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| 第一回 |
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その一方で古びた、いや、さびれたというほうがふさわしいかもしれない、そんな通りもある。仙台駅裏から東へのびる二十人町という地区には車がやっとすれちがえる程の細い道に木造の商店や家が立ち並び、猫が行き交う。店先では顔見知りが立ち止まり、世間話に興じている。そこには人の顔があり、生活がみえる。何の用事もないのに、ついふらりと歩きたくなってしまうのは、どこか懐かしさを感じるからかもしれない。私が生まれたころにはもうそんな風景はほとんど見られなくなっていたはずなのに、私はなぜかそんなふうに感じてしまう。
今年の春、私は二十人町を徘徊することが多かった。ふと通りかかったある日、きれいに晴れ上がった空の光がその細い道に強い陰を落としていた。くすんでぼんやりと光るアエルビルをその陰のなかから見上げて以来、私はこの通りに引き込まれてしまった。区画整理の計画によって目立つ空き地や廃屋にも、春はやってきていて、有刺鉄線の間から、崩れた屋根の壁のすき間、破れた畳、古く朽ちた町の残骸から青々とした葉を広げていた。
たったまま枯れて行く木のように、二十人町の通りは余命を過ごしている。やがては区画整理によって、広いきれいな道ができ、四角い建物が並ぶのだろう。雑然とした隈雑さがなくなって、整った街へと向かって行く、どこにでもある店、マンション、似たような作りの家、ベッドに合わせて足と頭を切り落とされた自然。仕方がないことかもしれない。
けれども私は寂しさを禁じ得ない。なぜ街から隈雑さがなくなってゆくのか。これからしばらく二十人町を素材として、その疑問の自分なりの答えを探してみたいと思う。 |
| もっと記事を読む 第三回 二十人町はどのようにできあがってきたのだろうか。今回は二十人町の歴史を取り上げていこうと思う。
第二回
第一回 |
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