<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss version="2.0">
<channel>
<title>仙台インターネットマガジン　仙台の地元情報から、アート、音楽、文学、スポーツ、エッセイ、旅、政治まで: Archives ' 1-5.　正義のみかた　ル京詩世 '</title>
<link>http://www.im-sendai.jp/</link>
<description>仙台インターネットマガジンは、仙台発のインターネット上のフリー雑誌です。</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2011</copyright>
<lastBuildDate>Thu, 11 Dec 2003 05:37:08 +0900</lastBuildDate>
<generator>http://www.sixapart.com/movabletype/?v=3.33-ja</generator>
<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>

<item>
<title>９１１に見た夢　（Ｗさんへ）</title>
<description>
その映像を見たときの感想を、当時私は某喫茶店に置かしてもらっている『ル京ノート』なるものに、こう記した。

私は「快」を感じた、と。

勿論、「その映像」とは、９月１１日のテロの事である。

それを読んだ、Ｗさんという見知らぬ方が、
テロという事件を、テレビを通して観たル京が受け取った感情が「悲」ではなく「快」であったことに関して、「何故なのか？」という率直な「疑問」と「想い」をぶつけてくれました。

そして、私はその事をもう一度、よく考えてみることにしました。

まず、あの米国で、国際貿易センタービルに旅客機が、まるで映画のワンシーンの様に、「刺さった」のを観て、
私は非常に興奮したのを憶えています。
映画以外に実際にああいう風景を目撃した事が無かった私は、あの映像を「刺激」として受け止めてしまった。
実際私は本当に興奮しきっていて、次の日の仕事をズル休みしてまで、テレビに釘付けになっていました。
それから明け方近くになり、ようやく私はあなたが意見してくれたように、
「何故、俺はこの悲惨な事件を観て、これほどまでに『快』を感じてしまうのだろうか？」
という疑問を抱きました。パラドクスに陥りました。

あの瞬間にどれだけ多くの人間が壮絶な苦しみと共に、無念の死を、いや希望を、否応なく奪われたか、あのテレビを通して、私は見ることが出来なかったのかもしれません。
でも、あれは勿論、映画なんかでは決してありません。「娯楽」なんかじゃ、無いのです。

だから、僕は想像しました。あの映像には決して写されることの無かった、風景を。

人。叫び。汗。あれ。なんか様子、ヘン。機長室の方が変。イヤな汗。混乱。焦燥。怒り。涙。どこにもぶつけられない怒り。錯乱。悲しみ。合いたい。もう一度だけ合いたい。電話。かからない。声だけでも聞きたい。伝えきれなかった。後悔。謝りたかった。ありがとうと言いたかった。もう言えない。この子だけは。お母さん！祈り。奇跡来い！頼む。無念。涙。絶望。恐怖。爆発音。炎。スローな炎。炎が近づいてくる。熱い。血。なんか血臭い。助けて助けて助けて！血液の噴射。皮膚がとろけてく。熱いよ。痛い。痛てえっ！無くなる。自分が無くなる。消滅する。あああ！

僕は想像しました。僕の想像力で、出来る分だけ想像してみました。
もっともっと、本当はこの何億倍もの、いや無限の「悲」がそこには、あるはずです。でも、テレビには「それ」は映っていなかった。

そして、自分は「それ」を想像するまでに時間がかかった。
一番最初に感じたのは、なんか凄い出来事に出くわしているというライブ感、もしくはリアリティーに対する興奮。自分の経験上、それは大概、「俺は確かに此処に存在している」というアイデンティティーの問題に繋がっている。そのような種類の「快」だったと思う。自分がおかしい。変えなければならない。反省しなければならない。でも実際に「快」は、在った。自分の中に「快」は、在った。何が出来る？自分に何が出来る？今度こんな事が起きたときに自分は快を感じないように出来るのか？「感情」を進化できるのか？どうすれば感情を進化させることが出来るのさ？この罪を償えるのさ？

米国は、米国の正義として「暴力」を選んだ。彼らが出来る範囲で、「暴力」という方法を選択した。
まるで、ハムラビ法典。暴力には暴力を。死には死を。会えるものなら、大統領と会って話をしたい。
「僕は違う、と思うのです。」と伝えたい。
それに対して、ブッシュはこう言うかもしれない。

「ははは。では君、どうすればよいのだね？教えてよ。具体的に、綿密に、教えてよ。総ての人が犠牲を伴わないで、
共存できる方法を教えてよ。えっ！日本から来た君！」

そして私は何を言えるのか？

Ｗさん。僕はノートに書きました。
自分は「快」を感じてしまったのだという事を。僕と似たように感情を失いがちになっている人に宛てて。「助長」ではなく「ディスカッション」の為に。
そして、あなたは書いてくれた。夢で僕が大統領に言えなかった、「僕は違う、と思うのです。」という言葉を。あなたは僕に言ってくれた。
そして僕はあの事件について、より深く考えることが出来ました。いや、性懲りもなく、また自分の事についてだけ考えているのかもしれません。

でもきっといつか、あなたのような美しい人間になれることを望んでいます。


Ｐ・Ｓ　あの一文に自分の猜疑心、軽薄、臆病さ、弱さを認めます。　



2003/12/11</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_63.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_63.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 11 Dec 2003 05:37:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>スピード</title>
<description>「速度」という概念を題材にして、
そこから、「インターネットの進化」を掛け合いに出し、
なんらかの新しげな思想めいたものを導き出して、格好つけたい。

というのが今回の趣旨なのですが、
いざ、その魚をまな板に載せ、どのようにさばいてやろうか？　と煩い、眺めていると、
これがやたらと困難だという事に、気付く。

いまどき新思想なんてものが存在しうるのか、というところが気になっているのである。

しかも、そんなだいそれた事に挑もうとしているとは、かの有名なあのドン・キホーテにさえ
「そりゃ、いくらなんでも無茶だよ、ル京さん。」となだめられそうな勢いなのである。


さて、数年前に比べてインターネットの速度は、格段に早くなった。
僕は現在、ADSLの１２メガバイトのやつを使用しているのだが、よほど重い動画などをダウンロードするとき以外、
別に不便さを感じる事は無い。
たいていは、ぱっぱっぱっと画面が切り替わってくれるからだ。

