共和党が選ばれました。共和党には反戦主義の強い伝統があります。憲法上でもその立場です。外交不干渉主義は建国の父たちからの忠告であり、同盟に巻き込まれることなく、世界各国と友好的に接して、交渉し話し合い貿易するのです。

極端な進歩を考えてみればいい。ベトナムとの関係です。あそこで我が国は6万人の兵士を失いました。我々は敗北して帰国しました。今では、我々はベトナムに投資してます。建国の父たちの忠告に従い憲法に従うことにはおおいにメリットがあるんですよ。


私の論点は、我が国は不用意に戦争するべきではないということなんです。そうなると、戦争は終わらなくなる。」
質問者:
「ポール議員、あなたは9/11テロ以降それが変わったとは思いませんか?」
ロン・ポール:
「何が変わったと言うんですか?」
質問者:
「外交不干渉主義のことです。」
ロン・ポール:
「いいえ、外交不干渉主義は大事な要因ですよ。なぜ我が国が攻撃されたかご存知ですか?攻撃の理由は我が国が海外に居るからですよ。我々はイラクを10年間も爆撃し続けた。中東にもずっと居る・・・レーガンは正しかったんですよ。

我が国は中東政策の不条理さを理解していないのです。今現在、我が国はイラクにバチカンよりも大きな大使館を建設しています。14の恒久基地を建設してるんです。もしも中国が我が国やメキシコ湾で同じことをやったらどうします?他国が我が国にやったらどうするかという観点で物事を見直すべきなんですよ。」(会場から拍手)
質問者:
「我が国が9/11攻撃を招いたと言うんですか?」
ロン・ポール:
「私が言っているのは、攻撃者達に耳を貸して理由を聞けば、彼らは我が国の派兵を喜んでいて、オサマ・ビン・ラディンの言うように“我々の砂漠に来てくれたおかげで狙い易くなった」と言ってるんですよ。連中はすでに我が国の兵士を3400人も殺しているんですよ。あれが必要だったとはとても思えませんね。」
ジュリアーニ:
「ちょっと意見したいんだがいいかね?これはまた異常な主張だ。異常な主張だよ。911テロを経験したのに、イラクを攻撃したからテロを招いたとはね。そんな主張はこれまで聞いた事がないし、911の説明としてこんな馬鹿げたものはないな。(会場から大きな拍手喝采)ポール議員には、意見を取り消して本音ではないと言ってもらいたい。(会場から拍手)」
質問者:
「ポール議員?」
ロン・ポール:
「CIAがブローバックについて語ったのは正しいと私は真摯に信じています。1953年にイランに介入し、シャーを据えた際、ブローバックがありました。その反応として、我が国は人質をとられ、長引きました。それを無視するというなら、我々自身の危険から目を背けることになる。もしも我々が世界を欲しいままにして嫌悪を引き起こすことがないと思うのなら、それは問題です。彼らが我々を攻撃するのは我々が金持ちで自由だからではないのです。彼らの土地に派兵するから攻撃されるんです。もしも他国が我が国に同じことをしたら、どう思いますかね?」

ジュリアーニのエラソーな横やりにもめげず、ロン・ポールは主張を曲げなかった。ディベート会場を出たらポール議員はメディアから袋叩きだ・・・ディベート直後のフォックスニュースに登場したロン・ポールは、右翼タレントのショーン・ハニティとやり合った。だが驚いたことに、ディベート後の視聴者による電話投票ランキングで・・・

第1位:ミット・ロムニー前MA州知事(29%)
第2位:ロン・ポール議員(25%)
第3位:ジュリアーニ前NY市長(19%)


これは果たしてロン・ポール支持層の底力か、あるいはジュリアーニの不人気ぶりを示すのか?
<引用終了>

[547] ロン・ポールの圧勝 投稿者:マッドマン谷口 投稿日:2007/05/13(Sun) 00:01:59

ひき続きマッドマンです。

ヒューイ・ロング張りの演説調でがんがんとまくしたてるポピュリスト、リバタリアンのロン・ハワードが共和党大統領候補ディベートで圧勝しました。

英米マスコミがこの報道を遮断しているのですから、当然日本にはこのニュースは入ってこないでしょう。

彼のこのディベートでのほぼ全訳を急遽私が作りましたので、You Tubeでその模様をご欄ください。


(ベンジャミン・フルフォードの5月9日のブログから引用開始)

