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ずいぶんと前に短期でドイツに留学した時のこと、ケルンから東に入ったメットマ
ンという小さな町で、国際ギターフェスティバルに参加した。日本では考えられない
ようなギター界の重鎮達が一同に会して、講習会、楽器の展示、そして毎夜のコンサ
ートと、ギター三昧の一週間を楽しんだ。ドイツでは、それぞれの町々に音楽学校が
あり、ギター科を持っている学校も多い。メットマンも例外ではなく、ギターの講習
を受けた人々は地元の学生がほとんどだった。一流の演奏家のレッスンを前にどんな
ことが起こるのかと、自分の番が来るまで、興味深々で客席に居たが、出てくる学生
はどの人もテクニックが明らかに発展途上であり、この先生にこの曲を習うのか?と
思えるほど初歩的なものばかりだった。ところがである、驚いたことに当の先生はご
機嫌の様子で、皆も笑顔でレッスンが進んでゆく。始めは実に不思議だった。しかし
よく聴いていると、どの学生も少ないテクニックで、実に音楽的に自分の「歌」を歌
っているのだ。今まで何の変哲もないなどど思っていたエチュードも、こんなに美し
い曲だったのかと改めて驚かされた。自分は、幸か不幸かその先生が翌晩に弾く予定
の曲を持っていってしまい、約二時間に及ぶレッスンの間中怒られっぱなしであった
。怒鳴られる内容はというと、どれもテクニックに関することではなく、全てが曲の
中身に関することだった。自分が何も解ってはいなかったことが、はっきりと解った
瞬間だった。それから数年が経ち、うまく東京のコンクールで優勝することが出来た
が、あの衝撃は今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。 メットマンは、仙台の近郊で言うと秋保周辺に近い雰囲気を持った町で、レッスン の合間に外に出ると、深い杜が広がっていたり、石畳に続く古い教会でだれかがバイ オリンを弾いていたりと、ヨーロッパに行くことでとにかく必死になっていた自分に とっては、周りの心和むような環境にも学生達にも、沢山教えられた想いがした。テ クニック偏重、演奏の平均化、世界標準的演奏等々が叫ばれる昨今、今回の最初の文 章を書くに当たって、自分への再確認の意味も込めて振り返ってみた。 この迷走する時代の中で、ついに我々も「心の時代」に入った。幸い、まだ仙台周辺に は、松島を始めとして、美しい自然環境が残されている。じぶんの目の前にあるのに見ていなかったこれらの物々の中にこそ、きっと「答え」はあると信じる。 |
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吉田修氏へのメールは osamu@sh.comminet.or.jp
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