最近は、２６メガでも４０メガでも料金が変わらないそうだから、そのうち、そのぐらいの速度に切り替える事にはなりそうだ。
ところで、僕がインターネットを始めたのは確か１９９５年である。
ブームに乗っかって、WINDOWS９５を並んでまで買った記憶があるのだから、たぶん９５年かその翌年の９６年のはずだ。
「正義のみかたのくせに、なんと俗っぽいことを」、と失望して下さったみなさんには悪いが、僕は「たまごっち」も、
女子高生の行列に混じって買ったくちだ。
確か友人宅で、安酒煽って、そのまま早朝の五時ぐらいに整理券もらいに行ったっけ。是が非でも、スケルトンのたまごっちが欲しかったのである。女との約束を守るために、いや、正義の為に。いや、笑みの為に。

話はだいぶ逸れてしまったが、当時は電話のジャックにパソコンから直接、モジュラーケーブルで繋いでいた。
アナログ回線の５６ｋbpsである。その頃はそれがたぶん一般的なやり方で、別に遅いとも思わなかったし、
通信が遮断するなんて事はほとんど無かった。
ところが、ISDNが普及して、接続がままならなくなってしまった。
だから、僕もISDNに切り替えた。確か、NTTのテレ放題とかっていうのと併用していたっけ。
それで、「速えー」とか言って、やっていたものだった。
ところがいまや、速度の単位自体が［K］から［M］に変わった。
ゼロ（桁）が何個増えたのかよく分からないし、調べるのも面倒くさいので勘弁してもらうけど、
速度は格段に速くなったはずだ。それなのに、ぱっ　と切り替わる「感じ」はISDN初期となんら違いが無いような気がする。
自分が「違いを知らない人」なだけなのかもしれないが。

だんだん何が言いたいのか自分でも分からなくなってきたが、つまりは、０・５秒ぐらいで、「ぱっ」と変わってくれればそれでいいのである。
その「ぱっ」が０．０００００１秒ぐらいに短くなろうが、私にはというより、よほど特別なそれこそ「マトリックスな人」でもない限り、０．５秒だろうが０．０００００１だろうが、体感速度は「ぱっ」のままではないでしょうか。


そして、言葉の世界に於いて、「ぱっ」より短い時間を表現する言葉が、僕の辞書には見あたらない。
なんかあるだろうか？　うーん。やっぱり、見あたらない。
私の推測によると「ぱっ」は、「一秒ぐらい」以下で、限りなく０に近いこともあるが、０ではない。

つまり、　１秒ぐらい≧ぱっ＞０ 

本当に何が言いたいのか解らなくなってきた。

こんな時は世の中のスピードのことなど考えずに、遠い空でも眺めながら、ぼんやりと空想に耽るのである。

はい。そしたら、とても安易に、ぱっと、言葉が浮かんできちゃいました。


『世の中の変化のスピードが極限まで早くなり、追随していくのに疲れた者達は、
その時、初めて「普遍」の真の意味を知るだろう』

『人が自在に、その姿形を造り替えれるようになったとき、
その内を磨くようになるだろう』



Ｐ・Ｓ　忍耐力がないから決め言葉はいつも創世記っぽいんださね。



2003/12/11</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_62.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_62.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 11 Dec 2003 03:36:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>性の話し　（Ｒ−８指定）</title>
<description>初めて彼女を部屋に招き入れるとき、きちんと整って綺麗だった部屋を、その女の母性本能をくすぐりたい、
という動機だけで、わざわざ部屋を散らかす、とても「シャイ」な「ボーイ」がいた。

その人は、あまりにも恥ずかしがり屋さんなため、恥ずかしい話を語るときには、自分の事を「彼」と三人称で呼ぶ事があるらしい。

その「彼」は思春期の時、その好奇心から、自分の精子を洗面器に浮かべてみた事があるそうだ。
しかも、数回にわたって、そんな事をしていたようなのである。

彼曰く、

「まず大事なことは、お湯は人肌ぐらいに設定すること。」

更に彼は、数回の実験のサンプリングから、以下のような驚くべき報告を語ってくれた。


「僕は知っているよ。精子くんの望みを。「彼ら」の望みを知っているのは、もしかしたら僕ぐらいのもんじゃないかな。
だって、僕は或る日風呂場で、彼らのことを水の入った洗面器に浮かべてみた事があるんだから。
そうだな、彼らは、まあつまりは僕の精子の事なんだがね。とにかく彼らは最初、「ぱっ」と飛び散って、
水面に３カ所ぐらいに別れて、佇んでいたんだ。そうしたら、彼らはその後、どうしたと思う？
驚いたね。やっこさん、数分後には、一つに融合したんだ。泳いで、一つの束になっちまったんだよ。
彼らの躰の大きさから考えたら、たぶん、琵琶湖を泳ぎ切るくらいの体力が必要ではないかと思うんだ。
それなのに、やっこさんは泳ぎ切ったんだ。そして、それはいったい何を意味しているのだろう？
何故だろう？　なぜなにゆえに、彼らはそうしたんだろう？　それで一晩考え抜いて、おいらはやっと一つの結論に辿り着いた。
やっと分かったんだ。彼らは寂しいんだよ。彼らはくっつきたかっているんだよ。
彼が僕に教えてくれたんだよ。寂しさを。そして、それが当たり前だって事を！　中二の時に。」


その話を聞いたとき、僕の脳裏にいろんな風景が、まるでソウマトウの様に思い出された。


バーゲン。おしくらまんじゅう。受験。マラソン。整形。
合コン。地下鉄。渋滞。資本主義。わたし。彼。自分。


そう、彼は恥ずかしがり屋なのだ。 




Ｐ・Ｓ　ええ。ええ。『ライ麦』　読みました。




2003/12/11</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_61.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_61.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 11 Dec 2003 02:35:09 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自画像</title>
<description>
ええ。ええ。どうやら僕は本当に中途半端な知識しか持ち合わせていませんが、これでもたいがい大事なことは知っているつもりですよ。
それでいて、知らない振りをしているのだよ。
何故そんな不自然なことをするのか僕にもよくわからないけど、それはある種の強烈な自己防衛かもしれないよ。
意味のあることだけをやろうとしても駄目だよ。意味のありそうな事ばかりを追求して、言葉を選び、無駄話を極力排除して、それが「誠実」ということなのではないか、なんて考えながら生きていたら、僕みたいな不自然な話し方を喋るような人間になってしまうよ。
それはもう実証済みだから、絶対にそれだけは回避した方が賢明だと思うよ。

実際、意味のないことの方が重要だという気がしてきたよ。いわゆる「お喋り」を女性はよくするけど、彼女たちの本能の優秀さには驚かされるよ。
彼女たちは絶対に自分の身体を粗末に扱うようなことはしないよ。それは彼女たちが正直に彼女たちなりの正解を選び取る術を知り尽くした素直な動物性を備えているだからだと僕はいま考えているよ。