先週末カルフォニアでの共和党大統領候補のディベートで、英米秘密結社の天敵であるRon Paul上議員が勝ちました。

MSNBCの世論調査では共和党大統領候補のディベート前には人気の低かったRon Paul上議員だが、勝利によりいきなり断突上位にのし上がった。
しかし英米マスコミは一切それを報じない。

Ron Paul上議員は米連銀の権限を議会に取り戻すという、結社にとって恐ろしい政策を提案している

『ロン・ポールは911の再調査を主張し、「Patriots Question 9/11」として名を連ねる。また、1953年のCIAイラン工作や、1964年のトンキン湾自作自演をことあるごとに持ち出し、軍産複合体とCIAの危険を訴える。そして極めつけは、1913年以来、私企業がアメリカ金融を牛耳る結果になっている「連邦準備制度」を破壊し、通貨発行・金融政策の決定権を議会に取り戻そうとしていることだ。』

(ベンジャミンのブログからの引用終了)

Q「戦争へ反対の投票をしましたね。賛成の投票をしたここにいる共和党員たちへひとことどうぞ。」

ロン「70%の米国民はイラクからの撤退を望んでいるのに、共和党の昨年の政策はそれに沿っていない。外国への不介入(アイソレーショニズム)というのはもともと共和党の伝統的な政策だったのです。
不介入主義で共和党は恩恵を受けた歴史があるのですよ。アイゼンハワーが朝鮮への介入をやめようとしたとき、ニクソンはベトナムからの撤退を謳って当選。 2000年以降は共和党にはたいした外交政策もないでしょう。だったら「世界の警察」なんて役割はもうやめましょうよ。必要な戦争、それはいいです。その時は『戦争をするぞ』と宣言して、勝ちましょう。でも今アメリカがやっているのは違います、格好悪いことです。政治的理由で勝手に外国に侵入して、国連に解決を求めて、テロの脅威とかいって勝手に騒いでいる。」


Q「大統領になったらIRS(米国の国税庁)をすぐに縮小しますか?」

ロン「(笑)そりゃできたらすぐに。いや、真面目な話、ただそのためには政府の役割への考え方を根本から変えなきゃ駄目だ。『世界の警察』たる役割を担って不用意に外国に干渉する外交をやめること。そして税金を減らすこと。やたらに米ドルをジャブジャブ刷りまくりインフレを起こす可能性を高めるような現在の政策を根本から変えるべきです。」

Q「道徳のあるリーダーシップと保守主義、リバタリアニズムはどう成立しますか」

ロン「政府の目標は何かという問題ですよね。政府の肥大化によって国民が自由を失う事態は避けるべきだ。米政府はなにかと外国へ軍事攻撃をしすぎではないか。本来は自国を守るのが防衛の役割のはずだ。米国は4万の核を所有している。核どころか軍隊さえも持てない第三諸国が世界にはたくさんあって、そんな国を米帝国が攻撃しているんですよ。道徳とは、つまり自由を守るということです。具体的には政府を縮小する(発言を遮られる)

Q:「危機の中での政治家にとっての正しく大切な決定とはどんなことでしょう。

ロン:「わたしは医療で大切な決定をしましたよ。人命救済でも。まあ、政治的決定もしましたがそれは憲法に関することですね。イラクの問題とかもそうです。」

Q:「大統領になったら税金についてどのような対処をしますか。」

ロン:「就任初日に所得税は減らす決定をするね。それから次の週から、インフレ税を減らす決定をするよ。インフレ税については米国では誰も語りませんね。今の米国人は自分の身分や収入以上の派手な生活をしているんですよ。政府はドルをジャブジャブと印刷してそうした不必要な消費を煽っています。ウォールストリートの一部の連中は儲かっているからそれでもいいんです。しかし、米国の中流階級は大きく痛手を受けていますし、犠牲者となっているではないですか。」

Q:「あなたはマスコミを信用してない?」

ロン:「(笑)信頼しているのも弱冠あります。やはりインターネットへの信頼の方が厚い。ネットへの政府からの規制が検討されていましたが私はこれに大反対です。表現の自由こそこの国が守るべきことです。」

