|
目次へ バックナンバーへ |
掲示板 この特集の感想やご意見、質問はこちらにどうぞ。 |
| 伊達ロックメインイベントが7月30日に勾当台公園で行われた。メインステージの進行がおして、 終了が二時間も遅れて夜の9時になってしまったこと以外は大きな問題もなく、おおむね盛況だったといえるだろう。 それにしても夏の夜の野外イベントほど気持ちがいいものはない。 |
|
このイベントは去年の冬に一人の学生の「仙台で大きな音楽イベントがやりたい。」という一言によって始まった。
そして今年の3月からプレイベントを月1回という驚くほどハイペースで4回ほど行い、そしてついにメインイベントをむかえた。
勾当台公園と市民広場をいっぱいに使い、フリーマーケット、BMX、お笑い、三味線、ウォールアート、演劇、ファッションショー、
そしてロック、三つのステージで繰り広げられたショーやライブは30以上、会場に訪れた人はゆうに1万人をこした。 そう伊達ロック実行委員長の目黒君が言うように、伊達ロックは仙台に住む若者にとっての文化祭になったのだ。 私はこの伊達ロックに足を突っ込んで、実際にイベントを手伝いながら、このイベントの結末と行く末ばかりを考えていた。 お金をもらえず、むしろ自分たちが払ながら仕事としか言いようのない作業をしなければ成り立つことがない、 親からお金をもらっている人でなければできないじゃないか、そんなイベントが成り立つのだろうかとまで考えた事もあった。 伊達ロック事務局の人々の真剣な取り組みを見て、これはプロとして活動すべきではないか?そんなことも思った。 しかしここにきて、自分のその考えは大きく変わろうとしている。 イベントが終わったあとの、あの充実感は、あの満足感は何だろうか。打ち上げで飲む、あのビールの味は、幾らお金を払っても買えないものがある。 自分が高校生だった頃、私は学校の文化祭を結構一生懸命手伝ったりしてた。たいしたイベントではなかったけれど、祭の終ったあとに非常にみちたりた気分になった事を思い出した。あれと一緒だ。ああそうか。伊達ロックはお祭だったのだ。
伊達ロックにスタッフとして集まった若者は100人を超えた。それにしてもたいしたものだと思う。
ではどうして、こんなに人が集まったのだろうか。それを探ろうと私は伊達ロックフェスティバルが終わってから何人かの伊達ロックスタッフに話を聞いてみた。
彼等(彼女ら)に「伊達ロックに携わって何が一番良かったですか?」と聞くと "新しい人間関係ができたこと、仲間ができたこと" とほとんどの人が答えた。
ここにその答えがあるように思える。
本来お祭りとはどのようにできあがってきたのだろうか?天災や政治事情などである集落や地域が荒廃し、どうしようもなくなった時に、
たぶんお払いとか魔除け、神頼みなどの宗教的儀式として始まったのだろう。そしてそれはたいていの場合ある程度効果があっただろう。
なぜならば儀式を行うためには人手と手間が必要で、たくさんの人を動かすためには組織が必要で、それを統括するためにはリーダーが必要で、
いざこざが起きないようにするにはしっかいとした人間関係が必要である。それはその祭をする地域の団結や絆を強めただろう。昔の人はそれを経験で分かっていたのだろう。 今後伊達ロックという名のお祭りそして団体は、少し歳をとった若者の力を借りながら、もっと若い次の世代の若者へと受け継がれて続いていくだろう。 仙台の若者の祭として、仙台の若者の一つの居場所として
伊達ロックに携われたことをうれしく思いながら。 佐藤研一朗
伊達ロックホームページへ |
| 前の記事を読む |
|
掲示板へ この特集の感想やご意見、質問はこちらにどうぞ。 |
目次へ
バックナンバーへ |