僕みたいに人に意見されたことを全部鵜呑みにして、それを包括しようなんて無謀な慢心を抱き始めたら、本当に心も体もおかしくなってしまうんだよ。
美智子様みたいに言葉が声に出なくなってしまうんだよ。飲酒しなくても、吐く事もあるみたいだよ。自分の限界を知り、「防御」という言葉もこともよくよく理解しなければ駄目だと思うようになってきたよ。今頃になってそんなことに気付いたんだよ。元来、馬鹿なんだよ。そんなわけだから会社の方も遅刻しっぱなしだよ。上司はもう怒りを通り越して、なんだか奇妙な可笑しさを感じているみたいだよ。出社時間の一時間前に会社からモーニングコールが掛かってくることもあるんだよ。

僕みたいに理論的に考えるのが苦手な人間はどうやらそれ　なり　のやり方を見つけていくしかないみたいだよ。正統の進化から、敗北して、横道にずれるしかないのかもしれないよ。ナマケモノの種に近いのかもしれないし、枝分かれだよ。世の中に伝えたいと思えるべき事と伝えたくないべきものがあるとするなら、僕の眼球には、伝えたくないことの方が多く映ってしまうんだよ。
僕は何も自分の無能さを棚に上げてアカデミズムを批判したいわけでもないし、「思考停止」を促したいわけじゃないよ。もっと出来る人には考えてもらいたいぐらいだよ。実際、学者という職業に就いている知人も数人いるけど、僕は本当に彼らを尊敬しているんだよ。でも、僕なりの仕事もあるのではないかと僕は思いたいだけなんだよ。それはいわゆるレーゾンデーテルかもしれないよ。それが古くさいやり方だということも承知してるけど、そのやり方でなければむしろ届かないこともあるのではないかという僕なりの読みもあるんだよ。
また青臭くて抽象的なことばかり話して！と怒るかもしれないけど、少し背負って、曖昧でも下手でもいいから、自分なりに捉えて、言いづらそうにもがいてる姿、もしくはその沈黙そのものに、「なにかたいへん重要で健全な」なにかが含まれていることがあるかもしれないと思っているんだよ。話をしていて本当にその人と会話をしているのか判らなくなるときが僕にはあるんだよ。それが孤独と繋がっているんだよ。全ての病いや罪は孤独から発端しているのではないかとさえ考えるときがあるよ。そういう意味では魂（ソウル）かもしれないよ。ソウルミュージックを奏でながらソウルを持ってない人もいっぱいいると聞いたけど、なかなか現代では難しいみたいだよ。忙しくて自分のソウルを何処かに忘れてきてしまうことがあるようだよ。僕だって自分が何を言いたいのかよくわからなくなる切ない夜がいっぱいあるよ。そんな夜はアダルトビデヲ観て、放心状態だよ。似たような行為をしたくなってしまうという悲しい性も僕にはあるみたいだよ。そんなことを平気で女の子に告白するから嫌われるみたいだよ。
自己分析をした結果、子供の頃から、人の話を聞かないで、話している人の目とか雰囲気なんかを探ってしまうという性質も僕にはあるようだよ。まさに其処にこそ真実らしきものが隠されているかのようにね。親に「猜疑心」というあまり建設的でない記号を遺伝的に授かってしまったのかもしれないよ。これは僕のまたもや勝手な推論だけど、一人の人間は遺伝子の配列の、最後の一文字ぐらいしか、付け加えられないのではないかと考えるようになったよ。これのいいところは謙虚が生まれるところだよ。もちろん何世代にもわたって長い間培われてきた、一個一個が自分に刻まれているから人は複雑なんだと思うけど、だから、どうせたった一ヶならば、「暴力」の衝動とか、「権力」の保持とか、といった文字を刻むより、それぞれの人間がそれぞれ善性だと思えるようなワン・レターを自分は刻みたいと願っているよ。
ええ。批判していると思いきや、自分が劣悪な単語の流布の本人となっている可能性もあるのだから本当に気を付けなくてはならないし、そこにまた個人の伝達の限界も感じるよ。しかし、社長が社員全員の顔と名前ぐらい覚えていられないぐらいの大きすぎる企業は危険だよ。

確かに善悪の判断は一概には言えなくて、体内に収まっているうちは「善」なのに、排泄された瞬間から「悪」にされちゃう物もあるし、戦時中では「リーガル」なのに、終戦の瞬間から、「イリーガル（非合法）」になっちゃうものもあるし、深夜の公園でやると、「痴女」だが、ステージ上でやると、「女優」になっちゃうものもあるし、医者に話すと、「分裂」と診断されるのに、絵に描いたとたん、「芸術」になっちゃうものさえあるらしいから、本当にこれはもう千差万別で、「動機」は正義だが、「効果」が悪になってしまう事もあったりするので、慎重に事を進めていかなければいけないと考えているのだけれども、そんなことをしていると、文章力学の方法論上、「悪文」となってしまうんだよ。
なのでここはひとつ、細かい事は許してもらって、少し乱暴でも、さっき並べた単語を「悪」と仮定させてもらい、大いにモチベーションあげて、書きたいが、もう既に、「優しくない」という正義らしからぬ状態の文章に陥ってしまっているので、僕はまた弱気になってきたところだよ。

色々言ってきたけど、僕は、なにひとつとして新しいことを言えていないみたいだよ。ほとんど借り物の知識や形式しか繰り広げられてないみたいだよ。僕がやっているのは先人のソウルの繰り返しだよ。でも、自分が良きと思われるソウルは何遍でも繰り返した方がいいのではないかと思っているんだよ。
自虐的になっているならば謝るよ。いや、謝ってしまってごめんだよ。フィクションだよ。フィクションだよ。「ル京詩世」という仮面を被った男の存在は虚構で、そんな名前の付いた男は何処の市役所の戸籍を調べてみても、掲載されていないよ。
それは認めるから、子供の戯言だと思って、あまり怒らないでもらいたいよ。
本当に疲れているみたいなんだだよ。少し又長い休暇を取るかもしれないし、まったく時代錯誤のエッセイをひとつやふたつ載せるかもしれないから、君の仕事に邪魔にならなければ、おおいに笑い飛ばしてもらいたいと考えているよ。 