マッドマンです。最後のロンの発言には注目です。

やはり米政府は脅威であるネット言論を規制する動きがあることがこの公の場ではっきりしました。その米国の属国である日本でも当然、政府が中心になって同じ動きをしていることはまちがいなさそうです。

ロン・ポールに続いて、わたしたちネット言論人もががんばりましょう。

2007年10月24日

ロン・ポール革命 3 -Ron Paul Revolution3 政府は小さくあるべきだ。リバタリアン

今回はリバタリアンの思想について

ロン・ポールの動画の日本語版です。CCと書いてあるところをクリックすると日本語の字幕が出てきます。
日本語訳をしてくださった方感謝です。

例によって今回も参考になるリンクを張っていきます。
副島隆彦の学問道場から
日本語版への序文-D.Boaz「リバータリアニズム入門」より 
第 十章 現代の諸問題(Contemporary Issues)

リバタリアンをしったのは副島隆彦先生のアメリカ政治本を通しです。こうしてアメリカに来てこの時代が変わろうとしているこのときにリバタリアンのロン・ポールが出てきているのはなにやら運命を感じてしまいますね。先生には感謝です。


<リバタリアニズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
より引用>


リバタリアニズム(自由意志論 英:libertarianism)とは、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだとする政治思想である。

神学においては決定論に対して自由意志の存在を唱える立場を指す。
目次
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* 1 概要
* 2 リバタリアニズムの基本理念
o 2.1 リバタリアニズムにおける自由
o 2.2 生存権、自由権、財産権の根拠
* 3 他思想との違い
* 4 リバタリアニズムという語が用いられるようになった理由
* 5 リバタリアニズムの政策
o 5.1 左派リバタリアンの政策
* 6 現代のリバタリアニズム 
* 7 参考文献
* 8 関連項目

[編集] 概要

レッセフェールを唱え、経済や社会に対する国家や政府の介入を否定もしくは最小限にすることを主張した。

各々のリバタリアンの主張には幅があり、政府の権力をどこまで認めるか、市場重視か(右派リバタリアニズム)、社会連帯重視か(左派リバタリアニズム)によって分類することができる。

右派リバタリアニズムの主流的考え方として、政府の存在を認めない無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム/anarcho capitalism)、国防・裁判・治安維持にその機能を限定した上で政府の存在を肯定する最小国家主義(Minarchism)、極最低限の行政サービス程度なら国家の役割として承認する古典的自由主義がある。

これに対して左派リバタリアニズムは、国家だけでなく資本主義をも否定する立場であり、かつてはリバタリアン社会主義(自由至上社会主義)やアナキズム(無政府主義)とほぼ同義語であった。しかし、1970年代以降西欧を中心に広まった反原発・反核・反ミサイルなどの新しい社会運動、緑の党などの政治勢力は、現代的な意味での左派リバタリアニズムだとされている(Hanspeter Kriesiらの研究による)。

しかし、右派リバタリアンからは、このような左派リバタリアンは個人の財産権を尊重しないため、リバタリアニズムの名に値しないとの批判もある。これに対して左派リバタリアニズムの側は、社会の公平、和解、連帯を強調する左派リバタリアニズムの系譜のほうが、個人の自由をより徹底できると反論している。西欧では、分権や自治の徹底から、左派を中心にプルードンらの無政府主義や連合主義に注目する動きもある。


また日本国外では「市場重視か社会連帯重視か」という分類ではなく、自然権的リバタリアン(Right Libertarian)と帰結主義的リバタリアン(Consequentialist libertarian)というのが分類が一般的である[1](彼らはどちらも自由市場を支持しているが、敢えて比べるなら、右派リバタリアニズムが帰結主義的リバタリアン、左派リバタリアンが自然権的リバタリアンと通じる部分が多い)。

両者の違いは大まかに言えば自由を正当化する根拠の違いである。自然権的リバタリアンはロック的伝統にのっとり、自由を、不可侵な自然権としての自己自身への所有権として理解する。他方で、帰結主義的リバタリアンは、最大多数の最大幸福は、相互の不可侵な自由が確立されている状態で最大化されるのであり、政府などによる意図的な規制・干渉は、自然な相互調整メカニズムを混乱させ、事態を悪化させると考える。

