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| 第二回 |
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私は二十人町がもつ、町の雑然とした感じが好きだ。ただ雑然としているから好きだというわけではない。あの細い道、小さな商店街。その在り様には固有の歴史が背景となっている。他国からの入り口に、直進できないように鈎の字に曲げられた細い通りを作り、そしてそこに軍功のあった足軽を住まわせ侵入者を見張らせた。その貧しい足軽は平時は内職で生計をたてるようになり、今の商店街の基礎となっている。そういった歴史があの町を形づくってきた。形の内に歴史が宿っている。ある町をその町たらしめている遺伝子。仙台を仙台たらしめている要素、交換可能な役割によってではない特色、それが部分的にではあれ変化しようとしている。そのことの是非はいずれにしても、私たちはもっとその変化をみつめ、得るものと失うものとの比較をしっかりとする必要がある。それを怠れば、気付いた時には思いもしなかったところまで流されているかもしれない。
二十人町の周辺の区画整理は仙台市が行っていると聞いていたので、市役所にいき話を聞いてみることにした。市役所の窓口で案内されたのは「仙台駅東第二開発」と書かれた部屋だった。そこで対応してくれたのは30代前半の若い職員で、私の「この事業の目的を聞かせてください。」という質問には若干当惑した様子だった。しかし、上司の助言を受けつつ親切に答えてくれた。 まず最初に示されたのは、仙台市が作成した事業に関する冊子に書かれている回答だった。以下にしめす。
しかしながら、この表現からは具体的なイメージが湧いてこない。確かに駅の間近にある区域としては、ごちゃごちゃしすぎで中心部らしくない感じはあるが、そういうのもありといえばあってもいいような気はする。そんな感想を伝えると職員が「この地区にはほとんど公用地がないんですよ、、」と地図を見せてくれた。なるほどそこには公園が一つあるばかりで他はほとんど宅地が密集している。これは防災上問題があるという。さらに道路自体も狭く細い、なかには道に接していない建物もあったりと、火災などのときに消防車がはいれないような場所も多いらしい。そのためにも区画整理によってその点を改善する必要があるというのである。この説明を受けて、はじめてなるほどと私は納得できた。確かに、市民の安全を担う市としての立場から言えば必要な計画であるといえる。
そのほかにも仙台市としては「4環状12放射」という形態の道路交通の計画をたてており、その一環としても第二地区の区画整理による道路の拡張は必要であるとの説明もあった。
この「4環状12放射」とは仙台中心部を囲む4つの環状線と中心部へと集まる12の道を配置しようという構想であるが、私は仙台に何年か住んでいますが初めて耳にしたものであった。仙台市もしっかり考えているんだなあという思いも反面、知らないうちに街は変わって行こうとしていることに若干の違和感を感じもした。いずれにしても、市としてもこの区画整理もすべきことをしているといったところである。私の二十人町への変わってほしくはないという想いの正当性を補強するような材料はそこにはなかった。ではいったいこの二十人町はどのようにかわっていくのだろうか、その質問をぶつけてみた。
どうやらこの区画整理事業は、防災上の観点と交通面での観点とのみから行われているようである。その後の街づくりに関しては、そこまでは市の仕事ではないということかもしれない。もし街づくりからの観点である目的があったとすれば昭和60年に決定された事業計画でおこなっている以上、大幅に事業の進度がおくれてしまった現在には変更の必要性はおおきくなっていただろう。しかし交通と防災の問題は過去と現在においてあまり変化はしていない。そうである以上現在も行われようとしているこの事業は計画当初と同じぐらいの必要性を維持しているといえるだろう。市はすべきことを、すべき範囲で行おうとしているという姿が印象として感じられた。
質問が終わった私は対応してくれた職員と一緒に「どうかわるんでしょうね」と首を傾けながらお茶を飲み干した。 |
| この記事の一覧 第三回 二十人町はどのようにできあがってきたのだろうか。今回は二十人町の歴史を取り上げていこうと思う。
第二回 *このページです。
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