本当にこうして自分の放った言葉を見てみても、僕は何を言いたいのか解らなくなってきたよ。自分がこれだけ知っているぞと証明して見せたいだけかもしれないよ。これはやはり快楽原則と、そして、システムの問題かもしれないよ。『第三の道』が開け放たれるのはいつ頃になるのだろうか？

ええ。ええ。僕はこれでも健康で、幸福なつもりですよ。
今度街で再会したのならば、無駄話をしながら、一杯ご馳走してくれないか？


2003/11/18</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_60.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/12/post_60.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 11 Dec 2003 01:33:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ドクターＫへの個人的な手紙</title>
<description>今回のこのいわゆる書き物はエッセイなどというものではない。
いわゆる、ドクターＫひとりへの手紙だ。
不特定多数へのメッセージも良いが、その人ひとりだけに真剣に歌う詩があってもよい。

えっ。見ているんだろう？　


君と電話で、論争したのは、２００３年８月５日の夜だったと思う。
君は、僕の数少ない同級の友で、今でもつきあいのある人だ。
その君はあの電話で、僕に説教をくれた。
説教の内容は、「変わらないのは君だけだ」と「システムとか経済を学べ」と、云った内容だったと思う。
それで僕は、息苦しくなって、「では、実際になんか効率よく学べる良い書物でもあったら、教えてくれないか？」
と訊ねた、と思う。
それで僕等はお互いよそよそしくなって電話を切った。

その後、君からメールが来た。その君のメールの言葉で印象に残ったのは、

１．恐らく君は「誠実さ」を求めているだろうが、僕は「正確さ」を求める。正確さは誠実さだと思うからだ。　逆の命題は成立しない。
２．現時点で、君は文学者と言うよりは、疑わしい宗教家だと思う。
３．馬鹿にしているのか馬鹿なのか。経済に限らず、簡単に手に入るものに価値など無い。
４．ダンスを終えた後の拍手を求めるのではなく、ダンスし続けて、読者を魅了し続けること。

の４点だった。


そして、

僕は、そのメールを見て、悔しくて堪らなかった。あまり悲しくて僕はやる気を失った。食事。食べる気がしない。睡眠。眠れない。仕事。やる気がしない。だから、僕はふてくされて、寝ていた。この一ヶ月、「外出可能な引きこもり」みたいなもんだった。あの子供の背丈ぐらいの大きさの、起きあがりこぼし（小坊師）式のビニール人形を想像してほしい。ぼくは君に倒された、ギザギザ髪の典型的な顔をした男の子のビニール人形だ。倒された僕は、地面に伏しながら、こう思った。僕はもう起きない。起きたら又やられる。必ず起きあがってくるはずのビニール人形が起きあがってこないとしたらどうだろう？そんなの、張り合いが無くて、ちっとも面白くない。「あれっ。壊れたのかな？　うそぉ？！」と不安になってくる。だから僕は、ふてくされて、寝ていた。このエッセイを休んでいた。正直に言うと、ああ、書けネかったのさ。そのうちに、僕は妄想に侵された。その亡霊は人の反応、一言に恐怖を抱いている。他人の目が気になって仕方がない。仕舞いには、カオスの波に呑まれ、君が愛もって放った何気ない一言でも、死の恐怖にさえ感じられる事がある。偉く言葉にナイーヴになってるんだ。僕はひとつのエッセイを書く苦しみを知っているつもりだ。たった一枚書くのにも、「迷い」「不安」「恐怖」「冷静」を通過しなければ書けない。臆病な僕が確信を得るには、様々な分野の書物を机に並べて、これは大丈夫か？これはどれかに既に書かれていなかったっけ？と、まことにみみっちく部屋中をうろうろし、目を血走らせて、苦悩しているんだ。きみは、「正確さ」は「誠実さ」ともっともらしい言葉を並べたが、僕はそんなのには騙されない。マルクス以後、全体化が不可能に近くなってしまったからなのかい？だから「正確さ」を求めることにしたのかい？それは一理ある。君はそうしてもいいけど、人はそれぞれ、違うんだ。誠実さを求める人間もいても良いと思うし、何も求めない人間もいても良し、その他、なんだっていい。自由なんだ。なのに、僕が少し、ああ、僕も少し冷静にならなければならないと反省し、では、「僕はどうすればいいかな？」と問うと、「君は経済を学べ、システムを学べ」だ。何故、聞いてはいけないのかね？判らないから聞いているのだ。時間が無くて効率よくものにしたいから、恥を忍んで頭を下げているのだ。そういう生き方も在るんじゃないのか？よく何々の修行には、「ここまでで、三年。一人前になるには十年ぐらいかなあ。」なんて白々しく大袈裟に語る人がいるが、僕はそんなの、信じない。その背後には、「自己保存」というエゴの神が見える。君は僕の為を思い意見してくれたのではないのか？僕がそういう状態になってくれればいいと思ってすすめてくれたのではないのか？簡単に教えてくれたらいいじゃないか？だいたい、なんでおれが、疑わしい宗教家なんだ。おれほど、神を疑って、疑ってしょうがない人間もいないぐらいだと、自負しているぐらいなんだ。なんできみ相手に踊り続けなくちゃいけないのだ。きみは僕の友達じゃないのか？お笑い芸人だって家族や友人がいて、その人の前でなんで、芸をしていなくちゃいけないんだ。舞台裏は、実につまらないんだ。真実なんて何も楽しいことなんか無いんだ。何もないんだ。きみはお客じゃないと思っていたのは僕の誤解かい？ああ、誉めて欲しかったのさ！僕が今必要なのは「自信」なんだ。本当なんだ。誰も誉めてくれる人がいないから、もし誉めてくれる誰かがいたら、時給千円払ってもいいから、２時間ぐらい「ル京さん、ガンバレ！ル京さん、ガンバレ！ヨッ！正義のみかた！」と耳元で囁きつづけてもらいたいぐらいなんだ。実際お金の使い方としては、悪くないなと思っているぐらいなんだ。この時世では、結構いいバイトだし、実に需要と供給に適ってると思っているぐらいなんだ。嗚呼、なんだか話がせこくなってきた。カッコ悪りぃ！いや、わざとかっこわるく下手くそに書いているのだ。どっちかというと、構造（システム）主義なんだ。なのに。このやろう。システムをまなべとはこのやろう。人はハッキリ言って、何かにしがみついて行かねばならないというのが、僕の持論だ。君は独立した一ヶの完全な大人のつもりでいるようだが、その欺瞞がもう間違いの元だ。システム教か？経済教か？いずれにしても、君がそこまで強く訴えられるというのは、君は既に何かそういったモノを信仰しているという証だ。あの優しすぎると最近、世間でささやかれている平和憲法でさえ、自衛権の行使は了解されているのだ。僕だって、そこまで避難されては、自衛の手段に出る権利ぐらい在るはずだ。だいたい君とやり合ったって、僕には何一つ得はないのだ。これを見た僕の数少ない読者からは、もうあの人はこんなに熱くなってしまって、見えてないな。もう終わりだ。とささやかれるに決まっている。被害妄想が激しくて、自己憐憫で。もうあの人の視野は五百円玉ぐらいの狭さで、何も見えていないのだ。もう終わり。僕は知っている。こんな時代に熱いのは損だ。クールでなければ、誰も寄りつかない。でも、だ。僕はこう分析している。それはやはり、戦争に負けて、五十年経っても、虚無化政策の影響の余波だと考えている。ああ、人の寂しさの歪はなんと悲しい姿で、時代を長い間うつろにするのだろう。こんな議論をしているようではだめだ。言語議論は、野蛮への奔走だ。最終的にはSENSOUだ。何を学んだのだ。全共闘の繰り返し。そんなのにうんざりした世代が、寡黙になって、無言で何を教えてくれたんだ。何も教えてくれない人も多いが、でも中にはやはり、違う人もいる。その先輩達の深い思いをわかってるんだろう！こんな事をやっているから、だめなんだ。繰り返しだ。マスターベーションだ。あきらめるな。真に冷静で、賢い者はそれを感じている。微分細分してその果てにあるのは鬱だ。時間の持てあましだ。狩りに行ってなんの為に狩りをしに来たのか、分からなくなっているのだ。男のエゴだ。こんな事を言うと、君はまた女に迎合して、もてたがってと思うかもしれないが、それは、無い。もてたかったら、こっちだって、こんな方法は選択しない。そんなに熱くはないんだ。ああ、くどい。ああ、やだ。タクシーで逃亡し、東京へ行って、国会議事堂にでも突っ込んでやろうか？　いやそれでは、病んだ男がやけを起こしただけと思われ、思想犯にも成れず、メタファーにさえ成らないというのが落ちだ。ああ、このやろう！このやろう！今日は自慰しないぞ！