自然権的リバタリアンを支持する側は、人と人、または個人と政府の関係においては、全ての行動が自発的で合意に基づくものであることは道徳的に必須であるとする。(従って倫理的リバタリアンとも呼ばれる)彼らは、個人または政府が、個人または個人の財産に強制力を及ぼすとき ― 強制力とは、身体・物質的な強制、それを行うという脅迫、または詐欺的行為 ―、それが相手から初めに仕掛けられたものでないのなら、そのような強制力は自発的で合意に基づくとの理念に対する違反行為であると主張する。この考え方は、客観主義(Objectivism)や個人的無政府主義(individualist anarchism)と通じるものがある。

また、帰結主義的リバタリアンを支持する側にとっては、「誰が初めに行動を起こしたか」ということは道徳的な束縛を持っておらず、たとえ最初の強制が政府からなされたものだとしても、政治的、経済的自由を大規模に推進すれば、それが最も生活に適し、最も効率のいい社会につながるのだと考えている。しかしながらそのような政府の行動は、帰結主義者が描くような社会の中では限られた対象に関してでしか起こらない。この考え方は、ミルトン・フリードマン, ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスや ハイエクのような者達の考えに結びついている。リバタリアンだとみなされる者には、古典的自由主義者だと、自認、もしくは他の者から言われている者もいる。

リバタリアンは、暴力、詐欺、侵害などが起こったとき、それを起こした者への強制力の行使には反対しない。リバタリアンは自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は倫理的に正しくなく結果的には非生産的であるとし、徴兵制と福祉国家には強く反対する。個人の自由と自由市場を擁護するなどというごく少数の基本事項以外、これが「正式な」リバタリアンであるとするような信条は存在しない。細かい点については、リバタリアン同士でもよく意見が食い違うことがある。

アメリカでは、10~20%の選挙年齢に達した者達が、リバタリアン的視野を持っているとされている。[2]

[編集] リバタリアニズムの基本理念

リバタリアニズムでは私的財産権(private property rights)もしくは私有財産制を個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考える。私的財産権には、自分の身体は自分が所有していることを自明とする自己所有権原理(principle of self-ownership)を置く。(→ジョン・ロック)私的財産権が政府や他者により侵害されれば個人の自由に対する制限もしくは破壊に結びつくとし、政府による徴税行為をも基本的に否定する。 法的には、ハイエクに見られるように、自由とは本質的に消極的な概念であるとした上で、自由を確保する法思想(法の支配/rule of law)を追求する。 経済的には、フリードマンに見られるように、市場におきる諸問題は政府の規制や介入が引き起こしているという考えから、市場への一切の政府介入を否定する自由放任主義(レッセフェール/laissez-faire)を唱える。

[編集] リバタリアニズムにおける自由

リバタリアンの唱える自由とは消極的自由を指している。これは、他からの制約や束縛がないことという意味である。リベラリズムにおける、政府のサポートを必要とする積極的自由(国家による自由)と、リバタリアニズムにおける消極的な自由(国家からの自由)とは対照的で多くの場合相反する概念である。

[編集] 生存権、自由権、財産権の根拠

ロバート・ノージックやマリー・ロスバードのようなリバタリアンは生存権、自由権、財産権を自然権、すなわち擁護するに相応しいものとみている。 彼らの自然権に対する見方はトマス・ホッブズやジョン・ロックの著作に由来している。 アイン・ランド(リバタリアリズムに多大な影響を与えた人物)は、そのレッテルを拒絶していたが、これらの権利が自然法に基づくと考えていた。 ロバート・ノージックの「アナーキー・国家・ユートピア」では「自由な社会では、新たに所有するという行為は、個々人の自発的な交換や行動から生じる」といわれる。

ミルトン・フリードマンやルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、フリードリヒ・ハイエクといったリバタリアンは、道徳上の観点と同様に実用主義または帰結主義の観点から、これらの権利を説明した。 彼らは、リバタリアリズムが経済効率の追求と社会福祉の増進とが矛盾しないことを主張し、緊急事態のような限定的な状況下での実力の行使を認めた。