といった上記の如き、脈絡の無い、亡霊に約一ヶ月憑依され、はっと気づき、微かではあるが、
「君がメールを送った」というアクションそのものに、感謝が生まれ、ここに記す。ありがとう。


また上記の如く妄想にあなたへの甘えと自身の弱さ、臆病さを認めます。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ル京詩世




Ｐ・Ｓ　「真実」の銀河の外界に、無限の宇宙あり。

2003/08/25</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/08/post_51.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/08/post_51.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Mon, 25 Aug 2003 06:23:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ル京詩世ＶＳ月光仮面</title>
<description>世には、私の他にも、正義の味方はいるやうだ。
そのうちの一人、月光仮面さんを今日は紹介ス。
彼を紹介しているＨＰから、月光仮面さんについて、私が知り得た事をここに記ス。

そのＨＰに拠ると、

月光仮面さんはこの前の自民党大会に参加していたらしい。
しかも、「国民にもっとわかりやすい政治を！」と書かれた、プラカードを持って、突っ立っていたらしい。
しかも、迫力ある右翼の方十数名が、スピーカーで怒鳴っているすぐ隣で、
弱々しく一人で、けなげに、突っ立っていたらしい。
しかも、プラカードは折り畳み式のものだったらしい。
どうやら、月光仮面さんは無党派らしい。

ちょっとした小競り合いが終わって、このＨＰの制作者が好奇心から、
月光仮面さんに、インタビューをしたという。
その印象の抜粋から、

第一声が関西弁だったらしい。
月光仮面さんは新幹線に乗って、東京までやってきたらしい。
仮面の隙間から、可成りの白髪を覗かせていたらしい。
いわゆる団塊の世代らしい。
現在は独身らしい。
その事をふまえて、「では以前、結婚していたのですね？」と聞いたら、
「プライバシーに関するんで」と言って、やんわり、コメントを控えたらしい。
具体的な活躍として、
サッチーの学歴詐称の告発と、
野村監督の解任要求があるらしい。

ただ、月光仮面さんにも弱点があるらしく、
情報機器を持たないいわゆる情報溺者（デジタルデバイド）らしい。
パソコンはもとより、携帯もFAXも持ってないので、
月光仮面さんとのやりとりは、月光仮面さんからの手紙か電話を待つのみらしい。
ＨＰの説明をして、「ＨＰをボランティアで作りましょうか？」と提案したら、
「是非お願いしたい」との謙虚な答えが返ってきたらしい。

インタビューの途中に「一緒にお食事でもどうですか？」と誘ったら、
「マスクを取ると、顔がわかってしまうから」という理由で、お断りなさったらしい。
ゆえに、昼の１２時前から夜の７時まで、約７時間も飲まず食わずで、突っ立っていたらしい。


このＨＰに掲載されていた、月光仮面さんの印象の言葉の断片を繋ぎ合わせて、
その全体像を想像した私は、抑えきれない衝動を感じた。

胸が切なくなった。
弟子にしてもらいたいと思った。
手紙を書かなければならないと思った。

僕は、あなたが大好きです、と。





2003/07/20</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_50.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_50.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Sun, 20 Jul 2003 01:14:58 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ル京詩世ＶＳ風俗嬢</title>
<description>美談を一つ

正義の味方をはじめてまだ間もない頃、
或る、おばさん風俗嬢と、飯を食いに行ったことがあります。
その風俗嬢はとても疲れていて、希望を失っているようでした。
人を信用できなくなっているようです。

確かに、人は信用できません。
でも、そう思っていては、悲しいことです。
それで、無理矢理、「そんなことないぜ！」と言いました。
理屈も何も無く、です。

今がまさに正義の味方の存在価値が、問われていると思った私は、
言いました。
「昨日、正義の味方を見たよ」
「へー」と彼女。
「そんなのいたら、見てみたいね」

そこで、私はトイレに行くフリをして、駐車場に向かいました。
私の愛車２０万のサニーには常時、マントとマスクが忍ばせてあるのです。

変身して帰ってきた私は、おばさんにキスされました。
そして、なぜかカラオケを歌わされました。
おばさんのリクエストは、尾崎豊の『卒業』です。

大晦日での失敗もあり、心を込めて卒業を歌い終わってから私は、一目散に退陣し、
トイレから素知らぬ顔して、おばさんの元に戻りました。

白々しい顔で私が、
「あれ、いま正義の味方来てなかった？トイレでまた会っちゃったよ」と言うと、
おばさんは、こう言いました。
「あれは正義の味方なんかじゃないね。あれはどう見たって、デビューできなくて、
やけになっているアホな男だよ、あんたはもっと頑張らないと！」

と真実を口にしました。


事実は小説より奇なり。
愛ある説教だけが正義を創る。
おばさんは風俗嬢でもあるし、神でもある。



2003/07/18</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_49.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_49.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Fri, 18 Jul 2003 03:14:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ル京詩世ＶＳ個人情報流出</title>
<description>インターンットの検索ページで、自分の名前をキーワードに入れて、
検索すると、自分に関しての情報がヒットしてしまう。という事を聞いた。

なるほど、と思いながら聞いていたのだが、しばらく経ち、
うーん、これはもしや、世の中が相当危険なことになってきているのではないか？
と正義のわたしは思い直し、
個人情報が漏れると、どのように危険なのか
『なんとかリサーチ２００Ｘ』の如く、シュミレーションしてみた。

時は２００Ｘ年、
或る小説家気取りの金の無い男、Ｒ・Ｓ（仮名）が、OLのA子（仮名）と恋愛し、
某春の某吉日、都内某所にある、A子の実家に赴き、両親に求婚のお願いをしに行った。
その男は、なんとかA子の両親に認めてもらおうと考え、
アナログなその男は、
『好印象を与えるために』とか、
『第一印象で勝つ』といった類の、下品な本を片っ端から読みあさり、
彼が使えるだけの能力（つまり、言動、服装、態度、マナー、etc）をフルに駆使して、
好印象を与えるために、完璧なセルフプロドュースをして、A子の家に出向いた。
緊張しながらも、なんとか無難に、事を終え、結構感じよくうつったんじゃないかな、などと考えながら、
「では、お邪魔いたしました」と礼儀よく、男は玄関を出た。
男が帰った直後、
お父様が、お母様に、「おい、あれ。」とそっけなく言った。
するとお母様は奥座敷から、膳にのせたノートパソコンをお持ちになり、
「はいっ！これ。」と言って、お父様の前にパソコンを置いた。
父はおもむろに検索の欄に「Ｒ・Ｓ」と男の名前を打ち込み、Ｒ.Ｓの素性を調べはじめた。

「ん？　これは仙台インターネットマガジン、ほう」
そして又クリック
そこには、あの仮面とマスクで身を固めた、Ｒ.Ｓの姿。
そこでお母様が、「あなた何かおもしろいのでも見つかりましたか？」と訊ねる。
お父様は、お母様に見られないようにパソコンの電源を落とし、
「なあ、今日のあの話なあ、ありゃ、ご破談だな」と呟いた。

この結果、非常にまずいのである。

不安になった私は、実際に調べてみることにした。
検索エンジンにて、「ル京詩世」と打ち込み、検索をかけたみたのだ。
ありました。
ヒットどころか、ホームランです。
しかも２件。

極力、自分では、情報漏れなどがないように、用心しているつもりだった。
怪しいなと感じたサイトとかには個人情報を書き込まないようにしていたつもりだった。
また、どうしても、名前を晒さなくては会員になれないような場合は、
出来るだけ、偽名を使うようにしているつもりだった。
しかも、その都度思いついた、「意味を成さない記号の羅列」とかを多く使用しているつもりだった。
それでも、在った。

一つは『仙台インターネットマガジン』
これは良し。というか、
自分の意志でもって公開しているのであるから。上記の如くなっても仕方あるまい。
それともう一つ、
『Windows 95　ピンボール・ハイスコアー』
というサイトに、ル京詩世の名前が。ガーン。
しかも、
「ピンボールにはまっていて、いまいちどうすれば高得点になるのか？　みなさん凄いですね」
などといった、まぬけなコメント付き。
しかも、５７位という、中途半端なランクイン。

まるで「素」。恥ずかしい。



リサーチ結果報告：アナログはデジタルに負けるかもしれない。みんなも気をつけよう。



2003/07/18</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_48.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_48.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Fri, 18 Jul 2003 02:13:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ル京詩世ＶＳ情報化社会</title>
<description>先日、或る友人と、情報化社会について、少しだけ議論した。
それで、私がつまらなそうに話を聞いていたら、
最近私のこの連載を読んだ事を盾に、
「お前のは、具体性が無く、抽象的すぎる。だいたいにして、結論も無いし、欲しい情報が無い。」
などと、遠慮なく批判され、それで悔しくて、一晩泣き、
滅多にしないが、少しだけ、「調べもの」をしてみることにした。

出どころは『インターネット白書』。
経済白書とか、イチゴ白書なら私も知っていたが、まさか、インターネット白書なるもの
がもう既に存在していること自体、かるい驚きだった。
（ちなみに『バナナ白書』というエロ本を昔、鑑賞したこともあります）

さて、いま手元にあるこの資料を頼りに少しだけ、日本のインターネット事情の
ほんの断片を紐解きましょう。

資料にはおびただしい量のグラフと、表と、解説図と、文章が、
約４００ページにもわたり、掲載されているが、
ざっと見て、私が得た情報は、

全てのインターネット上での日本語の言語率が、１０．３％で、
その支配率からいって、日本はアメリカ、中国に次いで、三番目のサイバー王国らしく、
ＧＤＰの割合から比較して考えると、その貢献度は大きく、
また、今後の需要が伸びることは必至で、世界経済に乗り遅れないためには、
I　T化は避けることが出来ないらしく、
むしろ、国際事情を考えると、流れにのっていった方が、国益に繋がり、
だが、それにまつわる犯罪も多発されると予想され、
ゆえに、こうしたデータが必要になってくる。

ということ　だけ　であった。

馬鹿なのであろうか？
実に不安である。

不安だから、情報を欲しがるのである。







2003/07/18</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_47.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_47.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Fri, 18 Jul 2003 01:12:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>21世紀　大晦日　正義の味方誕生秘話　【結】</title>
<description>３　　２　　１　　ゼロ。
ハッピーニューイヤー。カンパーイ！

クラッカーがいたるところで発射されている。
携帯をもって、話をしている人間がいる。
携帯の番号を押している人間も何人かいる。
メールを打っている人間もいる。
働いている人もいる。
抱き合って、キスをしている人もいる。