ディビッド・ゴティエやジャン・ナーヴソンのようなリバタリアンは、これらの権利が理性的な人々の間で結ばれた一種の契約であるとする社会契約論者の立場をとった。

[編集] 他思想との違い
ノーラン・チャート
ノーラン・チャート

リバタリアニズムとは、経済的自由と社会的自由を共に尊重する思想である。(ノーラン・チャートを参照。) このことから、経済的自由を尊重し市場原理主義を主張するのでリベラルとは対立する。リベラル側はリバタリアニズムに対して貧富差の拡大により、階層の固定化・社会の不安定化・不公平を招き、また、財界・大企業による専制により市民の自由を損なうとして批判する。

リベラリズムはリバタリアニズムと異なり、自由の前提となるものに帰着する思想である。たとえばリベラル派は貧困者や弱者が奴隷になってしまうのを防ぐために政府による富の再分配や法的規制を肯定し、それにより自由・平等を実現しようとする。しかし、リバタリアニズムでは法的規制と富の再分配に伴う徴税が自由と財産権を損なうものとして否定する一方、結果の平等が実現されるべきであるとは考えない。リベラリズムはリバタリアニズムを個人的自由・社会的自由を失うものとして批判する。

また、社会的自由も尊重する点で、家族や性道徳などに対する保守的な価値観を重視する新保守主義とも異なる。

アナキズムは政府を否定する代わりに中間集団・地域コミュニティによる相互扶助を肯定するリベラリズムの一種である。よってリバタリアニズムとは真っ向から対立する。

[編集] リバタリアニズムという語が用いられるようになった理由

個人の自由を尊重する立場としては、元来リベラリズムという用語があるが、この語は社会的公正を志向するがゆえに政府による再分配によって平等を実現しようとする社会主義~社会民主主義的・福祉国家的な文脈で使われるようになった。 そのように変化した概念と区別し古典的な意味での自由主義を現わす言葉として、リバタリアニズムという用語が使われるようになった。

しかしながら、上記の概要にも説明があるように、リバタリアニズム自体にも、自由主義経済を支持する右派リバタリアニズムと、社会保障を擁護する左派リバタリアニズムがあり、右派、左派、共に現在の政府が過剰に一般市民の生活に介入していることでは考えが一致しているが、その内実は無政府資本主義から、「必要悪」として政府の最低限の介入を認める最小国家主義まである(ただし、適切に言葉の意味が理解されるのならば、リバタニニアン哲学者のTibor R. Machan[1]が述べるように、無政府資本主義も最小国家主義も矛盾する概念ではないとする意見もある)。

[編集] リバタリアニズムの政策

政治面では国家による個人への関与を可能な限り否定する。具体例として、結婚制度の廃止、銃・麻薬・売春に対する規制の撤廃、賭博や同性愛の容認が挙げられる。

経済面では、個人の経済活動の自由を実現するため、市場による代替的な供給が可能なあらゆる財への国家による関与を否定する。具体的には、公共事業・財政政策の廃止、累進税率廃止、都市計画反対、貨幣発行の自由化などである。

また、他者からの不可侵が保障されるべき自由は人身所有権のみであるということから、それ以外のいわゆる「新しい人権」(名誉権、環境権、プライバシー権など)は認めない。著作権その他の知的財産権についても処分の自由を尊重する観点から、排他的な処分の権利は認めない。他者の人格批判なども一切公権力による取締りの対象とはならないが、自生的な秩序としてそのような悪趣味な行為が非難の対象となる社会が形成されるだろうというのがリバタリアンの考えである。

ミルトン・フリードマンが提唱した負の所得税が有名である。実際にはイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドで一部導入され、拡大されつつある。アメリカにおける勤労税額控除もこの負の所得税のバリエーションだと評価される。日本においては小沢一郎が党首を務めた自由党が負の所得税に近い政策を掲げていた。また、小沢が民主党の代表選挙に出馬する際に、再びこの公約が掲げられた。

[編集] 左派リバタリアンの政策

脱原発、核兵器廃絶、軍備管理、消費者の権益保護など。 また、ベーシック・インカム(基本所得)の主張も特徴的で、ヨーロッパの左派リバタリアン政党(要具体例)がしばしばこれを掲げる。日本においては横路孝弘衆議院副議長の側近である朝日俊弘参議院議員が国会で取り上げたことがある。

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