人の波をすり抜けて、僕はこの店の中心点に、走っていた。
自分の姿に驚いた友人が、「あっ」と、呟いた気がする。
「あっ」という言葉が通り過ぎていく。

中心点。そこは若者の円陣の真ん中だった。

興奮している若者はなんでも、受け入れる性質がある。
普段若者が毛嫌いしている
「無感動なサラリーマン」だろうが、
「アウェイからやってきたサポーター」だろうが、
「乞食」だろうが、「やくざ」だろうが、
「こんな時代に正義の味方の格好をしている野暮な男」だろうが、だ。
わたしはその真実を知っていた。
そこは「祭り」だからだ。

「イェイー！」とわたしは叫んだ。
それがふさわしい言葉かどうかは判らない。わたしはもう若くはないからだ。

すぐさま、「イェーイ！」と若者たちが叫ぶ。
向こうのエネルギーがすさまじかったので、負けないように言った。

「我ガ・憂イノ・日本ヲ案ジ・旗揚ゲス」　
　一瞬、しーんとなる。つづけて　　　　　　「イェーイ！」と若者が反応ス。

「闇に光を届けにきた。」　　　　　　　　　　「イェーイ！」
「正義の味方、参上！」　　　　　　　　　　　「ウォー！」

という感じだった。

それから、ジョッキを一杯、一気させられた。
そして、握手を求められた。
それから、あまり憶えていない。


しばらく立って、友人が迎えにきた。「どうもー」とか何とか言っちゃって。
そしてわたしを強制連行するかのように２人で、肩を担いで、円陣の中から引きずり出した。

「何をする！　正義だ！　これは正義なんだよー」
若者の目の色が変わった。まるで異常なものを見るような目つきに変わった。

その後、友人たちに説教された。
説教されている間も、その格好だったから、友人は
「マスクを脱げ！」と言った。
「これが本当の顔だ！」
「お前はＫだ！」と、わたしの本名を口にして言った。
「わたしは正義の味方だ」と言い張った。

その後、２時間ぐらい、論争が続き、わたしは敗北した。調子にのっていたのを、認めた。

２１世紀最初の元旦、その早朝、目が覚めたら、わたしはビルの間に挟まっていた。

この一連の出来事が「正義」なのか「悪」なのかは判らない。
どちらかというと、限りなく「悪」に近いのではないかと、承知している。

でも、説教をしているときの友人の目はいつになく、本気だった。
その目は久しぶりに輝いていた。
生きていた。



2003/07/10</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21_3.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21_3.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 10 Jul 2003 05:10:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>21世紀　大晦日　正義の味方誕生秘話　【転】</title>
<description>トイレに隠ったわたしは、ちっとも酔っぱらっていなかった。
ある種、まじめな話（例えば、政治、文学、戦争、ニュース）などするときは、
少しぐらい酔いを帯びているぐらいが、軽快な質ではあるが、その時は、緊張していた。

こんなのを武者震いというのかもしれない。
足がガクガク震えていて、立っているのも辛いくらいだった。
だから便器に腰掛けた。
ズボンを穿いたまま、便器に座るのはどうしてこんなに不快なのだろう？
と思った。
そのぐらいの現実感はあったのかもしれない。
足はまだ震えている。ガクガク。
両の掌で、膝をつかんだ、震えは手をも揺らした。
しょうがねえなと思った。

膝の上にアタッシュケースを置いた。ZERO・HALLIBURTONである。
ちなみに、ゼロ・ハリバートンといえば、
１９３８年にアメリカで生まれ、
NASAが大気圏突入時にも耐えられるようにとその特注品を発注し、
アポロ１３が初の月面着陸を試みた時にも月の欠片などを
そのケースで持ち帰ったといわれている品物である。
わたしの数少ない自慢である。
そのケースにマントとマスクを忍ばせておいたのである。

カチッ。
あまりにもキザである。

便所の鏡の前に突っ立っている男は黒いマスクを被り、
黒いマントを装着していた。
どうみても、正義の味方には見えなかった。
むしろ、悪の化身であった。

足はまだ震えている。
意味もなく、鏡に向かって、舌を出してみる。
己の「老い」を認める。
垂れた前髪を意識しながら、中指と人差し指で、すくい上げる。

そうこうしているうちに、トイレの外では、カウントダウンが始まった。

２０世紀末、わたしはマントとマスクを身につけ、生まれ故郷の小さな繁華街の某バーのトイレにいた。
自分にはふさわしい世紀越えの場所だと思った。
鏡を見ながら何故か、母を思った。

１０・　９・８・７・６・５・　フォウー
ごめん。 ガチャ。



2003/07/10</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21_2.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21_2.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 10 Jul 2003 03:09:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>21世紀　大晦日　正義の味方誕生秘話　【承】</title>
<description>待ち合わせのバーに着いたのはＰＭ１０時だった。
カウントダウンまで、残り約２時間といったところ。
店内には、多くの人間がいた。例年の大晦日より、賑わっている。

私たちのテーブルには友人２人（ＭとＫ）と、わたしとで男三人。
端的に言えば、その晩、私たちは喧嘩した。

２０代後半にさしかかった男三人は、
激しく飲むことを止め、「純粋」をあきらめ、
虚無の殻をまとい始めていた。
複雑で、巨大な社会に怯えていた。
純粋ではうち負かされることに勘づきはじめた。
笑い方が歪になってきていた。

虚飾では、無い、と考えている。
「学生時代」を終えて、「社会」に吸い込まれた、平均的な２０代半ばの男なら誰しも、
そんな門じゃないかと、考えている。
もちろん、そうでない人もいる。

この頃になると友人たちはバイトしかしないで、
文学などを目指そうとしている私に侮蔑の目を向けるようになっていた。
私がそれでも偉そうに街にのさばっているのを煙たがっている。

言葉で言わなくても、それは、判る。
何かやりたいことがあり、未だそれを成し遂げていない人間は、
それが理不尽であったとしても、堪え忍ばなくてはならない類の境遇に置かれるだろうし
それは享受する。
又成し得ないうちは、やはり、そのようなみじめな生活を送らなくてはならないのもかもしれない。

そのような伏線があったのではないかと考えている。
そのような因果関係があり、
更にわたしが正義の味方としてふざけた登場をしたものだから、
喧嘩になってしまったのはある意味、必然的だったのかもしれない。

だいいち、わたしが皆の笑い方が嫌いになってきていたのだから。
でも、楽しく飲んだ。なにせ、２０世紀最後の夜なのだ。


そして、カウントダウンは近づいてきた。
「やばい、トイレ行って来る」と言って、わたしは席を立った。
腕時計にちらっと目をやり、
「相変わらず、間が悪いな」と友人は呟いた。




2003/07/10</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21_1.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21_1.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 10 Jul 2003 02:08:35 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>21世紀　大晦日　正義の味方誕生秘話　【起】</title>
<description>２１世紀の幕開けと同時に、正義の味方は生まれました。
と大袈裟なことをいってもそれは、たいした事では無く、
私が、初めて正義の味方として、世の中にその醜態を晒したのが、その日、とい
うか、その瞬間だっただけのことです。

それは当然のことだが、２０世紀最後の晩、つまり大晦日でした。
場所は青森県の弘前市。の某バー。
友人数名、いつものように、男ばかりで、新世紀を祝おうという魂胆だった。

待ち合わせの場所に行く前に、一人で、初詣でに行った。
数々の禊ぎと汚れを落としに行った。
敗北して、一ヶの思想もなく、正義の見方何ぞをやり始めようと
している自分の罪を、先祖とか神様とかに告白し、許してもらうつもりだった。

ふんぱつして五百円玉を投げた。
五百円玉を投げてから、ふと、思いつき、お願いするのをやめた。
自分の都合が良いことを知った。
五百円を損した気分になった。

車に戻り、ダッシュボードを開けた。
マントとマスクが確実にそこに存在しているのを確認した。
世界に正義が存在していることを信じた。
悪があるから、正義があるのか、
正義があるから、悪があるのか、
それとも、それらは自分の作り出した幻想なのか？
すべてを見定めなければなるまい。

悪があるのであれば、悪が何者であるのかを研究し、それを倒さなければなるまい。
例え、それが自分自身であったとしても。
真に理解するには、経験するしかない。

それら全てをこれから、丸裸にするのだ。
太陽の下に晒すのだ。

覚悟は決まった。煙草に火をつけ、エンジンをかける。
己のナルシズムをあきらめ、アクセルを踏む。

突っ走りたかったが、地球の回転を緩めるかのように
減速する。

さあ、あたらしい世紀がくる。



2003/07/06</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/21.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Thu, 10 Jul 2003 01:06:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>変身</title>
<description>正義の概念を決定した後
単純な私はすぐに行動に移しました。

或る朝

ダイエーの開店時間の午前１０時をわずか５分過ぎた頃にはもう、
寒々しい空気に包まれた生地売場のフロアーに突っ立って
女子店員のひんしゅくを買っていたものです。
三十分程、あれやこれやと品物を物色していましたが、結局、下品でないほどに、
黒光りしたビロウドの生地を３�程購入して、家路に着き、
当時、付き合っていた彼女に、マントとマスクの制作を依頼しました。

はい。
あのときの彼女の残念そうな表情が、今でも脳裏に焼き付いて離れません。
私が、一点の笑みを造るのも忘れて、大変生真面目な表情で頼んでしまったものですから
彼女はとても不安げな目で私を見つめたものです。

「我ガ・憂イノ・日本ヲ案ジ、旗揚ゲス」

そう台詞を吐き捨てて、正義の味方のコスチュームを
自分でデザインしたコ汚い紙の切れはしを見せたときには、彼女はもう、
何かをあきらめたように、悲しげに頷きました。


正義は悲しみから始まる。

己が悲しむもの
己を悲しむもの

そう、全ては悲しみから始まる。


2003/07/02</description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_45.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_45.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Wed, 02 Jul 2003 01:04:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>正義の定義</title>
<description><![CDATA[<img alt="seigi.jpg" src="http://www.im-sendai.jp/archives/seigi.jpg" width="200" height="267" />


数年前、正義の味方に憧れて、実際にトライしてみた事があります。
漠然と「正義」をしたかったのです。
やけくそ・虚無・かすかな希望＝５対４対１ぐらいの割合でしょうか？
精神が疲れていたのでしょうか？

ともあれ、決意は固まっていました。
決意をしたのは善いのだけれど、肝心なことが決まっていませんでした。
それは、「現代社会に於いて、いったいぜんたい正義とは何なのか？」という事です。

現実に自分が正義の味方として存在するためには？
正義の味方をする前に、「正義とは何か」を考えなくてはならなくなってしまったのです。

キルケゴールという哲学者がいます。
キルケゴールといえば、有名な哲学者です。
実際に会ったことがあるわけではないので、確信は持てませんが、
哲学書を書いていることから考えてみても、哲学的なことをしていた人には間違いなのではないでしょうか？

キルケゴールを読んだのは高校生の頃だったと思います。
『中学生のための哲学入門』という本を高校生の私が読み、その中で、キルケゴールという人の思想に
強く惹かれたのを記憶しています。

そして、調子こいて、キルケゴールの哲学書そのものを読みました。
『死に至る病い』という不吉な題の付いたキルケゴールのいわば出世作です。
その冒頭の部分をすこし載せておきましょう。

人間は精神である。
しかし精神とはなんであろうか？
精神とは自己である。しかし自己とは何であろうか？
自己とは一つの関係。
その関係それ自身に関係する関係である。
あるいはその関係において、
その関係がそれ自身に関係するということ、
そのことである。
つまり自己とは関係そのものではなくして、
関係がそれ自身に関係する、
ということなのである。

ちょっと！　キルケゴール考え過ぎじゃねえのか？
或いは、これ読んだ高校生のわたし自身が「考え過ぎ」なのか？

つまり、自分とは関係性のなかでのみ存在するということでしょうか？
つまり、「あなたあってのあたし」ってことでしょうか？
つまり、正義になる為には、「あなたは正義だ！」と認めてくれる他の誰かの存在が
必要だということでしょうか？

いま読み返してみてもさっぱり腑に落ちません。
キルケゴール気取ってんじゃねえよ！
思想をぶっ放すだけぶっ放しておいて、考え込んでしまったじゃねえかよ！と心中毒づき、
キルケゴールと別れようか？
それとも、連れていこうか？
と苦悩し、私が出した結論は
「クリアーしてから考えよう」でした。

つまり、「あなたは正義だ！」と呼んでくれる誰かとまず、出会う事。
次回より、その苦難の『道』。長々とお伝えしましょう。


Ｐ・Ｓ　正義の言葉　

人は自分の理解できないことや、面倒くさいことを『悪』と呼ぶ。


2003/07/01]]></description>
<link>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_44.html</link>
<guid>http://www.im-sendai.jp/archives/2003/07/post_44.html</guid>
<category>1-5.　正義のみかた　ル京詩世</category>
<pubDate>Tue, 01 Jul 2003 23:58:16 +0900</pubDate>
</item>

</channel>
</rss>

